そこはとても新世界とは思えないほど平和な海だった。前半の海に比べて新世界は過酷だというのが通説だが、それもまったく例外が無いとは言えないらしい。スペード海賊団の船は至って順調にエースの持つビブルカードの示す先を目指していた。
「よし……覚悟を決めろ、お前は男だろエース……!! 行くと決めたら行くんだ……!!」
穏やかな気候が織り成すそよ風に当てられながら、エースはビブルカードを凝視して何やら独り言を呟いていた。それは彼にしては珍しいことで、周りの船員達は奇妙な物を見たような目で彼を見ていた。
「何ブツブツ言ってんだ、独り言なんて珍しいじゃねェか。やっぱりそのビブルカードに思うことでもあるのか?」
「ああ……まァな」
目元をマスクで隠した男、船医のデュースが話しかけてきた。スペード海賊団で一番の古株であり、信頼のおける仲間だった。
「行きたくねェなら無理して行く必要ねェんじゃないのか?」
「そりゃあおれだって行かなくていいなら絶対行きたくねェけどよ……おれの野望を果たす為には避けては通れねェ」
「⋯⋯そうか」
今の時代、海賊ならば誰もが海賊王の残した〖ワンピース〗を手に入れることを夢見て海に出るものだが、エースは違った。彼の名を世界中に轟かせる。ワンピースを手に入れるのではなく、
「で、そのビブルカードが示す人物ってのはどんな奴なんだ?」
「おれの……師匠みたいなもんだ」
「……!! お前、師匠なんていたのか?」
「意外か? まァ戦い方を教わったのは一年くらいだがな」
デュースにとっては初めて聞く話であり、そして意外でもあった。確かにエースは強いが誰かに師事して学んだような戦闘スタイルではなく、荒削りな我流のように素人目からしても見て取れたからだ。
「……だとしてたらなんでそんなに怖がってんだよ。師匠なんだろ? それともお前がビビる程の豪傑なのか?」
「いや、男なんだが女みたいで……歳はおれらの倍近いはずなんだがガキみたいな見た目で……」
「なんだそりゃ、意味わかんねェぞ」
「そりゃおれも同感だ……だが強さは半端ねェ、おれは弟と二人がかりで戦ってもかすり傷一つ付けられなかった」
「昔の話とはいえお前がか!?」
エースの強さをよく知るデュースは驚いた。何しろエースはシャボンディ諸島で海軍中将を撃破し、そこから破竹の勢いで新世界を駆け抜けてきた。あの〖百獣のカイドウ〗の本拠地、鬼ヶ島では三人の災害と称される大看板の一角〖旱害のジャック〗と引き分けた程だ。そんな彼がまだ幼い頃とはいえ、二人がかりでも敵わない師匠とはどんな化け物なんだと。
「エースの旦那!! 島が見えたぜい!!」
「……!! もうか、思ったより早いな」
スペード海賊団の情報屋、スカルが前方に島が見えたと報告してきた。様々な情報を持つ彼には、目の前の島の正体もすぐにわかった。それを理解した瞬間、彼は冷や汗を流した。
「だがありゃあ……“千両道化のバギー”のいるカライ・バリ島だ!!」
「な!? あの五皇のか!?」
その名を聞き、デュースも同じく肝を冷やす。何せこの間命からがらカイドウのナワバリから逃げ帰ってきたのだ。そんな矢先他の海の皇帝のナワバリに迷い込むなんてついていない。
「おいエース、まさかその師匠ってのは……“千両道化”の……」
「ああ……確か副船長をやってるって言ってたな」
「そりゃ“宵魔女”ですぜエースの旦那!! 十年以上前にマリージョアに乗り込んだイカれた海賊!! 実力も五皇に引けを取らねェ!!」
「エース!! てめェなんでそれを先に言わねェ!!」
「……すまん、忘れてた」
その言葉に絶句しながらも今更進路を変える訳にもいかず、スペード海賊団一行はカライ・バリ島へと足を踏み入れるのだった。
♦♦♦♦♦
「……不気味なくらい簡単に入れたな……どうなってんだ?」
「おかしいぜい……許可なくカライ・バリ島の周囲に入り込んだ海賊船や政府の軍艦は躊躇なく沈められるって話なんだが……」
スペード海賊団はなんの障害もなく、驚くほど簡単にカライ・バリ島へと上陸した。どれだけ島に近づいても、敵の一人も現れることなく今いる港へと船を停泊出来た。街ゆく人々からはちらりと視線を向けられるが、皆それ以外の反応を見せることもない。
