屍と錬金術師   作: sky

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2話〜現状確認

 

 シン王国、首都《シセン》。

 

 黄褐色の建物が、どこまでも連なる町である。

 

 街並みに派手な装飾は少ない。壁も屋根も似たような色合いで統一されており、一見するとどこか無機質な印象すら受ける。

 

 もっとも、それは町全体が質素だという意味ではない。

 

 皇帝陛下が暮らす宮廷や、各一族の長が居を構える区域などには、一般の建物とは明らかに異なる豪奢な建築物が並んでいる。

 

 しかし、シセンの大部分を占めているのは、庶民が暮らす住宅街や商業区域だ。

 

 その九割以上は、よく似た造りの家々が続いている。

 

 代わりに、街路の整備は比較的進んでいた。

 

 東西南北に区分けされた都市構造になっているため、初めて訪れた者でも現在地を把握しやすい。道幅も広く、人や荷車が行き交っていても、ある程度の余裕がある。

 

 そして町の中央。

 

 シセンの象徴とも言える宮廷からは、南北へ向かって一本の大通りが伸びている。

 

 通りの両脇には所狭しと商店や露店が並び、食料品から衣服、日用品、異国から運ばれてきた珍しい品まで、さまざまな商品が売られていた。

 

 人々の呼び声。

 

 荷車の車輪が石畳を擦る音。

 

 商人同士が交わす会話。

 

 焼いた肉や香辛料の匂い。

 

 それらが混ざり合い、通り全体を独特の活気で満たしている。

 

 そんな大通りを、一人の奇妙な男が歩いていた。

 

 ブルックである。

 

 長身の身体をやや縮めるようにしながら、人の流れに合わせて歩いている。

 

 現在の彼は、顔の上半分を覆うようにスカーフを巻いていた。

 

 骸骨の顔を隠すためだ。

 

 この国へ来てからまだ日が浅い。

 

 いくら異国とはいえ、白骨化した身体で堂々と街を歩けば、騒ぎになるのは目に見えている。

 

 今のところ、この変装のおかげで目立った騒動にはなっていなかった。

 

 ――もっとも。

 

 身長三メートル近い巨体を完全に隠せるわけではない。

 

 道行く人々の中には、珍しそうに振り返る者も少なくなかった。

 

 しかし、少なくとも悲鳴を上げられるような事態には至っていない。

 

「さて……」

 

 ブルックは歩きながら、周囲の様子を観察する。

 

 彼の目的は、この国から脱出するための手段を探すことだった。

 

 もちろん、目指す場所は海。

 

 そしてその先にいるのは――麦わらの一味の仲間たちだ。

 

 シャボンディ諸島で仲間たちと離ればなれになって以来、ブルックはずっと彼らとの再会を望んでいる。

 

 そのためには、まずこの国から出なければならない。

 

 国外へ通じる貿易船。

 

 あるいは、この国と他国を行き来する商船。

 

 できれば、そのどれかに乗せてもらうのが一番手っ取り早い。

 

 そこでブルックは、商店や露店を巡りながら、さりげなく情報を集めていた。

 

「……なるほど。あちらの港から西へ向かう船がある、と」

 

 聞き込みの結果を頭の中で整理する。

 

 しかし、問題は一つではない。

 

 そもそも自分は、この国の人間ではない。

 

 身分証もなければ、この国の貨幣についての知識も乏しい。

 

 そして何より――

 

 金がない。

 

 ブルックが現在持っているものは、シャボンディ諸島から離れた時にも手放さなかった仕込み杖。

 

 そして、ロイスから「せめてもの礼に」と渡された僅かな金銭。

 

 道中のために持たせてもらった食料の入った包み。

 

 それから、現在顔に巻いているスカーフ。

 

 これだけだった。

 

 食料もいつまでも残っているわけではない。

 

 船に乗せてもらうにしても、何らかの対価を求められる可能性が高い。

 

「これは……少々困りましたねぇ」

 

 ブルックは顎に手を当てる。

 

 骨なので、顎に手を当てても表情は変わらない。

 

 だが、その仕草だけを見ると、随分と深刻そうに悩んでいるように見えた。

 

 そうして一時間ほど歩いただろうか。

 

 ふと、前方に人だかりができているのが目に入った。

 

 何かと思って近づいてみると、そこには一軒の露店があった。

 

 香辛料をたっぷりと使った串焼き肉を売っているらしい。

 

 炭火で焼かれた肉からは、香ばしい匂いが立ち上っている。

 

