私のトレーナーさんはどこかおかしい。
しかし、肝心の違和感がどこからきているのか分からない。
一見すればただのヒトミミの男性……。
しかし私は、そんな彼に対して不思議と興味……そう、興味を抱いていた。
◆ ―― ◆
きっかけは、何気無い彼の行動からだった。
いつも通りのトレーニング。
スタミナトレーニングやスピードトレーニングなど行っている時、彼を観察しているとたまにおかしな動作をしていたことに私は気が付いた。
「今……手で払った……?」
彼の周りには、よくうろついている子たちがいる。
普段は私は追い払って、彼を守っていた。
けれど、トレーニング中となると確かに距離が出来てしまい、彼に集まってしまう。
「今……何か払いました……?」
「え? ああ、ちょっと小さな虫が目の前をウロウロ飛んでたからね。それを手で払っていただけだよ。
…………もしかして居た?」
「い、いえ……なんでも……ありません……」
まぐれ。
きっと、たまたま……彼が虫を払うと同時にあの子達も払われただけ……。
◆ ―― ◆
お友だちが、彼に見られている気がすると言ってきた。
けれど、彼は見えていないと言っていた。
「本当に……本当に見えないのですか?」
「うん。でも、君がいると言うのなら、きっと居るんだろう?」
一度彼に聞いて、そう返ってきた。
また彼は、周りの人も認識していないのならそれは見えないのだろう。
けれど私が、見えて、そこに居ると認識しているのならそれを信じる、と恥ずかしげもなく言ってくれた。
「だってそれは、俺が君の担当トレーナーだから。担当のことは信じなきゃね?」
そう言って一瞬、彼はお友だちのいる方に視線を向けた気がした。
◆ ―― ◆
「あ、トレーナーさん……」
夜中の散歩。
私は彼の影を見た。
学園の敷地内ではあるけれど、こんな夜中に何をしているのだろう。
「……っ!! そっちには危ないものが……っ!!」
彼の進む方向からは、言い表せない程の嫌な気配が漂ってきている。
私は、彼を守る為に急いで足を動かした。
彼の背が見えた。
「トレーナーさ――あっ」
「ん? カフェ!?」
声をかけてしまい、急に立ち止まり振り返った彼に抱きつくような形でぶつかってしまう。
それを優しく抱きしめて、彼は私を支えてくれる。
そこから香る汗混じりの彼の匂い。
もっと……嗅いでいたい……嗅ぎたい……良い……香り……。
「――っ!? ご、ごご、ごめんなさ……い…………」
「すぐに離れます」まで言えなかった。
彼からする甘くて、少ししょっぱくて、でもコーヒーの様な私の好きな、そんな匂いの所為で、本能で腕が彼を捕まえて離してくれない。
丁度私の鼻が彼の臍の位置で余計に彼のお腹に顔を埋めてしまう。
彼の程よいお腹周りの筋肉の弾力も相まって私は、彼からしばらく離れられなかった。
「落ち着いた……?」
「さ、先程のは……その……わ、忘れてください……」
顔が熱い。
耳も彼の声をよく聞こうと彼の方向へ向いてしまっていたし、彼に頭を撫でられて喜んでしまった。
けれど、同時に何故こんな時間に、よりによって嫌な気配のする方へ彼は向かっていたのか疑問が浮かぶ。
「それで……何か用があったのかな?」
「っ!?」
突然、考えていたことを見透かされたような問いをかけられ私は身体が強張るのを感じた。
「……その、そちらに向かうのはお勧めしません。
なにやらその……嫌な気配がするので……」
そう言いながら彼の顔を覗くと、彼は優しく私に微笑みかけていた。
と て も、 悲 しそ う に 笑っ て… …。
「カフェは優しいね。でも大丈夫だよ」
この後の記憶は定かではない。
気が付けば私は、寮の部屋に居た。
今夜は、眠れように無い。
◆ ―― ◆
いつの日なのか。
満月が大きい夜だったことは覚えている。
その日、私は本当の意味で彼の事を知った。
「トレーナー……さん……?」
目の前の光景が信じられず、それを確かめる為に一歩足が出る。
黒い水溜まり。
鉄の匂いが鼻に残る。
――ぷちゅり。
咀嚼音が響く。
彼と思しき装いの影が、彼と思しき装いの影を食んでいる。
一歩、また私は歩みを進める。
鉄臭い水溜まりに靴が染まるのも気に留めず。
――くしゃり。
水溜まりに浮かんでいた枯れ葉を踏んでしまったようで、音が鳴る。
その音に彼は食むのを止め、ゆっくりと此方を向いた。
「かふぇ……? 駄目じゃないか、こんな夜中に出歩いちゃ」
影の入った顔に六つの鋭い目。
しかしそれは、いつもと変わらない様相で私に話しかける。
私は詮索しすぎてしまったのだろうか?
