秋の天皇賞。きっと数多のウマ娘たちが目指しているステージのひとつだ。しかし、そこに立つことは1年のうち1回、たった十数人にしか許されない狭き門だ。出走の申請をするのは誰でもできる。そのうちから、単純に強いウマ娘から上位5人と、その年に行われたオールカマー、京都大賞典、毎日王冠のいずれかで1着、2着となった者、そして賞金の獲得額が多い者から選ばれていく。したがって、毎年旬ともいえるウマ娘たちが集まり、非常にレベルの高いレースが展開されるということだ。
テイオーは去年の出走が有マ記念のみに終わっていて優先出走権こそ得られなかったものの、過去のG1の勝利などでギリギリ獲得賞金額11位に滑り込み、出走することができた。今回の出走者は、以下のとおりである。
1 :セキテイリュウグウ
2 :ビワハヤヒデ
3 :ユーシンザン
4 :ロールスアンドロイス
5 :ナイスネイチャ
6 :サクラチトセジョー
7 :マチカネタンホイザ
8 :ステージチャンピオン
9 :ウイニングチケット
10:ネーロウシーザー
11:トウカイテイオー
12:フジノケンザン
13:メルヘンステージ
下馬評としては、あの有マ記念以来無敗でG1を何度も制したビワハヤヒデが1番人気。まさに最強との呼び声高い存在だ。次いで同2着ウイニングチケット。3番人気には、毎日王冠でコースレコードを更新してきたネーロウシーザーが挙げられている。ロールスアンドロイスは四番人気。オールカマーでビワハヤヒデ、ウイニングチケットに次いだことが評価されているようだ。
有マ記念から休養明け出走のトウカイテイオーは9番人気と厳しい評価。しかしながら、昨年のような奇跡を期待する声も多く、また世論からの後押しもあり、人気順の割に応援の声はビワハヤヒデにも匹敵する。ナイスネイチャも伏兵として決して無視できない。ふいに掛からせられ、惑わされ、レースを狂わせてしまったウマ娘は枚挙に厭わない。
というようなことを書かれている雑誌をテイオーは端から端まで目を通している。少しでも相手の情報を知りたいというよりも、自分のことが書かれていないか気になっていたようだ。一通りページを捲ってほっとする。思っていたより自身の復帰は歓迎されているようで一安心といったところだろうか。
「あんまり悪いこと書かれてなかったよ、ボク」
ぴょん、と椅子から降りて、新しい―、赤い勝負服がかかっているハンガーに手を伸ばし、着替えはじめた。皮で作られたかのような胸部のトップスは手触りが良く、こうして実際に着ても悪い感じはこれっぽっちも無い。腰のドリームキャッチャーがチャラチャラ暴れて若干気になるが、これもトレーナーとメジロマックイーンが想いを込めてくれたからだと思えば愛おしくなる。
「そうらしいな。俺の思っていたよりもお前の復帰は歓迎され、喜ばれている。―その理由が、俺にはわかる気がする」
どうして?と耳を揺らしながらトレーナーを見る。
「バカ言え。俺に答えられるか」
恥ずかしそうにトレーナーがはぐらかしたところで、控室の扉がノックされる。
「メジロマックイーンですわ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「やあマックイーン!」
勝負服姿で扉を開け、テイオーはメジロマックイーンを迎え入れた。その姿を見るなり、メジロマックイーンの頬が緩む。
「よく似合っていますわよ、テイオー」
にへ、と笑いながらメジロマックイーンの前でターンし、それを披露してみせる。キュッ、という音をたてて、そのターンは綺麗にキマッた。
「脚の調子は問題なさそうですわね」
それを見て、メジロマックイーンは笑顔のまま椅子に座る。
「見てのとおりテイオーは元気いっぱい。絶好調だ。きっといい走りができる」
コーヒーと、紅茶をそれぞれ持ったトレーナーがその輪に加わり、飲み物を手渡していく。テイオーにもコーヒーが手渡されたので彼女の表情は若干歪んだが、よくよく見るとしっかりミルクや砂糖が入っていて飲みやすくなされていた。
「この服のおかげだよ。なんだか内側から気持ちが湧き上がってくる」
「赤っつうはそういう色だからな。見る者の心を昂らせる。―それはお前に限った話じゃない。お前を見る者、お前に憧れるもの、お前を追うもの。それらすべてが、お前の走りを見て何かを感じられるように、俺たちはその色を選んだつもりだ。芝の色と反対だからよく映えるしな」
最後のは後付けでございましょう?とメジロマックイーンが突っ込むんできた。その光景がテイオーにとっては微笑ましく、かけがえのないものに感じられた。―そして、そのかけがえのないものの“望み”を、叶えたいとも思った。その“望み”とは、天皇賞の制覇である。
