薄暗い室内に、二人の剣士が対峙していた。
片や、仕込み杖を構える骸の剣士、ブルック。
対するはアメストリス軍の頂点に立つ男、キング・ブラッドレイ。
割れた窓から風が吹き込み、床に散らばったガラス片がかすかに転がる。
ブラッドレイは剣を片手に下げたまま、目の前の奇妙な男を観察していた。
「さて……君の実力は、どれほどのものかな?」
言い終わるよりも早く、ブラッドレイが床を蹴った。次の瞬間、その姿はブルックの視界から消える。
「――!」
ブルックは反射的に仕込み杖を振り抜いた。
キィンッ!!
鋭い金属音が室内を貫く。
ブラッドレイの剣が、咄嗟に受けようとしたブルックの刃を正確に弾いた。
「なっ……!」
弾かれた勢いで、ブルックの上体がわずかに流れる。
そこへ、ブラッドレイの剣が滑り込んできた。
横薙ぎの一閃。
ブルックはぎりぎりのところで上体を反らした。
刃が胸元を通り過ぎる。
さらに、ブラッドレイは間髪入れずに踏み込んだ。
下段からの斬り上げ。
ブルックは後方へ跳び、床を滑るように距離を取った。
「……おやおや。危ない危ない」
ブルックは自分の胸元を見下ろした。
たった一合。
それだけで、相手の剣がどれほど速く、そして重いのかを思い知らされる。
「反応は悪くない」
ブラッドレイは淡々と告げた。
――この男、強いなんてものじゃありませんね。
かつて数多の強敵と刃を交えてきたブルックは、ブラッドレイの剣には異質なものを感じていた。
純粋な剣技だけではない。
彼我の速度はそれほど変わらないのに何故かこちらの動きだけが完全に見切られている。相手の呼吸、視線、重心のわずかな変化。そのすべてを捉え、次の行動を先読みしているかのような動き。
まるで、こちらが剣を振るう前から、その結末を知っているかのようだった。
さらに、ブラッドレイの剣には無駄がない。
踏み込みから斬撃に至るまで、余分な動作が一切見当たらない。
力任せに振るうのではなく、最小限の動きで相手の急所を狙い、反撃の余地すら与えない。長年にわたって幾多の死線を潜り抜けてきた剣士だからこそ身につけられる、研ぎ澄まされた剣技だった。
「そちらから攻めては来ないのかね?」
「……いえいえ、まだこれからですよ!」
ブルックが床を蹴った。
低く身を沈め、仕込み杖を横薙ぎに振るう。
狙いは胴。
しかし、それは本命ではなかった。
刃が届く直前、ブルックは手首を返し、斬撃の軌道をわずかに変える。横薙ぎから斜め上へ。さらに踏み込んだ足を軸に身体を回転させ、反対側から流れるような連撃を放つ。
「酒樽舞曲・ルミーズ!」
刃の連閃が降りそそぐ。
一撃目を紙一重でかわしたブラッドレイへ、二撃目、三撃目と間髪入れずに襲いかかる。
左右から交差する斬撃。足元を狙う低い一閃。そして、相手の回避先を塞ぐように放たれた、鋭い突き。
まるで舞台で踊るように、ブルックの長身が軽やかに回る。
大きく振るう腕も、踏み込む足も、すべてが次の斬撃へとつながっている。相手が一撃をかわした瞬間には、すでに次の刃がその逃げ道を塞いでいるのだ。
「ほう」
それを見てブラッドレイは感心したように声を漏らした。
首をわずかに傾け、最初の斬撃をかわす。
続く二撃目は剣の腹で受け流し、三撃目は半歩退いて避けた。足元を薙ぐ刃を軽く跳び越え、最後の突きに対しては身体を横へずらしながら、ブルックの剣先を自らの剣で弾き飛ばす。
キィンッ!
