トレセン学園にも夏がやってきた。チーム事情やよほどのことがないかぎり、大多数のウマ娘たちがこの臨海学校のような施設に“合宿”をしにやってくる。施設の斡旋こそ学園がしてくれるが、利用申請や人数の管理、日誌などの記入をチームのトレーナーかウマ娘自身に義務付けられている。そのため、基本的にトレセン学園の“職員”に当たる人物はここには居ないことの方が多い。
テイオーも秋の天皇賞を見据えてチームに帯同し合宿に参加することにした。同時に生徒会として窓口を開き、トレーニング実情の把握やパトロールなどの仕事をこなさなければならない。そうしてそれを1ヶ月繰り返して、テイオーは明らかに疲弊し消耗していた。
「これ、お願いします!」
今日も生徒会のテントに、トレーニング機器の使用申請をしにウマ娘たちがやってくる。朝早くから長蛇の列だ。寝ぼけて働かない頭にムチを打ちながらテイオーはそれに対応していた。
「んあ―、これはこの時間もう埋まっちゃってるんだよね。次のブロックなら空きがあるから使えるけど、それでいいかな」
「はい、お願いします!」
じゃあ13時半から15時ね―、と予定表を書き換え、パソコンでその旨を打ち込んでから、ウマ娘に書類を返してやる。
「じゃあ、使い始めと使い終わりの点検はよろしくね」
はい!、という元気のいい返事を残してウマ娘は走り去っていく。それを笑顔で見送り、姿が見えなくなるとそのまま天井を仰いで大きく息を吐く。卓上の扇風機の風もあまり涼しくない。早朝とはいえ8月の砂浜である。太陽はすでに昇りきっており、容赦なく地上のものを焙っていた。
「次の人どうぞぉ」
呼ばれて出てきたのは、テイオーのチームのトレーナーだった。
「なんだ、バテてんのか」
どん、と卓上にラムネが置かれた。そのうち1本をトレーナーが開けて飲む。テイオーもそれに倣った。ころころと心地よい炭酸がのどを駆け抜け、気持ちのリフレッシュとともに、体をすこしだけ冷やしてくれる。
「ぷはぁっ。―まったくだよ、朝はトレーニング機器の申請の受理、昼は自分自身のトレーニング、夕方は使い終わった器具の点検。寮長が動けないときは夜の見回りも仕事に入ってる。これじゃあ休む時間なんてありゃしないよ」
それは大変だな、といいながらトレーナーはすらすらと書類に何か書き込んでいる。
「今日のうちのスケジュールと器具の申請だ」
うえー、と言いながらその書類を受け取る。―特に問題はない。…が。
「なにこの“トウカイテイオー、休み”って」
「ああ?見ての通りだ。お前はきょう1日休み。何もしなくていいから部屋で寝るか海で遊ぶなりしてろ」
休み。なんとも魅力的な提案である。しかしテイオーはチームの一員であると同時に生徒会役員でもあるのだ。チームの練習は休めても生徒会の仕事に穴を空けるわけにはいかない。
「そう言うと思ってな」
トレーナーの後ろから芦毛のウマ娘が顔を出した。
「そこで私ですわ」
メジロマックイーン。生徒総会で生徒会を手伝ったという点ではエアグルーヴにも目が通っている。―通しておかなければこんなことはしないか。テイオーは、メジロマックイーンの勝ち誇ったような顔をみて思わず笑ってしまった。
「なるほどね。わかったよ。トレーナーの指示に従います。―じゃあマックイーン、これのやり方だけど」
「申請が被っていたら、後の方をずらすなり、それが無理なら代案や翌日へ回したりして執成すのですわよね。すでに会長から説明はいただいておりますので心得ていますわ」
なんと用意周到なことか。今朝思いついて突然やってきたわけではなかったようだ。
「ははは、そうなんだ。これはしてやられたね。―じゃあ、あとは頼むよ」
メジロマックイーンに席を空け、後ろの出口からのそのそと這い出る。入ってきたときとは違う、じりじり焼けるような日差しと、鮮やかな空と海、そして風に揺れる木々の緑が映えていた。
次の方ぁ、とメジロマックイーンの間延びした声がテントから聞こえてくる。自分のことを思って動いてくれたトレーナーとメジロマックイーンに感謝しながら、テイオーは自室へ引き上げていった。
「お、テイオーか」
途中、おそらく朝の用具点検を済ませてきたエアグルーヴとすれ違った。