「みんなありがとう。ボク、やるよ」
トレーナーとメジロマックイーンの顔が急にまじめなそれになった。
「いいかテイオー。お前は有マ記念でまたまたまたまた脚を壊してからほぼほぼ10ヶ月レースなしだったんだ。これの身体的、精神的なディスアドバンテージは大きい。ましてビワハヤヒデは今年無敗だ。1着を目指すなら相当強大なライバルになることは間違いない。」
トレーナーの解説にメジロマックイーンは椅子から身を乗り出している。
「貴女の実力や状態を客観的に見ると不利は明らかですわ。そして多分それは貴女自身が一番よくわかっているはず。私はあの時貴女に盾を獲ってほしいと頼みました。それが難しいことはよくわかっています。それでも、私は―、私たちは、貴女をこうして送り出す以上、どうしても夢を見てしまうのです」
「俺たちは愚かだからな。それがお前にとって重荷になるかもしれないのに、こうして俺たちの夢を一方的に押し付けちまう。悪いとは思っているんだが―、それでも抑えずにはいられないんだ」
いつでも、何だってそうだ。実際に取り組む側の気持ちも知らないで、ヒトは勝手にそれを順位付け、夢を見る。そしてそれが叶わないとなると、一方的に罵り、叩き、捨てる。それが愚かであることを知りながらも、決してそこから完全に足を洗うことなどできない。そして最後には、それが愚かだとすら思わなくなってしまうだろう。
「うん、よくわかってるよ。でもいいんだ。ボクもきっと、同じ夢を見ている。夢ってのは叶えるためにあるものだからね。あきらめなければ必ずなんとかなる。あのとき、折れかけていたボクにトレーナーが教えてくれたことじゃないか」
それでいてなおテイオーは強かった。おそらくそういった目線に晒され続ける側であったテイオーは、勝つことでそれを乗り越えてきた。三回にわたる骨折のたびに罵られ、罵倒された。しかしそれを結果で黙らせてきたのだ。脚が速いとかチカラが強いとかではない、ウマ娘としてそのものの芯の強さがテイオーには備わっていた。今回も同じことだ。結果で答えればいい。そしてなにより結果を求めているのはテイオー自身でもある。
「参加しただけよかったなんて言わないよ。ボクはボクの求めるものを獲りに行く。そうしてボクがみんなの夢になり、道になるんだ」
勝負服を披露するためのマントを羽織り、テイオーは控室から廊下の向こう側へ消えていった。
「大丈夫なようだな」
その背中を見送りながらトレーナーは呟いた。隣でメジロマックイーンも無言で頷いている。
「ええ。テイオーならきっと、私たちの夢を乗せて走れるはずですわ。そう信じています」
「ああ。どんな結果で帰ってきても、受け入れてやろう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
《11番、トウカイテイオー!》
名前を呼ばれ、テイオーはパドックステージにその姿を現す。迎え入れる歓声はビワハヤヒデと同じか、さもするとそれ以上の熱狂っぷりだ。単なる叫び声や騒めきなどではない、明らかにテイオーを応援する声が方々から地鳴りのようにテイオーへ向けられている。
「こうして目の当たりにすると凄いな」
観戦に来ていたナリタブライアンが思わず口を漏らす。
「ああ。これもU-NIONあってのことだ。あれを全国に配ったことで、テイオーの知名度は格段に上がったようだな」
同じく観戦、隣に座っているエアグルーヴが冷静に分析。全国各地でウマ娘たちがクラシック撤廃反対の運動をし、そこには常にトウカイテイオーの影があった。そして今日ここでもその活動は行われているのだ。テイオーに対するここまでの応援は、そのままクラシックに対する世論といっても差し支えないだろう。エアグルーヴたちが思っている以上に、世間は彼女らを味方しているのかもしれない。
「見送りに行かなくてよかったのか?」
「バカ言うな。客観的に考えてテイオーの不利は明らかだ。わざわざ発破かけに行って重荷になるようなことをする奴があるか」
ちう、とストローでドリンクを飲むエアグルーヴの表情にはかすかに緊張の色が見受けられた。
一方それを複雑な表情と若干濁った目で見つめているウマ娘。マルゼンスキーだ。例の老婆と話をするためにどうしても今日遅くなってしまうシンボリルドルフに先立って、こうして東京競バ場を訪れている。別に来賓というわけではなく、一人の観客としてマルゼンスキーは椅子に座っていた。手には入り口で母校の制服を着た名前も知らないウマ娘から渡された1枚のチラシ。アグネスデジタルとメジロドーベルが作ったそれである。
