『——さぁ、今! 先頭のウマ娘が最終コーナーに差し掛かりました!』
……どくん、どくん。
心臓の鼓動が早鐘を打つ。
胸の奥から、燃えるような衝動が湧き上がる。
でも、まだ今じゃない。
俺を急かし続ける本能を必死に押さえつけ、その時が来るのを待ち続ける。
俺の前を走る全てのウマ娘を、余さずに視界に捉える。
なるほど、トレーナーが俺に合ってるって言ってたのは間違いじゃないらしい。確かに入ってくる情報が多いほど、どう走ればいいのかが分かりやすい。
……これなら、多分そろそろだな。あと少し。……もう少しで、道が、開く。
——見えた。
鼓動が激しく高鳴る。
『勝ちたい』『勝ちたい!』『勝ちたい!!』
抑えられないほど強くなる勝利への渇望。分かってる、と自分の中の本能に返事を返す。ここまで来れば、もう抑える必要は無い。
「……ああ。勝つさ」
一度、大きく足を踏み込む。それが、理性を手放す合図だ。
「——行くぜ」
ーーーーーーーーーーーー
『デイブレイク、今1着でゴールイン! 勝ったのはデイブレイク!』
「ぜぇーっ、ぜぇーっ…… ふぅー……」
冬、曇天の空の中、ターフの上で。メイクデビュー以来のレースで勝利した俺は、集まった観客の歓声を聴きながら切らした息を整える。
追い込みでレースに出たのは初めてだったが、悪くない走りが出来たんじゃないだろうか。ラストスパートはまだ使いこなせたとは言えないが、とりあえず足に支障が出ないギリギリと思われる距離までは抑えることが出来た。そのせいでもう一歩も動けないけど。
「ふぅーっ……」
もう一度大きく息を吐いてから、ターフの上に寝っ転がる。しばらくすれば動けるようになるか、そうでなくともトレーナーが運んでくれるだろ……
そうやってボーッと曇りの空模様を見つめていると、隣から何やら声が聞こえてきた。
「また…… また、負けちゃった…… ぐすっ…… これじゃ…… このままじゃ、ダメなのに……! ううっ……」
決して大きい声ではないが、なぜか鮮明に聞こえてくる。首だけそちらの方へ向けると、さっきのレースで2着だった子が地に伏して何やら自分を責めているようだ。名前は知らない。
なんだかひどく思い詰めている様子だ。負け続きなのだろうか。何だろうが、俺には関係無いけど。……うん、関係無い。忘れよう。
……だが、忘れようにも先ほどの言葉は、いつまでも耳にこびりついて離れなかった。
ーーーーー
「お疲れ、デイブレイク」
「ああ……」
しばらくして。トレーナーに補助されながらなんとか控え室まで辿り着いた俺は、今回のレースの所感をトレーナーから聞いていた。
「まずは勝利おめでとう。本当に初めてとは思えない走りだったよ。周りの状況をよく見て走れてた。位置取りも終始よかったと思うよ。でも領域に関しては…… 速くはあったけど、まだ調整かな」
「領域?」
「ああ、最終直線の……君の言う『暴走』ってやつ。ちょっと調べた限り、似たようなのがあって…… 極限の集中状態で、ウマ娘が本来の実力以上の力を出せる、だってさ。話聞いた限り、君の場合はまたちょっと違うかも知れないけど…… 便宜上、そう呼ぶことにした」
領域ねぇ…… 随分と仰々しい名前じゃないか。あえて言うならなり損ないくらいだろう、俺のは。秘めた力が覚醒!みたいなのとは訳が違う。
「それにしても……デイブレイク。勝ったってのに、あんまり嬉しくなさそうだね?」
「……別に。そこまで喜びを表に出すようなタイプに見えるか」
「君の耳と尻尾は正直だからね。落ち込んでる事くらい分かるよ。まあ、理由は何となく察しがつくけどね。2着の子、でしょ」
「…………」
バレてたか。
このトレーナー、普段何も考えてなさそうな雰囲気出しといてこういう時は鋭いんだよな……
「……言われるほどじゃない。ただ……レースに勝てるのって1人だけなんだなって。そう思っただけだ」
「……そうだね」
分かってたつもりだった。レースが終わった時、ターフに笑顔で立っていられるのはただ1人。今回はそれが俺だった、ただそれだけのこと。だが…… それは同時に、他のウマ娘の笑顔を奪うことになるんじゃないのか?もちろん、俺だって勝ちを譲ってやるつもりは無い。俺は勝たなきゃいけない。でも…… それが、本当に俺のやりたかったことなのか?
