セントラルシティへと向かう汽車の中で。
規則正しい車輪の音が響く車内で、エドワードは座席に深く腰掛け、腕を組んでいる。向かい側ではウィンリィが窓の外を眺め、リンは相変わらず勝手気ままに座席を占領していた。
「ヨホホホ……! それにしても汽車というものは便利ですねえ。船よりも速く、風にも左右されない。私、初めて乗りましたが骨身に染みて感動しております!」
「うるせえな! さっきからそればっかりじゃねえか!」
エドワードが顔をしかめた。
「おや、失礼。感動を分かち合いたかったのですが」
「分かち合わなくていい!」
エドワードが叫ぶ。
そんな二人のやり取りを、隣の席からアルフォンスが眺めていた。
兄の隣に座り、膝の上に両手を置いている。全身を覆う鎧は、汽車の揺れに合わせて小さく金属音を立てている。
「……あの」
「はい?」
「ブルックさんは、本当に……骨だけなんですか?」
その声には、先ほどまでの戸惑いとは違う響きがあった。
ブルックは、アルフォンスの鎧姿を改めて眺めた。
その大きな身体。無機質な金属の装甲。表情の変わらない兜。
けれど、声には温かさがあり、こちらを気遣うような優しさがある。
「僕、最初は驚いたんです。こんなふうに、普通じゃない身体で生きている人がいるなんて……。あ、すみません! 変な意味じゃなくて!」
「いえいえ。お気になさらず」
ブルックは、穏やかな声で答えた。
「普通じゃない、ですか。ヨホホホ……。確かに、私たちの姿を見て驚かない人の方が珍しいでしょうね」
そう言いながら、ブルックは自分の肋骨を指先で軽く叩いた。
カラン、と乾いた音が鳴る。
「ですが、私も最初からこんな姿だったわけではありません。少々……いえ、かなり込み入った事情がありましてね」
ブルックは一瞬だけ、窓の外へ目を向けた。
流れていく景色の向こうに、遠い海が見えるような気がした。
「私は一度、死んでいるんです」
アルフォンスは息を呑んだ。
「死んで……?」
「ええ。かつての仲間たちとともに戦い、命を落としました。その後、ヨミヨミの実という悪魔の実の力で魂が蘇ったのですが……戻ってきたときには、身体を見つけるまでに時間がかかりすぎましてね。ようやく見つけたときには、骨だけになっていたというわけです」
「そ、そんなことが……」
「ええ。人生、何が起こるかわかりません。もっとも、死んでから人生と言うのも変な話ですが! ヨホホホ!」
いつもの調子で笑うブルック。
けれど、アルフォンスはすぐには笑わなかった。
死んだ。
その言葉が、彼の胸の奥に静かに沈んでいく。
自分は、死んだわけではない。
兄とともに禁忌を犯し、その代償として身体を失った。兄は右腕と左脚を、そして自分は全身を失った。今の自分は、魂を鎧につなぎ留められているだけの存在だ。
それでも、いつか元の身体を取り戻せると信じている。
けれど目の前の男は、一度死んだ後、元の身体に戻ることなく、こうして笑っている。
「……怖く、なかったんですか?」
アルフォンスの問いに、ブルックは首を傾げた。
「怖い、ですか?」
「はい。自分の身体がなくなってしまって……もう、元には戻れないかもしれないって」
車輪の音が、二人の間を通り過ぎていく。
ブルックはしばらく黙っていた。
そして、いつもの陽気な笑顔を少しだけ和らげた。
「……怖くなかった、と言えば嘘になりますね」
アルフォンスが、顔を上げる。
「私には、もう一度会いたい人たちがいます。今も無事でいてくれている筈ですし、また再会できると信じています」
ブルックは、窓の外を眺めたまま続けた。
「この姿になったとき、私は長い間、たった一人でした。声をかける相手もいない。笑いかける相手もいない。どれほど時間が過ぎたのかさえ、分からなくなりそうでした」
その声からは、いつもの軽妙さが少しずつ薄れていた。
「ですが、だからこそ思うのです。身体がどうなろうと、魂がどんな形で残ろうと……誰かを想う気持ちまで、なくなるわけではないのだと」
アルフォンスは、じっとブルックを見つめた。
「僕も……そう思います」
小さな声だった。
死後も魂が現世に戻る。
肉体を失っても、再び動き出す。
その言葉を聞いた瞬間、アルフォンスの胸の奥で、何かが小さく揺れた。
彼は自分の両手を見つめる。
金属でできた指。関節の継ぎ目。冷たく硬い掌。
そこには、血も通っていなければ、心臓の鼓動もない。
けれど、自分の意識は確かにここにある。
「……僕も、似たようなものなんです」
ぽつりと、アルフォンスが呟いた。
ブルックは静かに彼へ顔を向けた。
「ほう?」
「僕の身体も……普通の人間のものじゃないんです」
アルフォンスは、自分の胸元に手を当てた。
「本当は、ここに僕の身体はありません。僕の魂だけが、この鎧に定着しているんです」
汽車の車輪が、線路の継ぎ目を越えて大きく揺れた。
「アル……」
エドワードが、わずかに声を低くした。
アルフォンスは兄を安心させるように、軽く首を振った。
「大丈夫だよ、兄さん。別に隠していることじゃないから」
アルフォンスは続ける。
「僕たちは、亡くなった母さんを生き返らせようとして……錬金術で人体錬成を行いました。でも、失敗して……」
言葉が途切れる。
「兄さんは左脚を、僕は身体全部を失いました。兄さんが自分の右腕を代価にして、僕の魂をこの鎧に定着させてくれたんです」
