トウカイテイオーは生徒会副カイチョー   作:橋本みちか

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ミッドナイト・エピローグ

エアグルーヴは今日、ついにその胸中を本人へ伝える決意を固めた。

 

日本ウマ娘競技者連合U-NION本部。競技ウマ娘の、競技ウマ娘による、競技ウマ娘のための、競技環境改善機関。その本部長たる秋川やよいより、シンボリルドルフらに運営を委任されてから6年目に入っていた。

 

発足当時はシンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアンの3人しかおらず手の回らない日々をひたすら奔走していた。それでも、毎年少しずつ学園の卒業生や有志などを引き入れ、今や組織の規模は10数倍。秋川の手をほとんど借りることなく、健全な学生スポーツとしてのトゥインクルリーグを運営し、決済組織としての土台を築いてきた。

 

6年前のあの日、組織の立ち上がる前から今日まで、一連の功罪をシンボリルドルフは背負っている。もはや秘書のような立場に落ち着いてしまったエアグルーヴは、ここ数カ月の彼女の姿を見ていて、疑問、というにはいささか小さくはあるが、小さな違和感を覚えていた。

 

「会長」

 

朝礼の始まる10数分前。たまたま事務所にシンボリルドルフと2人きりになったエアグルーヴは、意を決して話しかけた。

 

「その―、あの、髪は、また伸ばされるのですか?」

 

シンボリルドルフは学生、そして競技者としての生活を終えURAに就職すると同時に、腰ほどまであった長髪をバッサリ落とした。

それを『額の三日月だけ残して』すべて後ろにかき上げたスタイルが、働く彼女の新たなトレードマークになった。

 

ところがここ数カ月、年の暮れを堺に彼女の髪型は長さを除けば学生時代に戻ったようで、エアグルーヴにとっては懐かしくもあり、なぜ今更という疑問も内に秘めていたのだ。

 

「ああ」

 

シンボリルドルフは、特に感慨もなく肯定した。

 

「レースが近いからな。私はね、意外とカタチから入るタイプなんだよ、エアグルーヴ」

 

レース。レース?―はて、とエアグルーヴは首をかしげざるを得ない。彼女はときおりシンボリルドルフが一体何を言っているのか判らなくなるときがあるが、今まさにそうなってしまった。

 

我々は既に競技の一線から身を引いて久しい。今更そんな、事前の準備が必要になるほどのレースなんて予定に無い、はず。

 

 

 

―まさか。

 

 

 

まさか、来月行われる『新競技場のこけらおとし』で催す『エキシビジョンレース』のことを指しているのか?

 

そんなまさか、と必死に否定しながら、エアグルーヴはそれとなく頭を下げ、シンボリルドルフの元から去った。

 

 

 

 

 

それから春まで、エアグルーヴはこれををクチにすることはなかったし、シンボリルドルフも、元のように髪を落とすことはなかった。

 

 

 

 

 

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日本ダービーの興奮も冷めやらぬ頃。はやくも夏の訪れを日差しに感じる東京では、URAとU-NION、両者の主催のもと、秋川の宿願、

 

『全距離全バ場対応型の未来式競バ場』

 

の完成を祝したイベントが行われていた。

これは秋川の思い描くウマ娘の競技体系のいわば『究極』を目指したもので、将来的には国際レースは勿論、クラシック競走やジャパンカップ、有マ記念に匹敵するレースを開催することまで考えている。

 

新しい歴史を作れると、秋川は本気で信じている。

 

普段は事務所で椅子に座りパソコンにガンを飛ばしているナリタブライアンも、今日ばかりは真面目に雑用をせざるを得ない。

スタッフの足りない中、ある理由から競バ場へ押し寄せるファンの群れを、どうにかして警備員と一緒になって捌いていく。

 

同時に、中枢としての役目もこなさなければならない。

 

ひっきりなしに入ってくる無線。その大半がこのファンをなんとかしてれという声だ。残念ながらどうすることも出来ない。

 

ナリタブライアンは、今日という今日、ここに就職したことを後悔した。

 

そしてそれは彼女に限った話でもない。

 

別の入り口ではエアグルーヴも同じようにファンの群れの中で喘いでいた。

 

「はい、H列の座席はあちらですね―!くそ…っ!なんだこれは!想定以上だ!―おい!衣装班は控室に辿り着いたのか!」

 

まだです!と無線のスピーカー越しにスタッフの叫び声が聴こえてくる。キイイン―、とハウリングしたその音は、ウマ娘であるエアグルーヴの耳を切り裂いた。

 

「我々はこの後走らされるのだぞ!いくら余興だとはいえ―、身がもたん!」

 

 

 

 

一方、裏面の観客出入り口は、ナリタブライアンやエアグルーヴのようにファンでごった返しているにもかかわらず、整然としていた。

 

「拝見します―。はい、あなたはG列の177番席ですね。あちらからお入りください。―はい、トイレはあちらになります」

 

シンボリルドルフだ。彼女が入場ゲートの前に立ち、ファンひとりひとりのチケットを拝見し、お席を案内して差し上げている。

 

数年ぶりに見る皇帝のお姿。あの頃と何ひとつ変わらないその気品溢れる姿は、纏う布を勝負服からスーツに変えられた後もお変わり無かった。

 

ファンはそれを見て自然と列をなし、どこか恍惚とした表情で検問を受け、各々の席へ向かってゆく。

 

「あ、あの!エキシビジョン、応援しています!」

 

ときおりファンから声をかけられることすらある。そのたびに、

 

「ああ、ありがとう」

 

などと返す。

 

社会を知る者であれば敬語となるであろう。そこを敢えて『当時を思い出させる』言動で応えることで、ファンには変わらぬ姿を思わせる。

 

そこには確かに、在りし日の『皇帝』が顕現していた。

 

とどのつまり、シンボリルドルフが数カ月に渡って髪の毛を伸ばしていたのは、ファンサービスの為だったのだ。彼女のひと声で、有象無象は秩序を取り戻し、まるで王国でも築くかのように、粛々と入場は進んでいた。

 

 

 

 

 

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《エアグルーヴさん!無線取れますか!どうぞ!》

 

無線でエアグルーヴを呼ぶ声がする。濁流のように押し寄せてきた観客群もひととおり捌ききってしまい、第2入場口はパラパラ現れる残りを丁重にご案内差し上げられるまでに落ち着きを取り戻した。

 

「私だ、エアグルーヴだ。どうぞ!」

 

汗にまみれた額を無造作に払い、無線を返してやる。ちなみに、ここのスタッフ曰く『送信ボタンを押してからひと呼吸置いて喋らないと、アタマが切れて上手く伝わらない』らしい。

 

《衣装班が選手控室に到着しました!各衣装に損傷ありません!今から配って回ります!どうぞ!》

 

「よくやった。迅速にたのむ、どうぞ」

 

ほっと胸を撫でおろす。動いていると麻痺するものだが、こうやって止まると途端に暑さが襲ってくる。エアグルーヴは怨めしげに太陽を見上げた。

 

 

 

 

 

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「今日のレース、楽しみだね!」

 

おそよ早めに入場し早々に着席をきめたファンらは、口々にそう言っている。

 

「ええ、なにせドリームトロフィーリーグとの混合戦みたいなもんだからね!」

 

今日のイベントでは、模擬レースも催される。

短距離、マイル、中距離1、中距離2、長距離。そしてダート。

 

「本当に全バ場全距離全天候対応可能なのか、見どころだと思うわ」

 

「レースごとにドリームトロフィーリーグのウマ娘がひとり走るんだろ?怪獣大戦争みたいなもんだって!」

 

「勝負服もこのために作り直したらしいやん?気合とカネのかけかたが違うわ、ほんまに」

 

彼女らが今日この日を走るために用意された勝負服。選抜組には規定のデザインを、招待選手には既存の勝負服を規定のカラー、特別仕様にしたものが支給されている。

 

この晴れの日を走る者たちの名誉をカタチづくるとすれば、それ以外無かった。

 

「―でもまあ、今日の目玉は」

 

「最後のドリームレースだよなあ」

 

観客たちは皆一様に、様々めいめいに思いを馳せて出走表を眺める。

 

模擬レースとは別に、特別に招待されたウマ娘だけを並べてのエキシビジョン。

前線を張っていた頃は叶わなかった『ドリームレース』を大々的に開催して、この競バ場のスタートを華々しく飾るわけだ。

 

誰かにとってはかつてない憧れ。別の誰かにとっては無二の友かもしれない。また別のウマ娘にとっては、自らの夢をかっ攫った仇敵になるのかもしれない。

そして数多の好奇心が、そのレースをより熱いものへと昇華させていく。

 

いずれにせよ、それらの情念を背負い、再びターフに立つ者たちがいるのだ。

 

「トウカイテイオーとメジロマックイーンがまた並んで走るってさ、それだけで人が呼べるのにね」

 

