日差しの温かさをめいっぱい享受できるようになった3月も中ごろ。グラウンドに大ケヤキの代わりとして植えられた桜も花開き、遠くから見ると桃色の綿のような様相をしている。小鳥たちは歌を歌い、春の訪れを祝っていた。
卒業式を前日に控えた学園は、最後の行事として生徒会引継式を挙行。2400の生徒たちがぎゅうぎゅうに講堂に詰められている。
生徒会長―今となっては「元」であるが、シンボリルドルフより、新しい面々が紹介されて、上から下への引継ぎはなされることになっていた。
皇帝が登壇し演台に立つと、生徒全員のカオがその一挙手一投足に注目する。その任を解かれて多少柔らかみが出てきたとはいえ、やはりシンボリルドルフはシンボリルドルフのようだ。
「―シンボリルドルフだ。私は明日の卒業式を以てこの学園を去る。それに伴う欠員を補充し、新生徒会役員を組閣することとした。正式な任期は既に開始されているが、私たちが居なくなった後、よりその力は発揮されるだろう。」
この演説を聞くのも今日と明日で終わりだと思うとさすがに少し寂しくなる。一般生徒2400が、演説するシンボリルドルフに釘付けである。シンボリルドルフとしては特に気合を入れようとか、そういう意識をしているでもないのに、みな一様に彼女から視線を逸らすことができない。これほどまでにカリスマを持ったウマ娘が過去いただろうか。それほどまでに、目の前におわす皇帝は偉大なのだ。
「まずは私に代わる新生徒会会長。これは前副会長のエアグルーヴに勤めてもらう。」
それを合図に、エアグルーヴがステージ袖から姿を現した。妥当といえば妥当な人事だ。皇帝から女帝へ、その理想は受け継がれるのだから。シンボリルドルフに譲られ、演台を前にするエアグルーヴ。
「エアグルーヴだ。前会長の理想を引き継ぎ、任期中は粉骨砕身の想いで君たちの役に立ちたいと思っている。―しかしながら、厳しくすべきところは厳しくするつもりだ。よろしく頼む。」
頭を下げると同時に、わっと拍手が起こった。これで一安心だな―、と皇帝ともども胸をなでおろす。
下がるエアグルーヴと入れ替わりに、再びシンボリルドルフが演台に立った。
「副会長のナリタブライアン、寮長のフジキセキとヒシアマゾンは今季も続投だ。」
厳密にいえば寮長は生徒会役員に入るのか微妙なところではあるが、シンボリルドルフの息がかかっている時点で考えることは無駄かもしれない。呼ばれた3名は同時にステージに現れ、一礼して去っていった。
それを演題から見送るシンボリルドルフ。次はいよいよテイオーがステージに現れる番だ。なぜか挨拶の原稿まで用意させられている。先ほどのナリタブアイアンやフジキセキたちにも所信表明くらいさせてもよかったのにもかかわらず、だ。
「さて―。」
皇帝の雰囲気が変わる。瞳の力は強くなり、周りにかける圧が物理的に発生したような錯覚を見てしまう。テイオーもその気にアテられて身体が固くなってしまった。
「以上の動きで、もう一人の副会長が欠員になっているわけだが、新しくそのポジションにあたってくれる娘を紹介しよう。私なりに彼女に可能性を感じてのことだ。どうか私を信じてほしい。」
口調こそ崩れていないが、そこに纏わせる見えないナニカは、それに重みをもたせるには充分だった。
横目でテイオーの方を見て促す。自分を目指し、自分を慕い、そして偶然ながら自分と同じステージにまで上がってきた後輩―、もはやふたりの関係をそれと呼ぶだけにはあまりにも足りない。それを見つめる茶色い瞳はどこまでも優しく柔らかく温かく慈悲深く、惜しみない情を眼差しに載せて送っていた。
それを受けて幾分が和らいだのか、テイオーは深呼吸。《演説とは読むことではなく話すこと》をモットーに、要点だけしか書かれていない原稿を今一度握りしめ、上手から一歩を踏み出した。
―瞬間、眼前に整列しているウマ娘たち一人ひとりの顔が見える。嫌によく見える。ざわざわとしたノイズ、どよめきも、ウマの耳は拾っている。しかしそれはもはやどうでもいいことだった。
一歩一歩、憧れ、慕い、目指してやまなかった皇帝の元へ近づいてゆく。ついにその眼前にまで届き、テイオーは左向け左で生徒へ向き直った。何度夢見たことか。何度諦めかけたことか。何度枕を濡らしたことか。それを経て遂にこうして、公の場で皇帝に並び立つことを許されたのだ。まさに今、喜びの絶頂。今この瞬間までの総てが報われた瞬間であった。
