達也が、真夜の使者と遣り取りをしている頃…
深雪は、日頃から料理を好んでいる。
野菜・肉や魚などの材料を自らの手で、別のモノに作り変えるのは彼女に取って楽しい事。
楽しそうな様子で調理をする姿は、新婚の新妻にしか見えない。
家事は、好きだが中でも料理は一番好きな事だった。
敬愛する兄の為、何か出来る事は無いか…
常日頃、達也の事を思っている彼女の望みに最も沿った行為の一つと言えた。
食材を組み合せ料理を作り兄に喜んで貰えたら…深雪にとって達也の存在は、非常に大きいモノだった。
彼女の心に灯った暖かな火は、揺らめき輝く。
夏のあの日、兄の優しさと自らへ向けられた深い愛情を身に感じてから彼女は、愛する兄に為に生きたいと思えた。
他人からの目など気にはならない…兄に尽くしたい、自分に献身的な兄・感情を殆ど奪われても“深雪”だけは愛してくれる兄。
母である深夜が亡くなり、途方にくれていた時も彼女に寄り添い優しく慰めてくれたのも達也だ。
父の龍郎は、母の逝去後に半年程で再婚した…
娘である深雪の心情を慮れば出来ない行為な筈
あの日、“父親”も深雪は喪った。
自分では、傷つかないと思っていた心
己の把握していない所では、本当はいつ不安と寂しさで押し潰されても不思議でない状態。
達也は、そんな自分の弱さも浅ましい部分も受け止めて認めてくれる…
堪らなく、心が沸騰する様に熱せられる。
“お兄様さえが居てくてれれば、自分は強く生きていける”と思えた瞬間だった。
兄の本心が解らなくとも自分へ向けられる何処までも深く尽きる事の無い“愛情”は、毎日の彼女を美しく輝かす原動力になる。
自分以外の人間が、兄を認めてくれた事が嬉しい。
今日の騒動で、光井ほのかと言う少女が兄の事を褒めてくれた。
兄の能力の高さを改めて、認識した出来事。
展開中の魔法式を読み、把握する…
他の人間が、多くの経験や訓練を積まなければ体得出来ない事を熟してしまう。
でも、多くの人間は兄の事を“失敗作”“不良品”と蔑む。
兄…達也は、かつての実験で感情の殆どを喪失してしまった…。
恨む事も憎む事・怒る事も出来ない、彼。
自分は、兄に恨まれているのかも知れない。
そう思ってもいい事を自分はした。
今、息をしているこの命は、兄から与えられたもの…それすらも達也から貰ったモノ。
恩を返したいの思うのだが、自分は達也の負担でしか無いのでないか…。
兄の優しさは、そんな自分を責めず唯一の存在として愛してくれる。
深くどこまでも暖かな優しさ
私が、甘え続けても良いものか…と深雪は悩む。
答の出ない無い問なのかも知れない。
安易に答の出る事では無く、自分に架せられた“罪咎”なのだろう。
いつか、兄に心の内を全て曝け出して答を聞きたい。
喩え、結果的に兄から拒絶・疎まれても為すべきだ。
達也にも認識出来ない心の深部で、深雪は考えている。
達也の見守る彼らの箱庭、いつか多くの“暖かなモノ”で全てを満たしたい。
兄も満たされるかもしれない、自分が望むのはそれだけ。
彼女と彼女の世界は、周り続ける。
いつか、兄へ答が出るその時まで…。
料理の途中、調味料が足りなくなり外出しようと試みた
兄に事情を悟られて…更に来客が来てしまったが。
深雪は、料理の件で兄に伺いを立てなければ…と思慮する。
来客の件は、どうしたものか
兄が、来客の件でこちらに戻っていないと言う理由で現状を捨て置く事も出来ない。
かと言って、来客の前を通り外出をするのも如何なものか…。
彼女の端整な眉が思案により、ころころと形が変わる。
叔母である真夜が、目にすれば面白がるであろう光景が繰り広げられていた。
最終的に悩んでいても仕方が無いと彼女は、判断する。
そう決めてからの深雪の動きは、迅速だった。
(お客様よね…特に揉めている様子も無いですし)
深雪は、達也が来客の事を警戒していた事もあり玄関の様子を伺う。