「俺あ、俺あアグネスタキオンが走ってるのを見られるってだけでいいわ」

 

近代の国内競バ界に多大なる貢献をしたという功績を、様々な角度から解釈し、走れる者を招待している。無論、シンボリルドルフやエアグルーヴ、ナリタブライアンも含まれているわけだ。

 

この競バ場のはじまりに華を添える、これ以上ないレースになるだろう。

 

 

 

 

おおむね席も埋まり、イベントスタッフや警備員が少しずつ手空きになっていく。誘導を終え、各々の持ち場でただ立哨する姿が目立つようになってきた。

 

《警備隊長より司令室へ。会場の全入場門、ファンの誘導は終了しました。後は我々だけで事足ります。レースに出られる予定の方は、そちらの準備をなさってください。どうぞ》

 

スポドリを思いっきり煽るナリタブライアン。

 

不備はないかと会場を歩いて回るエアグルーヴ。

 

皆を秋川より預かる者として司令室に鎮座するシンボリルドルフ。

 

めいめいにこの無線を聴いた。ついにきたかと、エアグルーヴは今一度気合を入れ直し、控室の方へ急いだ。

 

《司令室シンボリルドルフよりスタッフへ。―先程の件、了承した。シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアンは今より会場運営及び警備の任から外れ、出走者控室へ向かう。あとは頼みます、どうぞ》

 

《警備隊長より司令室。離脱の件了解。折を見て、全体放送を使い出走者を呼び出します。―楽しみにしていますよ》

 

様々な夢と伝説が、今一同に会そうとしていた。

 

 

 

 

 

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シンボリルドルフが招待選手控室に入る頃には、模擬レースを走る面々はすでにウォームアップを始めていた。

隅の方でくるくるとその場で左回転をするウマ娘を認める。―サイレンススズカだ。

 

「本当に、本当に本気を出してもいいんですね?」

 

やはりというか、掛かっている。纏っている勝負服の出で立ちは変わらないが、緋色と白を基調としたカラーに変わっており、どことなく母校の指定勝負服を思わせた。

 

「ど、どうかな。模擬レースだし、後輩にいい体験をさせるってことで、あえて3番手くらいで―、」

 

「嫌です。私がいちばん速いんです。私より前に出ることは許されません」

 

専属トレーナー(学生時代から継続)が宥めに来たが、それをもってしても彼女の拘りはかわらない。他の招待選手たちも苦笑を浮かべそれを見ていた。

 

近くで脚を伸ばしていたスペシャルウィークも、それをやめてサイレンススズカの説得へ向かう。

 

「ねえスズカさん。今日くらい、いいじゃありませんか。私も、先のある後輩たちに壁を見せるようなことはしたくないです。今日の私たちに求められてるのは、きっと、現実を教えることじゃなくて、夢を見せてあげることだと思うから」

 

うっ―、と、サイレンススズカは明らかにたじろいだ。スペシャルウィークの言うことは正しい。それくらい彼女にもわかる。これでサイレンススズカがハナを走る理由は脆くも瓦解してしまった。

 

左回りがより速くなる。いい加減に様子がおかしい。

 

理性と本能のせめぎ合いに苦しむ彼女を見ていられず、シンボリルドルフは落としどころとして、助け舟を出した。

 

「いいんじゃないか、本気で走っても」

 

他ならぬシンボリルドルフの発言に、その場の全員がギョッとして固まった。タイキシャトルに至っては飛び上がって「what's the f…!」と大層驚いていた。

 

「今日の模擬レースで走るのは抽選で選ばれたウマ娘たち。必ずしも君たちのレベルに叶っているとは限らない。―そこのスズカくんのように、圧倒的な結果になることが火を見るより明らかな場合もある」

 

『走っても良い』という言葉だけを都合よく捉えたサイレンススズカが、目を輝かせてシンボリルドルフを見ている。

 

「ごほん。つまり―、先程スペシャルウィークくんが言った、『夢を見せる』ということだがね、私は、なにも思い出づくりだけがそうではないと思うのだよ。目指すところの同じ、走ることでその価値を昇華することができるウマ娘どうしだからこそ、見せられる夢、なんてものがあるんじゃないか」

 

スペシャルウィークは考えた。思えば、過去の自分は、走ることで何が出来たか。当時は自分のことで精一杯で、周りのことなんかわからなかった。

 

でも、今考えれば。

 

ダービーを獲った日。

 

モンジューを斃し日本総大将となった日。

 

有マ記念でグラスワンダーにハナ差で敗けた日。

 

きっとそのときどこかで、誰かの心を動かしたのかもしれない。それがきっかけで、今ここにいるウマ娘だって、もしかしたら居るのかもしれない。

 

それに。

 

走ることで伝えられることも、沢山ある。

 

「―そうですね、会長。それもアリだと思います」

 

どこか吹っ切れたスペシャルウィークは、不敵に笑みを浮かべた。

 

「ここでも『会長』か。勘弁してくれ」

 

苦笑するシンボリルドルフに何処からか「このメンバーの中にあなたがいるんだから、それ以外ありませんよ」という冷静な突っ込みが飛んできた。

 

 

 

 

 

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午後3時。ついに『全距離全バ場対応型の未来式競バ場』なるハコのこけら落としが始まった。

 

URA会長の長い話や、秋川の熱の籠もった弁などを経て、いよいよメインイベント、走り初めである。

 

《それでは、トゥインクルリーグの選手を代表して、中央トレセン学園生徒会長より、U-NION秋川本部長へ宣誓をしてもらいます!》

 

放送で呼ばれた生徒会長は、明らかに緊張の面持ちで宣誓台、フィールド中央へ走っていく。

シンボリルドルフよりその理想を受け継いだトウカイテイオー。その想いを更に託されたのが、彼女である。

 

「―彼女、緊張していますね」

 

「なに、私の頃と比べると大変立派なものさ」

 

エアグルーヴとシンボリルドルフは、控室からそれをまるで孫でも見るかのような目線で見守っていた。

 

宣誓の終わった頃、バタバタと通路を走ってくる何者かの音がする。

ふたりして顔を見合わせ、それに心当たりのないことを確認し合う間もなく、激しい音を立てて控室の扉が開かれた。

 

「ごめん!遅くなって!宣誓、もう終わっちゃった?」

 

控室へやってきたその来訪者を見て、シンボリルドルフの感傷はいよいよ極みへと近づいた。

 

「テイオー!よく来てくれた!」

 

シンボリルドルフは満面の笑みで出迎える。軽いハグまで交わす始末だ。

 

「エアグルーヴも、久しぶり。なんか老けた?」

 

うるさい、と、これも幾年ぶりかの鉄拳制裁を喰らうテイオーであった。

 

「途中シービーに会ったからさァ、一緒に控室行こうよって誘ったのに、次振り向いたらもう居ないんだもン。参っちゃうよね」

 

シンボリルドルフに撫でられながら、とても成人しているとは思えないふやけきった表情のテイオー。ちゃんとスーツを着ている。

 

「仕事はいいのか?」

 

「うん。今日のために片付けてきちゃったからネ」

 

エアグルーヴには、未だに目の前のトウカイテイオーがスーツを着ていることと、テイオー自身の仕事について、困惑を隠せずにいた。

 

「まさかお前が、トレーナー専門学校の予備校なんて立ち上げるとはな」

 

シンボリルドルフから引き剥がされ、ようやく地に足つけて立たされる。それでもテイオーのふにゃり切った顔はなかなか直らなかった。

 

「まァ、ボクも思うとこあってさ。お金なら使い切れない程あるし」

 

急に真顔になって現実的な話をしだす。エアグルーヴは先程から面食らってばかりだ。

 

「それを放り出してまで来てくれたんだからな。丁重にお迎えしよう」

 

うん!とテイオーは元気に返事をする。

 

「まさかこの年になってカイチョーと並んで走れるなんてネ、ボク思わなかったからさ。お祭りごとだから、本気じゃなくても、全然平気。ボクはうれしいよ」

 

この年になってなどと言うもんじゃない、というエアグルーヴの突っ込みを受け、テイオーは耳をへにゃらせた。

未だにこうして憧れてくれている可愛くて仕方のない後輩を撫でながら、シンボリルドルフは腹の中にイチモツを据えることになった。

 

ピンポンパンポーン♪

 

《ただいまより、模擬レースを開催致します。短距離コースへ出走する選手は、パドックへお集まりください》

 

《運営班より連絡です。招待レースに参加される皆様、衣装の準備が整いましたので、専用控室へお越しください》

 

「おっと、お呼び出しだな」

 

「私達も、入念に身体をほぐさなければなりませんね」

 

エアグルーヴが伸びをする。疲労困憊なのは違いないが、かつての仲間たちと再び芝の上で会えると思うと、それもどこか消えていった。

 

 

 

 

 

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シンボリルドルフらが特別控室へ入ると、どうやらそれで出走者が全員揃ったようだ。