ウマ娘間でひそかに設立されたという組織。風のうわさでどこからか聞こえていたが、それは事実だったようだ。シンボリルドルフも同じようなことを言っていた。きっとそれを引き継いでカタチにしたものがこれなのだろう。それならば、容易に全国規模の活動を起こすことだってできるはずだ。
そしてこの歓声である。おそらく手に持っているビラはすでに全国に配られてしまっている。それを以てこの様であるから、もはや世間は完全にクラシックの、テイオーの味方であることは明白だった。これを覆すのは容易ではない。いわば差し切られた状態。ここから巻き返す術を、レースに例えればマルゼンスキーにはわからなかった。
鳴りやまない歓声。終わらないテイオーコール。テイオーは手を挙げてそれに応えるだけでその場を動けずにいた。まだ所信表明どころか勝負服の披露すらしていない。
「え、ええーっと…」
あまりに続くので、リポーターが割って入り、強制的にテイオーのターンを作った。
「トウカイテイオーさん!有マ記念以来の出走ですが、自身のほどはいかがでしょうか!」
リポーターからマイクを受け取り、テイオーははっきりとした口調で答える。
「身体は仕上がっているよ。心も万全、すぐにでも走り出すことができる。これが今のボクの最大だって言えるよ」
「それは素晴らしいです!本レースに賭ける意気込みなどありますか?」
その質問を受けたテイオーはリポーターに下がるよう合図し、マントを脱ぎ棄てて自らの新しい勝負服を披露して見せた。
瞬間、マルゼンスキーの瞳がわずかに開かれた。
うおおおおおおおおおおおお、と地が揺れるほどの歓声とともに、再び会場が沸騰する。ところどころで音響機器がハウリングを起こし、キイイイイイン、と不愉快な音を立てている。それにも構わず、テイオーはマイクにむかって断言した。
「ボクはやるよ。もう誰かに憧れていたボクじゃないんだ。今日ここで、ボクは太陽になる。道を失った誰かに道を。憧れることを忘れた誰かに憧れを。夢を見ることが怖くなった誰かに夢を。ボクに見てくれればと思う。たった1本のレースに、たった2000メートルの距離に自分の今までのすべてを注ぎ込むその尊さを、みんなに見せたいよね」
なおも鳴りやまないコールを背に、テイオーはマントを拾って地下通路へ下がっていった。
地下通路で12番、13番のウマ娘とすれ違ったのに、もうひとり、謎の14人目のウマ娘が仁王立ちでこちらを睨んでいるように見える。―かといってテイオーにそうやって睨まれる云われなど無いので、気にせずすれ違おうとするが―、その近くまできたとき、そのウマ娘が誰なのかようやく理解した。
「―なんだ、カイチョーじゃん」
腕組み、仁王立ち、スーツ。シンボリルドルフ三種の神器がすべてそろっていた。
「テイオー、なんだその勝負服は」
低く、圧のある声色でテイオーを揺さぶりにかかるシンボリルドルフ。しかし、もはやそれしきで動揺するテイオーではない。
「新しく作ってもらったんだ。ボクの信じるボクの道を往くためにね」
「似合ってはいないな」
憧れの存在から、否定という恐ろしく強い言葉がテイオーを差す。
「おかしいな。みんなは似合ってるってホメてくれてたけどね」
けれど、それ以上の想いをテイオーはこの服に対して抱いている。
「私のようなデザインにしたかったのではないのか?」
事実、テイオーの勝負服はシンボリルドルフのそれを参考に作られていた。皇帝に憧れる“帝王”の名を持つふさわしい勝負服として、トウカイテイオーといえば青、と言われるほどに印象付けられ高い評価を得ていた。それが急に何を思ったか赤だ。シンボリルドルフには到底理解が及ばなかった。今まで培ってきた自らの評価や印象を覆してまで、その―行ってしまえばたかが一着の服に何を求めるのかと。
「もうカイチョーに憧れてるだけのボクじゃなくなったってことさ。パドックでのボクの話、聞いてた?」
「いいや。今来たばかりだからな」
「そう…」
目を閉じ、一息つくシンボリルドルフ。再び開かれた瞳には、光は無かった。
「可愛い後輩の復帰戦だ。先輩として見送ろうと思ってここまで来たのだがな。どうやらその後輩はどこかに行ってしまったらしい」
腰に手を当ててテイオーも仁王立ちする。身長差があるのでいささか小さくみえるのは仕方がない。
「はン。そのどこかに行っちゃった後輩に足元救われないようにしなきゃね」
面白い―、という言葉を残し、シンボリルドルフはテイオーの脇を抜けていった。見送る背中は確かに大きいが、今のテイオーは他に行くべきところ、目指すべきものがある。さしあたり、それはこの先のターフだ。