トウカイテイオーは生徒会副カイチョー   作:橋本みちか

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夢見しは無垢の

《向正面急坂にさしかかりますが前半集団はおおむね順位に変動はありません!後方ナリタジョウエノキミが徐々に進出して10番手につけています!》

 

緩い下りを走りきった直後の急な上り。私は息を強く吐いてそれにさしかかった。

 

ここ東京競バ場の上り坂は2箇所。

 

今まさに駆け上がっている向正面と、4コーナー直後。

 

前者はポジション争いの最中であれば余計にスタミナを消費し、後者は最終直線での加速にあたり出鼻を挫かれることになる。

 

影響を少なくするには短い時間で駆け抜けるほかなく、それを叶えるには速度を求める以外ない。

 

そういう世界で相手を上回るには、速度以外のどの要素で勝負するか。言ってしまえばパワーで勝るのが最も簡単だそうだ。

 

ともかくとして最大の問題はスタミナである。ただでさえ中距離では最長クラスの2400メートル。それに上り坂とくれば、下手をすれば中山の2500よりも基準体力は高い―かも、しれない。

 

それに、私も含めて今ここを走っているのは本格化が始まり、ようやくそれが折り返しに来たかというところのウマ娘ばかり。終盤を警戒しスローモーな展開になるだろうと思っていたし、事実そうなった。

 

しかし私はそれまでのペースを下手に乱すことはせず、ただ淡々と坂を上がることに終始する。相対的に前に出てしまうが、スパート地点までのことを考えればメリットのほうが大きい。

 

《ミカドグラファイトが前に出ます!4番手から3番手ですが―、これは坂によるペース減退を無視した結果でしょうか、相対的に押し上げられたような、そんな感じであります!そしてヴィオラブライトも順位を2つほど上げています!ミカドグラファイトに付かず離れず厳しいマークを続けています!》

 

私の走り方にひとりだけ対応してる奴がいた。アイツだ。

さっき感じた殺気じみた圧はもう感じないけれど、その気配は近づきも遠ざかりもせず、常に私と一定の距離を保っている―気がする。

 

寄れば離れられ、寄られれば離れ、まるでつまらないダンスでも踊っているかのようだった。

 

私は拳を握り、その先の下りで勝負を賭けることにした。

 

《上りを終えますと続けざまに下りへ入ります!ラストスパートへ向けての弾みをつけたいところです!先頭シノダリフレインちょっと苦しそうだ、アインスレイブとシンセサイザノルンに呑まれるか!

やはり2400、逃げで勝ち切るには難しいか―!先頭集団が3コーナーに入っていきます!

そろそろ集団もざわめいて来る頃ですがああーーーっと!ミカドグラファイトです!ここでミカドグラファイト、残り少ないコーナーの下り坂を使い反動を得て一気に先頭に躍り出ました!》

 

残り900メートル残して先頭。3コーナー中盤から最終コーナーを、少しでもロスをしないように内ラチで回る。ちょっと早いが出来過ぎた流れだった。だがしかし東京2400の東京2400たる所以はここから。この先の約550メートルにもおよぶ上り坂が私の行く手を阻む。

 

同時に私の前にはもう何もない。あとはもう今日まで積み上げてきた敗けを、屈辱を、裏切りを、この最終直線で叩きつけてやればいいのだ。

 

いいのだった。

 

そう思った私の後ろから

 

ひゅおん、という音とともに赤いマントと紫色の勝負服が伸びていった。ほのかなスミレの香りをと一緒に、私は取り残された。

 

《やはりヴィオラブライト!先頭に躍り出たミカドグラファイトを鮮やかに交わしてその座を奪取しました!先頭ヴィオラブライトで最終コーナーへ入ります!その差1バ身…2バ身あるでしょうか!圧倒的な強さが際立ちます!