再び甲高い音が響いた。
「なっ……!」
ブルックの右手に重い衝撃が走る。
ブラッドレイは、そのわずかな隙を見逃さなかった。
踏み込み。
ブラッドレイの剣がブルックの首元へと振り抜かれる。
「くっ……!」
ブルックは咄嗟に上体を大きく反らした。
刃が頭上を掠め、黒いアフロの毛先を数本散らす。
しかし、ブラッドレイの攻撃はそれで終わらなかった。
剣を振り抜いた勢いを殺さぬまま身体を捻り、返す刃でブルックの胴を狙う。
ブルックは後退した勢いのまま両手を床につき、逆立ちするように身体を跳ね上げた。
その長い脚を振り回し、ブラッドレイの肩口へとカウンター気味の蹴りを放つ。
だが、ブラッドレイはすでに後方へと退いていた。
ブルックは床に着地すると、すぐさま仕込み杖を構え直した。
「ヨホホホ……! いやはや、見事な身のこなしですね!」
「君もな。人間離れした身体の使い方だ」
「それは褒め言葉として受け取っても?」
「好きにしたまえ」
ブラッドレイは涼しい顔で答えた。
その左目に刻まれたウロボロスの紋章が、薄暗い室内で不気味に光を宿している。
「だが、少々惜しいな」
「……何がですか?」
「君の剣には、確かな技量がある。身のこなしも、攻撃の組み立ても悪くない。相手の反応を誘い、連撃の中に本命を隠す工夫も見られる」
ブラッドレイは剣先をわずかに持ち上げた。
「しかし、私を斬るには剣が軽すぎる」
「手厳しいですねぇ」
ブルックは肩をすくめた。
軽口を叩きながらも、右手にはまだ先ほど剣を弾かれたときの衝撃が残っている。
技が通じないわけではない。
だが、それらを尽くしてもなお、目の前の男には届かない。
「もっとも、私も簡単に引き下がるつもりはありませんが」
ブルックは仕込み杖を握り直し、切っ先をブラッドレイへ向けた。
ブラッドレイはわずかに口元を緩める。
「ほう。まだ何かあるというのかね?」
「ええ。紳士たるもの、最後まで諦めないのが信条ですから」
「……面白い」
ブラッドレイが剣を構え直す。
「ならば、見せてもらおう」
ブラッドレイの言葉を受け、ブルックは静かに息を吐いた。
もっとも実際には呼吸などしていないのだが、それでも長年の癖というものは抜けないらしい。
ブルックは仕込み杖を身体の前で構えた。
ーー納刀。
先ほどまでの軽やかな構えとは違う。
腰をわずかに落とし、柄を握る右手に力を込める。左手を鞘に添え、切っ先を床と平行に保ったまま、ブラッドレイの動きをじっと見据えた。
静寂。
割れた窓から吹き込む風が、ブルックの衣服とアフロを揺らした。
「鼻唄三丁――」
その刹那。
ブルックの姿が、掻き消えた。
「――矢筈斬り!!」
キィィィンッ!!
耳をつんざくような金属音が、室内に響き渡る。
ブラッドレイの目の前に、青白い閃光が走る。
抜刀と斬撃。
その二つをほとんど同時に終えたブルックは、ブラッドレイへ渾身の一撃を繰り出した。
ブラッドレイに仕込み杖を振り抜いた姿勢のまま、ぴたりと動きを止める。
遅れて、床に散らばっていたガラス片が跳ねた。
「…………」
ブラッドレイは、動かなかった。
いや、動けなかったのではない。
彼の剣は、ブルックの一撃を正面から受け止めていた。
いつ抜いたのかも分からないほどの速さで剣を構え、迫り来る刃を寸分違わず捉えていたのだ。
ブルックがなんとか剣を振り抜こうと力を込めるが、ピタリと止まったまま動けない。
「抜刀術か。素晴らしい速度だな」
その声には、先ほどまでよりもわずかな感心が滲んでいた。
「だがしかし、速いだけの攻撃など私には通用せんよ」
ブラッドレイの剣が、ぐっと押し込まれた。
受け止められた刃を通じて、凄まじい衝撃がブルックの腕へと伝わる。
次の瞬間、ブラッドレイが刃を横へと払い、ブルックの剣ごと弾き飛ばした。
ガシャァァン!!
