タッタッタッタッ…
ドゴォッ!!!!
「こんにちは、ぶーちゃん♪」
「…………はぁ」
階段を駆けた後に自室の扉を蹴破って、ドッヂボールの如き一方的な挨拶を投げつけて来たニコニコ笑顔のタキシード野郎。
そいつのその突飛な行動と姿が両眼に飛び込んできた途端に、僕は苛立ちを覚えるとともにとても深く深く息を吐いていた。
――――僕の名は、タブー。かつて「この世界」を亜空間に引き込もうとした『亜空軍』の首領であり、
現在においては、「この世界」にある屋敷に引き籠って生活している敗北者さ。
で、現在器物損壊の現行犯であるにも関わらず清々しいほどにムカつく笑顔を浮かべながら僕の眼の前に立っている短い銀髪の男は、
「この世界」の『創造欲の化身』たるマスターハンドの弟にして、その対の力を司る『破壊欲の化身』――名をクレイジーハンドという。
「……で、今日は一体何の用だ?」
「そりゃもちろん、遊びに来たにきまってるじゃないの」
「そうかそうか、ふざけるなよ貴様」
「あらぁ、相変わらずつれないわねぇ♪いいじゃないのよ、ぶーちゃんどうせヒマなんだしぃ♪」
「黙れ、その減らず口削ぎ落とすぞ」
「またまたぶーちゃんったら、照れ隠ししちゃってかーわいい♪」
「さっさとくたばれこの疫病神」
本来は白手袋をした巨大な左手の姿をしているのだが、「この世界」では人の姿をした遠隔操作式の人形を操って行動することの方が多い破壊の権化。
一見ソーダ味のアイスのような爽やかな雰囲気を醸し出しているそいつは、僕の吐き出した嫌悪の言葉すら軽く受け流しながら、僕の唯一の居場所にいけしゃあしゃあと居座り続ける。
僕が「この世界」に住み着くようになってからというものの、週に一、二度ほどのペースで居宅へと無理矢理入り込んでくるこの男には当然ながら非常に辟易しているし、
実際最初のうちはトラップを仕掛けたりセキュリティを強化したりして追い返してきたのだが、
この左手のみに白手袋を嵌めた黄金の眼の破壊魔はそんな障壁も物理的に軽々と突破してきたため、
疲弊しきった僕は、憎らしいあの創造欲の化身によく似た顔立ちのこの男の毎度の侵入を不本意ながら許してしまうこととなった。
……此処に住み込んでいる使用人といい、僕の周囲には厄介な変質者が集まりやすいのだろうか…?
「ねぇ、ぶーちゃん。何して遊ぼっか?アタシ、このスゴロクゲームが良いなぁ」
「……相変わらず他人の話を聞くということをしないよな、貴様は」
そんな僕の目下の悩みになど一瞥もくれずに、パーソナルコンピュータの設置してある低めの机の右側の棚からボードゲームの箱を取り出す左利きの神。
かつて様々な種族の混じり合った大軍を率いて「この世界」に襲撃してきた侵略者相手にここまで平然とした態度で接してくることが出来るのは、現在の僕が戦闘の為の力を悉く失っているためというのもあるのだろう。
厳密には『亜空間で振るうことのできていた力が「この世界」では一切発揮できない』のだが、
左手の力で「この世界」に縛りつけられたことで亜空間へと戻ることの叶わなくなった僕にとっては失ったも同然といえる。
……まぁ、そもそも今の僕には「この世界」の奴らと戦う意欲など、もはや微塵もないのだが。
「それから、僕はお前と遊ぶ気など毛頭ないんだが」
「ふぅん。じゃ、ひとりで遊ぶわよぉ、ここで。」
「……おい」
何勝手に人の家でひとり遊び始めてるんだ。ここは遊技場じゃないんだぞ。
そう言葉を紡ごうとするが、その時には既にそいつはサイコロを振り終え、両手に持った赤や青などの原色に染まった簡素な人型のコマを進めようとしていた。
「さあ、一番手のぶーちゃんが止まったマスは、っと。あらぁ、『3マスすすむ』ねぇ♪最初から好調じゃない♪」
……しかも勝手に青いコマを『僕』ということにしてるし。
「んじゃ、次はアタシねぇ♪…あら!1しか進めないのねぇ、しょんぼり」
…………はぁ。
これはまた、しばらく帰りそうにないだろうな…。
この男が僕の話を聞かない奴であることを既にうんざりする程に理解していた僕は、
もはやそいつを追い出すことを諦めて、早朝からずっと電源をつけていたコンピュータの画面の方に眼を向けた。
キャッキャキャッキャと喧しい声に関しては、ヘッドフォンで適当な音楽流しながら遮断しておけばいいだろう…。
……それにしても、
僕の記憶の中にある破壊欲の化身というのは、このような性格の持ち主では無かったはず。
昔、あの創造欲の化身と初めて邂逅した際、奴に付き添っていた左手の姿は、
自我も意思も無い右手の傀儡、少なくとも当時の僕の眼にはそのように映っていた。
だが、僕が右手を捕らえ、「この世界」に侵攻し始めた際にいつの間にか行方知れずとなってしまい、
