水族館内に設けられた休憩所にて。
六夜と文理は粗方、見て回った後、周囲に複数の水槽に囲まれたこの休憩所の一角にあるベンチに腰を降ろし、先程販売機で買った缶ジュースを飲んでいた。
「……粗方回ったが、違和感を覚えるような場所は見当たらなかったな」
——何処も至って普通に見えた。トイレの鏡も見たが……ボイドの類は映らなかったしな。
「まだ、他にも見ていない所、ある?」
缶ジュースを口に付けた六夜がそんな意見を出した。確かに水族館内は見て回ったが、まだ行って居ない場所はあっただろうか?
「……水槽の類は見て回ったから、残るは……ん?イルカショー?」
水族館の屋外プールにてイルカショーが開催されるエリアがある様だ。行っていない場所と言えば後はその場所だけとなっている。
「時間的にやっていないとは思うが、一応行ってみるか」
「ん」
既に平日の夕方頃。イルカショーと言うのは午前や午後3時頃までが一般的と言える。別にイルカショーを見に来た訳では無いのだが。
「張り紙がある。イルカショーは無期限中止……?」
「ビンゴかもな」
イルカショーが行われる屋外ステージ近く、観客入場口近くに貼られた案内貼り紙を見る。其処には諸事情でイルカショーの予定は無いと言うお知らせが書かれていた。
見た限り観客席は封鎖されてはいないようである。まぁ、ショーも何も行われない場所に態々、来る客も居ないだろう。
「……行ってみるぞ」
「うん」
観客席は扇型の構造であり、後方は高い位置にある一般的な構造であり前方に水が張られているのが見える。見渡しが良く後ろからでも良く見える。
「ねぇ、文理」
「ああ……あの
水槽の水は演出を除けば大凡は青白く見えるが、観客席から見える大型のプールに張られた水は紫色に見える。使う予定が無いのに水が張られていると言う事自体にも違和感がある。
「……確証は持てない。慎重に近付いて」
「ん」
その時、六夜は文理に絡める腕に引きついて更に指同士を絡める。万が一の時に備えていつでも変身出来るようにしたのだろう。その意思を汲み取り文理はその状態で観客席最前列の落下防止用の柵から顔を出して水面を見る。
「……わぁお、違和感の正体ってコレかよ」
紫色の水面。近くで見ると益々、違和感を感じる。プール自体、其処まで深そうには見えない。精々、3、4m程の深さだと思われる。
その水面は紫色や藍色を混ぜたような模様となっている。底は見える程度の透明度だが、自然にこうなっているとは考え難い。
「行方不明の職員ってのは此処で『鏡面世界』に落ちたのかも知れんな」
——ショーの最中だったら余計、大事になっている。となれば清掃中とかの時に足を滑らせたかって話かもな。
「……多分、入り口は此処で間違っていないと思う」
六夜も此処が『鏡面世界』の入口であろうと見当を付けた。職員が行方不明……との情報だった為に関係者以外立ち入り禁止の場所じゃなくて何よりと言えた。
「……そろそろ閉館時間だ。入口も発見したし、撤収しよう」
「ん」
あくまで今回の任務は『鏡面世界』の入口を見つける事だ。目的は達成された以上、長居する理由は無い。早々に観客席から離脱するのだった。
『成程、イルカショー等の会場の水面、か。何らかの形で引き摺り込まれたか或いは脚を滑らせたか……あり得る状況だね』
水族館を後にして送迎車に乗り込み、空間投影ウィンドウを介して長官に報告する。
「水面が入口となり得るのか?」
『うん、あり得るよ。現にイングランドの方で池の水面が鏡面世界の入口だったケースがあったんだ。
あ、それから鏡面世界とこの世界を繋ぐ入口の事を以後、『ゲート』と呼称する事になった』
「分かった。で、いつ突入すれば良い?」
『せっかちだねぇ。此方でも準備を進めている……。言っただろう?此方も万全なサポートを持って調査に臨む、と。
鏡面世界に乗り込むのは君達だけど、だからと言って我々が高みの見物と言う訳にはいかないしね』
「……其方の準備が完了するまで待て、と言う訳か?」
『そうだね。久しぶりの調査再開だから、ちょっと色々手間取っていてね……。指示をするまで六夜ちゃん達とイチャイチャしてくれたまえ』
「……はは、意地でも其方に話を寄せたいんだな」
『勿論‼︎ やっぱり、若い子達が恋愛絡みでアタフタしている光景をニヤつきながら眺めるのは良いものだよ‼︎』
「長官殿、いつの日か刺されかねないっすね」
——良い趣味しているよなぁ。
報告を終えて自身の住居の近くで降ろして貰い帰路に着く。時刻は既に午後7時頃……予想が正しければ、杏が自分のアパートに上がり込んでいる筈だ。
「何故だろうか、猛烈に嫌な悪寒がする……」
時々、帰宅が遅くなるって言うケースは杏も理解している。その場合は何処かの不良と殴り合いの喧嘩をしていると勝手に自己完結してくれるので誤魔化すのは簡単。
なのだが今回に限って……嫌な予感がすると、直感が告げていた。心当たりは無い……ただ、直感がそう告げている。
「杏が凄く怒っているのかも知れない……何かしたっけな……」
——杏って六夜の事を面白く思っていないってのは知っているけどな……今日は学校では特に無かった、筈。
しかしながら、玄関の前で立ち往生する訳には行かないので意を決して鍵を開けた。
「ん……?」
玄関には靴が2足。片方は見覚えのある靴でもう片方は身に覚えが無い靴があった。
——え? どう言う事?
