【豊穣の女主人】は、オラリオの中では目立つ規模を誇る街角の酒場である。まだ完成して間もないこともあり、建材に使用された木材の仄かな香りが漂っている。
今は昼。試験的に始めているらしい『らんちたいむ』とやらの時間帯とちょうど被っていると近くを通りがかった人から聞いたので早速入店することにした。
「いらっしゃいませなのにゃ!何名さまですかにゃ?」
「3人だ。早めに頼む」
「ハイですにゃ!」
どこもかしこも家族連れで満席、繁盛しているようだ。だからか、私たちはカウンターへと通された。
「お子様はこのクッションを下に敷いてくださいにゃ」
「ありがとう。もう1つ貰えないか?」
「どうぞ。では、ごゆっくり!」
挨拶とともに手渡されたメニューには数多くの品が。こういう時、大抵ベルが1番悩む。そして隣に座るアミッドが選んだものと同じものにすることが多い。
今日もいつも通り、ベルが悩みに悩んで、結局皆同じメニューを注文することになった。
「そこの給仕。これを3つだ」
「はいですにゃ!」
待つこと数分。ガッチリとした風貌の女将が皿を持ってやってきた。私達は3人フードを脱ぎ、汚れないように椅子へかける。
「お待たせ!悪いね家族連れなのに………」
なんだコイツは。フードを脱いだ瞬間呼吸を止めたような黙り方しおって。人の顔を見るなり口を開いて目も見開いて、有り得んものを見るような目をしている。○して欲しいのだろうか。
「なんだ」
「あっ、ああ……悪いね。お待たせ、ご注文の品だよ」
ん……?よく考えたら誰かの面影があるような無いような……気のせいか。
出された皿には値段に見合わぬ多めの麺が肉入りの赤色ソースに絡められている。非常に食欲がそそられる見た目だ。メニューには【なぽりたん】と書いてあったな。
1口分だけ口に含んでみる。……ん、これは美味い。ソースの中にも肉の風味が封じ込まれている。それをシャキシャキ感のある玉ねぎとトマトベースの酸味あるもので包み込んでいるから、食感も楽しめる。流石は天下のオラリオの料理人と言ったところ。悔しいが私では歯が立たんな。
「お母さんこれ美味しい!」
「うん!これお母さん作ってくれないかなあ」
「ぼくにも作って!」
「ああ。勿論だ」
ベルに頼まれれば幾らでもこれより美味いものを作れる気がする。いや、作れる。
「おい、店主」
「な、なんだい?」
「この料理のレシピを寄越せ。対価は払う」
「!?ミアかーちゃんにそん「黙りな!!」へぐっ!!!」
「なんだ、騒々しい。ここを更地にし手やろうか」
「ちょちょ、ちょっと待ちな。今から持ってくるから」
「頼んだ」
奥からやってきたのは詳細に書かれているレシピの数々。ここまで頼んだ覚えは無いのだが……
「おい店主。このレシピだけで良いのだが」
「良いんだよ持ってきな!」
この多さは逆に申し訳ないな。1000ヴァリスほど上乗せして会計しておくか。にしてもこの量、レシピ本は貴重だし、アネットにも教えてやらねば。良いものは共有するに限る。
「2人とも食べ終わったか」
「うん!」
「うん」
アミッドが少し元気なさげ。こういう時は……
「ベル、またアミッドに食べてもらったろ」
「え、なんでバレたの?」
「アミッドの元気のなさと、今のベルの言葉で、だ」
「うう……」
「アミッドに礼はしたか?」
「したよ」
「そうか。でも、あんまり欲張りすぎるな。アミッドが豚みたいになったらベルも嫌だろう?」
「あ、アルフィアさん!?」
「?お姉ちゃんはどんなのになっても僕のお姉ちゃんだよ」
「ベル……」
なるほど、薄々勘づいていたがベルは女たらしだな。しかも無自覚の。
「頑張ってくれアミッド。私はお前以外認めんから」
「………分かってるよぅ」
