『……その人、
午後の授業はその言葉が痼りとなって響いていた為に陸に頭に入って来ず其の儘、放課後になってしまった。
——まさか、な。俺を見ていた……なんて言い出したら自意識過剰だろと笑われるな。あの場には俺以外にも多数、野郎が居た。その内の誰かの可能性も捨て切れない。
窓ガラスから見えるのは放課後、部活動に励む学生達。心無しか何時にも増して動きのキレが良い気がする。恐らく『美少女転校生がこの俺を見ている‼︎』と言う事でアピールのつもりなのかも知れない。顧問教師からしたらやる気があるのは結構だが中身は雑念塗れで困ったモノだと考えるだろう。
「……伝聞、だよな」
曖昧な理由。それは伝聞であると言う事、本人がどう考えているのか自体が分からないと言う事。伝聞と言うのはいい加減なモノであり、途中で曲解や勘違い、尾鰭が加わって全く違う形に変化する事も多々ある。伝言が本人に伝わる頃には間違った状態で伝わる……と言う事も大いに起こり得る。
——かと言って直接、本人に聞くのもなぁ。何と言うか、見っともない気がする……。
かと言って本人に『俺の事好きなのか?』と聞く勇気は無い。寧ろ蛮勇。何処の罰ゲームだと言いたくなる。
——人の噂も七十五日とか言うし、放って置くのが吉だろう。寧ろ、本人がその人物に直接、向かうだろ。
自身に纏わる噂話。恐らくデマとして立ち消えるだろうとして放置する事に決めた。此方がリアクションを取らずに無視すればその内、消える。お互い知己の間柄でも何でも無い。
「さてと、帰るとするか」
文理は何かしらの部活に参加して居る訳ではない。敢えて言うなら帰宅部だ。幼馴染の杏の影響かそれなりの心得はあるが、やはり剣道部と言う格式ばった所には向いて居ないと言う自覚がある為、参加はしなかった。
「……と、その前にトイレと」
帰る前にトイレへと向かう。グラウンドの方では相変わらずの声が遠くに聞こえて来て自分が取り残されている錯覚に陥る。縁起でもない事を考えながら用を済ませて手を洗う。その時、不意に視界にある物が映った。顔を上げた先に見える鏡。其処には本来映る筈の無いモノが移り込んで居た。それは——。
「ッ‼︎⁉︎」
思わず身構えて振り向く。其処には何も無かった。色も見慣れた配色の世界の光景。
——な、何だ。今の光景は……?
「……疲れているのか? 知らない間に疲労とか溜まって居たのか?」
——朝っぱらからでも酷い顔だった気がする。寝不足かな?
そうしてもう一度、鏡を見た時……全く違うモノが映っていた。赤い渦のような頭、窩の様な穴がある。そんな奇怪な異形の存在が鏡に移っていた。
「なっ⁉︎」
その異変に気付いた直後、鏡に映っていた異形の腕が飛び出して来て文理の首元を掴む。
——コイ、ッ‼︎ 予想以上に力がッ‼︎ マズ、引き摺り込まれる‼︎
喉を握り潰さんと言う勢いで掴まれ酸欠になり掛ける。そして抗いは無意味だと言わんばかりに引き寄せられ鏡に頭から打つかる……事なく鏡の中に引き摺り込まれた。
「……ッ‼︎」
鏡の中の世界。そんな光景は考えもしない夢物語だと思っていた。だが、もう日常は既に消えてしまった気がする。都市伝説? 高々妄想の産物?いや、確かに昨日まではそうだったかも知れない。
——ッ‼︎
鏡に映った赤い渦の正体は薔薇の頭。腕の正体は茨。一言で言えば薔薇が茎を胴体にし人型を象った異形だった。
「こんの……放しやがれ、や、馬鹿野郎がッ‼︎」
多数の茎が集まって出来た胴体に蹴りを叩き込んで引き剥がす。その衝撃で首元を掴んで居た腕の力が弱まり、地面に落下し転がりながら離れる。
——ゲホ……全く、何なんだよ‼︎ 今は逃げるが先か。
異形の存在に勝ち目があるか?と言われて即断は出来ない。そも、何が起こっているのか全く分からない為に文理は逃げる事を選択したのであった。