「有馬記念」などに含まれる「馬」の字はあえて「ウマ」「マ」というカタチに変換しています。
「すまない、遅くなった」
地下通路でテイオーと別れたシンボリルドルフは、それを気にする素振りもなくマルゼンスキーの隣に座った。マルゼンスキーは渋い顔をしてコースを見つめていて、ようやく表れた待ち人に視線を移しはしなかった。
「もうそろそろ出走よ。間に合ってよかったわね」
「ああ。さっき地下通路で勝負服姿のテイオーと話したからな。出走前だということは理解できたよ。―あのセンスは私には理解できんがな」
気にする素振りはしていないようで、テイオーの勝負服が変わったことに皇帝は相当キていたようだ。―だとしても、そのような愚痴を漏らす相手はマルゼンスキーくらいなのだが。燃えるような赤い服に身を包んだテイオーを思い出し、少しだけ眉間に皺が寄る。
「あなたへの憧れの象徴みたいなものだったからね、あれは。テイオーちゃんはきっと新しい道、新しく背負うものを見つけたのよ、きっと。―寂しい?」
「―少しな。テイオーは私のようになるものとばかり思っていた」
マルゼンスキーから見れば、今のテイオーは年齢差による経験の優劣はあるとはいえ、根本はシンボリルドルフの矜持を、信念を立派に継いでいる。違うのは根本。本人の性格からくるところによる意見、解釈の違いと、こまごました相違はそれこそ個人差だ。その“個人差”による食い違いがここまで大きくなることもそうそう無いが―。
「―桐生院のお婆様と話をしてきたよ」
テイオーの話題もそこそこにシンボリルドルフは本題を切り出した。
「思ったよりも感触はよくてな。明日の幹部会議に召喚されることになった。すべてはそこで決まる」
膝の上で握られたシンボリルドルフの拳は、これからやってくる大勝負への緊張と期待に震えている。
「すでに全国の施設へ話は通してある。桐生院家のお墨付きもある。これでURAがなびかないわけがない。私の理想は―、すべてのウマ娘が怪我の恐怖から解放される世界が、本当にもう少しで叶うんだ」
「そう―」
心ここにあらずという感じで、マルゼンスキーはシンボリルドルフの話に相槌を打つ。やがて何かを決心し、身体ごとシンボリルドルフに向き直って、その手を取った。
「―ねえルドルフ。その話なんだけど。今からでもいいわ。全部なかったことにはできないの?」
唯一の理解者といってもいいマルゼンスキーからの予想外すぎる言葉に、さすがのシンボリルドルフも多少狼狽えた。
「な、何を言うんだ。もう賽は投げられたんだ。今更戻るなど―、理想の世界を前にして引き返すことなどできるわけがないだろう!」
取られた手を払い、今度は逆にマルゼンスキーの手をとって強く語り掛ける。しかしマルゼンスキーは揺るがなかった。
「これ。入り口で配ってたんだけど。―あなたの残した置き土産が、今全国各地で動いているらしいわ」
例のビラ。置き土産というのが何を指しているのかわからなかったが、少し考えて“ウマ娘競技者連合”のことだというのが理解できた。
「連合が―、私が学園に居た頃の計画が、実を結んだというわけか」
「実を結んだのはいいけれど、私たちにとっては美味しい実ではなかったようね。あなたが事務所にこもっている間に、彼女たちは秋川理事長やURAの後ろ盾を得て全国でクラシック撤廃反対の運動をしていたそうよ。あなたがURAにすら隠し通していた計画はすでに世に知られてしまっている。そして世間は、あなたの言い分を理解したうえでテイオーちゃんの味方についていると思われるわ」
知らなかったわけではない。シンボリルドルフ自身もかなり前にそのビラは受け取っていたし、その母体が何かまでは理解が及ばなかったものの、そういう運動があることはわかっていた。
「知っていたさ。―そこまで用意周到だったことはさすがに想定外だがね。だが私のやることはかわらないさ。最初は受け入れられなくったっていい。私の生きている間にそれが叶わなくてもいい。けれどいつかきっと、何年後、何十年後になるかわからないが、“これでよかった”と思える日が来るのなら、私はそれでいいのだ」