「トウカイテイオーだ。彼女はまだ中等部だが、幾多の怪我や挫折を経験してなお折れることなく、有マ記念を制した。今は復帰に向けてのトレーニングの傍ら、生徒会の雑用や、チームのトレーナーと一緒に指導やアドバイスもこなしている。格式として最も高い有マ記念を制した実績と、ウマ娘、トレーナー、そして、これまでの経験から生徒会と様々な視点から物事を見ることができる事実。私は彼女にこれ以上ない可能性を感じたんだ。それに、これは私が感じたことだが、私がこの生徒会や学園の実情を把握するのにはかなり時間がかかった。そこからやるべきことを探し、行動に移すにはあまりにも時間が足らず、放り出しになっている問題も多い。これを解決するには、早期のうちに生徒会に慣れてもらい、《すべて理解したうえで動ける》時間を一日でも長くとる必要があると感じ、今回彼女を副会長に推したのはそういった狙いもあるからだ。」
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トウカイテイオーを推すために此処まで喋るか。ステージの袖でエアグルーヴは歯噛みしていた。自分は生徒会長。彼の皇帝シンボリルドルフよりその椅子を直接譲られしものだ。だのにだ。敬愛し憧れてやまなかった皇帝はどうやら帝王にご執心。エアグルーヴの着任報告などそこそこに、こうやって帝王への想いを語っていらっしゃる。
どれだけ抑え込もうとしても嫉妬の感情は黒く湧き上がってくる。私はずっと貴女のモトで付き従っていたのに。貴女の右腕にならんといかなる努力も惜しまなかったというのに。貴女の後ろに控えることは、このうえない幸福であったのに。
なにゆえ貴女は、私ではなく、その後ろの帝王を見るのですか。なぜ貴女はその慈悲深く愛に溢れた想いは、私ではなくテイオーに注がれるのですか。
きっと貴女は私ではなく、テイオーが作る未来を見ている。
ならば、ならば私は、私は貴女の一体何だったのですか。
ぎりっと歯を食いしばり拳を握る。それを見ていたナリタブライアンはするすると彼女の隣に寄って喋りだした。
「そういうところだと思うぞ。お前はあくまでシンボリルドルフという存在に惹かれ、付き従い、その右腕となるところにお前自身の居場所を定義していたんだ。だがアイツは違う。アイツは本当に皇帝に憧れ、皇帝を慕い、皇帝を《目指して》いる。よしんばそれを超えるなどとも思っているだろう。どこまで行っても右腕止まりのお前と、自分そのものになり替わろうとしているトウカイテイオー。目をかけるのはどちらかなんて、明らかだ。そうだろ?」
ま、元気出せよ―と肩に触れようとした手が、勢いよく払われた。
「そ―、そんなことはわかっているッッ!!」
顔を真っ赤に染めたエアグルーヴは、つかつかとものすごい速さで講堂を出ていってしまった。残されたナリタブライアンは、虚空へ溜息をつく。
「―悪い奴じゃないんだけどな…。ま、アイツにもトップだっていう自覚は持ってもらわねば困るな。」
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「―私からは以上だ。続いて新しく副会長となるトウカイテイオーから、その所信を表明してもらおうと思う。」
譲られた演台。テイオーはシンボリルドルフに一礼し、その演台に立った。右から左へゆっくり顔を動かしてみる。距離はそれなりにあるはずなのに、不思議とみんなの顔がよく見える。中列後ろほどでメジロマックイーンが不安そうな顔をしてこちらを窺っているのも見えた。
ぶるるるるっ。
思わず身震い。しかしこれは恐れや緊張からくるものではない。後ろで憧れていた存在が自分を見ている自分に期待してくれている。これからその憧れに今一度手を伸ばすのだ。トウカイテイオーの、新しい学園生活のスタートが、ここから始まる。
すっ、と息を吸い込む音がマイクに入り、暗に演説の始まりを告げた。
「ボクはテイオー。トウカイテイオー。」
いつもの自己紹介から始まる演説は、メジロマックイーンが感涙する程に素晴らしいものだったという。