シンボリルドルフへの処分に対するURAへの異議申し立ては、労働基準局から裁判所まで巻き込み、当事者たちにとってはそれは大きな騒動となったが最終的には双方―といってもURAサイドとテイオーらU-NIONのことであるが―の妥協できる範囲に事は収まった。
シンボリルドルフ本人がURAへの“解雇の取り消し”を求めなかったため争点となったのは彼女が現役時代に獲得したG1レースの降着処分とウマ娘関連施設、関係者への接触を禁ずるという処分となった。
マルゼンスキーにより“彼女の処分について、その場の感情が影響していると組織の法務部から指摘があがっている”という情報を得ていたため事実を確かめようとするも、その本人がここに居らず回答を得られないという理由で明確な事由にはなり得なかった。
次いでURAから“これまでについて、彼女を現役のころ見てきた立場からしてどのように思うか”という質問が投げかけられた。それに対し秋川は“結果は残念なことになってしまったが、何度も言うように我々の見ている先は同じ。それに至る経緯にきわめて些細な相違があっただけにすぎない”と回答し、あくまでも闘争状態にあったわけではないことを強調した。
それ以降たびたび質問と回答を繰り返すも両者平行線であったが、マルゼンスキーが“問題の議論に同席していたウマ娘の秘書”から引き継いだというレコーダーを提出したことで、その全容が録音されていたことが発覚。客観的に見て、先の感情論が半ば証明されるカタチとなった。これを受けて裁判官はパワーハラスメントによる不当な処分の可能性を示唆。反論するURAサイドであったが、側近の老人や会長による罵倒や恫喝、下衆た言葉による不当な卑しめが多々ある事実が露呈した今では何を言っても変わらなかった。
三週間後に出された判決は、裁判官の示唆した通りパワハラによる不当処分であった。それについて、URAはシンボリルドルフに課した処分をすべて取り消すことが命令された。これによりシンボリルドルフは望めばURAに復職できることとなったが本人がそれを辞し、当日付けをもってURAを自主退職したという体となり、秋の天皇賞からひと月程度の空白期間もURAに在籍していたということで給与も発生する。
これで、テイオーらU-NIONはシンボリルドルフの過去の勲章と失われかけていた名誉を守ること、URAはシンボリルドルフを排除するという最低限の目標は達成し、互いに妥協点を見つけたところでこの件は幕を閉じた。師走に入って少ししたところである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「―という報告書を作ったので、理事長の決済を得てから各施設に流そうと思う。事後承認にはなってしまうが筋は通さなければならないからな」
徹夜で生徒会室でパソコンと向き合っていたのだろう、目の下にクマを作ったエアグルーヴとテイオーが数枚の紙を持って理事長室前にいるところを自主練帰りのメジロマックイーンと鉢合わせした。
「そうだったんですの。私にも頼んでくださればそのくらいやりましたのに」
別に生徒会役員でもないのに、メジロマックイーンは申し訳なさそうにして彼女らの体調を慮った。
「なにも裁判所から帰ってきて1日で作る必要なかったんじゃない?誰も反対しやしないよ」
やはり目の下にクマを作り疲労困憊という様子のテイオーが、頬を膨らかしてエアグルーヴに抗議する。怒りよりも呆れ、疲労、眠さが勝っているのかその言葉には全く力が無い。その頭上に鉄拳が―、これもまた力なく振り下ろされた。
「バカが。あのお方を助けるためとはいえ、私たちだけの判断で組織の名前を使ったんだ。私物化もいいところだろうが。説明責任が私たちにはある。それをこれにかえるまでだ」
エアグルーヴはノックの後に理事長室の扉を開き、―もう眠いのに難しい言葉使わないでよ―とぶすっとした表情のテイオーを無理やり引き入れた。廊下ほど行き届いていない暖房、奥でなにかしら動いているたづなからして、この部屋が今日開かれてからそれほど時間が経っていないことがうかがえる。部屋の主である理事長の姿はまだなかった。
「たづなさん、おはようございます。理事長に用事があって来たのですが」
はーい、という声の後、奥からたづなさんが出てきた。始業前だというのにいつもの恰好に一点の乱れや崩れ、眠そうな様子すらない。
「おはようございますエアグルーヴさん、テイオーさん。理事長は奥でお休みになられています。書類は私が預かっておきましょうか?」
シンボリルドルフが学園預かりとなった翌日、やはりどこかの競バ場から情報が漏れ、彼女のことが週刊誌や新聞、ネットニュースなどに取り上げられ、適当な憶測や謂れのない陰謀論が光回線を通じてあっという間に飛び交い、彼女は悪意のない罵詈雑言に曝されることとなった。
