ウマ娘百合の間に割り込みダービー   作:百合に交わる男殺しの剣

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《DNA定期健診》

 エアグルーヴ氏にお説教で絞られ、東条氏にトレーニングで絞られ、ボロ雑巾のようになった翌日のお昼、私はトレセン学園の片隅にある旧理科室を訪れていた。バリバリの現役アスリートである競争ウマ娘以外に、サポート科の生徒も在籍しているトレセン学園では、小規模ながら部活動も行われていた。この旧理科室も生物部なる部が拠点としている教室であるが、生物部という名義を盾に、とあるウマ娘によってなかば私物化されているのが実態であった。

 

「タキオンさーん」と、ドアをノックした私は、返事を待たずに入っていった。「生きてますかー? お昼、買ってきましたよー」

 

 アグネスタキン。

 レースレコードにコンマ二秒まで迫る激走でホープフルステークスを制し、ジュニア王者に輝いた、四戦四勝無敗のウマ娘である。

 などと書けば、随分と大層な肩書きになるが、本人曰く、「ただのヒマ娘だよ」である。実際、ホープフルステークスに勝利してから、思い出したかのようにふらっとレースをするばかりで、ほとんど出走していなかった。理由は私も知らない。しかし、アグネスタキオン氏ともそれなりの付き合いになるので、薄々は察していた。

 私がアグネスタキオン氏と知り合ったのは、氏がホープフルステークスを制したばかりの年末であった。大半のウマ娘が帰省していたが、実家が鎌倉にある私はトレセン学園に残っていた。ほとんど貸し切りのトレーニングルームで悠々自適に汗を流してから、私が童心に帰って、広いトレセン学園をぶらぶらと探索などしていたときのことである。

 

「ちょっと、君。暇なら、ちょっと協力してくれないか」と、これがアグネスタキオン氏とのファーストコンタクトであった。旧理科室の扉の隙間からぴょこりと顔を出しているアグネスタキオン氏の姿は、とても愛らしかった。

 

 当時からアグネスタキオン氏は得体の知れない薬品を飲ませようする得体の知れないウマ娘であると、トレセン学園を志望している受験生どもの間ですら有名であったらしいが、不本意ながら交友関係が狭かった私はとんと知らなかった。私は、なにやら見たことあるような顔だが重賞でも勝ったことあるのかな、というふわふわとした認識しかなかった。

 

「なんでしょう」

「これなんだがね」と、アグネスタキオン氏が渡してきたのは、変哲もない小さなガラス瓶であった。一見すれば、リポビタンDやエスカップのような一般的な栄養ドリンクである。しかし、キャップやラベルにはなにも印字されていなかった。

「これは?」

「スポンサーから頂いた試供品の栄養ドリンクさ。選手の意見も聞きたいらしいが、モニタリングに必要なのは十分なサンプルだからね、多角的な視点が欲しいんだ。ただ、今は誰も彼も帰省しているじゃないか、それで困っていたんだ。別に急がずともいいんだが、先に終わらせておきたいんだよ。面倒になる前にねえ」

「なるほど」随分と早口だなあと、私は思った。「私も試せばいいんですね」

「話が早いねえ、助かるよ」

「何個か頂ければ、友人にも配りますが」

 

 何度も前述しているように、私に友人はほとんどいないが、企業にスポンサードされるほどの先輩のお力になれるのであれば、多少の嘘も方便であったと読者諸兄はご理解いただきたい。アグネスタキオン氏も私を騙していたのだから、結果的にはおあいこである。

 

「……いやいや、それはさすがに申し訳ないよ。私はお願いしている立場だからね。サンプルを探すのは私が払うべき労力さ。さあさあ、グイっと頼むよ」

「……? では、いただきます」

 

 得体の知れない薬品を飲ませようとする得体の知れないウマ娘として評判であったのはどうやらアグネスタキオン氏も自覚があったようで、あの手この手で講じていた策のひとつが、得体の知れない薬品を市販品に偽装することであった。このとき、アグネスタキオン氏から渡されたお手製の栄養ドリンクも、キャップには市販品さながらに完璧な封がされていた。企業で実際に使われているという多種多様の製造機器が、今も旧理科室の片隅に鎮座しており、スペースを多大に圧迫している。アグネスタキオン氏が払うべき労力はもっと別にあったと断言せざるを得ない。

