夜空を巨大な鉄の“怪鳥”が飛ぶ。
既にそれらを防ぐ力は、この国には残されていまい…国民の誰もが屈辱的なこの事実を知りながら“戦時統制”と言う強烈な呪縛の中で皆一葉に口を噤んでいた。
怪鳥の腹から産み落とされる“死神”達が帝都を灰燼に帰してゆく。
京が東に遷都されて、80年足らずで日本は西洋列強に迫る迄に近代化を進めてきた。
東洋の魔都・上海にも劣らない規模と経済力を手に入れた帝都…今、地獄の業火にも等しい灼熱に襲われていた
男は、自宅への帰路を人々と逆行して急ぐ。
それを引き止めようとする声も聞こえるが、無視をして歩みを更に早くする
彼の後ろでは、街が混乱の坩堝と化していた。
路上で、子供を探す母親
母親から逸れ泣く事しか出来ない幼児
年老いた母親を連れに自宅に戻ろうとする夫を引き止める妻と子ら
地獄を体現する景色が、周囲一変そこかしこで繰り広げられる。
普通の感覚であれば、窮者を救わねばならぬ軍人達は無力にも何もできない。
それが、この国の現状
国を憂う者・力や才能を持ちし者は既に戦場の露や悪意ある奸物の手に消えた
男は、絶大な“力”を持つも争い・対立には興味を持たず無関心を貫いていた。
唯一、自分の守るべき“存在”“宝”の待つ屋敷へ走る速さを上げた。
彼の周囲は、業火に包まれ始る
勢いを止めるべくもなく、火の手が自らの居宅に近い高級住宅街にも広がって行く。
「はぁ、はぁ」
どの位、走ったのかも定かでは無い。
男の息が上がり切ってしまい、美しい・芸術品にも喩えられる白晰な顔に色濃い疲労と焦燥が色濃い。
彼を良く知る人間が、見れば目を疑う光景
常に顔色を変えず、職務を果たし命令が下れば
喩え、困難の付き纏う命令・指示も冷厳で表情を一切変えず熟す男には見えなかった…
男が探している存在が、どれほど重いかは直ぐに察せられるだろう。
息を切らせながらも男は、遂に自らの城に辿り着く
「ここもか……」
贅の限りを尽くし以前の自分では、考えられぬ浪費と大切な存在を労わる為に築いた瀟洒な屋敷にも紅蓮の焔が広がる。
自らの持つ財からすれば少額ではあるが、他人からすれば圧倒的な悦を尽くした物が灰になる。
アイツも気に入っていた庭園にも無残に火の手は、広がり儚く美しい華達も灰になっている…
何処か他所事の様な考えに囚われて現実逃避をする
「愚図愚図している場合では……」
頭を振り意識を戻す
屋敷の奥、家族が居るであろうそこに向かう。
その顔に映るのは、本人は否定するかも知れないが街で家族を探す哀れだが人間味を持った色だった。
「…ッ。…ッ。…ッ。…ッ」
愛する妻の名を呼ぶ、喉が張り裂け声が枯れ様が彼女が無事であれば……
男の切実な感情がありありと声からも伝わる。
(必ず俺の手で、護りきって見せる……)
彼女と初めて、心を通わせた夜。
あの日、己の醜さを認め奥底に沈み常に苛んできた澱すらも溶かしてくれた
男は、“初めて”他人を愛した。
この女を護りたい…その誓いを胸に今日まで生きて来た。
己が彼女に返したと思える事は、僅か
彼女は、それでも自分を“聖女”の様に慈しみ愛してくれた。
大切な存在を探し男が、“灼熱地獄”を進む
「旦那様、旦那様ぁ…だ」
細い切れに女の声がする。
聞き間違える筈の無い愛しい女・妻の声……
男は、神経を集中し業火の中から女の声を聞き取ると悲鳴を上げ始めた痩躯に鞭打ち駆け出した。
もし、神と言う存在がこの世に或るならば残酷過ぎると言わざるえない
男の眼前に絶望の光景が広がった。
愛した妻の相貌を目に捉え安堵するも束の間、彼は生地獄を味わう
「糞がぁ………」
口汚く罵りながら……男は咆吼した
彼の妻の身体が、火の廻り崩れた屋敷の下敷になっていたのだ…
何故だ…何故だ…何故だ…何故だ…何故だ…何故だ…
考えても答の出ない疑問が浮かび続ける
「旦那様、旦那様ぁ…。私は、大丈夫です。それよりも」
妻は、男の狼狽と放心した様子に気丈にも言葉を紡ぎ虚勢を張る
今も激痛と苦しみに叫びたいのは、女の方だ
男は、妻の言葉で正気を取り戻す。
「喋るな…。直ぐに助けてやる。あと少しの辛抱だ」
「うふふ、旦那様?
