「―おお、来たか」
日も完全に落ちたころ。その日トレーナーがテイオーに課した2000メートル8本を走り切りヘロヘロのテイオーを半ば抱えるようにして、メジロマックイーンはトレーナーのもとを訪れていた。
「まったく、テイオーに恨まれても私は知りませんからね」
あきれた様子のメジロマックイーンは、テイオーを椅子に座らせると、自らも隣に座した。
「すまんなテイオー、疲れているときに呼び出したりなんかして。いつかお前から言われていた、新しい勝負服が届いたんだよ」
完全にダウンしていたテイオーの瞳にわずかながら光が戻る。
勝負服とは。ウマ娘が晴れてG1レースに出走するときに着用する、共通衣装とは違う特別な衣装で、そこには着用するウマ娘のこだわりが強く表れているものもある。例えばシンボリルドルフが着用していたそれは、本人の”皇帝”という名にふさわしい装飾の施された西洋風のものであるし、サイレンススズカが着用しているものは芝をイメージしたシンプルな装いになっている。一方、ミホノブルボンが着用しているものは本人の趣味ということもありロボットの要素が取り入れられ、服、というよりは外部装甲の様をしているのだが、本人が言うには走るのに支障はまったく無いらしい。
テイオーも、シンボリルドルフの憧れを勝負服に表しており、青と白を基調としながらも、ぱっと見のデザインはシンボリルドルフに似たものとなっていた。
だから、というわけではないかもしれないが、勝負服にはそれを着るウマ娘の生い立ちや憧れ、懺悔やプライドが何かしらのカタチで載っていることが多く、そのウマ娘にとってのすべて、と云われることもある。
G1レースにのみ着用するという制約上、この勝負服そのものを与えられるウマ娘は決して多くはない。まして2着目ともなればなおさらである。―が、今回のテイオーのそれについては、負傷明けやこれまでの功績などの経緯もあり、秋川理事長が特別にということで発注が許可された、らしい。
「そ、そうなの?早く見せてよ!」
それを聞いたが早いか、テイオーの疲れはどこかに吹っ飛んでしまった。目には完全に光がもどり、ぽん、と蹴るようにして椅子から立ち上がる。
「―ああ、これだ」
物置に引っ込んだトレーナーが、ベールに包まれた―、ヒト型をした何かを運び込んできた。きい、と音を立てて、キャスターがテイオーの前で止まる。
「覚悟ができたら、これを引くんだ」
勝負服との対面はウマ娘にとってはある種儀式のようなものだ。自らの意志が、想いが、プライドが。それらが具現化されたものが今テイオーの眼前にあるのだ。目を閉じ、一呼吸おいて、テイオーは勢いよくそのベールをはぎ取った。
現れた勝負服は、
赤かった。
これまでテイオーが着ていたフォーマル調ではなく、みぞおちからヘソまでが完全に露出した派手な様相。胸の下までにとどまっている黒いインナーに、赤を基調に白や黒を差した若干ファンタジー感のあり、これも丈の短いトップス。下は、黒いスカートをベースに赤い鎧のような装飾がつけられており、腰に運気の上がる羽根のアクセサリーも添えられている。脚は黒に金と赤のラインの入ったタイツと長いブーツ。
肩からは前の勝負服と同じようなマント様のものが下がっている。
全体として、黒い服に赤い鎧をかぶせたような印象を受ける、そんな勝負服だ。
じ―っ、とそれを見つめるテイオー。そのテイオーを、トレーナーとメジロマックイーンが固唾を飲んで見守っている。かちり、かちりと進むトレーナーの目覚まし時計の秒針以外のものは、その動きを止めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どれくらい時間が経っただろうか。相変わらずテイオーは勝負服と見つめあったままだし、トレーナーとメジロマックイーンはそれを見ているだけだ。もう月が顔を出し、遠くから聞こえていたウマ娘たちの声はもはや消え去り、静寂があたりを包んでいる。
「―――、いいね。いいよ、これ。ボクの想いは全部これに繋がった。ボクはこれにボクのすべてを載せて走れるよ」
ようやっとテイオーは口を開き、にへ、とふたりへ笑いかけた。