アルフォンスは、鎧の指をゆっくりと握った。
「だから、今の僕は……生きていると言っていいのか、時々わからなくなるんです」
「アル……」
エドワードが小さく呟いた。
しかし、アルフォンスは兄を見ず、ブルックを見つめていた。
「食事もできないし、眠ることもできない。疲れもしないし、身体が成長することもありません。普通の人間なら当たり前にできることが、僕にはできないんです」
少しだけ、声が沈む。
「僕は元の身体に戻りたい。兄さんと一緒に、ちゃんと人間として生きたいんです」
ブルックは、すぐには答えなかった。
骸骨の顔からは、表情を読み取ることができない。
それでも、アルフォンスは不思議と、彼が真剣に自分の話を聞いてくれていると感じていた。
やがてブルックは、ゆっくりと口を開いた。
「……そうですか」
いつもの陽気な調子ではなかった。
「アルフォンスさんは、元の身体に戻りたいのですね」
「……はい」
「それは、とても大切な願いだと思います」
ブルックは窓の外へ視線を向けた。
流れていく景色の向こうに、何か遠いものを見ているようだった。
「私も……仲間たちと、もう一度会いたいのです」
アルフォンスは顔を上げた。
「仲間たちと……?」
「ええ。私は今の仲間たちと離れ離れになってしまいましてね。今、こうして旅をしているのも、彼らのもとへ帰る方法を探しているからなのです」
ブルックは笑った。
いつもの、どこかとぼけた笑い方だった。
「私は一度死にました。もう二度と会えないと思っていた人たちもいます。それでも、こうして生き続けることができた。ならば、今度こそ大切な人たちのもとへ帰らなければなりません」
彼は自分の胸に手を当てた。
そこには、心臓など存在しない。
それでも。
「身体がどうなっていようと、魂がここにある限り、私は私です。……少なくとも、私はそう信じています」
アルフォンスは黙って聞いていた。
「もちろん、あなたが元の身体に戻りたいという願いを、私が軽々しく語ることはできません。あなたがどれほど苦しい思いをしてきたのか、私にはすべてわかるわけではありませんから」
ブルックは少しだけ首を傾けた。
「ですが……今、あなたとこうして話している私は、あなたをただの鎧だとは思っていませんよ」
「……え?」
「あなたはアルフォンスさんです。優しくて、礼儀正しくて……お兄さんのことをとても大切に思っている、一人の少年です」
アルフォンスの指先が、わずかに震えた。
「あなたは元の身体に戻りたいとおっしゃいましたね」
「……はい」
「ならば、どうかその願いを諦めないでください。私は自分の身体を取り戻すことはできませんでしたが……あなたには、まだその可能性があるのでしょう?」
ブルックはいつもの調子で笑う。
「でしたら、諦めるにはまだ早い! ヨホホホ!」
「……ブルックさん」
アルフォンスも、つられるように笑った。
先ほどまで胸の奥に沈んでいた重たいものが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
もちろん、何かが解決したわけではない。
失った身体が戻ったわけでもない。人体錬成の罪が消えたわけでもない。
それでも、自分と同じように普通ではない身体を持ちながら、前を向いて歩き続けている者がいる。
それを知れただけでも、アルフォンスには意味があった。
汽車は変わらず、セントラルへ向けて走り続ける。
窓の外では、夕日がゆっくりと地平線へ傾き始めていた。
アルフォンスは、隣に座る兄へそっと顔を向けた。
「……兄さん」
「あん?」
「僕、絶対に元の身体に戻るよ」
エドワードは一瞬だけ目を丸くした。
そして、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべる。
「当たり前だろ。誰がそのために旅してると思ってんだ」
「……うん!」
たとえ、どんな身体であろうとも。
たとえ、どれほどの困難が待ち受けていようとも。
身体を取り戻して、大切な人たちが待つ場所へ帰るために。
アルフォンスは、自分の手を見つめた。
金属の指。冷たい装甲。そこには、温もりも鼓動もない。
それでも、その手で兄を助けたいと思う気持ちは確かにある。
「ブルックさんのお話聞かせてくれて、ありがとうございました」
ブルックは、静かにうなずいた。
この少年もまた、姿が変わってしまったことで、数えきれない苦しみを抱えてきたのだろう。
それでも、兄を想い、未来を信じ、笑うことを忘れていない。
元の身体を取り戻せるかどうかは、まだ誰にも分からない。
それでも、この少年には共に歩く兄がいる。そして、帰るべき場所を諦めていない。
ならば、きっと大丈夫でしょうね。
「アルフォンスさん」
「はい?」
「いつか、元の身体に戻れたら……ぜひ、私にも見せてくださいね」
アルフォンスは一瞬きょとんとした後、嬉しそうにうなずいた。
「はい! もちろんです!」
汽車は、セントラルへ向かって走り続けている。
その先に何が待っているのか、まだ誰にも分からない。
けれど、同じように身体を失い、それでも大切な誰かを想い続ける二人は、この短い会話を通して、ほんの少しだけ互いの心に触れることができたのだった。