ものすごい形相で袖に引っ込んできたテイオーは、何か言おうとするエアグルーヴの肩をひっつかんで、無理やりに後を引き継いだ。
「じゃ、あとはよろしくネ、生徒会長。」
エアグルーヴがなにか言おうとしているのを他所に、テイオーは袖から降りて床上から会場を見渡してみた。―にわかにどよめいている講堂。それを見ながらあたふたしている進行役のフジキセキ。降りてきたテイオーに気づいたのか、指示を乞うような目線を送ってきた。それをテイオーは眼力で“進行はどうした”と催促する。受けたフジキセキは慌てて視線を原稿に戻した。
「で、では!これより理事長からご講評を頂戴しまして閉会ということでしたが!本日ご来賓のシンボリルドルフ様より、URAから緊急の議題が入りましたそうですので、エアグルーヴ生徒会長よりそれをご説明していただきます。」
またしてもざわつく講堂。なんとなくその事情を知るモノも少なからずいるようで、あることないこと吹聴している様も見受けられる。エアグルーヴが登壇してなお、そのざわめきは収まるところを知らない。しばらく待ってみるも、講堂はにわかに揺れたままだった。
「―あー、どうかご静粛に願いたい。」
やむを得ず促すエアグルーヴ。それを以てしてようやく講堂は静まる。数分前のような静けさが返ってきた。皆一様にエアグルーヴを見つめている。しかしながら、どこかの副会長とは違い、このくらいで動じる彼女ではない。努める必要すらもなく、普段通りに話を始めた。
「え―、先ほど。といっても生徒総会の始まるほんの数十分前になりますが。そちらにいらっしゃるシンボリルドルフ様より、URAからのご提案ということであるお話をいただきました。しかし、我々や理事のみでこれを決定するにはあまりにも議題としてタイムリーかつ大事という判断となりましたので、今からここにいる皆さんにもそれを各自持ち帰っていただき、後日議論の場を設け、最終的に出た答えを以てURAに上申することとします。―それでよろしいですね?シンボリルドルフ様。」
来賓席に向けて目線を送るエアグルーヴ。その先には、かつて憧れていた存在が。それもまた、茶色い瞳でエアグルーヴを見つめていた。
「ああ、急いでくれるのならそれで構わないよ。」
このふたりクラスのやりとりになると、このような短い言葉の節々に互いの譲歩できるところ、そうでないところの駆け引きが生まれる。エアグルーヴはこれで「時間の猶予」と「現場判断の重要性」を認めさせることに、シンボリルドルフは「可及的速やかに」事を進めさせることに成功したのだ。
「ありがとうございます。―では、改めて説明に入ります。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
クラシック撤廃とそれにかわるタイトルレースの開催。やはり一般生徒の動揺は避けられなかった。聴衆はあくまでもその域を出なかったが、その表情や仕草を観察するに、およそいい反応ばかり得られたわけではなさそうだ。
この学園に限らず、レースを志してきてこの道に入ってきたウマ娘たちで、クラシックの三大競争、三大ティアラを、よほど短距離に拘る以外で意識しないことなどもはやできない。出走が叶うにしろ叶わないにしろ、必ずどこかでその話は出てくるものだ。親が獲ったから自分も、とか、逆に親や友人、仲間の夢を継いで、など様々な事情はあれど、「走らない」ことを考えるウマ娘は基本的にいないはずだ。それが今日突然“なくなります”などと言われれば動揺するのも無理はない。ざわめく講堂はそれを如実に物語っている。
それを見ていながら、シンボリルドルフは冷静だった。このような動揺も想定内―何度も見てきているのだ。見てきておきながら、それを説き伏せ、やがて訪れる未来に希望を持たせ、その議題に賛成させるだけのプランが彼女にはある。だからこそ、今はただ静かに事の成り行きを見守るに徹しているのだ。