これを受けた秋川理事長は即、関連施設の長と連絡を取り、可能な限り一般のヒトらの目に映らないように、出版社に、ネットの掲示板やブログの管理者と連絡をとるなどし、その力の及ぶ範囲で火消しに奔走し続けている。それは裁判の決が下った頃になっても休まるところを知らなかった。
「あのタフな理事長が、お会いすることすら叶わぬ程とは恐れ入りました。それではたづなさん、お願いします」
書類を渡し、たづなさんに一礼してから一行は理事長室を後にする。廊下を歩きながら、テイオーはこれまでのことについて考えていた。クラシックは守られた。シンボリルドルフの名誉も法的に保証され、第三者から見た印象も、完全にとまではいかないにしても決して悪い意見だけではなくなってきている。あとは今までやってきたことを同じようにやっていれば、いつかはみんな報われる日が来るだろう。そして、生徒会長として肝心なところを頼ってきたエアグルーヴ、先輩として引っ張ってくれたナリタブライアンや寮長の旅立ちも近い。そろそろテイオーも、彼女らと同じような存在となる覚悟を決めなくてはならない時期に来ているのだ。
「―さて、面倒ごとはすべて片付いた。私たちも久しぶりに通常の業務に戻ることができる」
んんー、と大きく伸びをしてエアグルーヴが息を吐いた。思えば生徒総会でのテイオーの反乱以降、それにかかりっきりで夜の見回りなどすべて寮長に押し付けてしまっていた。彼女らもねぎらってやらねばな、とエアグルーヴは考えていた。
「その前にさ、カイチョーに報告に行かなくていいの?」
「バカが。私たちは今どこに向かっているんだ?職員宿舎だ。ということは、やることはひとつだろうが」
さっきよりかは幾分力の戻った感じのする鉄拳を受け、テイオーは呻く。
「エアグルーヴって口よりも先に手が出るタイプだよね」
そんなことをするのはお前にだけだ―と、テイオーの耳を引っ張って誤魔化す女帝であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「会長、エアグルーヴです」
職員寮の最奥、シンボリルドルフが借りている部屋の扉をノックする。中から出てきた彼女は特に寝ぼけ眼をしているでもなく、整髪料をつけておらず広がった髪から、短くはなっているものの学園にいたころを彷彿とさせる姿をしていた。
「やあ、おはよう。テイオーも、マックイーンも居たのか。さあ、入ってくれ」
シンボリルドルフの私室に入るのは、テイオーやマックイーンはおろかエアグルーヴにとっても初めてだった。感慨にふけるエアグルーヴを突き飛ばしてテイオーは廊下の向こうの部屋へ進んでいった。
「私も最近紅茶を飲み始めてね」
ちゃぶ台の周りに座るテイオーらに、皇帝自らが淹れた紅茶を供する。メジロマックイーンの瞳は輝き、テイオーとエアグルーヴは以前の悪夢を思い出し、しかめっ面で互いを見合わせた。
「―それで、今日はこんな朝っぱらからどうしたんだ?」
「ええ、実は―」
エアグルーヴによる長い説明が始まった。
●〇●〇●〇●〇●〇
「―そうか」
一連の流れを聞き、シンボリルドルフは深く深くうなずいた。
「君たちには―、本当に何から何まで助けられてばかりだな」
座った姿勢のままではあるが、シンボリルドルフはそのアタマを下げようとする。それを慌ててエアグルーヴが制した。
「やめてください!これも私たちなりの、あなたへの恩返しのつもりですから」
”恩返し“という言葉を聞いてすこしシンボリルドルフの顔が曇る。
「恩返しだと?私が君たちに一体なにができたというのだ。いたずらに事をひっかきまわし、面倒ごとばかり起こした私に」
「そんなに卑屈にならないでよカイチョー」
その隣に座っていたテイオーがシンボリルドルフの手を取った。
「みーんな、カイチョーの背中を追って来たんだ。カイチョーのおかげでボクたちは今を走れてる。ボクたち、いやこの学園にいるウマ娘たちは何度カイチョーに助けてもらったかわからないよ。その思いは、カイチョーがここを去っていったあとも変わらないよ。それにボクたちは報いたいだけさ。―まあ、その前に色々と起こっちゃったけど。それでも、すくなくともボクは、カイチョーと同じモノを今も見ていると思うし、追っていると思う。同じ夢を見る仲間なんだよ、ボクたちは。今までも、これからもさ」
「テイオー…」
不覚にもシンボリルドルフの涙腺が緩んだ。透明な雫がひとつの筋を描いて頬をなぞる。
「ぁ…、すまない。まさか私が皆の前で涙するとは」