身体を借りて、偽物とは言え当事者としてレースに出て初めて分かったその裏側。幼い頃馬鹿みたいに憧れたキラキラだけのレースは存在しない。
前に進むためには、どこかで割り切らなければいけないのだろう。実際、勝者のほとんどはそうしてるはずだ。俺がそう出来ないのは…… 多分、まだどこかでウマ娘という存在に夢を見ているのだと思う。
……我ながら、下らない。
「……君ってさ。ぶっきらぼうそうに見えて、根は結構ピュアピュアだよね」
「煽ってんのか」
「そうじゃないよ。僕はそういうの大事だと思うなぁ」
「……何の役に立つってんだよ」
俺がやるべきはただ勝利を重ねること。余計なことを考えても邪魔になるだけだ。
「君は優しいからね。ちょっと他より気にしやすいのかも。そうだな…… じゃあ、背負っちゃえばいいんじゃない?」
……何言ってんだ、こいつ。俺の胡乱な目を感じとったのか、トレーナーは気まずそうに笑って言った。
「あー、なんて言うか、伝え方が悪かったかな。君は、自分のせいで他の子が泣くのが嫌なんだろう?」
「まぁ、そうかもな」
「それなら、その子も笑顔にしちゃえばいい。負けて、悔しくっても…… 君の輝きで、そんな影を消し去ってやればいい」
……急に何言ってんだか。俺以上に現実が見えてないんじゃないのか?
「……俺は、おんなじようなことやろうとした人を知ってる。シンボリルドルフ、って言うんだけどな。お前、あの皇帝サマと同じレベルに立てって言ってる?」
「ああ。その通りだよ、デイブレイク! 目指すは頂点、君が1番輝いて、その光で皆を照らすんだ!」
「……1人で何盛り上がってんだよ」
自分の輝きで、皆を照らす…… 荒唐無稽な話だ。そんなこと、おいそれと出来るものではない。
……でも、そんな話、どっかで聞いたことあるような……
「アットデイブレイク。夜明けの名。うん、最高じゃないか! 君自身が、太陽になればいいんだよ!」
——あ。思い出した。
日記だ。アットデイブレイクの、本物の彼女の日記。その中の夢。
『中央のトレセン学園に入って強いウマ娘になりたい!』
『——そして、お日様みたいに、皆を明るく笑顔にしたい!』
……そうだ。そうだった。それが彼女の夢だった。あの時、俺は自分がやるべき事を探すことに気を取られて、その夢の本当の意味を見てなかった。
本当に、下らない。
「はあ…… あっそ、分かったよ。それなら、やらない訳にはいかないよな」
「? どうかしたかい、デイブレイク」
「いいぜ、やってやろうじゃねえか。そもそも俺はそのために居るし、アットデイブレイクにはその素質がある」
忘れちゃいけない。俺は、あの子の夢を叶えるために生きているんだ。どんな夢だろうと、
「おっ、いい顔になったね、デイブレイク」
「ああ。とりあえず、悩む必要はなくなったからな」
「そうそう、悩んでるのなんて君らしくないさ。いつもみたいに不遜に、偉そうにしてるほうが君らしいさ」
「……お前俺のこと何だと思ってるの?」
ーーーーーーーーーーーー
そこから数時間後。俺はウイニングライブのためにステージの裏でスタンバイしていた。
「うう……寒っ。やっぱ夜は冷えるよなぁ…… なんかこの衣装、露出多いし」
へそ周りを露出させることに並々ならぬ情熱でもあるのだろうか。加えて生地も薄いため、この真冬の時期には待っているだけで地獄である。
一度ステージに上がれば観客の熱気やら何やらで寒さも気にはならなくなるだろうが…… あとどれくらい時間あったっけな。早く始まらないかな……
「大丈夫? コーヒーいる?」
「ん、ああ。ありが……と……」
不意の声に顔を上げると、そこにはさっきの2着の子が。トレーナーに名前聞いときゃよかったかな……
「あっごめんね急に。なんか寒そうだったから」
「ああ…… 助かる」
彼女は隣座るね、と一言入れてから用意されてた椅子に座った。
「デイブレイクちゃん、デビュー戦の時はライブギリギリに来たもんね。その時も寒かったから、今回は自分で持ってきたんだ」
俺のデビュー戦知ってるのか。もしかしてその時にも同じレース出てたのか? 他のウマ娘なんて興味なかったし、覚えてないけど。
「あー…… まあ、知らないよね…… あっそうだ、お昼のこと謝りたくって。ごめんね、恥ずかしいとこ見せちゃって」
「いや…… 俺はいいけど…… もう大丈夫なのか?」
「あ、うん。ちょっと落ち着いた。……最近、あんまり勝ててなくて。未勝利戦で一回は勝てたんだけど、それだけ。このままじゃ、トレーナーさんにも悪いし、契約続くかも分かんないし…… もっと努力しなきゃーって、ちょっと焦っちゃって。ごめん、本当に」