 

係員とおぼしき男が数を数え始め、よしと頷く。

 

「皆様、この度はありがとうございます。模擬レースが全て終了したあと、皆様には走っていただくのですが、距離は芝2500、右回りです。」

 

有マ記念じゃんね、と誰かが言った。

 

「まさにそうでございます。しかしながら―これは競技にあらず興行です。命を削り走る必要までは無い。そこそこに走って、皆様の元気な姿をファンに見せることが目的です。それが成り立つなら、たとえ全員で同時にゴールゲートを潜ったっていい」

 

係員の説明に、特に誰も異を唱えない。だって、そういうものだと思ってここに居るのだ。

かつて伝説として語られた彼女らも、こうして退いてしまえば、ヒトを集めるためのコマにすぎない。

 

しかしそれでも、かつてのように見知った顔とターフに立てる。彼女らはそれだけでよかった。

 

「専用の勝負服はここにあります。今のあなた達に合わせて作られていますから、着用に支障はないはずです。準備が出来たら、模擬レースの観戦などでもしてお待ちください」

 

無機質にそう言い放ち、係員は部屋を出ていった。

 

めいめいに勝負服と対面する。テイオーのそれは青い部分がまるまる緋色に変わっており、着てみるとなんともこう、しっくりこないというか、別の自分を見ているような気がして、首を捻った。

 

テイオーの前から消えていたミスターシービーも、全く違う色になった帽子を見て複雑な笑みを浮かべていた。

 

他の者もめいめいに着てはみるのものの、言語化出来ない何かが足りないような、そんな表情をしていた。

 

「ふむ―。やはり、違うか」

 

シンボリルドルフは着かけていた緋色の勝負服を脱ぎ捨て、ジャージを羽織り何処かへ行ってしまった。

 

 

 

 

《ああーっと!ここでタイキシャトルが上がってきた!なんという強さ!ぬわんというパゥワァ!勝負勘が、走法が、すなわち地力が違います!勝負にならないとはこのことか!!!いま1着でゴォール!模擬レース短距離1着は招待選手のタイキシャトルです!!!!!》

 

《速い!他を寄せ付けない圧倒的な速さのみがそこにありますサイレンススズカ!影どころか脚音すら踏ませません!速度という絶対的な壁の向こう側へ!!全てを置き去りにして!!異次元の逃亡者、今ゲートをくぐりました!!!マイル1着は大差でサイレンススズカ!!!!サイレンススズカです!!!!》

 

関係者用の通路から、自らが焚き付けたサイレンススズカが他を寄せ付けない走りをするのを眺める。

 

観客の感情の爆発を受け右手を静かに掲げるサイレンススズカ。シンボリルドルフの期待する胸中とは―違うかもしれないが。

 

素晴らしい。これが『走ることで伝わる夢』か。その背中は遠く小さくても、後塵を拝す彼女らには美しく、気高く見えただろう。夢は、背中でも語れるものだ。 

 

やはり、アレは違う。

 

シンボリルドルフの中で何かが固まり、それを認めた彼女は、ずっと前から行動に移しあぐねていたそれへ向けて、いてもたってもいられずに走り出した。

 

 

 

 

 

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《さあ、模擬レースも中盤、中距離へ入ります!招待選手は5番スペシャルウィーク!》

 

わああ、と歓声を受け、スペシャルウィークが手を振る。ああしていて、ドリームトロフィーリーグの伝説だ。まともにやりあって敵うわけもない。

 

かしゃん、とゲートが開き。

 

先行策をとったスペシャルウィーク。自然と逃げを選んだウマ娘がそれを抑えて走ることになる。

 

わたしが『あの』スペシャルウィークを抑えている。

 

逃げているウマ娘は、これだけで感無量だった。誰かに憧れていたわけではない。だがこうして、今を生きる伝説を従えて、今後2度と走れるかもわからない競バ場を、先頭で回るなんて。

 

多幸感で頭がどうにかなりそうだった。

 

2000メートルのレースも残りは直線を残すのみとなった。3番手から5番手あたりに潜んでいたスペシャルウィークが、ある地点で目覚めた。

 

《スペシャルウィークが閃いた!一瞬でトップスピード!周りにいたウマ娘たちをまばたきする間に置き去りにし先頭へ迫ります!!!》

 

きた。来る。きた!こんな私をあのスペシャルウィークが本気で追い落とそうとしてくる。怖い。そのプレッシャーに逃げ出したくなりさえする。

 

でもそれが、嬉しかった。

 

こんな木っ端ウマ娘に対しても、彼女は本気になってくれる。対等な立場で戦ってくれる。

 

抵抗する余地もなく先頭を明け渡すこととなったが、後ろを追わされる彼女の表情はとても晴れやかだった。恐ろしい速さで遠ざかっていく背中に、間違いなく夢を見た。

 

 

 

 

 

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地下通路に停めてある黒塗りの車―彼女専用である―を前に、シンボリルドルフは思案していた。

 

中距離1本目はスペシャルウィークの圧勝。会場の地鳴りが地下通路伝わってくるとは。これにシンボリルドルフは感動にも似た心のざわめきを覚えていた。

 

やはり自らの見立てに違いはなかった。ウマ娘という、本能レベルに刻まれた走ることに対する欲求。これが、彼女たちの心を動かすカギだった。

 

背中に憧れ、背中を追い、背中を見せる。

 

ターフの上のウマ娘は誰かを追い、誰かに追われることで、真に輝けるのだ。

 

未来型競技場の完成そのものは、決して自らの宿願だったわけではない。

 

だが、それでも、今こうして集まっている者たちを見ると。

 

走る者も、そうでない者も。応援する側もされる側も、皆自分のことかのように一喜一憂している。

そのような者たちの、なんと満ち足りたカオをしていることか。

 

他人の土俵の上ではあるが、シンボリルドルフはここに『すべてのウマ娘の幸福』それの片鱗を見た気がした。

 

そしてそれが間違いでなかったことを証明するために、『おそらくこうなることを考えて予め準備しておいた』、翠玉に輝く、7つの勲章を戴きし勝負服を引っ掴み、来た道を、今度は力強く駆けていった。

 

 

 

 

 

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かつての己の総てと云って差し支えのない、翠玉色の勝負服を抱き地下通路を引き返していくが、硬い決意を秘めたその胸中にも、シンボリルドルフにはわずか躊躇いが見えた。

 

6年前、もうすこし前だろうか。己の理想の為に他を顧みず邁進した記憶が蘇る。

 

クラシックやティアラの撤廃などという旗を掲げ、怪我のリスクを軽減するという、シンボリルドルフの思想は、競バ界そのものへの反逆であった。

 

にも関わらず、彼女はそれが是と疑わず進み続け、結局はURAのいち幹部の掌で踊ることとなり、社会的常識をもって、その梯子を外されたのだ。

 

それはシンボリルドルフに二度と思い出したくもないような強烈なトラウマを植え付けたが、沢山の助けと長い時間を経て、今ようやく自分の脚で再び立てている。

 

それをまた、自らの哲学の前に壊しかねない爆弾を小脇に抱えているのだ。

 

と、と、と、とスニーカーがコンクリを叩く音がするたびに、皆のいる特別控室が近づいてゆく。

やいのやいの、という聞き取れない姦しさが扉から溢れているが、シンボリルドルフはそれを前にしてやはり躊躇った。

 

ぎゅっと眼をつむる。

 

確かにあの頃の私はただの若い小娘だったかもしれない。ありもしない全能感に酔い、浸り、踊っていたのだ。

 

あれから色々あった。方々に頭も下げ、ときには見捨てるに等しい言葉も受けた。秋川の助けがなければ、きっとどうなっていたかわからない。

 

かつて慕ってくれていた仲間からも、厳しい言葉で刺されることさえあった。全身針のむしろになり、もはや立っていられなくなることさえも珍しくなかった。

 

しかし彼女はそれを『罰』として甘んじて受けたのだ。それだけの責任と覚悟がその理想にはあった。

 

そしてそれでも手を差し伸べる仲間があった。

それはシンボリルドルフの『皇帝、生徒会長、URAの職員』たるところに価値を見たのではなく、その内たる『シンボリルドルフ自身』を信じていた。

 

それは彼女自信が直接耳で聴いたことだから違いない。

 

違いないのだ。

 

だから。

 

扉の向こうの仲間が信じたシンボリルドルフを、シンボリルドルフ自身が信じてやれないはずも無い。

むしろそこまで判っていてなお自身を信じられぬというのならば、それは信じた者たちに対する冒涜に等しい。

 

大丈夫だ。

 

もしかしたら『こいつは何を言っているんだ』というカオをされるかもしれない。

 

だが大丈夫だ。次はきっと、『やめておけ』と言ってくれる仲間たちがいる。それを聞き入れられる私が居る。

 