そのビラを受け取り、今一度目を通す。シンボリルドルフの目線から見ても大変よくできたビラだった。A4サイズ表裏にしかない領域を最大まで活かし、伝えたいことの優先順位ごとにスペースを割いて見出しを付け、読みやすく、かつ華やかで目に付くデザインをされていた。
「何年後とかじゃなくてこのままだと永遠にその日は来ないわ。URAがその運動を認めちゃってるのよ。ってことは、URAはそれをもってクラシック存続の意向があるってことじゃないの。あなたの立場はいつの間にか逆転している。URAの力をどうにかして退けないといけないのは、テイオーちゃんじゃなくてあなたなの」
そうだとしても、シンボリルドルフは止まらない。―止まれない。たとえ本当にマルゼンスキーの言う通りの事態になっていたとしても。たとえ本当にURAの腹が決まっていたとしても。それでも彼女は自らの理想を信じる限り、止まらない。止まることなどできない。まるでブレーキの壊れた車かなにかのように、彼女はその描かれる世界を目指して、只管邁進を続ける。
「いいや、私はやる。いくら生徒が連合がといっても、“施設としてはクラシック撤廃の意向”なんだ。それは揺るがない。いくらURAがごねようとも、その事実を突きつければ権威の失墜を恐れて応じるしかない。たとえウマ娘が敵に回っても、私にはまだ全国の施設学園からの賛同という武器がある。少しでも可能性がある限り私は諦めない。止まらない」
視線をターフから逸らすことなく―マルゼンスキーとは目を合わせず―シンボリルドルフは淡々と、自らにも言い聞かせるかのように答える。自らを客観的に見られて、それでいてなお自尊心の塊のような彼女だ。自らの信じる道を進みさえせど“折れてやる”などということは有り得ない。こと“理想”同士の戦いに明確な決着は無い。“信じられなかった”方が負けるのだ。
「あなたそれが本当に“すべてのウマ娘のため”になると思ってるの?自分の理想を叶えるのに必死になって周りが見えなくなってるんじゃない?こうなっちゃった以上、もはやあなたのエゴでしかないのよ?本当にウマ娘のためを思うんなら、退いてあげるべきだと私は思うわ。どっかのドラマじゃないけど、本当に重要なのは会議室じゃなくて現場なのよ」
ふたたびシンボリルドルフの手を強く取って訴えかける―もはや懇願に近いが―マルゼンスキー。しかし、それを振り払ってシンボリルドルフは立ち上がった。
「―今日は帰らせてもらう。レースの結果は後でメールで連絡してくれ」
「ちょっとルドルフ!」
「君だけは私の想いをわかってくれると、そう思っていた」
一言だけ呟き、シンボリルドルフは足早に競バ場を出ていった。それを追えずにただ背中を見つめるだけのマルゼンスキーは悲愴に溢れていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
レース開始直前、出走ゲート前。まわりのウマ娘たちが続々とゲートインする傍ら、テイオーとビワハヤヒデ、ナイスネイチャは小さな輪を作っていた。
「有マ記念以来だな、テイオー」
「その節はどうもー」
「―うん、ボクは帰ってきたよ」
ふたりと握手を交わす。
「私もあれから強くなった。G1も何度も手中に収めた。最高のコンディションでお前とまた戦えることを本当にうれしく思うよ」
「そうだよ。私だって今まで遊んでたわけじゃあないんだから。本気の走りを見せてあげる」
3人ともいい表情で互いを見つめあう。
「―負けて吠え面かかないようにね!」
その3人の中では最初にテイオーがゲートに入った。実に10ヶ月ぶりのちゃんとした本物のゲート。瞬発力を最大に活かせるよう、フットスペースが設けられている最新式のゲートだ。慎重にそれに足を合わせ、踏み込んでみる。―感触は上々。いいスタートが切れそうだ。
巻いてあるマントを握り、トレーナーに、メジロマックイーンに、自分をここまで導いてきてくれたすべてに感謝し目を閉じて祈る。本当に色々なことがあった。色々ありすぎて自分がわからなくなってしまうことだってあった。自分を取り戻し、こうしてレース場に立てているのもみんなのおかげだ。今度はテイオー自身が、そのお礼をみんなに返す番だ。
出走のファンファーレが鳴る。会場からは手拍子が響く。東京、芝、2000。運命のスタートは、すぐそこだ。