――信用できない。
ランファンは、少し前を歩く白骨の男をじっと見つめていた。
ブルック。
先ほどリンが雇ったという、奇妙な男。
そもそも、あれを「男」と呼んでいいのかすら、ランファンには分からない。
一見すれば、背の高い紳士だった。
黒い衣服に身を包み、頭には立派な黒いアフロ。
杖を手にして、長い脚で悠々と歩いている。
だが、その衣服の下にあるものをランファンはすでに見てしまっている。
骨。
紛れもなく骨だった。
頭部には肉も皮膚もない。
眼窩には眼球すら存在しない。
それなのに、こちらを見ている。
こちらの声を聞き、言葉を返し、歩き、笑う。
――あり得ない。
少なくとも、ランファンがこれまで生きてきた中で、このような存在を見たことは一度もなかった。
錬丹術というものは知っている。
人の理解を超えた術を使う者が存在することも知っている。
だが、それでも限度というものがある。
死者が蘇る。
しかも、肉体を失い、骨だけの身体で生きている。
そんな話を簡単に信じられるほど、ランファンは楽天的ではなかった。
むしろ逆だ。
分からないものほど警戒する。
それは護衛として当然のことだった。
ランファンは歩調を崩さないまま、さりげなくブルックの背中を観察する。
右手。
左手。
腰。
足元。
衣服の膨らみ。
武器を隠している可能性。
少しでも不審な動きをすれば、すぐに対応できるように神経を研ぎ澄ませている。
ブルックもまた、そんなランファンの視線に気づいているようだった。
だが、何も言わない。
それどころか――
自分の主君であるリンと、まるで以前からの仲間であったかのように並んで歩いている。
それもまたランファンにとって不快だった。
そんな時だった。
「なあ、ブルック」
前を歩いていたリンが、突然声をかけた。
「はい?」
ブルックが振り返る。
「その顔、どうにかならないか?」
ブルックの足が止まった。
リンが指差しているのは、ブルックの顔。
正確には、顔を覆っていたものだった。
先ほどランファンとの戦闘で破れてしまったスカーフ。
裂けた布は首元に引っかかっているだけで、もはや顔を隠す役割を果たしていない。
白骨の顔が、完全に露出していた。
ブルックは自分の頬の辺りに手を当て、それから破れたスカーフを指先でつまむ。
「お恥ずかしい限りです」
「いや、恥ずかしいとかそういう問題じゃないだろ」
リンは呆れたように言った。
それから周囲を見回す。
今はまだ人通りもそれほど多くない。
しかし、この先には町がある。
さらにその先には、もっと大きな街もあるだろう。
そのたびにブルックの姿を見た人々が驚けば、騒ぎになる。
騒ぎが大きくなれば、当然兵士も呼ばれる。
そうなれば、目的地へ向かうどころではなくなってしまう。
「……このままじゃ、まずいな」
リンは腕を組んだ。
「その顔を見たら、普通の奴はまず驚く」
「ヨホホホ。まあ、それは否定できませんね」
ブルックは素直に頷いた。
「驚くだけならまだいい」
リンの表情が少し真剣になる。
「騒ぎになったら面倒だ」
「……」
「俺たちはこれから西へ向かうんだ。途中で町をいくつも通ることになる」
リンはブルックの顔を見ながら続ける。
「そのたびに人が集まって、騒ぎになって、兵士まで呼ばれたらどうする?」
「それは……困りますねぇ」
「だろ?」
リンは頷いた。
「いちいちお前が何者なのか説明するのも面倒だろ?」
ブルックは顎に手を当てた。
「確かに」
「だったら、最初から隠しておいた方がいい」
そう言って、リンは懐へ手を入れた。
ごそごそと探った後、取り出したのは一枚の面だった。
白と黒を基調とした、簡素な面。
目の部分には細い穴が開いており、鼻と口も最低限の形で作られている。
装飾らしい装飾はほとんどない。
だが、顔を隠すという目的だけなら十分な代物だった。
「面ですか?」
ブルックが首を傾げる。
