2月の寒さが突き刺さる夜。日付は変わらないまでも、ウマ娘たちは既に夢の中にいる時間だ。外は細かい雪が降り、学園の周りは軽く雪景色の様を醸している。普段ならばやれ雪だるまだの雪合戦だのはしゃぎ倒すテイオーであったが、今回ばかりは歯を鳴らして震えるしかなかった。
「ね゛えー!もう帰ろうよおー!ボクたち充分仕事したでしょお?!」
足を踏み鳴らし駄々をこねるテイオーを半ば引きずりながら、エアグルーヴはため息をついた。かなり厚着をしている。
「バカが。まだ本館の見回りが済んでないだろうが。さっさと行くぞ。」
にべもない。
「嫌だよ゛う!眠いし、怖いし、寒いし、全然いいことないじゃン!!」
ふん、と鼻を鳴らしてエアグルーヴは先を行く。つかつかつかと靴の音がアスファルトを叩いて響いていた。
「うう゛―!待ってよお゛―!」
スニーカーが細かい砂を踏む音が、それを追いかけていった。
「いいか、見回りはほぼ毎日、寮長を除いた役員全員ローテーションで行っている。私とナリタブライアン、そしてお前だ。基本的にふたりで行うので、2日つづけて1日休み、という感じで役割をまわしていく。必然的に生徒会の業務のなかで最も携わることが多い。これができないことにはな。」
話を聞いている場合ではない。なにか見てはいけないもの、聞いてはいけないものが現れ、聞こえてきそうで、テイオーは恐怖に震えていた。
「ちなみに、本来ならば一人ずつ反対のエリアを同時に見回る。今回は私と会長の番だったが、会長の計らいでこうなっている。ひとつひとつあえて時間をかけているが、お前が慣れれば見回りは1時間もかからん。」
「ひいぃ…。」
エアグルーヴの腕をわっしと掴んで離さない。この真っ暗な中を一人で?そんなことできるわけない。怖すぎる。
「そろそろ離してくれ。歩きづらいことこの上ない。」
ふるふると首を振るテイオー。
「む、無理だよエアグルーヴぅ。ボク、今にも脚が竦んじゃいそうだよぅ。」
「たわけが。そんなことで生徒会は務まらんぞ!」
無理やりにでもその腕を払おうとするエアグルーヴと、抵抗するテイオー。抵抗…テイオー…、ふふふ。
「ああ゛―ん!無慈悲にも程があるよぅ!」
「いいから!行くぞ!ああもう、お前のせいで時間が押してるじゃないか!このままだと会長より時間がかかってしまう!」
あきらめてそのまま本館の廊下を進むエアグルーヴとテイオー。若干慣れてきたのかテイオーも周りを見れるようになってきた。
「いいか。我々ウマ娘は聴力に長ける。この静かな空間で、校内にいるモノが出す音を聞き漏らすハズが無いんだ。耳を欹てろ。懐中電灯で部屋を照らせ。右から左、上から下まで注意深く観察しろ。何かいるならしびれを切らして動き出すはずだ。その音を聞き逃すな。」
じいいーーーーーーーーーー。
ふたりして教室を覗き込み、懐中電灯で不審者を探す。そんなものに遭遇したことはエアグルーヴをもってして無いのだが、可能性はゼロではない。ゼロではない限りは、最善を尽くし、それをゼロに近づけなければならないというのがエアグルーヴの信条だ。
「テイオー、何か見えたり聞こえたりするか?」
「―ううん。ここには何も無いと思うよ。ヘンな音も聞こえないし。」
「そうだな。次に行こう。」
そうして、ふたりで着々と部屋の見回りを続けていく。2階、3階と進むにつれテイオーも慣れ、そのスピードは少しずつ上がっていった。