「ああ、エアグルーヴ。なんか色々押しかけてきたみたいでごめんね」
「いや。私たちの方こそ、お前が進んで色々引き受けてくれるので押し付けすぎていたのかもしれない。すまなかった」
どちらからともなく、海岸に打ち寄せる波に視線を移した。
「そういえば、樫本さんがこちらに来ているらしいな」
「え、そうなの?」
意外な事実にテイオーは少しだけ驚いた。実際に学園で生活をするウマ娘たちと触れ合いたいとは言っていたが、まさかこんなところまで来るとは。
「見かけたウマ娘にかたっぱしから何かしら訊いて回っているそうだ。おそらく、それ如何によっては彼女の我々に対する印象も少し変わるかもしれない」
「今の樫本さんにあるボクたちの印象って、そもそも何さ」
「わからんな。私も先日たまたまお会いして話し込んだのだが、彼女はURAという団体にいながらウマ娘たちと接するのは今回が初めてらしい、というのは前にも聞いたな。渦中のクラシックレースについてもそういう“制度”という認識しかないそうだ」
なるほどね。と太陽に向かって伸びをするテイオー。
「んん―、はあ。そしたら、菊花賞、秋華賞に出走予定のウマ娘たちのところに行った方がよさげだよね」
「そこは彼女もわかっているらしく、私たちのような高等部に属しているウマ娘よりも中等部のウマ娘たちにターゲットを絞って話を聞きに行っているらしい」
「ふうん」
―おい、テイオー!―
砂浜からテイオーを呼ぶ声がした。ウオッカ、ダイワスカーレット、そしてサイレンススズカがウッドデッキからテイオーに手を振っている。
「お前今日休みなんだろ!こっち来て一緒に泳ごうぜ!」
なんだか自分だけ遊びに行くのが申し訳なくなって、エアグルーヴの方をもう一度見るテイオー。エアグルーヴは笑顔で“行け”と合図してくれた。
「うん、ありがと!」
それからチームのみんなの方に大声で
「着替えてから行くよぉー!」
叫んでから、今度は走って自室へ戻っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「―ふう」
樫本はひとり浜辺を歩いていた。ウマ娘たちの合宿に帯同し、直近のクラシック競争「菊花賞」「秋華賞」に出走する予定のウマ娘に話を聞いて回り、それに加え「皐月賞」「日本ダービー」を獲ったミホノブルボンにも話を聞いた。
その内容を大まかにまとめると、“限られた期間のうち一度しか走れない”ということが、樫本の想像よりもはるかに重いことだというのがわかってきた。
仮にクラシックの競争を獲れなくても、たとえばその次の天皇賞とか、ジャパンカップとか、有馬記念で勝てばいいじゃないか。そう樫本は思っていた。ましてその年の最後のレースで勝てばその年最も強いウマ娘だということが客観的に証明される。そういう意味では、シンボリルドルフの提唱する“URAファイナルズ”の意義にも肯けた。
―が、彼女らの中ではそうではなかったのだ。開催されるレースその全てに歴史がありドラマがあり、彼女らは要するに“そこ”で勝ちたいのだ。理由は様々である。家系的にそうであるとか、誰かの夢を継いだ、とか、憧れの象徴だ、とか、走るモノの数だけそれはあった。そしてその“いちどしか走れない競争すべてで一着を獲る”ことを目標とするウマ娘もいる。皐月賞、日本ダービーを獲ったミホノブルボンがそうだった。
「多分、私と一緒に走る皆さんにも相応の“ステータス、想い”があったことでしょう。それでも、私の“ステータス、想い”の方が強い。そしてそれがウマ娘たちを新たなる次元へと向かわせるのです」
と言ってのけるだけの強さが確かに彼女の中に見られた。
こうしてかなりの数のウマ娘たちに話を聞いていくうちに一ヶ月が経ち、樫本のクラシック制度における各競争に対する認識は“最後に勝てればそれでいい”から“今日この日、今”というそれに変わりつつあった。少なくともこの中には、本番は追々やってくるので今は手を抜いてレースに参加する、などというウマ娘は見つからなかった。
自らの職務としてやり遂げなければならないことと、その実情はあまりにもかけ離れている。そして、樫本が決して動かすまいとしていた情が、このひと月を経て少しずつ傾きだしていたことに彼女はまだ気づいていない。