シンボリルドルフとトウカイテイオーによる、互いの意地をかけた2000メートルのレース。ウマ娘の持つ本能のままに遮二無二、滅茶苦茶に腕を振り脚を回し、最初にゴールを踏んだのはシンボリルドルフだった。
それからおよそコンマ5秒―差にして2メートル遅れてテイオーが走り切る。速度が速度なだけに、数字の上では僅差に感じるかもしれないが距離に置き換えるとなかなかに壁を感じさせる。テイオーは内で仰向けに倒れ、シンボリルドルフも片膝をついて肩で呼吸している。
見物していたウマ娘が測った記録によると、たとえば同じ2000メートルの天皇賞の優勝タイムと比較したとき、それには秒単位で及ばなかったらしい。つまりそれだけシンボリルドルフが衰え、テイオーの脚が戻っていないということだ。
「いいレースだったよ、テイオー」
先に回復したシンボリルドルフが、若干よろけながらもテイオーに歩み寄りその手を差し出す。汗ばんだ顔には慈愛の笑みが浮かんでいた。
「いいレース?笑わせるよ。あんなぐちゃぐちゃな走り、今までしたことないや」
半分笑いながら、テイオーもやっとこその手を取り、引っ張り上げられる形で地に脚をつける。まだ笑っている膝から、いかに無理をして走ったかがわかった。
「まったく、情けないよねボクも」
「情けなくなんかないさ。今あるもので、今できることを全部やって戦ったんだろ?―お前の脚はまだ完全じゃない。それに、お前と私ではそもそも身体の成熟度が違う。才能もただ持っているだけでは意味がない。それを活かしきれる土台が無ければな。…それに、今はいい、悪いの基準はタイムや走り方なんかじゃない、それはテイオーもわかっているだろう?」
そうだね、と言葉だけテイオーは同意しておいた。
「いい加減カイチョーを追い越せると思ったんだけどな」
「私は常にお前の前を走っているさ。お前が困ったとき、苦しんでいるとき、前を見ればそこには必ず私が居る。私に倣えとは言わないが―、先頭に立つ者は常に孤独なものだ。それも少しは和らぐだろう。私は私の意地とプライド、この勲章たちに賭けてお前より遅れをとることは無い」
「そうだね。カイチョーの真似なんかしたら破滅しちゃうよ」
ちょっとだけ棘を含ませてテイオーは返事する。彼女らはそれぞれが先頭に立つ“性質”が異なる為、なかなか同じ轍は踏まないだろう。
「私と同じ道などお前は歩まんさ。私たちはお互いに先頭に立っている理由と由来が違う。私はその戦績や精神で一人君臨し、お前はその人柄で皆を同じ方向へ向かせている。およそ将として向いているのはお前だと私は思うがね」
「どうかな。何もできない大将なんて誰も着いて来やしないよ」
そうやって言葉を交わしながら、自分たちが走って荒らした芝をふたり並んで整える。さすがに整備士もこんな朝早くからは来ない。今日これから“朝イチ”でここを使うウマ娘たちのために、来た時よりもきれいにしなければならないのだ。
「それでも、やると覚悟を決めたのだろう?その時点でお前はほかのウマ娘とは違うんだ。行動を起こさない奴らにお前の苦悩はわからんさ。それに、その程度で折れるほどの覚悟でもあるまい。―ちょっとこの芝は損傷がひどいな。テイオー、盛り土を持ってきてくれ」
言われてテイオーはその手に握っていた盛り土の袋を寄越す。
「はいこれ。―まあでも不安にはなるよね。今だってボクはみんなに助けられてばかりだ。ボクひとりじゃなんにもできない」
「あら、そんなことはございませんわよ」
およそ聞きなれない声が聞こえてきたので思わずテイオーは顔を上げた。すぐそばに、学園共通の赤いジャージを着た、もう親の顔程見た芦毛のウマ娘が立っているのがわかった。
「手伝いますわ。コース一周分の芝を戻すなんてどれくらいの時間がかかると思っていますの?」
そういってメジロマックイーンは腰を下ろし、巻き込まれた芝を元通りたててゆく。
「まったく。これで練習に支障が出て、“生徒会のせいで”などと言われたらどうするつもりだ」
それに続いてエアグルーヴと、叩き起こされたのか明らかに眠そうなナリタブライアン。“始業までに終わらせるぞ”と彼女らも芝に腰を下ろした。その流れを見たのか、ひとり、またひとりと、名前も知らず接点もないような学園のウマ娘たちが芝に降りてきた。
「これは私がここにいるからではない。テイオー、お前の強さはこれだ。自ら孤独に邁進するのではなく、皆から認められ、慕われ、推される存在。私やエアグルーヴがなりたくてもなれなかったものだ」