ブルックは壁に叩きつけられ、積み上げられていた木箱がまとめて粉砕された。
砕けた木片が飛び散り、もうもうと埃が舞い上がる。
「ヨ……ホホ……」
瓦礫の中から、かすれた笑い声が漏れた。
ブルックは仕込み杖を杖代わりにして、どうにか身体を起こす。
骨だけの身体に痛覚はない。
それでも、砕け散った木箱と床に散らばる木片を見れば、先ほどの一撃がどれほどのものだったかは嫌でも理解できた。
ブラッドレイは剣を軽く振り、刃についた埃を払うような仕草を見せる。
「惜しいな。あれほどの速度を持ちながら、最後の一撃に頼りすぎている」
そう呟き、壁際のブルックへ視線を向ける。
その時、背後からずるりと起き上がる音が聞こえた。
「うう……目がチカチカするよぉ……」
グラトニーだった。
床に両手をつき、何度も瞬きを繰り返しながら、ぼんやりと周囲を見回している。先ほどリンが放った閃光弾によって奪われていた視界が、ようやく回復し始めたらしい。
「もう大丈夫なのかね、グラトニー」
「うん……もう見えるよ」
グラトニーは鼻をひくつかせ、部屋の中を見回した。
そこにいるのは、壁際で仕込み杖を支えに立つブルックと、剣を手にしたブラッドレイだけだった。
「ごめんなさい。ボク、目が見えなくなっちゃって……」
「閃光弾をまともに受けたのだ。無理もあるまい」
ブラッドレイは淡々と答えた。
その声音に怒りはない。
しかし、彼の視線はすでにブルックから離れ、割れた窓の向こうへと向けられていた。
リンは負傷したランファンを抱えている。いくら急いだところで、健常な人間二人のようには動けまい。
追いつくこと自体は難しくない。
「グラトニー」
「ラース、なにー?」
「私は逃げた二人を追いかける。お前はあれを始末してから匂いで追いかけてこい」
ブラッドレイは剣を腰へ納め、ブルックを一瞥した。
「手早くな」
「はーい!」
グラトニーはブルックへと向き直り、その口を大きく開けた。
* * *
一方、その頃。
路地裏を抜け、建物の陰を縫うように走る人影があった。
リンはランファンを抱えたまま、必死に足を動かしていた。
「若……もう、私は……」
「しゃべるなって言っただろ!」
腕の中から聞こえるか細い声に、リンは思わず声を荒らげた。
ランファンの身体は重い。
いや、正確には、彼女を抱えて走ることそのものが苦しいわけではない。
彼女の負傷がどれほど深刻なのか、まだ分からないことが何よりも気がかりだった。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
キング・ブラッドレイが追ってくる。
あの男の剣速を思い出すだけで、背筋に冷たいものが走った。
「くそっ……! あんなのが、この国の王だっていうのかよ……!」
リンは歯を食いしばった。
その脳裏に、先ほど交わした言葉がよみがえる。
――民なくして、王はあり得ない。
あの言葉を口にしたとき、迷いはなかった。
だが、ブラッドレイは自分の信念など意に介さず、圧倒的な力でねじ伏せてきた。
リンは考えを曲げるつもりはなかった。
自分の国を守るために必要なのは、恐怖で人々を従わせる力ではない。
誰かを切り捨てることを当然とする強さでもない。
仲間を守り、人々の声に耳を傾け、共に歩んでいける王になること。
それが、自分の目指すものだった。
「若……」
ランファンが、かすかに身じろぎした。
「絶対に……お守りします……」
「……馬鹿野郎」
リンは唇を噛み締めた。
「今は守られる側でいろ。お前が無事じゃなきゃ、意味がないだろうが」
そう言って、リンはさらに足を速めた。
背後から追っ手の足音は、まだ聞こえない。
だが、あの男が追跡を諦めるとは思えなかった。
自分たちを逃がすため、ブルックがたった一人で怪物と対峙している。
ブルックが稼いでくれた時間を、決して無駄にはできない。
リンはランファンを抱え直し、前方へと目を向けた。
「無事でいろよ、ブルック……!」
その声は、喧騒に包まれた街の中へと消えていった。
ブラッドレイ「私は逃げた2人を追う。グラトニーはそいつを食べたら匂いで追ってこい。早めにな」
グラトニー「わーい。あれ?なにこれー? お肉が無いよー骨は美味しく無いからいらないー」ポイー
ブルック「……」