どうもアミッドは奥手なのが不安だな。お姉ちゃんをしてる分、そういった感情を表に出すのが苦手らしい。
それは置いといて、
「お前たち、店も混んできて五月蝿くなってきた。雑談も程々に宿へ向かおう」
※※※
「ミアかーちゃん、今日はなんかおかしいのにゃ」
「ああ……とんでもない奴が、思いもしない形できやがったんだよ……初めてこの体型になって良かったと思ったさね」
「その体型気にしてたのかにゃ?!」
「………」
「か、かーちゃん…?」
「そこに直れ」
「や、やめ……ふにゃああぁぁぁぁ!!!」
※※※
取った宿はそれなりの等級のものだ。オラリオの外れ、メレンにほど近い場所にあって治安もさして悪くない、かなり大きな宿屋。神々は【ほてる】と呼ぶらしい、横長の美しい建物。汚れひとつ無い純白の大理石の一枚岩を掘ったと言う、珍しい宿屋だ。
その中でも1番安い一室を取ったが、それでも普通の宿屋より高い。それ相応のクオリティを求めていたが……
「予想以上だな、これは……」
大人1人子供2人でも持て余す程に大きな部屋。セミダブルベッドが2つあり、その先にはソファが机を挟んで向かい合わせに並んでいる。窓からは緑豊かな庭が一望できる作りに。調度品もシックなこの部屋に合うようしつらえてあり、何より防音性が高いので煩わしいざわめきが無い。あるのは歓喜する子供達の声と、風に揺らめく木々のざわめきだけ。
「ベッドふかふか!」
「ソファも凄い!弾むよ!」
キャッキャと跳ね回る2人。少し高めの出費だったが、取ってよかったと思う。
「お前たち、ここは温泉が有名なんだ。部屋で遊ぶのは後にして、先に温泉に行こうか」
「ほんと!?ぼく温泉はじめて!」
「私も!アルフィアさんありがとう!!!」
「ああ。でも、今この辺りも治安が悪い。私から離れないようにしてくれ。それに、ここは温泉だけ入りに来る人も多いらしい。はしゃぎすぎるな」
「「はーい!」」
※※※
注意したにも関わらず、ベルは風呂ではしゃぎにはしゃいだ。さすがに耐えかねて、番頭に金を渡して貸切にしてもらおうと掛け合い、後で上客が2人だけ入ってくるのでそれだけは通すと言うことで話をつけた。
話をつけるまでたまたま人が来なかったからよかったものの、上客が来るとの事なので
ああ、ちなみにアミッドは大人しく入っていたぞ。流石アネットの子だ。うちは少し甘やかしすぎたか……?
体を洗い、ベルを落ち着かせて3人ゆっくり湯船に浸かっているとどうやら上客が入ってきたようだった。子連れだろうか。母親は上背があり、妊娠したのかどうかも疑わしいほどのプロポーション。出るとこは出て引き締まっているとこは締まっている。
………多分、私より大きいな。
妙な敗北感。ベルは私の些細な感情の変化に気づいたのか
「どうしたの?」
と聞いてきた。なんと愛いやつか。抱きしめてやろう。
すると、ヒタヒタと足音が聞こえてきた。
「貸切のとこ無理を言いすまないな。なにぶん休みも時間もなくってな。この子もダンジョンに篭りっきりだから…………」
「ああ。構わな………」
挨拶を途中でやめたことに違和感を感じつつも振り返り挨拶を返そうと振り返り、固まった。
翡翠の長い髪に同色の瞳。その耳は種族の中でも最高位を示す長さで、女神も嫉妬すると言われる双眸は凛として美しい。
「まさか………【静寂】か?」
「………」
無言は肯定。だが、言葉が出なかった。今一番会いたくないやつに出会った。よりにもよってその中でも随一扱いづらいクソ真面目なお堅い
まさか、そんな奴が子供を連れているなんて思いもしないだろう?だから、分からなかった。
満を持してのオラリオ旅行はやはり、思いもよらぬとこで平穏には終わりそうに無かった………