「長年本当に世話になった。―それでは、あとのことは頼む。」
あの演説の翌日。卒業式を終えたシンボリルドルフはスーツに身を包んでいる。その襟元にはURAのバッジが輝いていた。
「あ゛ぁ゛――――ん゛!!!カイチョー!!!カイチョーがいないとボク寂しいよお゛ぉーーー!!」
その腕に縋り付き泣きわめくテイオー。心の準備はできていたとはいえ、やはり今際の時になるとどうしても感情が抑えきれなかったらしい。シンボリルドルフの高そうなスーツの右袖は、テイオーの涙やら鼻水やらよだれやらでびったびたになってしまっている。
「バカが!いつまでそうして会長のお手を煩わすつもりだ!お前も副会長なら地に脚つけてしゃんとしてろ!」
それを引きはがそうとエアグルーヴが躍起になってテイオーに掴みかかる。しかしながらパワーではテイオーが上回っているためそれは叶わない。テイオーが入ってきてからこういう件(くだり)が増えてきた。ナリタブライアンはそれを遠めに眺めながら、狂言回しの立場も変わったものだと、空に息を吐いた。
「今の女帝サマには、前に歩くための杖が必要だからな。」
ナリタブライアンの言葉は、雲にまぎれて消えていった。
「落ち着けテイオー。私はこれからURAに就職するんだ。私は私の思い描いた理想の為に今後も動く。当然、お前たちと関わり合いになる日もくるはずだ。そのときにまた、存分に語り合おうじゃないか。」
そんなんじゃ楽しい話なんてできないよォ~!―とテイオーは鼻をずびずび鳴らしながら駄々を捏ねている。結構な様相であったが、それを見つめる皇帝の眼差しもまた優しかった。
あちらこちらでウマ娘同士、そしてトレーナーとの最後の時間を過ごすモノたちの姿が見受けられる。ちゃんと「卒業」というカタチで学園を去れるウマ娘は決して多くはない。地方では負けなし、エリート候補として鳴り物入りで中央のこの学園へ入ったはいいものの、レベルの違うトレーニングについて来れなかったり、抜きんでた才能を持つ同期のウマ娘に完膚なきまでに叩きのめされ心が折れたモノもいるはずだ。そういった面々が「引退」していく中、クラシックを戦い、シニアを戦い、きちんと満期までその在籍期間を終えられるということがどれほど幸運なことか。
卒業後も、プロリーグに進み、どこかのトレーナーたちとチームを組んでレースに参加し続けるウマ娘もいる。普通に就職して、普通に結婚して、普通に人生を謳歌するウマ娘だっている。いずれにしても、この学園で過ごした最大6年間の経験は、今後の人生の指標となるべきものを彼女らに授けてくれているはずだ。
風に攫われる桜の花弁を惜しみつつも、残された花や幹を維持せねばならない。エアグルーヴもテイオーも同じく、在校生とこの学園を、よりよいものにせねばと気を引き締める一日にもなった。
「カイチョーはもう走らないの?カイチョーの脚なら、プロのドリームリーグでも充分戦えるはずでしょ?」
ようやくシンボリルドルフから離れたテイオーは、鼻をすすりつつ、彼女に今後のことを聞いてみることにした。困ったような顔をしてシンボリルドルフは首を振る。
「いや、私はドリームリーグには進まない。チームからのスカウトは山ほどあったのだが、私も高等部の2年次からはほとんど走らずにこちらに専念してきたからな。あの頃の走りを期待されたとしても、今さらのことだ。―それに、私のトレーナーは、あの人しか有り得ないからな。あの人以上の指導は、きっとどこに行っても受けられない。」
「ええ゛―、勿体ないのニィ…。」
悔しがるテイオーの頭に手を置く皇帝。確かにレースに関する未練が全くないといえば嘘だ。自分がどこまで戦えるのか、この脚で、この眼で確かめたみたいという想いも、ウマ娘としての本能を抜いても充分にある。―だが、彼女はそれ以上に成すべきことを採ったまでの話だった。
「お前と一緒だよ、私は。皆が燦然と輝くレースを裏で支えて、彼女らが更に輝けるように骨を砕き、それを見届けるのが楽しくなってしまったんだよ。」
「そっか。じゃあ仕方ないネ。もちろん、どんな道を進んだってカイチョーはいつまでもボクにとっては目標だし、尊敬してるし、大好きだよ。」
す、と一歩下がり、皇帝に右手を差し出す。
「ああ、ありがとう。お前も―、いや、私はいつまでもお前を待っているからな。」
固い握手が交わされる。目指すものと目指されるもの。互いが互いを認め合い、ただ手を握り合うだけの行為に、様々な意図、想い、情を載せて。
「あ、いたいた、ルドルフぅ!