かつ、かつ、かつ。4階へと続く階段を上る。教えながら、教えられながらということで時間はかなり余計にかかったが、このフロアで最後だ。
「なんだお前、結構できるようになったじゃないか。」
ふふーん、と最初に比べ断然上機嫌のテイオー。両手を頭の後ろで組む余裕を見せている。
「まあね!これくらいボクにかかればヨユーヨユー!」
そんな様子のテイオーに微笑むエアグルーヴ。彼女も、最初にくらべるとだいぶカドがとれてきたようだ。
「それなら、私はここで待っているから、テイオーは次のフロアを見てきてくれ。それが出来たら合格だ。」
わかった!いってくるね!と、2段飛ばしでテイオーは4階へ階段を駆け上がっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
しんと静まり返る夜の本館4階。そこにテイオーただひとり。冷えた空気が身体をなで、身震いさせる。頬をぺちぺちと両手で叩き、気合を入れ、最後の見回りは始まった。
最初の部屋は音楽室。といっても演奏するのではなく音楽を流すための部屋だが。しまっている扉から顔だけのぞかせ、耳を欹てながら注意深く中を照らし不審物を探す。右から左、左から右。上から下。その逆。
「うん、よし!」
立ち上がり、次の部屋へ。このフロアには部屋が2つしかない。これが最後だ。さっさと終わらせてエアグルーヴのところへ帰ろう。眠いし。これで翌日も普通に授業を受けなきゃなんて、生徒会って損な役回りだねえ、などと思いながら、その部屋へ到着した。
《放送室》
と書かれたその部屋は殺風景で、椅子とマイク、あとは音量調整用のDJが使うような機械が置いてあるの狭いものだった。さっきと同じようにまどから顔だけ出し、耳を立てて警戒しながら懐中電灯で中を照らす。
「―うん、何もないね。」
さあ、帰ろうと立ち上がろうとしたまさにそのときだった。
―ぺた。
ん?何の音だ?テイオーは固まり、耳をぴんと立てて周囲を警戒する。横目でみた感じ、周囲に不審はない。聞き違えかと胸をなでおろし、完全に立ち上がったと思ったら。
―ぺた。
まただ。足音―のように聞こえる。テイオーは音のする方に懐中電灯を向けようとしたが、よりによって電池が切れたか何か知らないが、それきり明かりはつかなくなってしまった。
言いようのない恐怖に襲われるテイオー。今夜は月が出ていないので非常に暗い夜になっている。縮こまって周囲を見渡すが、明かりに慣れてしまった目はまだ闇の中にそれを見出すことができないでいた。
「ひいィっ・・・・!」
完全に腰の抜けたテイオーは、それでもあとずさりをしようとする。
ぺた。ぺた。ぺた。
足音はゆっくり、少しずつ近づいてくる。ようやく暗闇に目が慣れ、すこしずつ迫りくるそれの輪郭がわかってきた。ウマ耳が動いている。ウマ娘だ。こんな時間にこんなところにいる自分以外のウマ娘。エアグルーヴ以外なかった。
「な、なんだエアグルーヴか、脅かさな…ッ?!?!」
しかしながら、そのウマ娘らしき影は、エアグルーヴとは全く違う特徴を備えていた。
髪 が 長 い の だ 。背中の中頃あたりまであろうかという長い髪。エアグルーヴにはないそれを見た瞬間、今自分が相対しているのが一体ナニなのか、テイオーにはわからなくなった。
「ひうっ…!」
ついにそのウマ娘の影のようなナニカは、へたり込んでいるテイオーの眼前にまで来てしまった。そしてテイオーの前に膝をつき、その手をテイオーの頬に…!