「ああ」
リンはそれをブルックへ差し出した。
「ランファンと同じ、ではないが、同じ職人に作らせたものだ。予備だけどな」
「なるほど」
ブルックは面を受け取った。
裏返したり、表に戻したりしながら、興味深そうに眺める。
「これなら確かに顔を隠せますね」
「だろ?」
リンは満足そうに頷いた。
「せっかく雇った護衛が、町に入るたびに大騒ぎの原因になったら困るからな」
「ヨホホホ。なるほど。実に合理的です」
ブルックは笑いながら、面を顔へ当ててみる。
大きな頭蓋骨を覆うには少々小さいが、目元から口元までを隠すには十分だった。
「では、お言葉に甘えて使わせていただきましょう。ありがとうございます、リンさん」
「気にするなって」
リンは再び前を向いた。
「これから一緒に行動するんだから、そのくらいはするさ」
「……」
ブルックはしばらく何も言わなかった。
面に隠されているため表情は見えない。
それでも、その横顔にはどこか嬉しそうな雰囲気があった。
その時だった。
「若!」
後方から声が響いた。
三人が一斉に振り返る。
街道の向こうから、一人の老人がこちらへ向かってくる。
白髪。
白い髭。
年齢を感じさせる落ち着いた雰囲気。
だがその目には、鋭い光が宿っている。
「フー!」
リンが声を上げた。
「ようやく来たか!」
「若……」
フーはリンの姿を確認すると、安堵したように小さく息を吐いた。
「ご無事で何よりです」
「俺がそう簡単に死ぬと思うか?」
「いえ」
フーは即答した。
「……だろ?」
リンは満足そうに腕を組む。
しかし、フーはそんなリンをじっと見つめた。
「しかし、護衛も付けずに街中をうろつき、空腹で倒れていたと聞きましたのでな」
「誰から聞いたんだよ……」
リンが顔をしかめる。
「私の情報網を甘く見ないことです」
フーは涼しい顔で答えた。
「相変わらず抜け目ないな、お前……」
リンは肩をすくめる。
その時だった。
フーの視線が、リンの隣にいるブルックへ向いた。
「……」
二人の視線がぶつかる。
フーの足が止まった。
ブルックもまた、面の奥からフーを見つめる。
しばしの沈黙。
フーは、ブルックを凝視したまま動かなかった。
「若」
低い声が響く。
「この男は何者です?」
「ブルック」
「名前を聞いているのではありません!」
「じゃあ、骨」
「なぜ骨が若の隣に立っているのですか!」
「そこは本人に聞いてくれ」
「ヨホホホ……」
ブルックが困ったように笑う。
「ご安心ください。私は危険な者ではありません」
「その姿で言われても説得力がありませんぞ!」
「それは困りましたねぇ」
ブルックは頭を掻いた。
ランファンまで思わず額に手を当てる。
――この男は、本当に大丈夫なのか。
そんな疑問が、ランファンの脳裏をよぎった。
「フー」
リンが声をかける。
「こいつは見た目ほど危険なやつじゃない」
「……ほう」
「むしろ、俺が腹を空かせて倒れていたところを助けてくれたんだ」
「……」
フーは黙ってブルックを見る。
その目から警戒の色は消えない。
当然だ。
目の前にいるのは、どう見ても普通の人間ではない。
しかし――
「それで、若が護衛に?」
「ああ」
リンは迷いなく答えた。
「こいつは強い。それに、信用できる」
「……」
フーはしばらく黙っていた。
そして、やがて静かに息を吐いた。
「……そうですか」
「フー?」
「若がそう仰るのであれば、私は構いません」
「いいのか?」
「若の判断を疑うつもりはありません」
フーはそう言って、ブルックへ視線を向けた。
「若をお守りするというのであれば、私も貴方を仲間として扱いましょう」
その言葉に、ブルックがわずかに反応した。
「……仲間、ですか?」
「ええ」
フーは静かに頷く。
「若がお認めになった方ですからな」
ブルックはしばらくフーを見つめていた。
やがて、穏やかに笑う。
「何ですかな?」
