シンボリルドルフとの約束の日、陽もすっかり落ちた頃。トレセン学園前駅から電車で幾駅かを経て、東京都港区にウマ娘が3人。目的地はそう、URA本部だ。
麻布十番駅から六本木のURA本部へと続く都道は、突然のスターウマ娘の来襲に軽い騒ぎが起きていた。
“おい!あれってトウカイテイオーじゃないのか?”
“トウカイテイオーだけじゃない!エアグルーヴとナリタブライアンも一緒だぞ!”
“あいつら、そういえば中央トレセン学園の生徒会連中じゃないか!三人総出だなんてただ事じゃないぞ!一体何をするつもりなんだ!”
なにやら学園事情に詳しい連中もいるらしい。世間を騒がす大スターウマ娘であるにもかかわらず、彼女らは大した護衛もなく都道314号を闊歩している。その視線が、テイオーにとってはこのうえない気持ちよさを覚えさせた。
「ねえねえ、みんなコッチ見てるよエアグルーヴ!なんだかボクたち、スターにでもなった気分だね!」
ウマ耳をびこびこ、尻尾をぶんぶん回してはしゃぐテイオー。
「あとどれくらい頼めば静かになってくれるんだ?私は考えることが多すぎてアタマが痛むんだよ。」
エアグルーヴはいつものポーズで頭痛を抑えようとしている。
“おお!エアグルーヴのあのポーズだ!まさかナマで拝めるとは…。”
ウマ娘に詳しい連中が騒ぐ。
「バカが頭痛薬忘れてくるからだろ。乗り物にも弱いくせしてそれはあんまりだぞ。」
横からナリタブライアン。詳しい人には垂涎モノの、トレセン学園生徒会そろい踏みである。
騒ぐニンゲンの大人連中をモーセのごとく割りながら、URAまでの道を進むテイオーたち。その目の前に人影が飛び出してきた。
「ト、トウカイテイオーさんですよね!」
それはウマ娘で、まだ年端もいかない―レースを走るにはまだ早すぎるくらいに見える。
「テイオー、あまり時間が―。」
「いいよ。大丈夫だよ。―どうしたのかな?」
シンボリルドルフとの待ち合わせに遅れることを危惧したエアグルーヴはそれを素通りしようとしたもののテイオーが制する。そのまま膝立ちになり、そのウマ娘に目線を合わせて、話を聞く姿勢になった。
「私、おぉお姉ちゃんが中央の学園にいるんですけど、この前聞きました!クラシックがなくなるかもって…。まさかトウカイテイオーさんに直接会えるなんて思ってなかったから、私…!」
えらく緊張している様子だ。
「そうだね。ボクたちは今からその話をしにいくところさ。」
ぷるぷる震えながらも、目線だけはしゃんとテイオーを捉えているその小さなウマ娘からは、脆弱ながらも、芯の強さは感じられた。
「クラシックをなくそうっていう話に、トウカイテイオーさんだけがそれに反対してたって聞きました!あの、私―、私、日本ダービーに出てみたいんです!一生に一度でいいから、本気で走りたいって思える何かが、あのレースにはあるんだと思っています!だから!―だから!」
思いの丈をぶちまけている途中で涙と鼻水でぐじゅぐじゅになり言葉の判別がつかなくなった。それでもテイオーは真剣な表情を崩さず、最後まで彼女の想いを聞き届けた。抱きかかえ、背中をさすり、アタマを撫で、落ち着かせながらテイオーは静かに語り掛けた。
「わかった。キミの想いは確かにボクに届いた。―ボクもキミと同じだ。ウマ娘たちが輝ける舞台を守りたい。一生に一度の煌めきを守りたいんだ。キミだけじゃない。心の内に同じような想いを秘めたウマ娘もきっとどこかに居るはずなんだ。ボクはそんなキミたちの想いを絶対に無駄にはしない。いつかキミが日本ダービーを走るところを楽しみにしているよ。」
最後にアタマを撫で、す、とテイオーは立ち上がった。
「ごめんねエアグルーヴ。待たせちゃった。」
い、いや…、としかエアグルーヴは返すことができないでいる。ナリタブライアンはそれを見てやれやれと首を振ってエアグルーヴを急かした。
「さ、行こうか。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
六本木ヒルズゲートタワー。その赤銅色の巨大なビルの中に、URA本部がある。
「でけえな…。」
その巨大さに圧倒されナリタブライアンが思わず独り言を漏らす。
「建物の大きさだけで気後れするな。私たちはこれからもっと大きな存在に喧嘩を売りにいくんだぞ。」
先頭を往くエアグルーヴがナリタブライアンを嗜める。
それもそうだな、と三人して建物と相対したとき、すでにその入り口に人影があった。その人影は仁王立ちで微動だにせず、こちらをじっと睨んで固まっていた。前髪の三日月だけが風に揺れている。