数分にわたる葛藤の末ついに覚悟を決め、シンボリルドルフはまた進んだ。

 

 

 

 

 

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緋色の勝負服は、もともと紅のそれだったマルゼンスキーにはさほど違いは感じられなかった。控室で皆に混じって着てみるが、見た目はなんとかしっくり来ても、いまいちノらない。

 

チョベリバまではいかないが、このもやもやを抱えたまま走ることになるのか、と嘆息をひとつ、仲間の手伝いに向かおうとしたとき、出入口がバンと大きな音をたてて開いた。

 

「みんな、聞いてくれ」

 

マルゼンスキーにとってシンボリルドルフは、親友といった言葉すらもはや生優しく聞こえる。彼女のクチを借りるなら、真友―マブ―であろうか。

学生の頃から、直接関わることは無いにしても苦楽を共にし、遂にURAで同じ道を歩み、シンボリルドルフが職を辞するその瞬間まで共にあった。

 

その経緯と立場上、表立ってシンボリルドルフを助けることはついに叶わなかったが、今ここに彼女が吹っ切れた表情で仁王立ちしているのには、マルゼンスキーの功績によるところが大きい。

 

だから彼女は、シンボリルドルフがまた何か『いらんこと』を言い出すと、直感で理解した。

 

「提案がある」

 

ほら来た。なんなら何を言い出すかまでマルゼンスキーには理解できる。伊達に何年も共に過ごしていない。

わかるからこそ、シンボリルドルフにその先を言わせるには、まずマルゼンスキーの『URAの職員』という立場が邪魔をした。

 

「ルドルフ」

 

まあ聴いてくれ、と言わんばかりの視線をシンボリルドルフは返してきた。―まあ、釘は刺せたか。暴走したら、今度こそ自分が止めてやる意思を固め、マルゼンスキーは着席した。

 

「さっきの模擬レース、サイレンススズカくんとスペシャルウィークくんの走りを見た者はいるだろうか」

 

ぽつ、ぽつと何人かの手が挙がる。

 

それらを認めてシンボリルドルフは続けた。

 

「サイレンススズカくんはまあ―、ともかくとして、スペシャルウィークくんは、今回あくまでも『後輩の思い出づくり』として、興行のイメージを崩さず、なんなら並走までしてみせるつもりだだったそうだ。しかし結果はあのような大差での、圧倒的な勝利だ。会場も最終的には地下まで響くような歓声をもってそれを受け入れた」

 

私が彼女たちを焚き付けたんだ、とシンボリルドルフは自白した。

 

「スペシャルウィークくんの言うようなやりかたもひとつの正解だろう。一緒に走った者たちの記憶には確かにその事実が刻まれる筈だ」

 

だが、とひと息。

 

「ヒトの作ったヒトのための興行ならば、それでよかったかもしれない。しかし私達はウマ娘だ。走ることを本能に刻まれ、ターフの上でモノを語る。追い、追われることで、彼女たちにしか作りえない本物の『思い出』ができるのではないか、と、特にスペシャルウィークくんを、そう諭した」

 

ぎょっとする表情の仲間もいるが、構わず続ける。

 

「スペシャルウィークくんは自分で考え、思いやりと優しさに満ちた思い出よりも、圧倒的な走りをもって力を示すことで、彼女にしか、ウマ娘にしかできないやり方で後進への道標となった。過去の自分を見つめ、その走りが誰かに見せたかもしれない夢を信じたんだ」

 

そして、と。

 

右手に握りしめた緑色の布を強く、強く握りしめ、シンボリルドルフは遂にそれを口にした。

 

「後輩の偉大な選択に、我々も並びたいと、そう思うんだ」

 

アグネスタキオンとエアグルーヴが目を剥いて顔を見合わせる。ミスターシービーからは真意のわからない溜息が漏れる。エイシンフラッシュに至っては『スケジュールに無い』と慌てふためいていた。

 

「私達がターフに現れ、いつかのような姿をし、2500mをゆったりと走るだけでも、それはそれは盛り上がるだろう。

―だが、本当にファンが見たいものはそうなのか?私達はそれでいいのか?…もしかしたら、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。

競技から退いた私達は、それを懐かしんでくれる者たちを呼び込むための看板になるしかないのかもしれない。さっきも言ったがそれで喜ぶ者もいるだろう」

 

しかし!

 

強く力説を続けるシンボリルドルフ。額には汗すら滲んでいる。

 

「我々には、我々にしかできない、ファンの皆さんへの感謝の表し方と、後進への道の示し方がある!それを示すには自らの誇りを纏うほか無く!私はそれを選びたい!」

 

言い切って、右手を上にかかげる。中には、彼女がターフに生きていた頃の誇りとプライドが強く握りしめられていた。

 

「我々にはその意思を!覚悟を!対外へ示す方法がある!それがこれだ!」

 

シンボリルドルフの指す『これ』というのをはじめは皆理解できなかった。が、その手にしているものが何なのか判った者から、『マジで?』というような表情や、『楽しくなってきた』ような笑顔を湛える者まで出てきた。

 

「諸君らは成長している。当時のものを着るにはいささか厳しいものがあるだろう。

それを踏まえ!私はこの想いを捨てることがついぞこの瞬間までできず、諸君らの勝負服、リサイズしたうえでのレプリカを用意した!

これを纏い!数字のうえでは至らなくとも!魂を乗せて走り!後進へその道を託したい!

これこそが!我々に出来る最高の『新時代の幕開け』への手向けではなかろうか!」

 

しん、と控室は静まり返る。―数秒したろうか。1本の手が挙がった。

 

「私には無理だ。私の脚は―、既に壊れている。ルドルフ君のいうように『魂を乗せて走れ』ば、それこそ歩行すら困難になってしまうかもしれない」

 

アグネスタキオンだった。世代最強の筆頭候補としてあげられていながら、皐月賞終わりに故障しそのまま引退。

与えたインパクトとその潜在性、研究による貢献から今回招待されたわけだが、それは『ジョギングペースでグラウンドを周るだけ』という条件だったからだ。

今更本気で走れと言われたって。

 

「もちろん、全員に全力疾走を強要するつもりは無い。必要なのは意思を示すことだ。きっと君のその姿にも心を動かされる者がいるはずだ」

 

そうか―、ふむ―、とアグネスタキオンは思案する。

 

「本当に、それでいいのかい?君のいう『魂の走り』は出来ないかもしれないんだよ?」

 

「気にする必要は無いさ。私達は既に終わった者たち同士だ。自分のリミットくらいは自分でわかるだろうし、わざわざ命を削る必要までは無いだろう」

 

「―わかった。私のできる範囲で、君の提案に乗ろう、ルドルフ君。どこまで、という保障はしかねるがね」

 

話が纏まりかけたとき、またもう1本手が挙がった。

 

「ルドルフ。このイベントの主催はURAとU-NIONよ。私も聞きかじっただけだから詳細まではわからないけれど、これはそういう規定のもと全て流れが組まれているの。

アナタには悪いけど、URAの職員としてこれをこのまま見過ごすわけにはいかないわ。とりあえず上に―、」

 

「 承 諾 ! 好きなようにやればいい!」

 

立場上止めざるを得ず意見するマルゼンスキーに、別の声が被った。

 

「り、理事長…!」

 

いつの間にか控室の扉は開かれており、秋川が息を切らしてしだれかかっていた。

 

「 憤 慨 ! 既に全ての模擬レースが終了し、無線も館内放送も再三呼んでいるというのに!君たちは!」

 

シンボリルドルフを含めその場の全員が首を傾げる。そんな放送など記憶にないのだ。

 

「 至 急 ! 君たちが出てこない間をどうにか繋いでいるが!コパノリッキーくんもスマートファルコンくんももう限界だ!

委細は概ね聴いた、その責任は私が取ろう!

―私も、君たちを教え子に持っていた頃の気持ちに戻りたい!!