シンボリルドルフは、周りから求められている以上に、自らを皇帝たらんとしていた。だから、他の誰かに弱みや泣き言など、めったに言ったものではなかった。それはここにいるエアグルーヴやテイオーにとっても同じで、“皇帝”という仮面を通じて接していたにすぎない。それが今こうして涙を見せることで、それと共に仮面も少しずつ剥がれ、“シンボリルドルフ”がわかってくる。
「カイチョーがボクに感動して泣いたのってあの有マ記念以来だね」
「ああ、そうだな―。最も、それとはまったく別の方向でお前には痛く感動したのだが」
エアグルーヴは嘘だと思っていたのだが、シンボリルドルフは本当にテイオーの有マ記念で涙したらしい。その事実に思わずエアグルーヴは目を見開いて驚いた。
「―話はわかった。みんな本当にありがとう。私はいい仲間に巡り合えて本当に幸せ者だよ」
感謝するシンボリルドルフに謙遜し、始業時間も迫ってきたため一行は部屋を出ようとした。席順的にテイオーが最後に部屋を出ることとなったが、靴を履こうとしたところで、後ろから呼び止められた。
「なあテイオー。少し歩かないか」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シンボリルドルフに連れられるまま、テイオーはグラウンドへ出ていた。始業前のだれも使っていない芝には朝露が光る。
「まだ旅立って1年もしていないというのに、もうこの光景が懐かしく感じるな」
「そうだね。ボクも最後にここを走ったのは天皇賞の前だから―、なんだか久しぶりに芝を踏んだ気がするよ」
「あのときか―。残念だったな」
冬の冷たい風が芝をなで、テイオーたちにぶつかって分散していく。ぶるるっと震えて首をすぼめるテイオー。
「しょうがないよ。わかってたんだ。でもあのレースで見せるべきは一着でゴールするボクじゃない。ちゃんとボクが見せたいものは見せたし、みんなの想いにも応えたつもりだよ」
そうか、と答えるシンボリルドルフも寒そうに手を上着のポケットに突っ込む。
「なんかそうしてるとシービー先輩みたいだね」
「何を言うか」
くつくつと笑いあい、二人して芝を見つめる。
「―まだ、走るつもりなのか?」
向こう正面の掲揚台を見つめ、遠い目をしたシンボリルドルフがテイオーを慮った。
「うん、そうだね。マックイーンと中距離で一緒に走るまでは、ボクも止まれないかな」
当番のウマ娘たちが手際よく学園のハタを括り付け、するすると掲揚していく。テイオーやルドルフにとっては髪の毛がすべて後ろに流されるほどの風でも、ハタが格好良くはためくにはちょうど良い程度のようだった。
「まあ、芝の上での戦いもあるが―、エアグルーヴたちの任期も、終わりが近い」
「そうだね」
「今の生徒会を知る者はお前だけになる。お前はどうするんだ?」
少し考えるようにして目を閉じ、再び開かれたそれには、覚悟の光が見えた。
「乗り掛かった舟―にしては重すぎるよ。ボクも覚悟を決めなきゃ、だね。カイチョーが言ってた、中等部のボクをわざわざ副会長にした理由。あれが本当かどうかも見極めたいし」
「そうか」
とひと言、シンボリルドルフは数歩テイオーの前に出た。
「ときにテイオー。私にはひとつ心残りというか、確かめたいことがある」
言われたことの意味がどうにもわからず、一体どうしたのさ、と歩み寄ろうとするテイオーを彼女は手で制する。
「先の件、確かに私の理想をお前のそれが超えていったのは事実だ。私はお前たちに及ばなかったのも間違いない。しかし―、負け惜しみで恥ずかしい限りでもあるのだが、“お前たちに直接及ばなかったわけではない”と私は思っている。そして―、お前はこれから訪れる未来に対して“覚悟を決める”と言った。私はお前ならそう言ってくれると思っていたが、その程を知りたいという気持ちもある。これらふたつ、同時に解決するとても良い方法があるのだが―」
めらっ、と、シンボリルドルフが自身を見据える瞳が明確に燃えたのをテイオーは感じ取った。同時にその遠回しな言葉の意味を理解し、テイオーもまた不敵な笑みを浮かべ、その瞳を燃やしてシンボリルドルフを視線で射貫く。
「いいね。大いに結構だよ。いつやるの?ボクは今からでも全然いいけど」
「ダメだ。お前は昨夜寝ていないだろう。そんなコンディションのお前に勝ったところで何にもならない。一日時間をやる。しっかり寝て体調を整え、明日のこの時間に中央グラウンドにて待つ」
「わかったよ。―一応グラウンドを貸切ることになるから、今日中に申請出しとくよ。…ああ、ボクがやるから大丈夫だよ。大体カイチョーは学園関係者だけど部外者でしょ?」
ふん、と鼻で笑い、シンボリルドルフはテイオーに右手を差し出し握手を促す。テイオーもそれに応え、がっちりと明日の戦いを約束する。
「いいかテイオー。覚悟を今構えたら、誇りと契れ」
シンボリルドルフまわりを端折ってまことにごめんなさい。