「失礼致します。メジロマックイーンですわ」
年も開けて数日し、冬休みも終わろうとしている頃。太陽の位置を見るにそろそろ夕刻に差し掛かろうというあたりか。メジロマックイーンは生徒会室の扉を叩いていた。
「入れ」
扉の向こうからエアグルーヴの声がする。ひとつ呼吸を入れ思案する。なんとなくだが、自らが何故ここに呼ばれたかの見当はついている、ということもあって、いくらかこの扉を開いたことがあるとはいえど、やはり慣れない。
逡巡ののち、彼女は意を決して扉に手をかけた。たかが生徒が使うにしてはやや重厚に思われる木の扉。部屋の主は、在るべき場所には無かった。
「よく来てくれた」
部屋に入って正面にある生徒会長の椅子。その両脇を固めるようにエアグルーヴとナリタブライアンは立っている。その様子を見てメジロマックイーンは眉間にシワを作って訝った。
「―わざわざ生徒会室にまで呼び付けておいて、その本人が不在だなんて。いったい何のお話ですの?」
まったくだな、とナリタブライアンは腰に手を当てて姿勢を崩した。エアグルーヴはもう既にアタマを抱えている。
「わからん。ただテイオーからは、お前が生徒会室に入るのを見届けたら出ていけとしか言われていない」
ナリタブライアンの言葉に、はあ、と相槌を打つことしか出来ない。どうやらエアグルーヴたちもテイオーに呼ばれ―、頼まれたクチなのだろう。ある種の仕掛人として。
「そういうわけだ。―まあ、君の言うようにわざわざ生徒会室に呼び付けたんだ。恐らくそれに関する話だと思っていい。我々は―、もう色々とクチを出すには難しい時期になったからな」
肩を叩かれ、腰を叩かれ、彼女らは生徒会室から出ていった。ひとり残されたメジロマックイーン。何故か既に勝手知ったる生徒会室。彼女を呼び出した張本人がやって来るまで、紅茶でも淹れて待つことにした。
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紅茶を飲み終え、メジロマックイーンの胸中は、いよいよ来ない待ち人に対しそろそろ怒りを通り越して呆れに変わりつつある。大きな窓から見える空では夕焼けが燃え、終わりかけている1日を演出していた。
こん、こん、と扉が叩かれる。
ようやく待ち人が現れたようだ。腕時計に目をやると、メジロマックイーンが入室してから実に30分が経とうとしていた。
「どうぞ―」
やはりたかが生徒が使う部屋にしては重苦しい音を立てて開く扉。入って来た者のカオを見るなりメジロマックイーンは30分ぶんの怒りを言葉に乗せて捲し立てた。
「テイオー!貴女、わざわざ生徒会室にまで私を呼び付けて待たせるなど、いったい全体どういう―!?」
というところで、彼女は絶句した。
「貴女、その髪型は―」
生徒会室に入ってきたのはトウカイテイオー。メジロマックイーンを夕刻頃に生徒会室へ呼び出し、あまつさえ数十分遅刻して来た、これでも次期生徒会長である。有マの栄冠を掴んだしなやかな脚、バランスのとれた体型。しかしその頭部のシルエットは、他のウマ娘たちの知るトウカイテイオーのそれとは大きく異なっていた。
髪を結っていない。元来よく知られるトウカテイオーの髪型は、ポニーテールがスタンダードでありオフィシャルであった。しかし目の前の本人はどうだ。その縛りを解き、意外と毛量のある髪は素直に落ちずに膨らみを擁する。前髪に据わっている流星も相まり、その印象はまるで―。
「まあ、憧れは憧れとしてね」
メジロマックイーンの視線を察し、特段照れるでもなく、たんたんとテイオーは答えた。遅刻して来たことによる謝罪は無い。
「いい夕焼けだ」
依然として固まっているメジロマックイーンを交わし、テイオーは生徒会室の最奥―、生徒会長の椅子へと近づく。その背で、さらに強く赤く鮮やかに色を放つ夕陽が空を燃やしていた。
「ねえ、マックイーン」