そんな顔をされて、駄目ですよ。らしくございません。
いつも出来ない事は、仰らないでは無いですか?
自分の事だからですかね、わかってしまうんです」
「何を言う。俺の力を使えば、こんな傷等は直ぐに…」
「旦那様…。傷は、そうかもしれませんがもういけませぬ。血を失いすぎました」
妻は、そう告げると白魚の様な美しい指を立て愛する夫の唇にあて微笑む
決してそんな事が、できる様な状況でないにも関わらず彼女は続ける。
女の前には血溜りが出来、触れた指も冷たく男の唇にも血化粧を施す
男を少しでも安心させたい…健気な妻の無理を理解し彼は、言葉を発しず押し黙った。
「私は、倖せでした。本来であれば、自らの望みなどは叶わず見ず知らずの人と一緒になる。
それが、私の定めでした。
旦那様が、私を呪いにも似た軛から救い上げてくれたのです。自分の愛した方と一緒になれる結婚できる…
これ程の女の幸福は、他にございません。他に女など、あなた様なら幾らでもお好きに扱えるのに私を私だけを見て下さいました」
「だが、俺は…お前の為に何をした…」
妻の言葉に男は、自らの過去を思い悔いる
己が、今まで行ってきた数々の所業。
口にするのも憚れる数多の徒事・業
男は、言葉をそれ以上に紡げなかった。
「旦那様…、こんなにも私を愛して頂いたではありませんか…。あの子達が、証です」
「わかった。だが、俺はお前に何もしてやれていない…」
「ふふっ、旦那様。あなたのその言葉だけで、私は充分に満たされます」
妻は、ゆっくり手を上げ火の廻っていない大木の影に隠れていた幼子達を手招く。
言葉を終えると彼女は、咳き込む
可憐な唇から無残に血が、飛ぶ
男の表情は、更に険しさを増す。
「最後に良いですか、旦那様」
「何だ、全て俺の力で望みを叶えてやる」
「ありがとうございます。最後にあなたの声を聞けない事が心残りでしたがそれも無くなりました」
「もう喋るな…。喋らないでくれ…。お願いだから…」
「ですが、私は欲深い女です。別のお願いが出来てしまいました……。聞き届けて頂けますか」
「な、何だ改まって。聞いてやる」
妻の顔から生気が失せてゆき、男は動揺で言葉を詰まらせた。
もはや、猶予はない。
両手で男の手を掴む妻から温みが急速に逃げてゆく
激痛と熱・失血で、体力を奪われ気を失う寸前
声を発するのも辛い筈。
彼女は、自分に“懇願”する…
男は、妻の願いを切なる聞き届けるべく儚く消えそうな存在の願いを聞き届ける。
「ふふっ、ありがとうございます。
この子達の事をお願いできませんか。最後に子供達を残して逝くのが、何よりも怖い恐ろしいのです。
あなた、私に与えてくださった宝物の中でもこの子達は“特別”です。
事後をお願いできませんか…。
お願いいたします」
己の苦しみにも関わらず、女は残される子らの事を夫に託す。
しかし、最後は死への恐怖・孤独に笑顔に涙が交じる。
男は、願いを頷首で答えた。
見届けると妻の瞼がゆっくりと塞がっていく…
「おい、…。待て待ってくれ……」
「旦那様……。いきませぬ……、寒さが止まりませぬ。はは」
「もう良い、お前はよくやった……。ゆっくり休め」
妻の寒さは、失血によるもので幾らかの時も持たない。
女は死への恐怖を誤魔化す為、苦笑いを浮かべる。
いつの間にか、自分の周りに子供らが集まっていた。
父が珍しいのかはにかみながら男の服の裾を掴み離さない子供の姿も
妻が、手を伸ばし一人一人名残惜しそうに触れる
子供は、意味がわからないのか…大好きな母に触られ笑う者もあれば不思議そうな顔をする者も居た。
一通り、全員に触れた後で動きがゆっくりになる。
