朝の冷ややかな空気が残る理事長室。今日は朝イチから理事長の命によりエアグルーヴ、ナリタブライアン、そしてテイオーも招かれていた。朝日をガラス越しに受け、3人とも少し眩しそうな顔をしている。そして理事長の隣には、昨日テイオーが助けた女性―樫本が立っていた。
「 邂 逅 ! ―今日、改めて生徒や職員諸君には公示するつもりだが、先に君たちに会わせておくべきかと思って来てもらった」
扇子を開きポーズをかっこかわいく決める理事長の口調こそいつも通りだが、やはり不安の色があった。
「URAから派遣され、昨日からこの学園で顧問の職位に就いておられる。樫本理子さんだ」
よろしくお願いします、と樫本は頭を軽く下げる。併せてエアグルーヴらも一礼した。既にテイオーとは遠からず近からずの縁にある故に、お互いに多少の気まずさは感じているのかもしれない。両者の視線は一瞬合ったが、すぐに反らされることとなった。
結論、シンボリルドルフはやはり動いていた。この樫本という女性がURAでどの程度の力や伝手を持つ人物かは測りかねるが、その力を使って何かしら企んでいるのはおおよそ理解できる。そもそもの話、理事長が「さん」付けで樫本を呼称している時点でその力関係がうかがえるのだ。やはりいくら国内最大規模の中央トレセン学園とはいえ、上層組織のURAともなれば流石にアタマが上がらない。
「ねえ、おねえさん」
呼ばれ、樫本はその方を見る。トウカイテイオーが、じっと見つめていた。初めてまともに交錯する視線。昨日まではあんなに綺麗で、美しく見えたそれが、今日は少しだけ後ろめたかった。
「おねえさんは多分、ここに来るときにURAから色々聞いてると思うケド。おねえさんもやっぱり、“そう”思う?」
“そう”とはつまり、樫本がここに来た目的を指す。シンボリルドルフのプランに唯一NOを突き付けている中央トレセン学園の総意を無理やりにでもYESに書き換え、中央の判断に流されつつある全国の施設等を引き留めること。それが樫本に課された使命だ。樫本は職務としてそれを遂行しなければならない。―が、それをどう思うかについては本人の自由だ。故に、樫本の本意はまずもって“YES”ではない。
「私は―、私にはわかりません。レースを走るようなウマ娘と共にすごした経験もありませんし、トレーナーなる人物とも接点がなく、その人となりやウマ娘界の全貌がまだ見えていません。私自身も、青春を懸けるような勝負事はしてこなかったかのように思います。自らの将来を大切にせよという意見も、大事なのは来るかどうかもわからない未来よりも確実な今だという話も私にはよくわかります。職務として遂行しなければならないことはもちろんありますが―、あなたがたの人となりには、積極的に触れていきたいと思っていますよ」
YESともNOとも採れない日和見的な答えではあったが、テイオーは頭を下げて引き下がった。それで充分だったようだ。
「樫本さんには各所を巡っていただき、ウマ娘のトレーニングや座学を視察。都度アドバイスや改善の提案などをいただくことになっている。―無論、学園の今後の方針にも大いに関わってくることだろう。君たち生徒会役員諸君とも近い間柄となるはずだ。双方の認識は統一しておいた方が―よさそうなんだが」
困った顔をして理事長がおどけてみせる。職務として、意地として、お互いに譲れないものはどうしてもあるらしい。
「どうしたってボクたちのやることは変わらないよ。よろしくね、おねえさん」
エアグルーヴやナリタブライアンともども、互いに握手を交わして、ひとまずこの場のケリはついた。その裏で互いに譲れないものの駆け引きをしているあたり、テイオーはなんだかオトナな感じがしていた。
「それじゃあ、私は改めて樫本さんと話があるので、君たちは下がってくれ」
下がる生徒会役員諸君を笑顔で見送り、部屋の扉が閉まるやいなや、秋川やよいはこのうえなく真剣な顔つきになった。
「―彼女らは聡い。トウカイテイオーがあなたを路上で助けた時点で、おそらく何かを感じていたのでしょう」
「そうですね。しかしながら私はURAの職員としてその職務を全うする義務があります。そこに私情の混ざる余地はありません」
「そうですな―。まあ、期間は秋までとじゅうぶんにある。今すぐにと結論を急がず、ここの学風に触れてからでも遅くはありませんよ」