「リンさんへの忠誠心が、とても強い方なのですねぇ」
「当然です」
フーは即答した。
「私はこの身を、若のために使うと決めておりますからな」
「フー……」
リンが少し照れくさそうに顔を背ける。
「改めて言われると恥ずかしいだろ」
「何を今さら」
フーは小さく笑った。
「それに――」
再びブルックを見る。
「若が信じる者を、私が頭ごなしに疑い続けるわけにもいきますまい」
「……」
「もちろん、若に危害を加えるようなことがあれば話は別ですがな」
「ヨホホホ!」
ブルックが楽しそうに笑った。
「それは安心しました」
「何がです?」
「若様を大切に思われている方なら、私も安心して背中を預けられそうです」
「……そう言っていただけるなら結構」
フーはようやく表情を和らげた。
警戒を完全に解いたわけではない。
目の前の存在が何者なのか、フーにはまだ分からない。
それでも――
リンが信じると決めた男ならば、自分もまた信じる。
それが、長年リンに仕えてきたフーの答えだった。
「では、改めてご挨拶を」
フーは杖を持ったまま、軽く頭を下げる。
「私はフー。代々ヤオ家に仕え、今は若に仕える者です」
「これはご丁寧に」
ブルックも深々と頭を下げる。
「私はブルック。海賊で音楽家です。故あって離れ離れになりました仲間のもとへ帰らなければなりません。それまでお世話になります」
「……海賊?」
「はい」
「音楽家で?」
「はい」
リンが吹き出した。
「やっぱりそこ気になるよな! 今度、楽器弾いて見せてくれよ」
「若、笑っている場合ではありませんぞ」
そう言いながらも、フーの口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
その後、ようやくフーから具体的な説明が始まった。
「では、若。アメストリスへ向かう手段についてですが――」
「おう」
リンの表情が引き締まる。
「いくつかの現実的な移動手段と、出入国経路の情報を手に入れて参りました」
「本当か!」
リンの顔が明るくなる。
フーは懐から折り畳まれた地図を取り出した。
それを地面に広げる。
リン、ランファン、フー、そしてブルック。
四人が自然とその周囲へ集まった。
地図の中央には、大きな国土が描かれている。
東方に位置するシン国。
そして、その西。
広大な砂漠を挟んだ先に、一つの大国が存在していた。
アメストリス国。
シンとアメストリス。
二つの国の間には、容易には越えられない広大な砂漠が広がっている。
フーが地図の上を指でなぞる。
「まず、目的地へ到達するためには三つの選択肢があります」
「三つ?」
リンが地図を覗き込む。
「一つ目は、鉄道を使う方法です」
フーの指が地図上の線路をなぞる。
「これが最も早い。街を経由しながら西へ進み、アメストリスへ入ることができます」
「なるほど」
「二つ目は、多少遠回りになりますが、船を利用して海路を進む方法」
今度は地図の南側へ指を移す。
「時間は掛かりますが、砂漠を直接横断する必要がありません」
「そして三つ目」
指が地図の中央に戻る。
「徒歩による砂漠の横断です」
「……」
その場に沈黙が落ちた。
リンが地図を見る。
ランファンも見る。
ブルックは面の奥から、砂漠の描かれた場所を見つめる。
「徒歩……ですか」
「はい」
フーは頷いた。
「最も費用はかかりませんが、当然ながら危険も大きい」
「それはそうだろうな」
リンが腕を組む。
「砂漠だもんな」
「ええ。昼夜の寒暖差、食料と水の確保、盗賊の存在。そして何より――」
フーは地図から顔を上げる。
「国境を越える必要があります」
四人の視線が、地図の西側へ向いた。
その先にあるのは、未知の国。
錬金術の国、アメストリス。
少しの思案の後、リンが口を開く。
「その選択肢なら、当然鉄道じゃないか?」
リンが地図を指差す。
「一番早いんだろ?」