「みんな―」
色々なウマ娘たちがテイオーに声をかけてきた。労う声、慕う声、茶化す声。それらすべてがテイオーの心を温め、溶かし、勇気をくれた。こんな優しい世界が他にあるだろうか。それを守っていかなきゃ、と、テイオーは優しさに決意した。
もはや数えるのすら困難なほどのウマ娘たちが芝に降りたことで、朝イチでコースを使うウマ娘らが来る頃には、まるで敷きたてのようにきれいになっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
テイオーとシンボリルドルフの直接対決から2日。年末年始の帰省期間を控えた学園は生徒会により臨時に集会が行われ、現役員の任期満了による退任の挨拶と、新生徒会に関する説明がなされている。
「―であるので、来月より任期の始まる新生徒会については、生徒会長のみ立候補と投票で決めることとし、それで当選した生徒会長は、この学期が終わるまでに役員を選び組閣するものとします。なお、寮長についてはその選任を学園側にお任せするということになりました。希望する生徒は学園まで申し出てください」
とし、壇上のエアグルーヴは退任の挨拶に入った。
「思えば、シンボリルドルフ前会長に引き入れられて3年。今の私たちからしてみれば長い時間を過ごしてきたような気がしますが、これから年齢を重ねるにつれて、その“3年”の全体における割合は少しずつ少なくなっていくのです。しかし、その3年間を私は生涯忘れることは無いでしょう。きっと何十年経ったとしても、昨日のことのように思い出すことができるはずです。それくらいには笑いあい、励ましあい、苦労や困難を分かち合い、力を尽くしてきたつもりです。誰かの腕となるのではなく自らが本体としてあることに戸惑い、どうすればいいのかわからなくなっていた時期もありました。ですが、皆さんの助けのおかげで、今こうして退任の挨拶をする場に立つことができています。私はこの学園のさらなる前進を期待して、後の者にその席を空けようと思います。今まで協力してくださった皆々様、本当にありがとうございました」
一礼してエアグルーヴは壇から降り、ナリタブライアンと入れ替わりになった。
「ナリタブライアンだ。3年前、クラシック3冠を達成して高等部に入ろうとしていた私にアイツはそうそうに目をつけていた。まだ中等部の3年だったアタシに、“生徒会に入らないか”などと勧誘してきたのだ。なんでも“実行者は私、頭脳のエアグルーヴ、あとは強さ”が欲しかったらしい。そうして私は生徒会に入り、気が付けばこうして退任の挨拶をしている。3年か。エアグルーヴと同じことを言うが、長いようで短いように感じたな。いろいろと言い訳をつけて仕事を抜けたりして迷惑をかけていたと思うが、それでも懲りずにここまで引っ張ってくれたメンバーに改めて礼を言いたいと思う。ありがとう」
苦笑するエアグルーヴをよそに、一礼して引き下がるナリタブライアン。次は、テイオーの番だ。ぎゅっと拳を握り、深呼吸して壇上へ。2400の生徒たちと視線が合う。以前はそれだけでビビっていたが、生徒総会をきっかけに吹っ切れたようだ。
「ボクはテイオー。トウカイテイオー。生徒会副会長として1年間を駆け抜けてきた―、そんなつもりかな。まずボクのせいで迷惑こうむっちゃった人たちに謝りたいかな。ごめんなさい。でも、ボクはそこに本当にたくさんのモノを見たんだ。意地とプライドだけの戦いも、きっとどこかに繋がってる。そう思ったんだ。そんな経験をさせてくれてありがとうと、みんなや生徒会に言いたいかな」
あっけらかんとした物言いだった。まるでこれは前座だといわんばかりに、けろっとした表情でよさげな言葉を並べていくテイオー。
「まあいろいろあったけど。エアグルーヴも言ってたけど今後絶対に忘れることはない一年間だったかな」
ちらりとエアグルーヴの方を見る。笑顔とまではいかないが、およそいつもよりは優しい表情で軽く彼女は頷いてみせた。
「―それで」
「そんないい経験をさせてもらったまんま退くのもなんかアレだし、なにより来期下手したら生徒会の経験者が誰一人いなくなってしまう。わかってる人たちじゃないととてもアレは回せないと思うんだよね。だから―」
ボクは、今この場で、生徒カイチョーに立候補しようと思うんだ。