樫本はウマ娘と直接かかわったことがない。そういう意味では、今回の人事は本人にとって非常に有意義なものであることには違いない。在任期間中、ウマ娘の知識を多く得られれば今後の糧になるやもしれないとは思っていた。
「ウマ娘と関われることは、私にとっても貴重な時間ですから。可能な限り密度を上げたいと思っています」
一礼して樫本は理事長室を出ていった。一人取り残された理事長四肢を投げ出し大―きくため息を吐いて頭を掻く。
「桐生院の御婆様もよくわからないことをするものだ。あんなにブレやすい人材を送ってくるとは―」
秋川には樫本が「力や権力で押し切るタイプ」には見えなった。在学中のシンボリルドルフに時折感じていた聡さや、URAの衣を借りた強さのどちらもさほどは感じなかった。もしかしたらそこに桐生院の婆様の意図があるのかもしれない。しれないのだが―、秋川にはそれがわからなかった。
「あなた様は一体何を考えていらっしゃるのですか―」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「よお、遅かったじゃないか」
一日の勉強を終えて、遅れてチームの部屋にやってきたテイオーを、トレーナーをはじめメンバーが迎える。三日後から始まる夏の合宿へ向けて作戦会議の時間を、学園が確保しているのだ。
「昨日URAから派遣された奴、すげえ美人なんだってなあ!テイオー、今朝会ったんだろ?!どうだっ―」
ダイワスカーレットの鉄拳がヒット。“ぐわらば!”という濁った悲鳴と共にトレーナーは吹っ飛んでいった。腕組み、仁王立ち。どこかで見たことがある。
「まったく!次鼻の下伸ばしたら承知しないんだから!」
すでに承知していないのはご愛敬。ダイワスカーレットは顔を赤くして鼻息を荒げている。
「テイオーはどうするんだ?天皇賞を考えてるんなら走りこんでおきたいだろ?」
殴られて赤くなった鼻をさすりさすりし痛がるトレーナー。壁に体を預けながらよろよろと立ち上がってダイワスカーレットを睨み付けている。
「そうだね。ボクも頑張らなくちゃいけないから」
とはいいつつも、最近は生徒会の仕事にはまり込んでいて合宿の準備などこれっぽっちも進んではいない。あんまり海で泳ぐ気にもなれないし、新しい水着も買えていない。体の成長―、筋肉が増えたために去年までの“お遊び”の水着は入らなくなっているのだ。今回は着替えくらいでいいかな、なんて思っている。
「マックイーンはどうするの?」
「ああ、マックイーンは用具係っていう体で合宿に帯同してもらうぞ。トレーニングに耐えられる脚にはまだ戻っていないからな」
そっか、とテイオーは頭の後ろで手を組んで天井を仰ぐ。
「―マックイーン、天皇賞走らないんだってね」
あの時の話か、とトレーナーは笑ってごまかす。
「まあ、正直難しいよな」
昨日の車内での会話を思い出す。脚が治らない。しかし、メジロマックイーンはまだ終わりたくない。だから万全になるまでひたすら待つ。要約すればこの程度にすぎないが、そこに渦巻く情念はすさまじい。
「あんな悲しそうなマックイーン、久々に見たよ」
ダイワスカーレットもしゅんとして俯いてしまった。
「ちゃんとケリをつけて、そこできれいさっぱり終わるはずだったんだけどな。―昨日カイチョーにも怒られちゃったよ。お前が走る理由は、メジロマックイーンとの決着のためだけなのかって。それだけの為にしか走れないのなら最初から走らない方が数倍マシだって言われちゃった」
「だからさ、ボクはボクの信じる道を往くために“これからも”走ることにするよ。類い稀なだれかじゃなくて、ボク自身が他のウマ娘たちに夢を見せることにする。だから、ボクもマックイーンと同じさ。こんなところで終わってなんかいられない」
「シンボリルドルフには見せられなかった夢を、未来を。ボクのやりかたで見せる。そう決めたんだ」
そうか、頑張れよ―トレーナーの手がテイオーの頭をわしゃわしゃと乱暴になでる。その手つき自体は雑ながらも、温かさも感じられた―が、そんな場合ではない。
「もー!いつまでも子ども扱いして!」
憤慨してトレーナーの手を振り払った。ぷるぷるっと身震いをして気合を入れる。
「だからさ、トレーナー」
「新しい勝負服が欲しいな」