「はい」
フーが頷く。
「問題がなければ、ですが」
「問題?」
ランファンが聞き返す。
フーは少しだけ眉を寄せた。
「実は先ほど、鉄道関係者から入手した情報があります」
そう言って、懐からもう一枚の紙を取り出した。
「数日前、大規模な砂嵐が発生したそうです」
「砂嵐?」
「ええ」
フーは地図の上に紙を置いた。
「アメストリスへ向かう鉄道路線の一部が、砂によって埋没したとのことです」
「……どのくらい?」
リンの表情が変わる。
「一部だけなら、復旧を待てばいいだろ」
「問題は、その範囲です」
フーの指が地図の上を動く。
「およそ数十キロにわたって線路が埋まっています」
「数十キロ!?」
リンが思わず声を上げた。
「それ、鉄道じゃなくて砂の道じゃないか」
「まさにその通りです」
フーは淡々と答える。
「現在も復旧作業が続いているそうですが、いつ再開するかは分かりません」
「どのくらい待つ?」
「早ければ数日。長ければ数週間」
「……」
リンが黙り込む。
数週間。
その言葉が重かった。
リンたちには、ただアメストリスへ行くだけの旅ではない。皇帝になるために必要なものを手に入れる。そのために、一刻も早く行動しなければならない。
「待ってられないな」
リンが言った。
「そうですな」
フーも頷く。
「では船は?」
ランファンが尋ねる。
「港まで移動する必要があります」
フーが地図を見る。
「それに、現在の情勢では外国へ向かう船に乗るのも簡単ではありません。身分の確認もあります」
「つまり……」
リンが地図を見る。
鉄道。
船。
徒歩。
最初に選んだ鉄道には、砂嵐という問題がある。
船は時間と手続きがかかる。
残るのは――
「徒歩か」
リンが呟いた。
「砂漠を?」
ブルックが聞き返す。
「ええ」
フーが答える。
「いつ完了するか分からない鉄道が復旧するのを待つより、徒歩で砂漠を越えた方が早い可能性があります」
リンが顔をしかめる。
「俺たちが砂漠を越えられるなら、それが一番早い。か」
ランファンが地図を見る。
「若」
「分かってる」
リンは頷いた。
「危険なのは分かってる」
そして、ブルックを見る。
「お前はどう思う?」
突然話を振られ、ブルックは少し考えた。
「砂漠ですか……」
「嫌なら無理にとは言わない」
「いえ」
ブルックは首を横に振る。
「私は構いませんよ」
「本当か?」
「はい」
ブルックは杖を肩に担いだ。
「海賊というものは、荒れた海や険しい島を越えて旅をするものです」
「砂漠も似たようなものか?」
「……」
ブルックは少し考える。
「いえ、砂漠は初めてですが」
「おい」
リンが呆れる。
「ヨホホホ!」
ブルックが笑う。
「しかし、歩くこと自体は問題ありません」
そう言って、ブルックは自分の足を見る。
「私は疲れませんから」
「……」
ランファンが目を細める。
「確かに、貴方は先ほどから一度も休んでいませんね」
「ええ」
ブルックは頷く。
「私は骨ですから」
「その説明で納得しろというのか……」
ランファンが頭を抱える。
リンは少し考えた後、地図を丸めた。
「決まりだ」
全員の視線がリンに集まる。次の言葉を待っている。
「砂漠を越える」
リンは立ち上がった。
「アメストリスへ行くぞ」
その言葉に、迷いはなかった。
フーは静かに頷く。
「承知しました」
ランファンも地図へ視線を落としたまま、短く答えた。
「若が決めたのであれば、従います」
「よし」
リンは満足そうに笑った。
「じゃあ、決まりだな」
地図が折り畳まれる。
アメストリスまで続く、長い道のり。
その途中には広大な砂漠が待っている。
灼熱の太陽。
尽きることのない砂。
水と食料の確保。
そして、国境という大きな壁。
決して楽な旅ではない。
むしろ、四人にとって未知の危険が待ち受けている可能性の方が高い。
それでも――立ち止まる訳にはいかないのだ。