切 望 ! 君たちが君たちだった頃を、もう一度私に見せてくれたまえ!」

 

わかったらさっさと着替えろ!と怒声を残し、秋川はどたどたと去っていった。

 

放送が聴こえなかったということに疑問を持った数名だったが、アグネスタキオンがひっそりと見せたその残骸を見て―、見なかったことにした。

 

「―さて、どうやらそういうことらしい」

 

半ば呆気にとられ秋川の背中を見送っていたシンボリルドルフだが、急を要する事態に我を取り戻した。

 

「ねえカイチョー、ウォームアップ、済んでないんだけど?」

 

「やっちまったな。もう知らん。後は野となれ山となれだ」

 

「どうするブライアン。私たちには全力で走る体力などもう無いぞ」

 

めいめいに言いたいことはあるようだったが、目の前に配られた「本来の色」をした勝負服を着ない者はない。

 

「いつも思うけどさ、キミってやる事がいちいち大胆で、それを押し通せる助け舟が来ることを前提にしてるよね」

 

ミスターシービーが呆れ気味に苦笑した。係員に手渡された白いハット―CB―を手にして、確かに湧き上がる何かを覚えたようだった。

 

「そうさ。そうでなければこの役は務まらなかった。私はシンボリルドルフ」

 

「―生徒会長だ」

 

 

 

 

「ところでカイチョー、この服どうやって準備したの?」

 

「それはな、式典用の勝負服を発注したときに、私が個人的にポケットマネーでもとの色も頼んでおいたのさ。だから、君たちの身長体重の増加からスリーサイズの変化までくまなく見させてもらったよ」

 

「は?」

 

「会長、あとでお話があります」

 

 

 

 

 

□■□■□■□■□■

 

 

 

 

 

《―さあ!さあ!予期せぬ中断もありましたが!本日のイベントのフィナーレ、レジェンドたちによるドリームレースの出走準備がようやく整いました!まずは出走者を振り返りますが―、私、ワタクシ、この場でこのような方々のお名前を呼ばせて戴くこと、誠!感無量にございます!さあ、ご一緒に振り返って参りましょう!ドリームレースの出走者は!》

 

1番、マルゼンスキー

無敗で引退という偉業を成し遂げ、そこには聖域じみた強さがあった。一線から退くその瞬間まで聖域は維持され、誰もがドリームトロフィーリーグへ進むと思っていたが進路はまさかのURA。シンボリルドルフと共にある決意は本物であった。

 

2番、ミスターシービー

シービー、ルドルフ、ブライアンと、3年連続でクラシック三冠ウマ娘が誕生することとなった皮切りの存在。果たして今日も大地は弾むのか。

 

3番、オグリキャップ

地方から転籍してきた笠松のヒーローは、沢山の戦いをへて国のアイドルになった。彼女もまた、時代を作ったウマ娘のひとりである。

 

4番、ナリタブライアン

3年連続クラシック三冠ウマ娘の大トリ。シンボリルドルフやエアグルーヴと共に、学生の領分を超えた自治を持つ生徒会を運営。卒業後の進路も含め、近代競バの発展に大きく寄与している。

 

5番、トウカイテイオー

シンボリルドルフよりその理想を受け継ぎし者。幾多の怪我に腐らずに新しい視野を開拓し、真にウマ娘に寄り添える存在となった。

 

6番、エアグルーヴ

シンボリルドルフあるところにエアグルーヴあり。女帝と恐れられ宝塚の守り神となった、元中央トレセン学園生徒会副会長。シンボリルドルフとトウカイテイオーが共存するにあたり最も苦労と葛藤を強いられた者だ。

 

7番、シンボリルドルフ

説明不要。皇帝、三冠ウマ娘、生徒会長。誰もが恐れ、敬い、頭を垂れ、そしてターフに伏した。

 

8番、メジロマックイーン

トウカイテイオーと双璧をなし、最強を賭けて走りを極めていた。脚の炎症もあり、トウカイテイオー政権では副会長ポジションにいながら、1日も速い復帰を目指していた。

 

9番、エイシンフラッシュ

秋の天皇賞では、バ場で止まるという禁忌を冒してまで陛下へ頭を下げたことはきっと未来永劫語り継がれる。一部始終を見た上で「不正は無かった」とする競バ界サイドにも称賛があがった。

 

10番、アグネスタキオン

光速の粒子を冠するその脚は世代に敵を作らなかったが、あまりにも儚かった。それでも今、自分は地に足つけて立てている。それを証明するべく今ここにいるのだ。

 

 

 

 

スタジアムのVIPルーム。テレビ越しに、ドリームレースに出走する面々がパドックで勝負服やらポーズやらを披露している模様を食い入るように見ながら、URA会長は怒りに震えていた。

 

「なんだあの服の色は!赤だの白だの緑だの!厳粛な式典に相応しくない!そもそもこちらで用意した式典用の勝負服はどうしたのだ!」

 

「困惑。本当に、どうしてしまったのでしょうね」

 

ぴ、と扉から音がして、いかにも『アイツらやりおった』とでも言いたげな表情をしながら秋川が入ってきた。フラフラと椅子に沈んで大―きく息をつく。

 

「中止だ!中止させろ!こんなもの見ていられん!」

 

杖でテレビを破壊しかねない勢いで会長は怒り狂っている。秋川はころっと表情を変え、会長に質問をした。

 

「疑問。なにを中止なさるのですか?」

 

はあー?と会長は皺の寄りまくりイボの点々とするカオを秋川に向けた。

 

「このレースをだ!スタジアムの、『私の』理想の完成を成就を祝う厳粛で神聖な式典に、あのようなハイカラな色は要らんのだ!」

 

そうでございますか―、と秋川は思案するような素振りを見せる。

 

「純然。私には、予定通り行われているように感じますがね。ウマ娘の、夢の継承が」

 

夢の、継承だとぉ―?

 

会長はひっくり返るほど驚き、今一度テレビにかじりついた。

 

「そんなものを今引っ張りだすな!今すべきことは、このスタジアムの価値を!優駿たちの趺跡により数値化できないものへと昇華させることだ!神聖なる、真に最強を決める場所となるには、カタチと数字では表せないものが必要なのだ!」

 

ばん、ばんと杖を床に叩きつけながら会長は暴れる。それを見た秋川はついに愛想を尽かした。

 

「訂正。このスタジアムの使用範囲はあくまで学生スポーツの範囲に限っていたはず。故に構想も設計も施工も、我々U-NIONが行ってきた。

全バ場全距離全天候対応型と聞いて、計画に便乗してきたのは貴方がただ。『私の』理想ですと―?まったく、まだボケる年ではないでしょうに」

 

何ぃ―?!

 

「 結 論 ! 結果的にこのスタジアムの建設はURAとU-NIONの共同プロジェクトとなった。もちろん所有権も対等に分かれている!

―しかし!その礎となり基礎を築き、柱や梁となったものはあくまで『私の』理想である!そこに貴殿らの立ち入る隙などありはしない!

私はU-NIONの本部長として、過去の偶像化ではなく未来への継承を選んだ彼女らの選択を支持する!何か言いたいことはあるか!」

 

ぐぅ、と会長は黙りこくってしまった。返答がないと見るや、秋川は先程入ってきた扉へ歩き出す。

 

「ま、待て秋川!誰に何を吹き込まれた!シンボリルドルフか!あれに再起の余地を与えたのはお前だろう!あのまま井戸の中に沈めておけばよかっただろうに!」

 

はん、と今度こそ秋川は鼻で笑った。

 

「全てのウマ娘の幸福のために。

それがURAやU-NION、そしてシンボリルドルフの思想だったはずです。シンボリルドルフを排除してから数年経ちますが、それを機に貴方のやり方には疑問が残るのですよ、私は。

頭を冷やし、そろそろご自身の進退でも考えてみてはいかがでしよう?」

 

再び、ぴ、と音と共に扉が開いた。

 

「何処へ行く!」

 

「決まってるでしょう。『特等席』ですよ」

 

秋川の諦観混じりの視線を僅か残して、扉は閉められた。

 

 

 

 

 

□■□■□■□■□■

 

 

 

 

 

「テイオー」

 

最後のストレッチを終え、いよいよゲートに収まろうとしたトウカイテイオーを、メジロマックイーンが呼び止めた。

 

「ああ、マックイーン。卒業以来だよね。久しぶり」

 

ええ、と微笑む。

 

「私のほうがひと学年上でしたから…、その、代わりの副会長を見つけられずに卒業してしまって、本当に悪いとは思っていたんですの」

 

「なに言ってんのサこんなときに。何回も言ってたでしょ?もうほとんどオトナたちに投げたから心配いらないって。『あの子』も居たし」

 

あぁ―、とメジロマックイーンは回想し微笑んだ。

 

「貴女を追ってやってきた、あの子ですね。―今日も立派に、宣誓の務めを果たしていましたよ」

 

「大きくなったよ、本当に―。…それで?そんなことをわざわざ言いに来たんじゃないよね?だとしたら流石にボクも苦笑いしちゃうけど」

 

「うふふ」

 

うふふじゃないよ、とテイオーは思わず突っ込んでしまった。

 

「やっと、貴女と走れるのですね」

 

ふたりしてゲートを見つめる。

 

「6年前?7年前?春の天皇賞以来か。中距離でやりたいって、そういう話だったけどね」

 

「それはもう贅沢というものですわ。私はこうして貴女と走ることそのものが嬉しいのです」

 

メジロマックイーンの、あの頃と比べると幾分骨ばった手が差し伸べられた。

 

「そうかい。わかったよ。―お互い全力は出せない身だし、せいぜいみっともない走りだけは見せたくないよね」

 

そうですわね、とメジロマックイーンは軽いお辞儀を残して自分のゲートへ消えた。

 

「気合入れなきゃ、ね」

 

触発されたテイオーも、今一度屈伸運動をし頬をたたいてから、5番ゲートへ収まった。

 