恐る恐ると言った体で玄関から廊下を歩きリビングの扉を開ける。その先には——。
「「…………」」
——うわぁ、何この状況……‼︎
リビングのテーブルを挟んで2人の少女が腰を下ろして座っている。ただ、その空気は果てしなく重々しく長居したくない雰囲気に包まれている。
片方は、何時も通り人の家に上がり込んでいた杏であり顳顬に青筋が浮かんでいるように見える。もう片方は小柄な体格に水色の髪にホワイトブリムに黒と白のエプロンドレス……俗に言うメイドさんスタイルの杏と雰囲気が似ている少女であった。
「……文理、帰って来たのね……‼︎ コレ、どう言う事?」
底冷えするかの様な声音。目つきが鋭く真面目に怖い……と言うか少し前もこんな状況に陥った事があった気がする。
「そんなの俺が聞きてぇよ⁉︎」
——と言うかよくよく見れば、彼女……初めてオトゥールに行った時に六夜と話していたな……。
一先ず、文理も状況を把握したい為に事情説明を彼女にして貰う事にした。
「私は倭文 ターリア。名前の通り混血よ。食生活が乱れまくっているってアンタの両親に頼まれ、家事代行として来たわ」
——そんなの絶対有り得ねぇ‼︎ 両親が不在かつ放任主義を理由にカバーストーリーのネタにされてる‼︎
文理からすれば無茶苦茶な理由だった。六夜も勝手に文理の両親を騙って超法規的公欠を取り付けた事もあったし、両親不在と言う状況をオトゥールに利用されている状況に心の中で悲鳴をあげた。
「文理の両親が、ねぇ……‼︎ 私が居るのに態々、知らない人を斡旋する必要があるのかしら、ねぇ?」
——メッチャ怖いッ‼︎ 最近、杏の機嫌がスカイダイビング並みの急降下だよ‼︎
「そもそも何故、メイド服なのかしら?」
「可笑しい所は何処にも無いでしょ?」
——いや、普通に可笑しいって。メイドさんってのは普通、豪邸とかそう言う所に居るだろ⁉︎ こんな庶民的アパートにメイドは居ないだろ⁉︎
「文理も本当に何も知らない訳……?」
「無い無い‼︎ 俺だって初耳だって‼︎」
——完全にオトゥール絡みだろうけど、杏に言う訳には行かないよな。此処は白を切る‼︎
「……彼が知らないのも当然よ。唐突に決まったようなモノだし」
「そう言う貴方は見ず知らずの、しかも男の所に行く事に抵抗は無かったの⁉︎」
「先方には大きな恩があるし、性格云々も事前に聞いていたわ。『早々に手が出ないヘタレ』だってね」
「…………」
そう言われて反論も否定も出来ない。杏からも言われた事だからだ。
——つーか、どう考えても彼女がウチの両親と面識があるとは思えないんだがなぁ。恐らく両親の所が長官殿かオトゥールに置き換えてみると、俺目線だと話の筋は通ってくる。
「文理は勝手に決まって文句は無いの?」
ジト目の視線が突き刺さって来た。
「……1回、親父とかに電話で問い質してみる。流石に物申したいからな」