 鼻を持たないブルックにも、その匂いは分かった。

 

「おお……」

 

 思わず足を止める。

 

 肉を焼く音。

 

 香辛料の刺激的な香り。

 

 行列を作る客たち。

 

 シセンでも人気の店なのだろう。

 

 その時だった。

 

 列の一番前にいた客が、串焼きを受け取った。

 

 すると、その客の足元へ、一人の男が近づいていく。

 

 フードを深く被っているため、顔はよく見えない。

 

 どうやら物乞いらしい。

 

 男は、残り物でも分けてもらおうとしたのだろう。

 

 しかし邪魔だと言わんばかりに、客は乞食を蹴り飛ばした。

 

 男の身体が地面を転がる。

 

 そのまま勢い余って、ブルックのいる方へと転がってきた。

 

 そして――

 

 どさっ。

 

 ブルックの足元で倒れた。

 

「…………」

 

 ブルックは無言で見下ろす。

 

「ぐぎゅるるぅぅ~~~~……」

 

 凄まじい音が響いた。

 

 地響きかと思うほどの音だった。

 

 しかし、その発生源は目の前に倒れている男の腹だった。

 

「おや……」

 

 ブルックが首を傾げる。

 

 男はしばらく地面に伏せていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。

 

 服装だけを見るなら、単なる乞食とは少し違う。

 

 それなりに仕立ての良い服を身に着けている。

 

 ただし、何度も地面に倒れたのだろう。

 

 衣服には埃が付着し、ところどころ汚れていた。

 

 そして何より、顔色が悪い。

 

 男は糸目から涙を流しながら、ブルックを見上げた。

 

「すみません……」

 

 声にも力がない。

 

「どうか……少しだけ、食べ物を分けてもらえませんか……」

 

 そう言うと、男はそのままブルックの足をがしりと掴んだ。

 

「…………」

 

 ブルックはしばらく男を見下ろした。

 

 どうしたものか。

 

 普通なら警戒するところだ。

 

 しかし――

 

 ふと、以前の出来事が脳裏をよぎった。

 

 深い霧の中。

 

 何も知らない自分を、何の躊躇もなく食事へ招いてくれた人々。

 

 あの時、彼らが差し出してくれた食事。

 

 そして、そこに込められていた温かさ。

 

 きっと自分は、あの時感じた感謝を忘れることはないだろう。

 

「…………」

 

 ブルックは自分の持っている食料へ目を向けた。

 

 ちょうど、ロイスから渡されたものが残っている。

 

 この程度なら、自分が多少我慢すればいい。

 

 周囲からも視線が集まり始めている。

 

 これ以上ここにいれば、この男まで余計な騒ぎに巻き込まれるかもしれない。

 

 ブルックは男を立たせると、人目の少ない近くの路地裏へ連れていった。

 

 そして、持っていた食料の箱を差し出す。

 

 男の目が見開かれた。

 

 男は箱を受け取ると、夢中になって食べ始めた。

 

 その勢いは凄まじかった。

 

 まるで何日もまともな食事をしていなかったかのようだ。

 

 やがて男は、用意されていた食料の大半を平らげた。

 

「ふぅ……」

 

 腹をさする。

 

「少し食べ足りないけど、生き返ったよ。ごっそさん」

 

 先ほどまで死にそうな顔をしていたとは思えないほど、男は元気になっていた。

 

 立ち上がり、服についた埃を手で払い落とす。

 

 そして改めてブルックを見る。

 

「ところで……」

 

 男は首を傾げた。

 

「珍しい格好だけど、アンタ、外国の人?」

 

「ええ。そうです」

 

 ブルックは頷く。

 

「少々訳ありでして」

 

 男は珍しそうにブルックの顔を眺めた。

 

 正確には、スカーフに隠された顔を。

 

「そうか!」

 

 やがて男は笑った。

 

「俺の名はリン!」

 

 胸を張る。

 

「シンの人間は、受けた恩は必ず返す。何か困ってることがあったら、なんでも言ってくれ」

 

「…………」

 

 ブルックは一瞬、考え込んだ。

 

 何か困っていること。

 

 もちろんある。

 

 むしろ、困っていることだらけだ。

 

 国外へ出るための船。

 

 その船を探すための情報。

 

 そして、船に乗るための資金。

 

 だが――

 

 目の前の男を見る。

 

 つい数分前まで、腹を空かせて地面に倒れていた人物だ。

 

 そんな相手に金銭的な助けを求めるわけにはいかない。

 

 それに、食事を恵んだだけでそこまでの恩を返してもらうつもりもない。

 

「お気持ちだけ頂いておきましょう」

 

 そう断ろうとした。

 

 ――その時だった。

 

「…………!」

 

 ブルックの身体が反応した。

 

 何かいる。

 

 殺気。

 

 ほんの一瞬だった。

 

 ブルックは咄嗟にその場から身体を引いた。

 

 直後。

 

 ――ズガッ!