 

 

 

 

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ドリームレース出走を告げるファンファーレが響く。ファンの歓声がスタジアムを満たした。

 

7番ゲート、シンボリルドルフ。スタートが近いにも関わらず彼女は未だ瞑想状態だった。

 

挫折と反発、困難を知らず、伝統を嫌い、己が力を振りかざして生きてきた学生時代。その振りまわす力を完全に制御出来ていたからこそ、後の彼女には挫折があり、虚無があり、そして仲間があった。

 

自らを幸運だとは思ったことは無い。『全てのウマ娘のために』とは宣うものの、そこに自らは含まれない。

 

求められるままに走り、求められるままに勝利してきた。そうしてシンボリルドルフは世の求める『シンボリルドルフ』を完璧に作り上げた。

 

勝者であることを求められ、生徒会長であることを求められ、常に先頭に立つことを求められる。

そこにシンボリルドルフの意思はなかった。

 

その延長で今日はあるし、この仮面を脱ぐことは恐らく無いだろう。

 

だが、今日、今日このレースだけは。

 

誰かに求められてではなく、自らの意志で、自らの誇りの為に走るのだ。

 

スタート前の静寂がやけに懐かしい。思考に決着が付き双眸を見開いたとき、ゲートは開いた。

 

 

 

 

 

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《ゲートが開きました!かつての我々の夢が、いまいちどターフへ飛び出していきます!あなたの夢、私の夢が、再び走り出していきました!

芝2500右、有マ記念、かくや凱旋門賞にも勝る盛り上がりようであります!

 

―やはりハナを奪いましたマルゼンスキー!そのすぐ後ろ、今回は逃げを採ったのでしょうかメジロマックイーンがいます!

そこからふたバ身程離れて3番手トウカイテイオー、横並んでナリタブライアン、若干控えてアグネスタキオン、少し苦しそうな表情でしょうか?

 

―後ろはオグリキャップにシンボリルドルフ、エイシンフラッシュがやや団子気味、エアグルーヴが怪しく様子を見ていますが、最後方ミスターシービー、進出の機会を伺っています!》

 

ゲートが開いてからのスタートダッシュ。ここを獲りきったマルゼンスキーは、なんとか恥ずかしいところを見せることにならず、ひと安心していた。

往年のロケットスタート。ファンは求めている。いくらレースの趣旨が変わろうと、出遅れる訳にはいかなかった。

 

(あとはもう、走り切るだけね)

 

紅焔のV36エンジンを吹かし、マルゼンスキーは早くも逃げ切り体制を決めた。

 

《コーナーを抜けてストレッチへ入ります!観客席からは地鳴りのような歓声が鳴り止みません!相変わらずマルゼンスキー先頭、メジロマックイーンが懸命にリードを広げようとしていますが、徐々に、徐々に先行集団に呑まれつつあるかメジロマックイーン!

ナリタブライアンが並びかけます!後ろすぐトウカイテイオー!まだレース前半その半ば程というところですが、メジロマックイーンの奇策はここまででしょうか!》

 

奇策。実況がそう評したのをメジロマックイーンは走りながら確かに聴いた。

 

なるほどそう捉えたか、と思った。

 

元来メジロマックイーンは先行脚質で、主要なタイトルは前目の位置取りから獲ったことが多い。

―しかしながらそれは彼女の武器である『スタミナ』での勝負ができ、全速力で加速しても、最高速度を維持する時間が他より長くとれるから、そのような勝ち方ができたのだ。

 

(今は―、あの頃のような脚は、ありませんわ!だとしたら、こうするしかないでしょう!)

 

いくら歴史に名を残すレジェンドたちとはいえ、後ろから差し切るだけのパワーやスタミナ、それにスピードだって、全盛の頃よりは陰っているはずだ―、自らも含めて。それを見越して、メジロマックイーンは先に優位を保ち、逃げ切ることにしたのだ。

 

もっとも、その優位すら呑み込まれつつあったが。

 

 

 

 

 

□■□■□■□■□■

 

 

 

 

 

1200、1400と過ぎ、アグネスタキオンは明らかな違和感を覚えていた。

脚の痛みに嘘はつけず、先行―、にして後ろすぎる位置まで下がってしまったが、付いて行けている。

 

メジロマックイーンやトウカイテイオーのような例外もいるにはいるが、大して影響のある怪我をしていない者たちが多数を占めるこのレースで、自分が集団の中に紛れていられることが不思議でならなかった。

 

残り1000のハロンも迫っている。特に追い込み脚質のミスターシービーなんかはそろそろ仕掛けていかないとまずい距離だが、依然として控えたまま。それはシンボリルドルフやエイシンフラッシュも同じだった。

 

故に、前のマルゼンスキーやメジロマックイーン、ともすればナリタブライアンやトウカイテイオーあたりの『ゴールまでが短いことによる優位』が明確だ。

 

これを見越してメジロマックイーンは逃げたのだとアグネスタキオンはスタート直後から理解はしていた。

しかしその先行集団も、スパートの地点が近づいているにも関わらず一定の距離―メジロマックイーンのすぐ後ろから仕掛けようとはしない。

 

ここまでスローペースになる理由なんてひとつしかなかった。

 

スタミナだ。

 

たった数年、どんなに長いものでも両手で足りる年数でしかないが、レースから離れていただけで、そのブランクは1000メートルの位置から先頭を差し切る、あるいは逃げ切るだけのそれを要していなかったのだ。

 

追ってくる速度が遅ければ遅い程に。

 

ゴールが近ければ近い程に。

 

マルゼンスキーの1着が固くなっていく。

 

《残り1000を通過しましたが―、満員のスタジアム、歓声は既にどよめきへと変わっております!誰も、誰も動きません!アグネスタキオンが下がった以外に順位に変動無し、相変わらずマルゼンスキーはふたバ身のリードを保って先頭を維持しています!

メジロマックイーンも苦しいが2番手、それをナリタブライアンとトウカイテイオーがすぐ後ろから圧をかけていますが、追い抜くには至りません!エアグルーヴやエイシンフラッシュも前に出るラインが見えないかー!

シンボリルドルフとミスターシービーが後方から俯瞰していますが、距離的なタイムリミットはもう過ぎています!》

 

残り800のハロンが近づいてくる。これは―、これはもしかしたらもしかするかもしれないとアグネスタキオンは思った。

 

確かに現在位置はよろしくない。だが、今ここで抜け出すことが出来れば。先頭のマルゼンスキーを捉えられれば。

 

もしかしたらもしかする。

 

アグネスタキオンは『確証』が欲しい。それが取れなければてこでも動かない。そういうタチだった。

 

しかしここにきて『希望的観測』で動き出そうとしている。

 

脚の具合は心配だが、段階的に出力を上げていけば、あるいは届くかもしれない。

 

(やらなきゃ判らないだなんて…、まさかそんな事を考えるとはね。コレも誰かに炊き付けられたせいだろうね)

 

ちら、と後方のシンボリルドルフを少しだけ皮肉の念をこめて見つめてやり、アグネスタキオンは希望へ向けて脚を速めた。

 

「お、おい見ろ―!タキオンが…!タキオンが仕掛けるぞ!」

 

アグネスタキオンはスルスルと先行集団へ混ざり、ナリタブライアンがそうと気づく頃には既にその前を往っていた。

この10秒かそこらで、アグネスタキオンは7番手あたりからメジロマックイーンのすぐ後ろ、ナリタブライアンやトウカイテイオーを抑えて3番手へ抜けてきたのだ。

 

《ここでアグネスタキオン―、アグネスタキオン?!アグネスタキオンが動きました!まるで流れのなかをすり抜けていくように順位を上げていきます!あれよあれよと3番手!残り600へ向けて希望を見出したか!

ナリタブライアンは困惑を隠せない!シンボリルドルフ、ミスターシービーもジワジワ差を詰めているか!

マルゼンスキーのスタミナもあと如何程でしょうか、逃げ切るにはもうひとつ、何かしらのアドバンテージが欲しいところです!》

 

上手くいった。スパートらしいスパートをすることなく先行集団のアタマを抑えた。

 

ミスターシービーは多分あの位置からは上がってこれない。後方の心配は恐らく―、シンボリルドルフ以外には無いだろう。

 

あとは残りを見て適宜ギアを上げ、メジロマックイーンとマルゼンスキーを飲む。2バ身差なら詰めれる。

あと75メートルくらいか?とにかく、残り600を過ぎたら。

多少短くとも、残り600で差し切る。

 

さん

 

にい

 

いち

 

 

 

今ッッッッッッッ!!!!

 

 

 

そのとき、リアリズムにまみれたアグネスタキオンは今まで認めたことの無い声を、自らの脚から聴いた。

 

 

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

 

 

《残り600を切りました!アグネスタキオンが仕掛けた!スパートを掛け―、あぁっと!どうした!どういうことでしょうかアグネスタキオン!突如スピードを失い外ラチヘと逸れていきます!