 結論として、アグネスタキオン氏の得体の知れない薬品を飲んだ私は、筆舌に尽くしがたい無類のまずさに「まずッ!」と叫んで昏倒した。

 山のような書類に埋もれて旧理科室の隅で意識を失っていた私を介抱したのは、アグネスタキオン氏の友人である(非常に不本意な表情をしていた)マンハッタンカフェ氏であった。アグネスタキオン氏はぶっ倒れていた私をなかば放置して、私のバイタルチェックをしていたという。「これも立派な介抱じゃないか」という論理展開であった。つまりは屁理屈である。マンハッタンカフェ氏に随分と叱られたらしいアグネスタキオン氏であるが、「実験は成功のようだねえ」と、ティーカップ片手に呑気であった。

 ただ、トレーニングしたあとの私の疲労が嘘のように回復していたのも事実であったので、私は素直に感心していた。あまりに感激したので、私は激しいトレーニングを積んでは、連日のようにタキオン印の栄養ドリンクを所望した。帰省しているウマ娘がおこたでお餅を食べ、油断してもちもちになっているなか、私はみかんのように一皮も二皮も剥け、実に充実した正月を過ごさせてもらった。私はアグネスタキオン氏にとても感謝していたが、「また君か、意趣返しのつもりか?」「随分と図々しいんだねえ、君は」「もうないよ」などと氏はぷりぷりとした。とても愛らしかった。ほかにも私が連日のようにアグネスタキオン氏の下に通っていたので、依存性のある薬品でも飲ませたのではないかとマンハッタンカフェ氏に疑われていたらしい。

 私個人の感想としては、仮に中毒性があったとしても、二郎系ラーメンにおけるニンニクのようなものである。

 

「日頃の、行いです……」と、マンハッタンカフェ氏は両断した。疑ったことを一切謝らないのはさすがである。

「タキオンさーん、タキオミンV、まだありますかー?」

「もう勝手にしたまえ」

 

 これが私がアグネスタキオン氏と知り合った経緯である。ご覧のように、とても遠慮のない関係であると、読者諸兄はご理解いただけたと思う。

 何度も旧理科室に通っていると、アグネスタキオン氏は私生活が随分とずぼらであると分かってきた。アグネスタキオン氏に大恩のある私は、自然とお世話をするようになっていった。勝手に世話をするのもいかがなものかとも思ったが、もっとしろと言わんばかりにアグネスタキオン氏の遠慮もなにもない堂々たるずぼらぶりは筋金入りで、さすがの一言であった。

 私は旧理科室を訪れてきた生徒会の面々と何度か鉢合わせになった。生徒会長を代替わりしたばかりのシンボリルドルフ氏とも、一度会ったことがある。生徒の自主性を尊重するという方針のトレセン学園や生徒会も、厄介なアグネスタキオン氏の対応にはさすがに難儀していたらしい。私がお世話をしたり、主な被験者になっていたりしたことで随分と助かっていたという。人身御供になったつもりはなかったが、エアグルーヴ氏に頭まで下げられ、動揺した私はなにを話したのかもあまり記憶にない。

 印象に残っているのは旧理科室を去っていくシンボリルドルフ氏の、なにかを憂いているような表情であった。

 

「あの、どうかしましたか?」

「いや……、なんでもない。邪魔したね、キリコミタイチョー」

 

 それからしばらくして。

 アグネスタキオン氏は皐月賞のトライアルレースである弥生賞に出走登録をせず、担当トレーナーとの契約も解除したという。

 クラシック三冠の本命バが、突如として戦線から姿を消したのであった。

 

 ○

 