 

 一本のクナイが、先ほどまでブルックが立っていた場所へ突き刺さった。

 

「おや?」

 

 ブルックはクナイを見る。

 

 そのまま、飛んできた方向へ顔を向けた。

 

 屋根の上。

 

 そこに、一人の黒装束が立っていた。

 

 顔には面。

 

 手には武器。

 

 明らかにただ者ではない。

 

 クナイが外れたことを確認すると、黒装束は迷うことなく屋根から飛び降りた。

 

 そのままブルックへ向かってくる。

 

「なっ――!?」

 

 ブルックは仕込み杖へ手をかけた。

 

 鞘から刀身を引き抜く。

 

 キィン――。

 

 鋼と鋼がぶつかる音が響いた。

 

 黒装束の刃を受け止める。

 

 だが、相手の攻撃は止まらない。

 

 ブルックは身体を捻り、紙一重で刃を躱した。

 

 風圧がスカーフを揺らす。

 

 そのまま刃が背後の露店へ突き刺さり、張られていた布を大きく切り裂いた。

 

「きゃあああっ!」

 

 周囲から悲鳴が上がる。

 

 突然の戦闘に、人々が一斉に逃げ始める。

 

 果物や野菜が露店から転がり落ち、路面を埋めていく。

 

 商人たちも荷物を抱えてその場から離れていった。

 

 瞬く間に、先ほどまで活気に満ちていた商店街が、即席の戦場へと変わっていく。

 

 黒装束が刀を返した。

 

 今度は突き。

 

 一直線にブルックの胸部を狙ってくる。

 

 ブルックは半歩横へずれた。

 

 刃が胸元を掠める。

 

「おっと!」

 

 ブルックが体勢を立て直す。

 

 だが、黒装束はすぐに次の攻撃へ移った。

 

 その時だった。

 

「ランファン、止まれ!」

 

 リンの声が響く。

 

「この人は食べ物を分けてくれた恩人だ!」

 

「若!?」

 

 黒装束――ランファンの動きが止まった。

 

 殺気がわずかに緩む。

 

「リン様に近づいて食い物を恵む? 何が目的ね! 毒でも盛ったか?」

 

「そんなことする人に見えるか?」

 

「怪しい格好をしている時点で十分怪しいです」

 

 面で顔を隠していても分かるほどの仏頂面。

 

 飽くまでも自分に非はないと主張している。

 

「まあ、それは……そうかもしれないけど」

 

 リンが苦笑する。

 

 ブルックも剣を下ろした。

 

「リンさん。こちらの方は?」

 

「俺の護衛だよ。ランファン」

 

「失礼いたしました」

 

 ランファンはそう言いながらも、警戒を完全には解いていない。

 

 その視線はブルックを捉え続けている。

 

「いや、すまない」

 

 リンがブルックへ向き直る。

 

「こいつは――」

 

 そこで。

 

 リンの言葉が止まった。

 

「……?」

 

 ブルックは首を傾げる。

 

 ランファンも同じだった。

 

 二人の視線が、ブルックの顔へ集中している。

 

 ブルックは不思議そうに自分の顔へ手を当てた。

 

 そして――

 

 そこで気づいた。

 

 スカーフが破れている。

 

 先ほどの攻撃だ。

 

 クナイを避けた際に、完全には回避しきれなかったらしい。

 

 布の裂け目から、白いものが覗いている。

 

 ――骨。

 

 隠していた骸骨の顔が、完全に露出していた。

 

「…………」

 

 リンとランファンが固まる。

 

 ブルックも何も言わない。

 

 ただ、二人の反応を見て、静かに目を伏せた。

 

 ――ここまでですね。

 

 これでは、まともに話をするのも難しいだろう。

 

 ブルックは小さく息を吐く。

 

 もちろん肺はない。

 

 だが、長年の習慣というものは恐ろしい。

 

 そして、無言でその場を離れようとした。

 

「待ってくれ!」

 

 背中から声が飛んできた。

 

 ブルックが足を止める。

 

 振り返る。

 

 リンがこちらを見ていた。

 