次に会った時には打って変わって感情豊かで溌剌とした性格へと変貌していた。
右手にただただついて回り、右手の命令通りに破壊の力を行使するだけの動きしか見せてこなかったこの化身が、
如何にして感情や自意識を手にしたのかは僕にも分からない。
ただ、一つだけ言えるのは、左手の現在における立ち振る舞いが、
女のような口調を除けば、『あの右手のかつての気質』を丸ごと模倣しているように見える、ということぐらいだろうか…。
そして、僕はそんなそいつの姿にただただ背を背け、高めの声に耳を塞いでいる。
理由は至極単純、胸の内側からどうしようもない程の苛立ちの炎が噴き溢れてきそうになるからだ。
「――――ぶーちゃん♪」
「っ!」
無意味に仮想空間内の情報を漁り始めて一時間くらい経った頃、不意に外界の音を遮断していた音楽入りの耳当てが取り払われた。
即座に背後に振り向いてみれば、案の定そこには僕のヘッドフォンを両手に持ちながら、虫唾の走るようなにっこりとした笑みを浮かべる破壊欲の化身の姿があった。
「……何なんだ、今度は」
感じた煩わしさを音吐に載せながらそいつを睨みつける僕だったが、当然ながら左手はへらへらと笑ったままだった。
「見て♪すごろく、ぶーちゃんが一番にあがったのよぉ!どうどう?」
「…………はぁ……」
何故に遮断物を奪い取ってまで声を掛けてきたのかと思えば、そんな下らないことか…。
頼むから、もういい加減帰って欲しい…。
「あっ、アタシそろそろ帰らないと!アニキに美味しいご飯を作らなきゃだしねぇ」
その願いが通じたか否かは不明だが、銀髪タキシードのその男はようやくここから出ていく気になったらしい。
よかった、これで…
「…………ねぇ、ぶーちゃん」
ようやく部屋が煩くなくなると思いホッとしたその矢先、
それまではクラッカーが弾けるかのように軽々としていたのに、不意に鉛のように重くなった声音が耳朶を叩く。
「……まだ何かあるのか」
不毛かつ面倒だとは思いつつも、この話に付き合ってやればこいつもさっさといなくなるだろうと
投げやりながら返事を返して声の方に向いてやると、左手は先程とは打って変わって静かに言葉を紡ぎ出す。
「……あのね」
「『僕』にはね、とてもとても大切にしたいひとがいるんだ」
水色の長い髪を持つ男を映し出す黄金色の瞳は、僅かながらに揺れ動いている。
角の下がった唇から吐き出される音は襤褸布のように擦り切れていて、銀の髪は枯れた花のように床の方へと垂れ下がろうとしていた。
「…だけど、そのひとは今、とってもとっても苦しそうにしているんだ。
時にはすごく悪い夢まで見ちゃうみたいで、すっごくしんどそうな感じ。
そのひとがそんな状況なのに、そのひとの一番近くにいつもいるっていうのに……、
……僕は、そのひとの苦しみを…、和らげてあげることが出来ない…」
両肩を震わせながら、もはや表情が見えない程に俯いてしまった破壊欲の化身。
……ああ、そうだった。こいつは「アタシ」なんて一人称を使うような奴では無かったな。
「ねぇ、どうしたらいいんだろう」
すっかり縮こまってしまった、本来は180㎝近い背丈の持ち主であるその男は、
弱気な少年の如く声を震わせながら、しかしそれでいて誰にも助けを求めるつもりはないと言わんばかりに唇を床に向けて小さくこう呟いた。
「アニキの心を救ってやるために、僕に出来ることって、何なんだろう…?」
…………結局、左手が帰ったのは、数十分ほどさめざめと泣き続けた後だった。
「…………はぁ」
その場に残ったものは、自室の扉の破壊痕と出されて散らかったままのスゴロクゲームと、
それから恐らくは扉の弁償代の入っているであろう縦長の封筒だった。
金置いて行くぐらいなら最初から破壊するなって話なんだが…。
……ともあれ、明日辺りにでもまた、扉を修繕するための材料をプリムに買いに行かせるか…。
「……『心を救ってやるために出来ること』、か」
破壊欲の化身の『大切にしたいひと』、それはそいつにとって最も近しく繋がった存在。
だが、いくら近しい存在であったとしても、所詮は『自分以外の他者』でしかない。
そんな奴に対して、助けたいだの救いたいだのと真面目な顔で宣っているのは、
長い間ずっと孤独に生きてきた僕にとっては滑稽以外の何物でもない。
……あいつら二人が心の内にどのような苦痛を抱えていようと、僕には何の関係も無いんだ。
「……とりあえず、これを片付けるか」
この散らかった部屋を見たら、此処に住み込んでいる使用人がギャンギャンと煩いからな。
そう思考を切り替えて、左手が出しっぱなしにしたスゴロクゲームの片付けに着手し始めた。
……心臓の辺りに切傷のような小さな痛みを覚えたのは、気のせいだろうか…。