後ろからナリタブライアンとトウカイテイオーが並んで、その間をオグリキャップとシンボリルドルフが割ろうとしています!メジロマックイーンはもう苦しいか!ミスターシービーもどうにか着いていこうというところ!》

 

実のところアグネスタキオンは、脚の声を『声』として聴いたのではない。

脚部から脳へと送られてくる電気信号が、アグネスタキオンをアグネスタキオンたらしめ、冷静、しかしながら今の彼女にとっては酷かもしれない判断をくだしたのだ。

 

あくまで後続の妨げにならぬように外へ逸れる。痛みは無い。恐らく本当に壊してしまう直前に、あの『声』はアグネスタキオンに届いたのだろう。

 

何事かと駆けつけてこようとする救護班を芝の上から手で制する。大事無いことを手を振って伝えると、救護班は下がっていった。

 

大歓声の中、最終直線へと入り、夕日の彼方に消えていく他のウマ娘たち。素直に『羨ましいな』と思ってしまったその瞬間、

 

 

 

アグネスタキオンは解き明かされた。

 

 

 

若き日、トレセン学園に入学してたったの3年でアグネスタキオンの脚は壊れた。

超光速を謳われていた彼女の競技生活は、あまりにも突然に終わってしまったのだ。

 

以降走ることを辞め、ウマ娘の潜在能力を開放するなどと言い出し研究の真似事をするようになった。

中には成果を得たものもあり、論文も数本上がっていたが、心の奥底に巣食う謎の『満たされなさ』を払拭するには至らなかった。

 

まさか、ここに来てその解を得られるとは。

 

複雑な数式も、目の回るような方程式も、珍妙なグラフも、これの前には稚技に等しい。

 

ただ、彼女も走りたかったのだ。他の『みんな』と同じように。

 

 

 

 

落ちかかった夕日の彼方に歓声が轟き――1着の勝ち名乗りを上げる誰かの姿を遠目に認めた。

決して柄ではないが、祝福の『念』をそこに送り―、アグネスタキオンは静かにターフから去った。

 

 

 

 

 

□■□■□■□■□■

 

 

 

 

 

《残り400!燃え盛る夕日へ向かってウマ娘たちが突っ込んでいきます!

依然マルゼンスキー先頭ですがペースは上がりません!後方からナリタブライアンとトウカイテイオーが猛追!その差約1バ身あるでしょうか!

エアグルーヴ、シンボリルドルフ、オグリキャップらは抜け出すことができるか!!ミスターシービーは伸びてこない!苦しい展開を強いられている!》

 

残り400のハロンを過ぎた。ビリビリと耳に響く歓声がいよいよ束になってウマ娘たちに向けられる。

 

遅い。今までのレースで、ここに至るまでに仕掛けなかった例はない。あくまでも冷静を装いながら、シンボリルドルフはアタマを回していた。

 

先頭のマルゼンスキーまではおよそ5バ身。展開がそれほど速まっていないことから限界は近いと思われる。

 

それはマルゼンスキーに限らずこの場の全員に言えること。皆、逃げ切る力も追う体力も使い切り、一部を除いては、序盤についた優位のみで順位が決しようとしている。

 

恐らくそういう考えで逃げを採ったであろうメジロマックイーン。歯を食いしばり懸命に前を目指すその姿を、外側からパスする。

 

先を往く者もきっと、「自らもこうなる」リスクを感じていることだろう。

 

だからといって、目の前の勝利に手を伸ばさないわけにはいかない。逃げる者も、追うものも、捲くる者も。すでに絞りきった体力を、更に強くねじ切り、ほんの僅かでも速力を上げようともがく。

 

《マルゼンスキー先頭ですが苦悶の表情!追うナリタブライアンらも同じく辛いか!

エアグルーヴも懸命に食らいつきますが少しずつ後退していきます!オグリキャップとシンボリルドルフは4番手から6番手あたりで機会を伺いますがどうでしょう!残りもう330メートルもありませんが!》

 

テイエムオペラオーが、同じ2500を残り300メートルと少しというところから差し切った記録がある。今日の模擬レースの長距離部門で招待されていた彼女は、当時のキレのままそれを再現してみせた。

 

まだ。あと10数秒しかないかもしれないが、チャンスはある。

 

と自らを律してはいたが、視界の端、ついに200のハロンを捉えてしまった。

 

もはやこれまでか―、と、前を往くマルゼンスキーやナリタブライアン、トウカイテイオーに後を託そうとしたとき、

 

先のテイエムオペラオーが見たように、

 

息を呑むほどに美しい『勝つためのライン』が、

 

夕日の光へ向かって突っ込んで往くウマ娘たちの隙間から光となってシンボリルドルフの前に現れた。

 

瞬間、彼女の理性よりも本能が先に、命を燃やし始めた。

 

《シンボリルドルフ!シンボリルドルフが仕掛けました!ほぼ同時にオグリキャップも動き出しましたがシンボリルドルフが1枚上か!オグリキャップを従えて先頭へ向け邁進します!残り250あるか!》

 

オグリキャップもまた、数多の戦い―命を燃やし続けたウマ娘だ。彼女も、シンボリルドルフが見たものと同じ光を認めたに違いない。

 

シンボリルドルフにわずか数瞬遅れるも、肩がぶつかりそうな勢いで力を振り絞る。

 

「―それでも!」

 

体制を崩されそうになりながらも、光を双眸に捉え続けるシンボリルドルフは揺れない。

 

この道は、この光は、決して失わない。私が掴む。シンボリルドルフは久しく感じえなかった『意地』の力でポジションを譲らなかった。

 

「―っ!あああああああ!」

 

じわり、じわりと差が縮まってゆく。ナリタブライアンとトウカイテイオーがゆっくりと後方へ流れていった。

 

燃える夕日にたったひとつ残った、ずっと共にあり続けた盟友のシルエット。それが少しずつ近づいていく。

 

「 わ た し が あ あ あ あ ! ! ! 」

 

―私は君を盟友と云うが、君が云うには真友―。そういう言葉だったな、マルゼンスキー。

 

後ろの気配を感じたマルゼンスキーと視線が交差する。

 

既に限界を迎えつつあるマルゼンスキー。息も絶え絶えになり後方を顧みたのだろうが、シンボリルドルフへ向ける視線は、驚いた様子もなく、むしろ微笑みを湛えているようだった。

 

まるで、こうなることをわかっていたうえで、シンボリルドルフに先を促すように。

 

―確かに、君は私の真の友、真友―マブ―だ。今日までも、今日からも。

 

 

 

いよいよマルゼンスキーを追い落とそうとした瞬間、シンボリルドルフの視界は不可解な『世界に』包まれた。

 

 

 

 

 

□■□■□■□■□■

 

 

 

 

 

まるでレース場からどこかへ飛ばされたみたいだ。

 

何処を見ても、延々と続く芝と空しか見えない。そこを走っている。

振られる腕が視界に入るが、まるで子供のような手をしていた。

 

違和感を覚えて後方を見やると、さっきまで一緒に走っていた仲間たちが、シンボリルドルフを追ってきている。

 

違うのは、皆一様に『見たこともないくらい幼い姿』だということだ。

 

なんと無垢な笑顔か。可能性と将来に満ちたこの顔が、どんなに素晴らしいことか。

 

再びシンボリルドルフは前を向いて走り出した。

 

楽しい。

 

楽しい!

 

誰かに求められるのではなく、自らの意志で走ることがこんなに楽しいことだなんて。

 

長らく忘れていたようだ。

 

シンボリルドルフの『シンボリルドルフ』が、少しずつ壊されていく。

 

「あァ―」

 

自らの意思において走ることの尊さを思い出し、誰かの為に、という小難しいロジックを捨て、幾年かぶりに、

 

そこに『ルナ』が顕現し、

 

シンボリルドルフの云う『すべてのウマ娘の幸福』に

 

初めて自分自身が含まれた。

 

 

 

 

 

□■□■□■□■□■

 

 

 

 

 

《交わすか!交わした!並ぶ間も無い!ナリタブライアン、エアグルーヴ、トウカイテイオーをゆっくりと後方に諫め、ついにマルゼンスキーを捉えましたシンボリルドルフ!

残り約150にしてシンボリルドルフ先頭!

ウマ娘というのはヒトで云えば女性的な特徴を多く備えておりますが今はこう申しましょう!

 

こ れ が 皇 帝 の 神 威 で あ り ま す !

 

もはや誰も彼女に追いすがれない!

シンボリルドルフ独走!レジェンド達が集う夢の更に上をゆく、まさしくエンペラーロード!!

皇帝は―!ぐひっ…!皇帝は!!!!皇帝は健在でありますっっっっっ!!!!!!》

 

マルゼンスキーを下した。もはや皇帝の進撃を阻むものなど何処にもない。

 

走れ。

 

走れ!