「俺の仲間になってくれないか?」

 

「若!?」

 

 ランファンが驚きの声を上げる。

 

 ブルックもさすがに驚いた。

 

「……私が?」

 

「ああ」

 

 リンは右手を上げ、ランファンを制する。

 

「まあ、正確には仲間というより……」

 

 リンは少し考えるように顎へ手を当てた。

 

「護衛をお願いしたいんだ」

 

「護衛?」

 

「ここから西にある大国へ用があってね。そこまでの護衛を頼みたい」

 

 リンは悪びれもせず続ける。

 

「もちろん報酬は出すよ。希望があるなら、可能な限り聞こう」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 ブルックの思考が止まった。

 

 報酬。

 

 護衛。

 

 西。

 

 船。

 

 国外。

 

 ――願ってもない話だった。

 

 ブルックはしばらくリンを見つめる。

 

「どうかな?」

 

 リンがニヤリと笑う。

 

「悪くない話だと思うけれど」

 

「……貴方はいったい何者なんですか?」

 

 ブルックは尋ねた。

 

 ただの行き倒れではない。

 

 先ほどのランファンとのやり取り。

 

 そして、今の発言。

 

 何かある。

 

 そんな予感がした。

 

「俺か?」

 

 リンは胸を張った。

 

「俺はシン国第十二王子、リン・ヤオ!」

 

「…………」

 

 ブルックは黙った。

 

 目の前の人物と、先ほどまで地面に倒れていた男がどうしても結びつかない。

 

 だが、リンはそんなブルックの困惑など気にも留めず、さらに言葉を続けた。

 

「近い将来、必ずこの国の皇帝になる男だ!」

 

「…………」

 

 自信満々。

 

 微塵の迷いもない。

 

 まるで、それがすでに決まっている未来であるかのように、リンは言い切った。

 

 その顔を見て、ブルックはほんの一瞬だけ目を細めた。

 

 ――なんでしょうねぇ。

 

 この感じ。

 

 つい最近まで一緒にいた、ある男の姿が脳裏をよぎる。

 

『俺は海賊王になる!』

 

 何度聞いても無茶苦茶な宣言だった。

 

 世界中の海賊が目指す頂点。

 

 誰もが簡単には届かないと知っている場所。

 

 それでも、彼は笑いながら言い切っていた。

 

 根拠なんて、あったのかどうか。

 

 ただ、自分がそうすると決めた。

 

 だから、そう言った。

 

 目の前のリンも、どこか似ている。

 

 王子という立場も。

 

 皇帝という、とてつもなく大きな目標も。

 

 普通なら尻込みしてしまいそうなことを、まるで当たり前のように口にするところも。

 

 そして何より――。

 

 その言葉に、不思議なほど嘘が感じられない。

 

 ブルックの胸の奥に、懐かしい感覚が広がった。

 

 ――ヨホホ。

 

 もしかすると、この人も……。

 

 そう思った瞬間、ブルックの口元がわずかに緩んだ。

 

「……随分と大きく出ましたねぇ」

 

「だろ?」

 

 リンはニヤリと笑った。

 

 その笑顔を見て、ブルックは確信する。

 

 やはり、少し似ています。

 

 もちろん、ルフィとは全然違う。

 

 食べることばかり考えているところも、仲間を巻き込んで突っ走るところも、何も考えていないように見えて妙に核心を突くところも、似てはいるがまだ分からない。

 

 それでも――。

 

 自分の夢を疑っていない目だけは、よく似ていた。

 

「ヨホホホホ!」

 

 ブルックは笑った。

 

 久しぶりに、少しだけ懐かしい気持ちになりながら。

 

 つられてリンも笑う。

 

 その隣では、ランファンだけが笑っていなかった。

 

 この奇妙な国で出会った第十二皇子。

 

 彼が求めているという“不老不死”。

 

 錬金術。

 

 悪魔召喚。

 

 そして、自分自身の存在。

 

 全てが偶然なのか。

 

 それとも――

 

 何か一つの大きな流れに繋がっているのか。

 

 ブルックには、まだ分からない。

 

 ただ一つだけ確かなことがある。

 

 今は、この少年と共に行く。

 

 その先に何が待っているのか。

 

 それを確かめるために。

 

 そして何より――

 

 自分はまだ、仲間たちと再会していない。

 

 こうして。

 

 シン王国の第十二皇子と、異世界から流れ着いた骸骨の音楽家。

 

 本来なら決して交わるはずのなかった二人の旅が、始まった。

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