「……って、そんな雰囲気じゃないか。
それで……俺を見て怖くなった?」
「は……い……」
怖い。
お友だちが前に出て庇ってくれてはいるけれど、そういう意味ではない。
「そっか……。やっぱ俺には無理だったのかな……」
彼は動いていないのに、私と彼との間に距離ができ始めている気がする。
嫌だ。
「人間、憧れてたんだけどなぁ……」
いやだ。
「トレーナー業、楽しかったなぁ……」
そんな悲しそうな表情で笑わないで。
「お友だちの話、もっと聞きたかったなぁ……」
お願いだから……。
「カフェ、君と出会えてよかった」
「――いかないで」
手を伸ばす。
追いかけていたあの子へ伸ばしたように。
「っ!?」
「捕まえ……ました……!!」
無我夢中で伸ばした手は彼の頬に優しく触れた。
蜃気楼の様に揺らぐ影な彼の頭。
六つの眼は涙をこぼしている。
「カフェ……?」
「アナタは誰よりも人間らしい……」
おそらくアナタは、これまでの行動全てが「人間ならこうする・こうなる」と考えていたのでしょう。
だから、自然であっても不自然と感じた。
「いいえ、誰よりも人間すぎました……」
腕を首にまわし、私は子供をあやすように抱擁する。
鉄の匂いの中に微かに香るコーヒーの香り。
「でも、俺は自分の欲求には勝てなかった」
「ですが食んでいたのはあなた自身……誰も犠牲になっていませんよ」
彼の手が私の肩に触れる。
「いつか、君を喰らってしまうかもしれない」
「私はそう簡単に食べられませんよ。
ですが……アナタだけになら、食べられても良い……」
肩を掴まれる。
それは私を離そうとしているのだろう。
私は、それに負けないように力を籠めた。
「私は……アナタと共に居たい。アナタではないともう、満足できない」
私を突き放す力が消える。
「私を……導いてください」
◆ ―― ◆
トレーナーさんの事を深く知った後日。
私は今日も彼の為にコーヒーを淹れる。
「おはよう、カフェ」
「おはようございます……トレーナーさん……」
お友だちはまだ警戒しているようだけれど、彼が危険ではないのは私が知っている。
私は横に並びながら歩幅を彼と合わせる。
「今日も……私の味を覚えさせてあげますからね?」
トレ(人外)
輪郭の無い陽炎の様に揺れる霧状の様な頭部に黄色く光る六つの眼。
首から下は人間ではあるが、なんにでもなれる粘液状の細胞が真似ているだけ。
主食は人間だけれど、自分の体組織を変化させて食料を代用している。
実は味が分からない。
カフェに人外バレ以降にそのことがバレた為、現在カフェの味(コーヒーのこと)を覚えさせられている。
因みに味が分からないことがバレた原因は、インスタントコーヒーに砂糖ではなく塩を間違えて入れたもの(大量)を平然と飲んでいたところの一部始終をカフェに目撃された。