「―であるから!今日から数えて3日、とくに来年クラシックを走る予定の生徒諸君はよく考えてほしい。今日の放課後にアンケートを全生徒分配布します。それに記入して、今日から数えて3日以内に、生徒通用口の要望投函口に投函すること!それから3日以内に回答を集計し、中等部の各クラス代表と我々生徒会でもう一度話し合いをします。そこで出た答えを以て、わが中央トレセン学園のこの件に関する意見として、URAに上申することとします。」
約一週間の猶予。これがエアグルーヴが具体的に示した答えだった。シンボリルドルフは何も言わずに椅子の上で目を閉じている。
「私からは以上です。では、何か質問や意見のあるモノが居れば―ッ?!」
すっ―、と挙げられた一本の腕。その主を見て、会場はざわめき、エアグルーヴはぎょっとする。それは、他に誰も同じモノがないと見るや否やそのままの姿勢で立ち上がり、腕を下ろしてステージへ歩みだす。本来、いくらOGといえど部外者はあくまで部外者。傍観の立場でいなければならない。それがこうして勝手に席を立ち動き、あまつさえステージへあがろうとしているというのに、エアグルーヴも含め、誰もそれを止めることができなかった。
「マイクを、いいかな。」
およそ2ヶ月ぶりにステージ上で対面する旧生徒会長と現生徒会長。かつてあこがれたあの茶色く穏やかな瞳が、現生徒会長の顔面を幾重にも射抜いている。一方現生徒会長は、今ここで起こっていることがあまりにも想定外すぎて、頭の中を白黒めいめいにさせながら、一体何をどうするのが最善か、正確には、マイクを譲る以外に何か手段は無いものか、と必死に考えていた。
「ど、どうぞ…。」
しかし、ここのところはそれ以外にやりようがなかった。
マイクを受け、シンボリルドルフが改めて演台に立つ。その姿は、つい最近までエアグルーヴにとって、付き従うべき存在で、自身のすべてを捧げられるほどに心から尊敬し信頼できる存在のそれであった。
「シンボリルドルフだ。」
その一言で、彼女の英雄譚を知る大抵のウマ娘たちはひれ伏し、頭を垂れる。7つの冠を戴しその圧倒的な強さと、在任中に幾度となく振り翳され、幾人もの生徒が平伏し、魅了さえもさせてきたその威光が、今再び学園にもたらされようとしていた。
「まず最初に言っておきたいのだが、これは私の独自の発想だ。私の所属がURAだから、URAからの議題ということになってしまったがね。―だから正直なところを言うと、私の動きはまだ上はほんの一部しか知らないんだ。なぜそうしたかという話は長くなるので割愛するが―、私はこの話をほかの主要なトレーニングセンター総てで行ってきた。そしてすべてではないが、概ね賛同の意見をいただいている。そうして最後に訪れたのがここだ。全国でも類を見ない規模と実績の中央トレセン学園が賛同したとなれば、他の学園も自ずとその方向に動くはず。そうした“全国の学園の総意”を以て、私は上に申告をあげるつもりだ。制度が施工される年によっては、君達には直接は関係のない話かもしれない。しかしながら、未来のウマ娘たちのそれは、君達に懸かっている。君達だって志半ばで散っていく仲間をもう見たくないはずだ。そしてこれからやってくる君たちの後輩にも、その姿は見せたくないはずだ。もしかしたら次にそうなるのは君なのかもしれない、そこの君かもしれない。―どうか君達の熟考のもと、決断してほしいと思う。」
私からは以上だ。―という言葉とともにマイクを切ろうとしたところで、シンボリルドルフの眼はある1点に注がれた。ピンと伸びた右腕が一本。しかしそれは一般生徒席からでなく、ステージにほど近い、云えば生徒会側の席からであった。その主は、はっきりとした意志で彼女を視線で捕らえて離さない。それにシンボリルドルフは、歓喜にも似た感情を覚え、思わず口角が上がってしまった。
「―なにかな?」
フジキセキやヒシアマゾンが必死になって抑えようとしているのにも動じない。もみくちゃにされながらも挙げられたままのその手は、紛れもなくトウカイテイオーのものだった。