「奴さんはもうお待ちかねみたいだな。」
あんな場所で仁王立ちしてるいのだからそれはもう目立つ。よりによってシンボリルドルフ。世間からの認知度も凄まじいウマ娘だけに余計に目立つ。退勤するにあたり、遠巻きに彼女を躱して敷地を出る職員であふれかえっていた。
そうして敷地を出た職員を今度はそのシンボリルドルフに挑みかからんとしている現役のスターたちが待ち構えていた。それにぎょっとした職員たち。今度は彼女らを中心に割れるようにして敷地から去っていく。故に、シンボリルドルフと彼女らを結ぶ直線だけが空いているような奇妙な空間ができあがった。その中で、4人のウマ娘たちは2度目の邂逅を果たすのだった。
「―ず、ずいぶんとお待ちいただいたようで。」
さっきまでの威勢とはうらはらに、明らかにビビッているエアグルーヴがあいさつをする。
「いや、そんなことはないさ。」
仁王立ち、腕組のまま、目を閉じてシンボリルドルフはエアグルーヴを労う。は、はあ…、と同調せざるを得ない恐ろしさを孕んでいる。
「もう、そんなことするためにここに来たんじゃないでしょ、ふたりとも!」
進まない会話にしびれを切らしたテイオーが先頭に躍り出た。
「カイチョー!約束のモノ、持ってきたよ。」
エアグルーヴから封筒を引っ手繰り、シンボリルドルフに差し出す。中央トレーニングセンター学園の封蝋がなされている。ちゃんとした正式な書類だ。これをもって学園はURAのクラシック撤廃案に弓を引くということになる。
「まあ、ボクたちがわざわざ直接これを持ってきたってことで中身は大体察してほしいところだけどさ。」
ふっと笑ってシンボリルドルフはその封筒に手をかける。
「そういうことだが―、本当に受け取っていいんだな?」
シンボリルドルフがこれを受け取るということは、これをもって敵対するということ。長年憧れ慕い追いかけてきた存在に、改めて牙を剥くのだ。封筒を握りしめるテイオーの手がわずかに震えている。
「―やはり、やめておくか?」
手を震わせているテイオーにシンボリルドルフは逃げ道を作ってやる。やっぱりいいや、賛成するよ、と言わせればそれで彼女の勝ちだ。それ以上火花を散らす必要もなく、もとの仲の良い先輩後輩に戻れる。テイオーにとっては甘い誘惑かもしれない。それにこのままシンボリルドルフと親しくしておけば、将来は約束されたようなものだ。“皇帝の右に帝王、左に女帝あり”と云われる時代もそう遠くはないのかもしれない。
しかしテイオーには今、自らの未来よりも優先すべきことがあった。あのウマ娘の涙にぐじゅぐじゅになった顔が脳裏をよぎる。あの娘の未来を守るためにも、今ここでテイオーが折れるわけにはいかなかった。
震える右手の上から左手をかぶせ、ぎゅっと力を込めて強引にそれを止める。
「あいにくだね。ボクにも張らなきゃならない意地ってのがあるんだ。これも挑戦だよ。」
“―そうか。”と、シンボリルドルフは封筒を受け取った。
「中身は後程確認する。キミたちの合意なしに強引に事を進めることは無いから安心してくれたまえ。」
「うん、わかったよ、“シンボリルドルフ”。」
その返事に一瞬反応したシンボリルドルフだったが、それを無理やり微笑みに変えてテイオーを見返してみせた。
しばし睨みあった後、シンボリルドルフは目を閉じて仁王立ちを解く。ひとつ息を大きく吐き、封筒をバッグに仕舞った。
「―いい時間だな。何か食べていくか?」
そこには、URA競技部のシンボリルドルフではなく、単にエアグルーヴ、ナリタブライアン、トウカイテイオーのよき先輩としてのシンボリルドルフが居た。
「うん!ボク特上にんじんハンバーグがいいな!あとはちみーもね!」
「まったくしょうがないなお前は。エアグルーヴたちもそれでいいか?」
はい、とエアグルーヴとナリタブライアンは同意する。ついでにマルゼンさんも呼びませんかとエアグルーヴが提案した。
「それもいいな。―よし、電話してみるか。… … … ああ、マルゼンスキーか?ルドルフだ。いや、職場をでたら“偶然エアグルーヴたちと出くわして”な。これから食事に行くところだが、君もどうだい?」
何やら話して、電話を切る。
「すぐに来るそうだ。店はいつものあそこにしよう。」
“やったーカイチョー大好き!“などと叫びながらテイオーはシンボリルドルフの腕に抱きつく。
「やめろバカ。会長は長らくトレーニングなさってないせいで衰えていらっしゃるんだぞ。」
「お、衰えていると直接言われると思うところがあるなあ。」
その食事会はこれまでにないほど楽しかったと、テイオーの日記には書かれていた。