「うううぅぅうぅぅうううわあああああぁぁぁああぁぁあぁあぁぁあ!!!!!!!!!!!!」
その手を払いのけ、テイオーは脱兎のごとくその場から逃げ出した。全速力で廊下を走り抜ける。
「テ、テイオー!どうしたんだ!」
階段で待っていたエアグルーヴも慌てた様子で4階に上がってきた。
「エアグルーヴも逃げて!幽霊だよ!あれは幽霊だよ!」
なにぃ?と訝し気な声を漏らしたエアグルーヴだったが、一直線に階段を下るテイオーを一人にするわけにもいかず、慌ててそれを追いかけていった。どどどど、という足音がふたつ、本館を上から下まで騒がしく響いた。
本館正門前。息を切らすテイオーと、それを追ってきたエアグルーヴ。テイオーには、中盤で取れたはずの恐怖の色が、再び顔を染めていた。
「やっと止まったか、このバカ。」
テイオーはぜえぜえと息を切らしながら膝をついている。耳は俺、尻尾は地を這っていた。
「エ、エアグルーヴは、見なかった?4階の、ウマ娘に似た黒い影…!」
ぴくりとエアグルーヴの耳が反応した。テイオーのもとに駆け寄り、片膝をついて介抱の姿勢。片手で背中をさすってやる。
「お前本当に大丈夫か?そんなものがいるわけないじゃないか。おお、こんなに震えて。よっぽど怖かったんだな。―よし、私が代わりに見てきてやるから、先に生徒会室に戻ってろ。」
そうして駆け出そうとしたエアグルーヴの腕が、わっしと掴まれる。テイオーのそれだった。
「無理い゛…。い゛っじょにい゛でえ゛…!」
泣きはらし、鼻水まで垂らし、テイオーはエアグルーヴに懇願する。あれほど怖い思いをしたのだ。安全な生徒会室とはいえテイオーひとりでいられるわけもない。必死に縋り付き、決して行かせんとする。
「ば…っ、なにをたわけたことを!大体、お前が逃げてきたせいで4階の見回りが不完全なままだろうが!その…、謎の影のコトもあるし。」
嫌だよぅ…、待ってよエアグルーヴぅ…!などと押し問答をしているうちに、正門に何者かが現れたことにふたりは気づかなかった。
テイオーに顔をやられたエアグルーヴの視界にたまたまそれが入った。瞬間、彼女は身を固くしてテイオーを振り払い、身構えた。
「おいテイオー!泣いている場合じゃないぞ!不審者だ!」
「いいぃいぃい?!?!」
テイオーも慌てて、いつでも逃げられる姿勢をとる。しかしその何者かは、テイオーには見覚えがあった。
「あー!エ、エアグルーヴ、こいつだよぅ!ボクがさっき4階で会った黒いウマ娘みたいなのって!」
な、なんだと!とますます警戒を強めるエアグルーヴ。そのカゲはすこしずつ彼女らの方に近づいてくる。
「ひいいぃいいいぃいい、近づいてくるよエアグルーヴぅううう!」
「落ち着けバカ者!相手はひとりだ!私たち二人がかりならなんとかなる…はずだ!」
「そんなこと言いながらエアグルーヴだって腰が退けてるじゃないかあーっ!」
やかましい!―鉄拳がテイオーに飛んでくる。こんなところで仲間割れしている場合ではない。そうこうしている間にも何者かはこちらへ一歩ずつ近づいてくる。
「いいいぃいいぃぃぃ!!!!!!!」
テイオーは今にも逃げ出してしまいそうだ。構えた脚もぷるぷると震えている。対してエアグルーヴもそれに恐怖は感じているものの、己のプライドがそれを許さないようだ。きっ、とその何者かを睨み付けている。
―だからこそ、その何者かの違和感に気づけたのかもしれない。
「…?いや待てテイオー、こいつは、いや、この方は―。」
思い出したかのように、エアグルーヴは懐中電灯で前方を照らした。真夜中の校舎にいるウマ娘ににた何かの影。果たしてその正体は、耳をしょげさせ、申し訳なさそうにしている生徒会長―、シンボリルドルフだった。
「会長…。」
「カイチョー!」
驚きと困惑のまじった声と視線に、さしものシンボリルドルフも狼狽えてしまう。
「いや、その。これはだな…。す、すまない。あそこまで怖がられるとは思わなかったんだ。」
その言葉ですべてを察したエアグルーヴは大きな溜息を吐くと同時に頭を抱え、《帰るぞ》とひと言、テイオーの手を取り、かつかつと引き上げていった。