その皇帝を呼ぶ声。マルゼンスキーだった。
「トレーナー君が呼んでいたわよ!なんでも緊急の話だって。」
シンボリルドルフはすこし目を丸くする。
「トレーナー君が?―わかった、すぐに向かうとしよう。」
それじゃ、またいつか。と別れもあわただしく、皇帝とスーパーカーの異名を持つ学園でももっとも偉大な部類に入るふたりは、共に連れ立って行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
式が終わり少し経った後、テイオーは生徒会室の扉を開いた。すでに面々はそろっていて、なぜか重苦しい沈黙が流れていた。
「―おぉう…。」
さすがに気後れしてしまうテイオー。
そこにシンボリルドルフが居ない以外はいつも通りの生徒会室だった。―言い換えれば、各々がそれまでの椅子に着いている為、一番奥―、会長の椅子のみ空いていて、テイオーの座る副会長の椅子には、エアグルーヴがいた。
「ねえ、そこボクの席なんだけど。」
当然の疑問である。
「ああ、わかっている―。すまない。」
す、と立ち上がるエアグルーヴ。当然テイオーはその椅子に座るが、エアグルーヴ本人は保ち無沙汰にふらふらしている。
「なにしてんのさエアグルーヴ。早く座りなよ。」
あ、ああ・・・―とあいまいな返事だけ返すエアグルーヴ。相変わらずふらふらして席に着こうとしない。ははーん、とテイオーはその謎の行動にアタリを付けた。
「もしかしてぇ、カイチョーの椅子が恐れ多くて座れないとか言わないよね?
エアグルーヴを煽ったのだ。当然、その鋭い瞳に睨まれ、あることないこと罵られるものと思っていたが、その反応はテイオーの想像よりかなり違うものだった。
「ああ…。実はな、柄にもなくこの椅子に座ることに気後れしてしまってな…。私に本当に生徒会長という大役が務まるのかどうか、不安なんだ。前の会長が偉大であっただけに、余計な。」
それを冷やかすつもりだったテイオーだが、あまりにエアグルーヴがしおらしくそれを認めたので、「ふうン…。」と、椅子に座りなおす他なかった。
「じゃあボクがその椅子に座るけど、いいよね?」
エアグルーヴの視線がきっと鋭くなる。が、その力は殆ど込められていなかった。
「バカめ。お前にその椅子に座る重みがわかるものか―。」
苦笑気味にその椅子を見つめる。主はもう居ない―正確には新しい主が踏ん切りがついていないだけだが。
「―アホかお前達。居なくなったヒトの話してもどうにもならなんだろう。今いるモノの中で何ができるか考えるのがお前の仕事なんじゃないのか、生徒会長。」
ナリタブライアンが彼女を諭す。ついこの間までテイオーとふざけてはエアグルーヴにキレられていたとは思えない。立派にその杖の役を果たさんとしている。
「―、お前には助けられてばかりだな、ブライアン。」
はン、と鼻で嗤うナリタブライアンに礼を言うと、深呼吸してその椅子―、生徒会長の席についた。
「―よし。会長が卒業された今日、ここが本当に新生徒会の始動だ。再度予定を整理して、誰が適任かを洗いなおす必要があるな。今日はそこから進めていこう。」
シンボリルドルフという大きな大きな柱を失った学園と生徒会だったが、その心までは失っていなかった。新たな生徒会が誕生し、学園の世代は入れ替わる。変革のときは、意外と近いのかもしれない。
早くこの椅子の座り心地に慣れればいいなと、そう思うテイオーであった。