 

往 け ! !

 

『シンボリルドルフ』から解き放たれ、欲望の赴くままに脚を出し芝を踏むたび、ウマ娘の本能を満たす悦びに全身が打ち震える。

 

いったいいつ以来だろうか。走るとはこんなにも気持ちの良いことだったのか。―いや、私が私に回帰したからこそ得られたものか。

純粋に走り競うことを楽しめている私が。

 

魂を燃やすということは、素晴らしいな―。

 

過去感じたことのない程の多幸感に溢れながらゲートを通過する。

スタジアムをこれ以上ない歓声が包み、その場の者の殆どが皇帝の凱旋に歓喜した。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

陽の沈むと同時に終わったイベントだが、スタッフたちは絶対にやり遂げなければならないことがひとつだけある。

 

撤収作業だ。

 

―とはいえ、椅子や長机といった殆どの資材はスタジアムの備品から借用していたものばかりなので、同じ施設内での置き換えをするに留まるものが多い。

そういうときこそウマ娘の出番である。

 

シンボリルドルフやエアグルーヴをはじめU-NIONのスタッフ連中から、模擬レースやドリームレースに招待されたウマ娘たちの協力によってそれは賄われ、ヒトだけで行うとひと晩―もしかしたら足りないかもしれない―かかるところを、なんと2時間半で片付けてしまったのだ。

 

何食わぬ顔で軽々と長机を左右の肩に5つほど担いだスペシャルウィークに、パイプ椅子を両腕にいくつもぶら下げ、涼しい表情のウマ娘スタッフ。

 

ヒトの常識では推し測れぬパワーに、特に身体的特徴を備えている女性のイベントスタッフは軽く引いていた。

 

 

 

 

 

2時間半、とはいえ夕方からの作業である。最後の運搬車が出ていくのを見送る頃には空には星が浮いていた。―ひと晩かかるよりは遥かにマシだが。

 

ディーゼルの音が遠ざかっていくのを確認し、エアグルーヴらは肺の底から大きな溜め息をついた。他のスタッフらも座り込んだり、芝に転んだりしてその終わりを喜んだ。

 

「 感 謝 ! 皆よくやってくれた!おかげでイベントは大成功だ!」

 

司令室に籠もり作業の指揮を執っていた秋川も、グラウンドの状況を見て下に降りてきた。

 

「招待選手の諸君も、本当にありがとう!―控室にささやかながら食事を用意させてもらった!こんな機会、次もあるかわからない!時間の許す限り存分に語り合ってくれ!」

 

それだけ言って再び引っ込んでしまった。

 

諸々顔を見合わせ控室に向かうと、ささやか―にしては大変な量かつ、大変な額のかかりそうな豪華絢爛がテーブルから落ちんばかりに並べられていた。

 

「これがウマ娘マネーか…」

 

ひとレースで億を稼ぐやつらは違う。いち社会人としてスタッフたちはそう思った。

プロ野球選手も、おそらく世界トップクラスのサッカー選手やバスケット選手も、稼ぐカネでいえば話にならないだろう。

 

せっかくだ。面々好きな食材にくらいつき、交流をはじめた。

イベントスタッフたちはずっと仕事でバタバタしていて気にする暇も無かったが、ここには時代を築いてきた伝説的なウマ娘たちが集っている。

 

観客席でしか見たことのないスターたちが、こうして目の前に居るわけだ。

この機会にと交流を試みる者、サインなどねだってみる者、写真を撮ってみる者など、ヒトの心を取り戻したスタッフたち。

 

ウマ娘はウマ娘で、過去を懐かしむ者は芝の上に居た頃の話を始めれば尽きない。あのレースは誰がどうしただの、斜行をしただのしないだの、ゲートの開くのが早かっただの遅かっただの、成長したからこそ吐く毒の多いこと多いこと。

 

本日の招待者が全員中央の出身ということもあり、内輪の話にも花が咲いた。

 

そうなればその頂点に君臨するはずの―、シンボリルドルフの姿が見えない。

最初こそ皆とグラスを交わし談義に花を咲かせていたが、2時間ほど経った頃ふと消えてしまった。

代わる代わるジュースを注ぎにくる者たちに笑顔を返しながら、エアグルーヴはそれが気にかかっていた。

 

いよいよお開きとなっても、シンボリルドルフは姿を現さなかった。

 

手伝いを申し出てくる招待選手たちを丁重にお送りし、スタッフに指示を出して、姿の見えぬ主を探す。

 

特別控室―、いない。

スタンド―、いない。

トイレ―、いない。

 

30分以上、さんざ探し回ってVIPエリアまで来ると、4つある扉のうちひとつが開いていた。重鎮用のVIPルームではあるが、先程まで司令室として使っていた部屋だ。

 

そっと扉から顔を覗かせると、グラウンド全体を見渡す窓を開け放ち、へりに腰掛けて空を眺めているシンボリルドルフが居た。

 

「会長、はしたないですよ」

 

部屋に入りキッパリ断ずるエアグルーヴの声に、シンボリルドルフの耳が反応した。

 

「ああ、君か」

 

シンボリルドルフの視線は未だに空を仰いでいる。

 

「こういう趣旨の催しは苦手でしたか?いつの間にか出ていかれていましたが」

 

隣に―、窓のヘリに乗るわけにはいかないので、シンボリルドルフの近くに腰を下ろす。背を壁に受け、ふうと疲労をつく。

 

それでもなおシンボリルドルフの眼は空から戻ってこない。

 

「―月が綺麗だ、今日は」

 

はあ―?!と、吐いた息を吸うよりまえに飛んできた爆弾にエアグルーヴは大層動揺した。目を剥き、思わずシンボリルドルフを見上げ、口をパクパクさせてしまう。

 

「な…っ!はぁ…?えぇっ…?!」

 

いきなり何を言い出すか。

動揺しながらエアグルーヴも空を見る。先のひと言を必死で整理しようとはした。

雲のひとつ無い星空。場内の明かりは全て落ちており、星の輝きが2割増に美しく見えた。

その光の海の中央に、大きな大きな三日月が浮いていた。

 

「ん―?」

 

エアグルーヴの慌てる様を感じて不思議に思ったのか、シンボリルドルフは空を仰いだまま思案する。

 

「…ああ、そのような意味で言ったわけではないよ。面白いことを考えるようになったな、エアグルーヴ」

 

「何を―、もう、驚かさないでください」

 

この話はこれで終わりだと言わんばかりにエアグルーヴは立ち上がった。

 

「あなたを探していたんです。もう全て終わりました。我々もここから出ていくときです」

 

「そうだな―」

 

シンボリルドルフの心は三日月に奪われたままだ。

 

「なあ、エアグルーヴ」

 

はあ―、

 

如何とも粘る彼女に辟易の念を込めて返事をする。あと10数分もしないうちに日付が変わってしまうのだ。明日になれば、また日常がエアグルーヴたちを忙殺する。

早いとこ帰路に着くに越したことはないのだ。

 

だのに目の前の上司―にあたるウマ娘は一向に動こうとしない。

 

「私は今、祭りから帰って寝る直前の子供のような気分なんだ」

 

エアグルーヴの反応を気にことなく、シンボリルドルフは話を拡げていく。

 

「本当は今すぐにでも目を閉じてしまう程、心地よい疲労感に包まれている。

―しかし、ここで瞳を閉ざしてしまえば、こんなにも楽しかった―、いや、こんなにも楽しい今日が終わってしまう。

次に目を開くときには、昨日のことなどまるで無かったかのように、いつものルーティンが待っている。私はそれが―、どうにも惜しくて仕方が無いんだ」

 

幼き日以来だ、と呟いた。

 

「こんな感傷に浸る間もないほどに、私達は働き詰めていたのだな」

 

「我々から走ることを取り去ってしまえば、ヒトと同じですから。彼らと同じ生活を送ることは至極自然です―。さあ会長、もう日付が変わりますよ」

 

眼下のグラウンドや遊歩道を照らしていた常夜灯すら、いつの間にか消えている。名残も惜しいがスタジアムから―、非日常から日常へ帰らなければならない。

 

窓を閉じ、カーテンを閉め―、あと数分で明日がやって来る。

 

ここ数時間、ずっとシンボリルドルフは楽しくて楽しくて、柔らかい微笑みを湛えていた。

 

す、と瞳を閉じ、数秒―、開かれた双眸はチカラを取り戻し。いつもの『シンボリルドルフ』が姿を現した。

 

「さあ、帰ろうか」

 

今日という想い出を抱きしめ、三日月に託す。あどけない顔をした『彼女』の顔がそこにあったような気がした。

 

真夜中、三日月に見たもうひとりの私。

 

それを認めたシンボリルドルフの瞼にはわずかに涙が光っていた。

 

これが、ミッドナイト・エピローグである。

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