今まさに東京競バ場で行われている青葉賞。それを関係者席から見つめる影がいくつかあった。
全員スーツ姿のうら若きウマ娘たちである。しかして、その風貌はどう見ても年不相応な、下手をすれば大の大人も引いてしまう程に厳かな雰囲気を醸し出していた。
「テイオーの秘蔵っ子だな。なんでも今日のために諸々捨ててきたらしいぞ、エアグルーヴ」
鼻に絆創膏を貼り付けて若干腕白そうな―、イカついスーツ姿のウマ娘。在りし日はクラシック3冠を成し遂げ、「強さ」とは何かを求め続けた。
「そうらしい。日本ダービーへの並々ならぬ覚悟を感じる。―会長はどう思われますか?」
しゃなりと括れた腰を惜しげもなく見せつけ、美の頂点ともいわんばかりのシルエット。ティアラの女帝といえば、誰もが彼女を思い浮かべるだろう。
「ここにきても会長はやめてくれ。まあ―そうだな、テイオーとの出会いがあの娘を変えたといっても過言ではない。今、テイオーの成してきたことの真価が試される時だな」
学生の頃の風貌は何処へやら。短くバッサリ落とした髪にべったりポマードを塗りたくりオールバック。額の三日月だけが残り周囲を威圧している。彼女を説明するのに、余計な文字や言葉は不要であり、彼女の立ち姿にのみ、その総てがあるのだ。
《日本ウマ娘競技者連合 U-NION》
全国の学園の生徒により、競技するウマ娘のために運営されていた組織だが、中央の学園のトップがトウカイテイオーに代わるにあたってその在り方を再検討。
同秋川やよい理事長をトップに据え、その実質的な運営を任されたのが
シンボリルドルフ
エアグルーヴ
ナリタブライアン
をはじめとした、主に秋川の息のかかった優秀なウマ娘やスタッフたちであった。
こうして競技の視察をするのも、彼女らの仕事である。
「ハナを獲ったな」
ゲートが開くのを見ていたエアグルーヴは、若干の驚きを孕んで呟いた。
「アイツは、入学テストのときは先行で走ってたって話だ。以降はメイクデビューやホープフルだって逃げを採っている。勝ちきれないレースも増えているらしいが、真意の程はわからん」
全て知っていたかのような視線でナリタブライアンはレースを見つめる。表情を見るに僅かながら不安が読み取れる。
「ああ、学園に行くたび、あの娘をよく可愛がっていたものな、ブライアン。《ナリブの姐さん》などと呼ばせて」
茶化すシンボリルドルフに、ナリタブライアンは抵抗の視線を向けた。
「その言い方はやめろ。いちいち鼻につく野郎共だ」
ここにいるのは全てウマ娘―、人間で言えば女性である。
そうしていると、後方の自動ドアが開く音がして、またひとり、バタバタと関係者席へやって来た。
「ごめん遅くなって!―もう始まったみたいだね」
彼の皇帝を思わすようなもふっとしたロングヘア。誰かと同じ額の三日月は相変わらず誇らしげに揺れている。
「遅いぞテイオー。会長もお待ちかねだ」
今のミカドグラファイトをカタチ造った張本人にして先代中央トレセン学園生徒会長、トウカイテイオーである。
「よく来たなテイオー。お前の秘蔵っ子が今走っているぞ」
シンボリルドルフはトウカイテイオーをひと目見るなり破顔し、迷うことなく特等席を明け渡した。
「へえ―、逃げてるなんて珍しいじゃん。ボク、そういう話は聞いてなかったかな」
多少の驚きは見せたものの、トウカイテイオーはさほど動じずにレースの展開を見守っている。
「まだ動くには時間がある。ソファにでも座ってニンジン食ってろ」
早々に飽きたナリタブライアンが後ろに下がっていった。
「どうなんだテイオー、その《短期大学》とやらは」
短期大学。
今年の春に学園を卒業したトウカイテイオーが、《あえて》身を置いた場所だ。
「新しいことばかりだよ。ボクの夢を叶える為には、学ばないといけないことばっかりさ」
両腕を広げて首を振る。おちゃらけた表現が、かの日の彼女を思い起こさせた。
「しかし、学園の大学部に入ればよかったのではないか?生徒会長だって、そのまま続けられただろう」
シンボリルドルフが訊ねる。
「んー、ボクの夢はね、ウマ娘と向き合うヒトを育てることだから。まずはヒトの世界に入って、ヒトと向き合うことにしたんだ」
そうか―とシンボリルドルフは満足げに頷き、それ以上追求してくることはなかった。
「それにしても」
エアグルーヴはレースから視線を逸らさない。何か彼女にとって引っかかるものがあるようだ。
「彼女の逃げ方は―、どこか危ういような、そんな気がしますね」
ああ、とシンボリルドルフも同調する。
「位置取りだけは逃げているが、脚の運び方や歩幅、そして身体のつくりやトモの張り方を見るに、彼女の適性はどう見たって先行だ。いったい何をどうすればこんなことになるのか―」
誰も考えやしないだろう。今の彼女―、ミカドグラファイトが、偽りの逃げを打っていることに。
しかしそれに―、僅かながら触れた者がいた。
「もしかしたらこいつは、日本ダービーでの走りを隠したいんじゃないか?」
ナリタブライアンの言葉に、全員がはっとした表情で顔を見合わす。
誰も何も言えないのを確認して、ナリタブライアンは続けた。
「ホープフルから今日まで沈黙してたのもそれならわかる。アイツは、当日まで、《逃げを打ち、案の定終盤垂れ、結局掲示板圏内のデッドラインあたりに収まる》という印象を《あえて》周りに与えているのかもしれんな」
偽りの逃げ。サイレンススズカなんかが聴いたら卒倒しそうな言葉だ。
―だがそれは、トウカイテイオーの腹には不思議とストンと、軽やかに落ちてきたのだ。
「ボク、なんとなくわかる気がするな」
そうか?と苦々しげなエアグルーヴが乗ってきた。今にも「ウマ娘たるもの、正々堂々ならずんば」などと講釈を垂れそうなツラをしている。
「要は、勝ちたいところで勝つための長あーーーーい作戦、ってことでしょ?
能ある鷹は爪を隠す。あの娘も、そうしてンじゃない?いつものように走ってて、自分のスタイルを貫いて勝てるってのは、カイチョーみたいなのの特権だからね。
そうでないボクらは、あの娘みたいに作戦を練るしか無いのさ」
そうか?とナリタブライアンは首を傾げた。
彼女らはわからない側である。
強さと、能力という圧倒的優位のもとに立ちレースに勝ち続けてきた彼女らにはわからない執念―怨念とも呼ぶべきそれが、トウカイテイオーにはわかるのだ。