追うミカドグラファイトも速力が上がりますがどうでしょうか!後ろからはナリタジョウエノキミとエンターノットがしのぎを削っています!》

 

残り800。ラストスパート。ほんの僅か、その圧倒的な速度の差に心が折れそうになったが、私の持てる総てを懸けてアイツを追う。

目測3メートル。コンマ数秒。歴史の長い日本ダービーだ。この3メートルに泣かされたウマ娘は多いことだろう。

 

しかし、ことほかにおいて私はその中に入るつもりは無い。

 

私は今日ここに殉ずると決めたのだ。

 

《ナリタジョウエノキミもエンターノットもじわじわ来ている!2番手争いはミカドグラファイトを筆頭にそのふたりか!先頭ヴィオラブライトは3バ身前!やはり強い!これはもう決まったかヴィオラブライト!残り600を残して、スミレの蕾は今か今かと開花の時を待ちわびています!》

 

緩い上り坂。この先には更に急な坂が待っている。

 

そんなの知ったことか。

 

そんなことで折れていい私の夢じゃあないのだ。

 

自分から勝ち獲りたいモノも無い、無欲なままの、強いだけの奴に、敗けたかない。

そんな奴には、今日の為に死ねる覚悟を叩きつけてやりたい。

 

全身全霊で、チカラの限り、脚を回し腕を振る。

 

脚が悲鳴をあげる。これ以上は無理だと心の臓が叫ぶ。それを承知で、私は彼らを更なる地獄へと叩き落とす。

 

いつかのように視界が赤くなり始める。

 

ふくらはぎや太ももから、ぶちぶちぶちいっと筋肉の千切れるような音がする。かくん、と抜けそうなヒザにさらにチカラを込めて、芝を蹴る。

 

振り続けられた腕によって、遠心力の作用で血が掌に集中して赤黒くなってゆく。

 

体温がかああああっと上がり、血ではない色で肌がゆだったように赤くなり始める。

 

それでも私はやめない。止まらない。諦めない。何を失ってもいい、なにを捨ててもいい。アイツを抜くために、あらゆるモノを死の稜線へと追い詰めていく。

 

みんな何かしらの《ダイヤモンド》の輝きを握りしめて、ここに立っていて、今走っている。

その原石を、あなたたちはどうやって磨いてきたの?

 

燦然たる才能?

 

圧倒的なチカラ?

 

自由?

 

私は―、

 

私はそれを持ち合わせていなかった。

 

だけど、私は、それらしきを。

 

私は―、

 

《意地》で磨いてきたッッッ!!!

 

 

 

ウマ娘の体温はヒトよりも高くなりがちである。―そういう前提においても、高くなりすぎたミカドグラファイトの体温。

 

しかしそれは彼女の中にある僅かな才の欠片―、グラファイトの組成を転移させ、

 

ダイヤモンドへと昇華させた。

 

 

 

■□■□■

 

 

 

ばつん―っ

 

私の中で何かが凄まじい音とともに弾け、瞬間、身体の総ての異常がもとに戻った気がした。

 

痛くない。

重くない。

 

熱くない。

 

目が感じている速度感は全く変わらないのに、まるでレース前に戻ったかのような身体コンディション。

こんなに、こんなに身体は元気になったのに、あと600も無いのが悲しくなるくらいだ。

 

悲鳴を上げていた筋肉。

 

死線に喘いでいた心の臓。

 

チカラの抜けかけた脚。

 

それら総てが息を吹き返し、私に

 

《往け》

 

と言ってくれる。

 

応えずにはいられまい。

 

《―いや!いいや!ミカドグラファイトが伸びている!残り450少し残してミカドグラファイトが凄まじい伸びを見せています!

ヴィオラブライトとの差が縮まっていきます!これは捉えるか!ヴィオラブライトを射程に捉えてしまうのかァッ!》

 

400のハロンが、今までに感じたことのない速さで通り過ぎていく。眼前には急坂。このレースの歴史を語るうえでこの坂は語れないらしい。

 

そしてその意味が今ならよくわかる。

 

今この瞬間が、語り草になるだろうから。

 

上ろうが下ろうが関係ない。私の脚はまるで平地を突き進むように、何の疲労も感じることなく邁進する。

 