それっきり、しばしの沈黙が続く。別に、俺は話すこと無いし…… ちょうど俺が紙コップに注いでもらったコーヒーを飲み干す頃、先に沈黙を破ったのは彼女の方だった。
「……デイブレイクちゃんはさ。すごいよね」
「……そうでも無いだろ」
「ううん、すごいよ。いっつもクールで、すっごく強くて。なんか、憧れちゃうなあ……」
そう笑って言う。でも、俯く彼女の顔は、なんだか酷く悲しそうに見えた。
俺はこれまで人を励ましたことがない。だから、こんな時どうすりゃいいのかなんて、全く分からない。
でも、何もしないのだけは違う。
「俺は……ウマ娘は誰だって輝けるって、信じてる」
「へ?」
「お前も、ここに来るまで必死に頑張って来たんじゃないのか。努力、なんて言葉は結果論だ。多分、毎日それぞれ、いろんなことが起きて、いろんな障害があって。それを全部、今まで乗り越えてきたんだろ。だから、これからも。そうやって乗り越えて、いつか輝けるって、信じてる」
「デイブレイクちゃん……」
「……悪い、忘れてくれ。無責任な、夢見がちの戯言だ」
ダメだな。どうしても、ウマ娘に幻想を抱いてしまう。でも、それでも。無責任だとしても。名も知らない彼女が報われて欲しいと考えるのは、悪いことじゃないはずだ。
「ふふっ、ありがとね、デイブレイクちゃん。ちょっと元気出た」
「……そうか」
「よし! 辛気臭い話しちゃってごめんね。この話はこれで終わり! そろそろ時間だってさ、行こ、デイブレイクちゃん!」
一度手を鳴らして話を打ち切り、パッと笑顔で俺の手を引く。
「これからのことは考えなきゃだけど、今日は集まってくれたお客さんを笑顔にしないとね! デイブレイクちゃんも、ボサっとしてると私の方が目立っちゃうよ〜?」
さっきまで涙目で俯いてたのが嘘のようだ。ウマ娘のプロ意識と言うべきか。
「……やっぱ、お前らの方がすごいよ」
ーーーーー
俺たちが舞台に上がると、身体中がビリビリと震えるほどの歓声が会場から湧き上がる。
その圧に一瞬気圧されそうになるが、まだ動じずに音楽がかかるのをじっと待つ。
数秒のち、ステージが段々と明るくなり、ウイニングライブの曲が流れ始める。
デビュー戦の時に踊れたのはおそらくアットデイブレイクの身体が覚えていたから。だが流石に細かいところまでは思い出すことが出来ないようだ。デビュー戦のような少しのミスは見逃されるような場ならともかく、重賞レースでそんなものが許されるはずもない。なので今回はバッチリ練習済みだ。
とは言っても、本番には練習と明らかに違う点が一つある。観客の存在だ。
別に緊張するとかそういうことではない。酸素が奪われるのだ。ライブが進めば進むほど、会場がヒートアップして息苦しくなる。歌いながら踊っていると倍どころじゃないほどの体力を奪われるのも相まって、かなりキツい。
それでも、笑顔を絶やすことはあってはならない。そもそも笑顔なんて俺のキャラじゃないが、練習の時に笑顔が1番大事だと口うるさく言われたのでそれに従う。恥なら既に捨ててきた。
皆を笑顔に、ってことなら、観客も対象に入ってるんだろう。それなら、俺が目指すのは何よりも完璧、最高のライブだ。
あくまで自然に、可愛らしく。俺は観客に向けて、満面の笑みを作った。
ーーーーーーーーーーーー
「はいお疲れ、デイブレイク。足よくマッサージしとしなよ」
「分かってるよ」
ウイニングライブを終えて、控え室に戻った俺を、トレーナーが出迎える。
「あ、晩御飯どうする?」
「焼肉」
「え、また? うーん…… 僕のお財布にも、ちょっとは優しくなって欲しいなぁ……」
「トレーナーってどうせ高給取りなんだろ? ほら、行こうぜ」
「いや、新人はそうでもな…… って、ちょっと待ってよ!」
トレーナーが何か言ってたが、無視してそそくさと帰り支度を済ませ部屋を出る。トレーナーは慌ててそれについてきた。
「さて、どこにするか。近くの焼肉屋……っと」
「あ、もう決定なんだ…… まあいいけどさ……」
外に出ると、相変わらず冷たい夜風が吹いていた。コートを持ってきて正解だったかもしれない。
ふと空を見ると、いつの間にか雲は晴れていたようだ。吸い込まれそうな暗闇の海。そこに、月は煌々と輝いていた。
失踪してないです。いや、遅くなって本当に申し訳ないです……
感想・評価等下さるとすんごい励みになるし更新速度も上がるので、よければお願いします