周囲を警戒しながら、辺りを伺いつつ移動する。
小動物の様に顔を玄関に続く角から覗かせた…
僅かな動作すら可愛らしく見えるその姿、多くの男を惹きつける事だろう。
実際、彼女を構成する一つ一つが、美しく見る者全てを惹きつけているのは事実なのだから…。
(どうやら玄関で来客の方と話し込んでいるようですね…)
玄関で、遣り取りをしているのが分かる。
残念ながら話している事は、詳しく聞き取れない。
盗み聞きをするの真似事をするのも如何なものか…
はしたない真似だと、思い直ぐに辞めた。
深雪としても危険が無い筈なので、玄関で兄と来客に挨拶し買い物に向いを手早く用事を済ませたい
と考えていた。
(お兄様もあちらにみえる様ですし、急ぎましょう)
深雪は、家を空ける事と今日の夕食の遅れを天秤に掛け後者を選択した。
どうやら、話の聞こえる部分から推測すると四葉から叔母上の“使い”が来ている様子だ。
兄の様子から、“危険”は無いと判断した。
しかし、来客の用向きは一体何なのだろう…
深雪の頭には、四葉からの“用事”が幾つか浮かぶ。
只、兄と自分が最近で四葉から指示を受けるのであれば事前に何かある筈。
では、この来客の用向きは何なのか…
彼女の疑問は尽きない。
深雪は、考えるのを止めて兄と“来客”の前に姿を出した。
彼女の目に映ったのは、意外な光景だった。
そこに居たのは、“男”だった。
四葉の者が、小間使の使用人に至るまで人物の顔が頭の中に入っている。
自分達…四葉の一族を支えてくれる大事な存在。
彼女の性格は、情深く多くの人間から類まれな容姿と尊崇を集め
使用人にも分け隔て無く接した。
深雪の姿勢・態度に対し“何故”と疑問を投げかける一族の者も多く存在する。
それでも彼女の姿勢は、変わらない。
深雪は“慈悲”深い聖女の様な女性…多くの人間からこの様に認識されている。
常人離れし近付き難い程の美貌・本人にその気が無くとも多くの人心を虜にする魅力
その声望・容姿が結び付き深雪は、次期当主候補の筆頭の呼び声も高い。
しかし、彼女の人格形成に大きく関わっていた人物が存在する事実は余りと言うより殆ど知る者の無い事…。
深雪の目に映るのは、自分の“師”と言える男
整えられた四肢・吸い寄せられるそうな美貌…女なら息をつき見蕩れ男は女と見間違う存在
身に纏う漆黒の背広と怜悧な雰囲気
濃密な“チカラ”の流れを感じた。
(私にしか知覚出来ない…微弱な波長)
深雪にしか感じれない特定の波長で、想子が流れて来た。
彼の存在を如実に伝える。
兄との遣り取りは今し方終わった様だ。
御堂に深雪は、声を掛ける。
「御堂さん」
若干の疑問を言葉に滲ませ、男に問う。
達也と話していた御堂の視線が、こちらに移る。
男が、目を閉じて頭を垂れた。
頭主の姪である自分に対して敬意を払う態度。
ゆっくり整った顔の表情が変化し、口許が動き言葉を紡ぐ
「ご無沙汰しております、深雪お嬢様。この度は、ご入学おめでとうございます」
顔を上げ、人の良さそうな笑顔を向けられる。
彼が浮かべるのは、嘗て自分に“大切”にして欲しいと教えくれたのと同じ表情…昔を懐かしく思う。
『深雪様…あなたは、四葉を背負って行かれる方でございます。人を使い・上に立たれる御方です。人の上に立つ力を持つ者は、相手を思い遣り大切に扱わなければなりません。使用人が相手だから・目下にある者に何をしても良いと言う訳では、無いのです。思い遣り・自分にとって理解者や味方になってくれる様に動くことが肝要なのです』
記憶の底にある言葉を掘り起こす。
あの言葉を思い出して、人には接するようにしてした。
数多の人間から羨望を向けられる容姿と彼が説いた人に接する姿勢が、今の己が評価に結びついている。
自分に心の有り様を説いてくれた御堂を深雪は、“師”と胸中で慕っていた。
了