ふっ、ふっ、―という私の軽くも力強い息遣いのその前で、はあーっ、はあーっ、と強くも儚いそれが聴こえてくる。

 

なるほど。さしものヴィオラブライトもこの坂は苦しいのか。

 

それでもアイツは走っているし、後ろが来ないのはアイツがここに至っても速いという証左だろう。

 

しかしそれを見ても、今の私には勝てる気しかしなかった。

 

坂の頂上付近でギアを上げる。もっと速く。そう念じれば念じるだけ、私の身体は酸素を巡らせ、臨界を超える。

 

速く、強く。念じれば念じるほどに私は進化し、輝いていた。

 

《並ばない!並びすらしない!最後の急坂を越えてミカドグラファイトが半バ身のリード!200のハロンも切った!3番手争いはエンターノットに軍配か!ナリタジョウエノキミは伸びて来ない!》

 

楽しい。私は今、総てを思うままにしている。思ったままに動く身体。求めれば求めるだけ極まる速度。そしてそれに耐えうるだけのスタミナとフィジカル。

 

これが走るということか。

 

これが勝つということか!

 

これがウマ娘の夢か!!

 

全能感に包まれ、おそらく出てはいけない様々な成分を脳内に満たし、ゴールを駆け抜けたらしい私は、また

 

ばつん

 

という音を聴き、暗闇の、音もない無重力へ放り出された。

 

 

 

■□■□■

 

 

ヴィオラブライトは、最終コーナーでミカドグラファイトを抜き去ったその瞬間から自らの勝利を微塵も疑わなかった。

 

たしかにミカドグラファイトの動きはおかしかった。順位を下げ、先行としてコトの成り行きを見守る。今まで見たことのない走り方だった。

 

最初こそ動揺し、《自分に勝ちうるだけの作戦ないし走法》を掴んだかと思っていたが、やがてそれも《能力の優位》に掻き消えた。

しかしそれはマークを外すという意味ではない。妙に堂に入っている先行策。ヴィオラブライトは感じた。このレースのキーパーソンはミカドグラファイト。

 

彼女は必ず、何処かで《自らが首位に躍り出る》タイミングを掴む。

 

それをさらに外から抜いてやったのだ。

 

3バ身差。後ろからの息遣いや足音は遠い。東京競バ場屈指の急坂を前にして、ヴィオラブライトはいよいよ勝利を確信した。

 

だからこそ、今見えているものがヴィオラブライトには信じられなかった。

 

あり得ない、少なくともヴィオラブライトの体感したことのない速度と圧を以て、ミカドグラファイトが自らの横を涼しい顔で駆け抜けていく。

 

さしもの急坂に顎の上がりかけていたヴィオラブライトは僅かの間、完全に呆然とそれを見ていた。

 

見ていたが、コンマ秒でそれを立て直し、再び歯を食いしばってミカドグラファイトを―、つい30秒前に自らが《能力で劣る》と判断を下したモノを懸命に追う。

 

なぜなら自分は強者だから。

強者は勝利する義務があるから。

 

いちど見下したウマ娘には敗けたくないから。

 

それこそミカドグラファイトと同じように、総てをかなぐり捨てて速度とチカラを求めたが、ついにそれは届かなかった。

 

《んゴオオオオオオオオオオオルッッッ!!!1着は、1着はミカドグラファイトっっっっ!!!!半バ身差2着ヴィオラブライトは唖然呆然愕然!指のかかっていた勝利だけに、眼前の出来事が飲み込めていないか!!!

 

遅れてエンターノット、ナリタジョウエノキミがゴールしました!シンセサイザノルンは意地の5着掲示板を手にしました!…》

 

勝利したミカドグラファイトはゴールをくぐるなり全身を痙攣させて昏倒。すぐさま係員や救急らが駆けつけてブルーシートやら包帯やらを取り出していく。

 

レースの後は同じ出走者へのリスペクトや感謝を絶やさないヴィオラブライト。

今日このときばかりは、ミカドグラファイトが包帯という包帯に包まれ、担架によって夕陽の向こうへ運ばれていくのを、ただぼうっと見ていることしかできなかった。

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