柔らかな月明かりと冷たい風が髪を撫でた。
布団に横たわる彼の枕元に座り手を取りゆっくりと呼び掛ける。
「起きていますか、マスター?」
呼び掛けが聞こえたのか閉じられた瞳がゆっくりと開き、しばらくした後その瞳に私が映される。
「あぁ······起きてるよ」
小さくしわがれた声を発した彼は、私の手を優しく握り困った様に微笑んだ。
「今日も眠れないのかい?」
その言葉に小さく頷いた。
彼はそれに苦笑を浮かべながら、握っていた手を離し私の頭を撫で始めた。
「少しだけお話しでもしようか」
「······はい」
「あれはそう────」
そうして彼は、懐かしくてとても大切な思い出を話し始めた。
私を起動するときに、初めての挨拶はどうするか迷って何日も過ぎてしまったこと。
起動した後感極まって泣いてしまって挨拶どころではなくなってしまったこと。
実況動画の撮影をしようとして、録画がされておらず結局ボツになった動画のこと。
初めての海や遊園地、山登りや水族館、二人での料理などなど······どれもこれも、とても···とっても大切な私と彼の記憶。失敗談が多いのも彼らしい。
普段あまり外に出ないと言う彼の言葉を信じられないくらいフットワークは軽く、何事も経験だ。と言って私を色んな所へ連れ回してくれた。外出した次の日は筋肉痛で動けなくなるのもお約束でしたが。
そんな彼も皺が増えこうして布団に寝たきりだ。時間は過ぎるのに、過ごした時間は戻ってこない。彼は老化し動けなくなって行くのに私は修理したり取り換えればすむ。同じ時を進んでいるのに同じ時を歩めない。それが堪らなく悲しい。
「悲しい顔をしないで、ゆかりさん」
頭を撫でていたしわくちゃの手が私の頬に添えられている事に気付いた。そうして彼の困った顔をしているのが目に入りハッとする。
また心配させてしまった。
「いつまでも悲しい顔をしてるならパイを投げつけるぞー」
「それは止めてください」
「あの時みたいにね」
「もう、とても恥ずかしかったんですからね、あれは」
昔の記憶。今みたいに悲しんでいた時に突然パイを投げつけられた事があった。彼に呼ばれ部屋に入ろうとした時にパイを投げつけられ、パイ投げしようぜ!とイイ顔で言われ二人で投げまくった。そしてそれが動画に撮られており彼に抗議しに行ったのも覚えてる。何故かその動画が好評だったのが余計に恥ずかしかった。
でも気分が晴れたのは確かだった。後片付けがとても大変だったけど。
「僕は幸せ者だよ」
穏やかにそう言い優しく微笑む彼はどこか眠たげだ。
「僕等は確かに二人で歩んで来た」
「ッ!」
「長いようで短かったけどゆかりさんといれて幸せだったよ。ゆかりさんもそうだったらいいな」
「わた···しも···です······」
「よかった。···少し疲れちゃったな、僕は眠るとするよ」
「···はい。ゆかりさんに後は任せて安心してお休み下さい」
「ありがとう、ゆかりさん。······おやすみ」
「おやすみなさいマスター。よき夢をごゆっくり···」
私の頬を触れていた手が布団の中へ戻り彼がゆっくりと目を閉じる。その顔は満足したように、安心したように。
彼の小さく聞こえた鼓動が聞こえなくなる。しばらくして彼が旅に出たのだと理解した。
「あぁ···ます···たぁ······あぁうぁ、ああああぁ······」
どうして涙というものが出ないのにこんなにも悲しいのだろう······
ゆかりさんと一緒にゲームをしたい人生だった
所々おかしな点はあるかもしれないけど許して