 アグネスタキオン氏は山のような書類に埋もれながら仮眠をしていた。生きていたが、さながら死体のようであった。

 タキオミンV(私が命名したが、大変不評である)を筆頭に私をサポートしてくれているアグネスタキオン氏であるが、氏によればマンハッタンカフェ氏のついでであるという。ヒマ娘などと自嘲しているが、アグネスタキオン氏が日夜、研究に追われているのを知っている私は頭が上がらなかった。どうやらまた徹夜をしたらしいが、マンハッタンカフェ氏の春の天皇賞が迫っていることもあり、研究に熱が入ってしまったのかもしれない。アグネスタキオン氏の体調管理をしっかりしないと、氏を慕っているという後輩ダイワスカーレット氏に、なぜか私が怒られるのである。

 

「どうせなにも食べていないんですよね? カタボっちゃいますよ」

「んあー……」

 

 涎や寝癖で酷い有様のアグネスタキオン氏に作っておいた蒸しタオルをぶん投げ、私は買ってきた諸々の日用品や食料品、サプリメントを補充した。

 

「酷いじゃないか」と、アグネスタキオン氏は呻いた。

「こうでもしないと、いつも起きないじゃないですか」

「ふぅン……」

 

 沈黙がなによりも雄弁であった。自覚はあったらしい。アグネスタキオン氏は大欠伸をした。とてもかわいい。

 アグネスタキオン氏に紅茶と山盛りの砂糖を用意してから、私は買ってきた昼食をテーブルにどさどさ広げた。私はあんこがたっぷりと詰まった特製あんぱんと牛乳である。「またそれかい?」とアグネスタキオン氏は呆れていたが、あんこはボディビルダーも御用達の、お手軽機能食である。侮るなかれ。

 食料品の山から、アグネスタキオン氏はウマ娘用に開発された高カロリーの特製ウイダーinゼリー(現在、商品名は「inゼリー」となっているが、いまだにウイダーと呼んだほうが通じるように思われる)を選んでちうちうとしながら、いつものように食料やサプリメントを大量にミキサーにぶち込んでいた。かつては私も「またそれですか?」などと呆れていたが、「必要な栄養素は入っているから問題ない」というアグネスタキオン氏の論理展開を、ついに覆すことができなかった。それでも「全力で走るなら、歯や顎の筋肉も重要じゃないですか?」などとアグネスタキオン氏をどうにか説得し、ブラックブラック(眠気覚まし用のボトルガムである)を常備させるまでに至った私は称賛されてしかるべきである。

 結果として、山のようなあんぱんを退廃的にがつがつ貪っているウマ娘と、泥のような、名状しがたい液体を平気な顔して啜っているウマ娘という、冒涜的なランチタイムになっていた。これではダイワスカーレット氏に呆れられても仕方がないのかもしれない。

 名状しがたい泥を完食したアグネスタキオン氏が、砂糖を入れすぎてもはや紅茶入り砂糖汁になっているのではないかと思われる紅茶を啜った。栄養が偏らないようにと私も名状しがたいヘドロを食わされ、あまりの味に、一瞬であるが、宇宙の真理を掴んだかのように思われた。

 

「リギルでのトレーニングは……、順調のようだねえ」

 

 私が深淵なる外宇宙に呆然としていると、アグネスタキオン氏がぺたぺたと(トモ)を触ってきた。擽ったかった。

 

「いやあ、タキオンさんのおかげです」と、私は頭を下げた。

 

 リギルに入ったあと、私がアグネスタキオン印の得体の知れない薬品を常用しているとは想像もしていなかった東条氏にドーピングを危惧され、一悶着もあったが、それはそれである。私ほどの実力者でも、アグネスタキオン氏がいなければ、リギルに入れたかどうかは微妙であったと冷静に分析せざるを得ない。

 

「まぁ、君がどこに所属しようと……、データが取れれば、私の知ったことじゃない。私の為にも、キリキリ走ってくれたまえよ、タイチョー君」

「うス」

 

 私は、アグネスタキオン氏と知り合ってからしばらくして、「君はどのようなウマ娘になりたいのか」と尋ねられたことがある。アグネスタキオン氏らしからぬ抽象的で漠然とした質問と、神妙な表情をしていたのが、厭に印象的であった。