メジロマックイーンに背を向け、夕陽を見つめたまま―、テイオーは視線もくれずに呼びかけた。それで解凍されたメジロマックイーンは反射的に振り返る。目の前に要る遅刻魔の不遜に対して言いたいことは色々とあったが、そのひとつひとつが喉元まできては引いてゆく。口をパクパクさせながら夕陽を見つめる他なかった。
「覚えてるかな。ボクが生徒会に入るって話をしたとき。あの日も夕陽が綺麗だった」
え、ええ、そうですわね、と、しどろもどろながらメジロマックイーンはなんとか応えた。
「ボクはねマックイーン。今日の今、こういう空になることを知って、キミを呼んだんだ」
メジロマックイーンの耳がぴくりと反応する。つまり―、つまりだ、目の前のトウカイテイオーは、今日こうなることを承知で、あえて遅れてやって来た。メジロマックイーンが抱いていた待たされたことによる焦燥や呆れも、きっとそうだろう。彼女は生まれて初めて、掌で転がされたときの気持ちを思い知った。
「そうでしたの。―それで?わざわざ生徒会室に呼び付けておいて、こんな時間になるのを見計らいわざと遅れてやって来て。こうまでして貴女がわたくしに何の用件がございますの?」
わりと皮肉を込めたつもりだったが本人にはあまり効いていないようだ。
「そうだね―」
ゆっくりとテイオーは夕陽から視線を外し、メジロマックイーンと対面する。夕陽の照らす生徒会長の椅子。何の臆面もなく、そこに座ってみせた。
人を待たせておいて、それを立たせたまま自らは玉座へ。これまでメジロマックイーンの思っていたトウカイテイオー像とはおよそかけ離れた、ひと言で表せば傲慢さを感じ、眉間にシワを寄せた。
「テイオー、貴女何のつもりですの?流石のわたくしも怒りま―」
怒りますわよ、と言いかけたところ、テイオーの手に制され、思わず口を止めてしまった。
「マックイーン。キミに次期生徒会の副会長を頼みたいんだ」
来た。
絶対にこの話をしてくると思っていた。
だけに、メジロマックイーンのすべき返答は既に決まっている。
「勿論―、お断り致しますわ」
それを受けカクン、とテイオーの首が折れたのを、確かに彼女は見た。
「…い、一応、理由を訊いてもいいかな」
折れた首をごまかしごまかし、今までのそれを崩さぬよう堪え、テイオーは促す。
「わたくし、まだ終わってはいませんもの。貴女との決着も含めて、ですわ」
だいたい、と彼女の口は止まらない。
「貴女あのとき言いましたわよね。秋の盾を競い、ご自身が勝ったときに言うことをひとつ聞いてもらうと。わたくし、まだ貴女に負けたわではありませんのよ」
何か反論を構える次期生徒会長を抑え、なおも続ける。
「それに、わたくし、まだレースから退く気はありませんの。脚はまだ治りませんけど―、諦めるつもりは毛頭ありませんわ」
「諦めてくれ―、と言ったら?」
ワントーン低くなったテイオーの声にか、それが発した言葉にか。メジロマックイーンは凍りついた。
「―は?」
「この学園の。生徒会の。ボクの杖になる為に、レースを諦めてくれ。―と言ったら、マックイーンはどうする?」
ガタン、という大きな音に気がついたときには、メジロマックイーンは机に前のめりになってテイオーの胸ぐらを掴み、怒りに震えていた。
「貴女―、貴女いったい誰にモノを―、何を言っているのか判っておられるんですの?」
ウマ娘の腕力で胸ぐらを絞られて痛くないわけがない。それでもテイオーは極力淡々と、
「まあ、諦めてくれは大げさな話だけどね。わかった、悪かった。悪かったから手え放してよ」
震えながら怒りをなんとか飲み込み、メジロマックイーンは目の前のウマ娘を解放した。乱れた服を直し、改めてテイオーは向き直る。
「まあ座って聞きなよ、マックイーン」
不承不承ながら着席する。
「マックイーンが脚を壊してからもう長いよね。あれから今までの間、キミが何をしていたか、聞かせて欲しいな」
そんなことは今更教えなくたって知っているだろう、と思いながらも、メジロマックイーンは回想する。
脚を壊し、走れなくなったということはさしものメジロマックイーンですらそれは堪えた。
ウマ娘の本能、そしてメジロの家の宿命に追われ回復を急ぐものの、全く予後は変わらなかった。