「旦那様、お別れの様です。あなたの側で、妻として過ごした日々とこの子達を私に授けて頂いた事が一番の宝でした……」
「あぁ」
「死にたくないよ……、死にたくない……。まだ、一杯あなたと居たいの……に……」
妻は、最期の最期に弱音を吐き事切れた……
瞳孔が徐々に拡がっていくのが、見て取れる。
最期まで、自分に恨み事の一つも言わずに逝った。
結局、俺は大事な存在を失うのか…。
男の心に虚無感・寂寞感が渦巻、思考が弛緩する。
「父様…。母様は、どうしたの?」
自分の裾を引く、子供の声に目を向ける。
まだ、小さな存在…自分には護る義務があるのを思い出す。
母親の“死”を理解出来ない幼子は、父親に質問した。
答えず、男は立ち上がると子の頭を優しく撫でる。
父の挙動に驚くが擽ったくも気持ちの良い行為に感じ目を細め、無邪気に喜ぶ
他の子供達も日頃は、中々会えない父親に構って欲しいのか指を咥えたり・じっとこちらを見ていた。
絶望をし喪失感の拭えぬまま、朝がやってくる。
明けぬ夜は、無いがすべての苦しみがそれで終わる訳でな決してない。
男は、“宝物“を失った悲しみに暁の空に咆哮する。
全てを償わせる・己の手で全て消し去る……
“復讐”するには、大きすぎる相手がそびえ立つ。
黄金の瞳を鈍色に輝かせて、男は進みを始める…終わりの見えない復讐と分っていても
2095年4月9日未明
四葉本宅 別館
「また、あの時の夢か…。消したくても、消えねぇ」
魘されて、目が醒め最悪の気分になる。
最愛の妻を亡くしたあの日、初めて愛した女を喪った苦しみ
悪夢として、男を苛む忌々しい過去の痕
今も時折、彼を苛み続けた。
(真夜様にお仕えする様になって、もう見ないと思っていたが…)
深夜に目を覚ました男は、憎々しげに呟く。
眠りに落ちる気は全くしないが、目を閉じ朝を待つ
朝までの時間が、彼にとって永劫に感じられた…
数時間後…
日が昇り、暫く時間が立つ
暫くして、控えめなノック共に人間が入ってくる。
純粋な日本人では、ありえない金糸雀の様に美しい金髪・宝珠の様な碧眼を備えた10歳前後の少女。
部屋の家具にも劣りはしない価値を持つ彼女は、おずおずと“部屋の主”に近づく
一人の男が、自室にて睡眠をとっていた。
特注の寝台にただ横たわる姿は、色気すら漂う。
知らぬ人間には芸術品の様な美貌の故、男か女か判断が出来ない。
上役からの指示に従い彼らの“支配者”に起床を促す。
「旦那サマ、旦那サマ。起キテ下サイ。Dサン、御用デオ待チデス」
童女は、丁寧な日本語で使用人として話すもどうにも発音に違和感が残る。
暫くして部屋の主に動きが現れる。
「ッるせよ…、雌餓鬼。手前ェ、前にも言ったよなぁ。あぁ」
「ヒィ、申シ訳ゴザイマセン。オ許シヲ、オ許シヲ」
支配者の逆鱗に触れ、哀れにも童女が自分の故国には無い“土下座”にて恐怖の対象に許しを懇願する。
同僚達から聞いた恐ろしい噂話の数々・故郷では、「蝶よ華よ」と愛でられた自分の容姿すら霞む美人に凄まれる恐怖
滑稽な程、動揺・萎縮しその場から動けなくなった。
美麗の暴君…御堂は、射殺す視線で童女を虫螻の様に見る。
「退け。邪魔だ」
「ヒャウ」
御堂が、手を払い眠気にふらつく歩みの障害を手で邪険にした。
幼獣の様な悲鳴を上げ、御堂に幼女が退かされる。
子供であるので、男の扱いがこの程度で済んでいる事を彼女は知らない。
「ッチ、貴様の仕事は床で転がされている事か…」
「イエ、御用ヲ承リマス。ゴ主人様」
「来客なのだろうが…。とっとと、支度の手伝いをしろ」
幼女は、美鬼に傅く。
男にとって、それすら日常の一つに過ぎない。
報告を待つ部下の元へ、支度を整え足を向けた。
了