 

「……なるほど」と、私の言葉に、アグネスタキオン氏は頷いた。「本命とは違うが、研究に値するテーマだねえ」

 

 それは、アグネスタキオン氏が、担当トレーナーとの契約を解消する数日前の出来事であった。

 

 ○

 

 誰よりも長く、ターフを走る――。

 それが私の夢である。

 

 ○

 

 アグネスタキオン氏が放置していた食器類を洗ったり、散らかっている旧理科室を掃除してから、私はスイミングプールへと向かった。今日はグラスワンダー氏、テイエムオペラオー氏とともにプールトレーニングである。

 余談であるが、私はダイビングでもするのかというようなウェットスーツを愛用している。左目の傷のように、身体にも生々しい古傷が何箇所も残っている(いつどこでついた傷なのか、とんと記憶になかった)からである。ハッピーミーク氏やツインターボ氏は、「おー……」「スゲー!」などと呑気であったが、念の為、配慮している格好である。生肌を晒すのがなにか恥ずかしいという俗な理由では、断じてない。

 

「ふむ……」私の足元で、男が唸った。「以前と、密度とハリが違うな……」

「うおう」

 

 男は、「スピカ」のトレーナー、沖野氏であった。

 沖野氏は、トモを触ればウマ娘の素質が分かるという、無類の脚フェチとして有名なトレーナーである。トレセン学園に入学したばかりの頃、私も沖野氏にトモを触られたことがある。「いいトモだ。ステイヤーか、よく鍛えられている」と呟いた沖野氏の慧眼に、私は脱帽していた。それはそれとして、初対面でいきなりトモを触る破廉恥ぶりはいかがなものかと思ったので、沖野氏のワイシャツを破廉恥な薄桃色のワイシャツと交換してあげた。私の仕業だとはバレなかったようであるが、後日、なぜか沖野氏のコーディネートが全身薄桃色になっていた。

 どうやら今日はスピカもプールトレーニングであるらしい。プールサイドにはリギルから移籍したサイレンススズカ氏の姿もあった。遺恨もなにもないが、サイレンススズカ氏の代わりにリギルに入った格好の私は、やや複雑な心境であった。

 

「芝、ダート、短距離、中距離、中山、阪神……。得意なレースだって簡単には見つからん。チームもおんなじさ」沖野氏が、呟いた。「お前さんが気に病むことじゃない、キリコミタイチョー」

 

 私のわずかな動揺も、沖野氏には分かっていたようである。さすがは優秀なトレーナーである。私のトモを触りながらでなければ、満点であった。私のトモでよければ、好きに触っていただいてもいいのだが、男性がほとんどいないプールサイドでも堂々たる破廉恥ぶりに、私はもはや感服していた。いつかブタ箱にぶち込まれないことを祈るばかりであるが、ウマ娘に蹴られて死ぬほうが先のようにも思われた。

 

「天誅ー!」

「ゲェーッ」

 

 一喝とともに、蛇のようにするりと伸びてきた両の脚が、沖野氏の首を狩っていった。お手本のような、見事な首4の字固めである。沖野氏はゆでたまご作品*1のような断末魔を上げた。完全に極まっているのか、沖野氏は必死の形相でタップしていたが、まるっと無視されていた。

 トモで窒息死するとなれば、脚フェチの沖野氏にはきっと本望である。

 

「トレーナーさんが失礼しました! タイチョーさんデスネー? グラスからよく聞かされていマース!」壮絶な状況の沖野氏とは裏腹に、レスラーマスクのウマ娘は、快活に笑った。「エルコンドルパサーデース! イゴ、お見知りおきを!」

「ど、どうも……」

 

 のちに黄金世代の一角とも謳われるエルコンドルパサー氏とのファーストコンタクトは、なんとも締まらないシチュエーションであった。

 絞まっているのは、沖野氏の首であった。

 とっぴんぱらりのぷう。おあとがよろしいようで。

*1
「キン肉マン」「キン肉マンII世」「闘将!!拉麵男」など。

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