リハビリの時間は多少あるものの、元来1日のほぼほぼを割いていたトレーニングの時間が無くなるのだ。暇なんてものではない。
だから彼女は、チームの手伝い―雑用からアドバイスまでこなし、今後の為と学園の総務課に頼み込んで経理の勉強をしたり、果てには生徒会の成すことにも名を連ねた。
そしてそれらは、走れないという過大すぎるストレスのよい捌け口―解消方法として機能し、本人のメンタルを安定させる要因にもなった。
「そうだね、マックイーンも頑張ってたんだよね」
まるで心のこもらない返しに、“当たり前ですわ!”とメジロマックイーンは憤慨してみせた。すると
「じゃあ、今度は、そうしてマックイーンがどう思ったのか、聞かせて欲しいな」
難しいことを訊いてくる。確かにストレスの捌け口にはなったし、ウマ娘として競技しているだけでは判らないことも学べているし、間違いなく自らの成長にはなっている。そして―、
「そして、これはこれで悪くない。きっとそう思ったはずだよね」
メジロマックイーンの耳が反応する。
「悪くないといっても、きっとマックイーンが本当に得たかった喜びや達成感とは違うと思う。いまのキミがやってることはいわば裏方みたいなモンさ。でも、マックイーンが頑張ってくれたおかげで、チームの誰かがレースに勝てたり、学園の誰かが助かったりしたことだって間違いないんだ」
そしてキミは、とテイオーは続ける
「走りの喜びはお預けかもしれない。けれど、競技ウマ娘として順当に成功するだけではなかなか出会えない経験を得て、もたらされた結果には確かに喜びと成功体験があった。―そうじゃない?」
図星。あまりに図星すぎてメジロマックイーンは返す答えに窮した。
「だ、だとしたら、何だと云うのですの、それに、いくら貴女といえど、わたくしの全てをわかったかのように―!」
「わかるさ」
精一杯の強がりもテイオーのひと言で制された。
「ボクも同じだったからね」
「同じ―」
そう聞いてメジロマックイーンはハッとした。副会長職が板に付きすぎて忘れかけていたが、目の前のウマ娘はクラシック2冠と有馬記念を獲った、レースに関しては天才、無敵のテイオー様なのだ。
それがなぜこうして生徒会長の椅子に落ち着いているかを考えれば、メジロマックイーンにとって想像には難くなかった。
「だからボクはあのときカイチョーに言われたんだ。“複数の視点から競技ウマ娘を見れる存在は貴重で、ぜひ必要なチカラ”だってね」
でも、と続け
「あのヒトも見つけられなかった、ボクと同じ視座に立つモノ。それがマックイーン、キミだと思うんだ」
「そして、あのヒトがいくら欲しても手に入らなかった、“自らに並び立つモノ”。ボクにとってはそれがキミだという確信は、確かにある」
かつての勝負服のように青い瞳が、メジロマックイーンを真っ直ぐに射抜く。
「あのヒトはずっとその存在を欲しがってた。けれど、最後の最後までそれは現れなかった。エアグルーヴ、ナリタブライアン、ミスターシービーにオグリキャップ。そしてボク。あのヒトに並ぶことはできなかったんだ」
こうして目の前にその存在が居てくれるって、ボクって恵まれてるよね、とテイオーは零した。
「だからこの機会を逃したくない」
「ボクはあのヒトみたいに何でもかんでも独りでやれるわけじゃない。誰かの、みんなの助けがあって初めてなんとかなることのほうが多い。そして、そんなボクのいちばん近くに居てくれるのは、キミがいい」
シンボリルドルフや現生徒会が背負っていたものは3分の2くらい―、降ろせるだけ降ろす。ウマ娘はウマ娘、オトナはオトナ、そういう分別も必要である。
そうすることでより適切な学園の運営が可能となり、各々が自らの為に費やできる時間も増え、メジロマックイーンのいう「終わりたくない」願いも実現へ舵をきれることだろう。それに至る道のりも含めて。
「ボクの隣に来てくれない?」
そうして手を差し出してきた帝王の背後では、未だ沈まぬ夕陽が真っ赤に輝き、メジロマックイーンの瞳を燃やしていた。