”速さ”だけを求めて、見た目速そうな色にするならば最適解は青だ。だからテイオーは、皐月賞に合わせて作った勝負服に、誰より速くなりたいという想いをこめてあの色を選んだ。そしてそれから時がたち、テイオーはいろいろなことを学び、いろいろな助けを貰い、さらには助けた。そしてテイオーは”速さ”にとどまらず”強さ”を知った。力の強さ。芯の強さ。諦めない強さ。”諦める”強さ。それらを見せつけられ、共に感じ、自らも知った。今のテイオーが目指すべきもの。それをこの勝負服の、あの日決意した夕日のように燃える赤が表していた。
「最初赤いのを見たときはびっくりしちゃったけど、そういうことなんだね」
ちょっと恥ずかしそうに、しかし力のある目線でトレーナーとメジロマックイーンを見る。
「ええ、そうでございますわ。貴女の思っている通りのことを、私たちはその服に載せましたの」
この服を作ったのは、トレーナーとメジロマックイーンだ。
「俺たちはデザイン考えただけだ。作ったのは仕立て屋さんだ。―名付けて”ビヨンド・ザ・ホライズン”。日本語にすると”水平線の向こう側へ”という意味だな。―テイオー。お前がこれからやろうとすることは決して簡単なことじゃない。それはレースも同じだ。だが、俺たちはお前にどうしても夢を見ちまう。お前なら、どうにかこうにかしてあの皇帝を超えちまうんじゃないかって、そんな事を思っちまうんだ。お前はもう誰かに道を示してもらう段階にはもうない。お前自身が、迷える誰かに道を、夢を与えられるんだ。太陽みたいに強く、強く燃えて、これからのウマ娘たちの未来を明るくしてやるんだ。命を燃やして、お前は輝き続けるんだ、トウカイテイオー」
メジロマックイーンも笑顔で話を聞いている。彼女も想いは同じようだ。
「―ありがとう、二人とも。ボク、頑張るよ」
握ったこぶしに力を込めて、テイオーは気持ちを引き締める。有マ記念以来感じてこなかった気持ちが、ふつふつと湧いてくるのを覚えた。テイオーにとってそれは、勇気だった。
「地の果てまで走れそうだよ」
確かに湧き上がる力を実感し、テイオーは呟いた。
「あら、きちんと帰ってきてくれなければ困りますわよ」
メジロマックイーンの返すことばに二人して笑いあう。
「―テイオーが地の果てまで走るなら、私は空を飛んで追いかけて御覧に入れますわ」
いつの間に置かれていたもうひとつのベール。それをメジロマックイーンは引きはがすと、中からは白いドレス調の服が現れた。
「これは―」
「ええ。私の、新しい勝負服ですわ」
やはりフォーマル調のスーツのようなトップス、丈はヘソこそ出ているもののテイオーのものほど短くはない。ボトムも短いパンツにはなっているものの、トップスの腰から脛当たりまで伸びている生地が、エレガンスなドレスを着ているかのような外観的印象をもたらしていた。メジロマックイーンらしくエレガンスかつフォーマルな衣装ではあるが、その色はこれまでとは正反対の白だ。
「秋は間に合いませんでしたが―。貴女との決着はいつかつけさせてもらいますわ」
「そうだね、ボクも止まっていられないや」
がっしり握手を交わし、メジロマックイーンは部屋を出て行った。残されたトレーナーとテイオー。ふたりで片づけをする。
「持って帰らなくていいのか?」
自分のそれを物置にもどそうとしたとき、トレーナーから訊かれた。
「うん、ボクはまだいいかな。当日着るから、汚さないでね、トレーナー」
にっしっし、と笑いながらテイオーは赤い服に布をかぶせて物置に仕舞いながら、ぼそっと言った。
「ホントは今すぐにでも着たいんだけどね。でもさ、その瞬間が一番気持ちが昂るかなって。それを本番にとっときたいんだ」
お前もいろいろ考えるんだな、と笑いながらテイオーの頭をトレーナーはわしゃわしゃと撫でた。ひとしきり撫でられた後、テイオーはぽんと後ろにステップしてトレーナーから離れ、
「じゃあ、ボクもう行くね」
と部屋の扉を開け、トレーナーの部屋を出た。
「ああ、ゆっくり休めよ」
そのままトレーナーの声を背に扉を閉め、テイオーは駆け出した。その心は、有馬記念に挑む直前の強さを取り戻していた。