「……多分あいつはおれ達が上陸してることには気づいてる」
「あいつって……“宵魔女”か?」
デュースがエースに問いかけたその時だ、建物の屋根を飛び移ってくる人影をエースは視認した。それはみるみるうちに彼らに近づき、そして手に持った金棒を振るって襲いかかってくる。
「お前ら離れろ!!」
エースが仲間達に叫んだ次の瞬間には金棒がエースの眼前にまで迫っていた。それを武装色の覇気を纏わせた拳で防ぎ、目の前の女を睨みつける。二本の角の生えたエースの一回りは大きいであろう女性だ。
「よく来たな“火拳のエース”!! 僕はヤマト、またの名を光月おでん!! 早速だがミズキから伝言を預かってる!!」
「……!!」
金棒での攻撃を防がれたヤマトと名乗る女性は、エースにとって聞き覚えのある名前を何故か名乗り再び彼に向かって襲いかかってくる。
「立派な海賊になったと……証明してみろ!!」
「!! ……おもしれェ!!!」
ヤマトの金棒とエースの拳が再度激突し、火花が周囲に飛び散る。それと同時に赤い稲妻、覇王色の覇気のぶつかり合いにより周りにいた力の弱い者は即座に気を失い、地面に倒れた。
「あいつ⋯⋯エースの拳を受け止めやがった!!?」
「そいつは“鬼姫”!! バギー海賊団の最高幹部だぜい!!」
エースの強さをよく知るスペード海賊団の面々は、彼の拳を受け止めるヤマトの強さに驚いた。しかしそれは向こうも同じ。ヤマトの金棒でも押し返せないエースの力に周囲からどよめき声が聞こえてくる。
「あの男⋯⋯ヤマト様と互角にやり合ってる!?」
最初の激突を合図にエースとヤマトは常人では視認出来ない程の速さで攻防を繰り広げる。一撃が必殺級の戦いは、街の建物を破壊しながら島の中心へと移動していく。
「中々やるな、女だからって侮ってたぜ」
「見た目で判断しない方がいい。そもそも僕は光月おでんで男だ!!」
「やっぱり⋯⋯おめェ、なんでおでんの名を!!」
エースはワノ国で光月おでんの話を耳にしていた。ゆえにヤマトが自らをおでんと名乗っていることを疑問に思う。そんな彼の動揺を知ってか知らぬか、ヤマトは挑発的な笑みを浮かべた。
「僕に勝てたら教えてやろう!! 勝てたらな!!」
「へっ!! なら早いとこ聞き出してやる!!」
彼らの戦いは時に会話を挟みながらどんどん激しさを増していった。止められる者などおらず、街の被害だけが広がっていく一方だった。
「お嬢!! このままじゃ街が滅茶苦茶に⋯⋯止めなくていいんで!?」
「ん〜〜⋯⋯いいんじゃない? 街は後で直せばいいし、今はエースがどれだけ強くなったか知りたいしね」
「で、ですがきっとキャプテン・バギーはお怒りになると思いますが⋯⋯」
戦場からやや離れた場所、ある建物の屋上。そこから破壊されていく街を見て、慌てた様子で部下がミズキの元に駆け寄ってきた。しかしミズキは楽しそうに戦いを眺めるばかりで止める気はさらさら無いようだ。元々ヤマトをエースのところに向かわせたのはミズキだ、多少の被害は想像していたし街が破壊される程度なら後でどうとでもなる。
「
「ッッ⋯⋯!!?」
十字に合わせたエースの指から十字型の炎が飛び出してきた。ヤマトはそれに驚きつつも、的確に覇気を纏わせた金棒で相殺する。そしてその勢いのまま彼の元へと突進し、攻撃を繰り出す。
「うお!? あっぶね!!」
「
「ああ、メラメラの実だ!!」
自身の食べた悪魔の実の名を叫び、それを見せつけるかのように巨大な火の拳で攻撃する。それをまともにくらったヤマトは派手に吹っ飛ばされ、島の中心にあるテントへと叩き込まれた。
「⋯⋯しまった!! やりすぎた、死んじゃいねェよな⋯⋯」
力を込めすぎたことを自覚し、ヤマトを殺してしまっていないかと心配する。流石にあの程度で命を落とすことはなかろうが、後遺症でも残ったら後味が悪い。無論手を抜いていた訳では無いが。
まいったなと頭を掻きながら、エースはヤマトが吹き飛んだ方向へと急いで向かうのだった。
♦♦♦♦♦
カライ・バリ島の中心にある巨大なテント。そこはバギー海賊団の本拠地であり、海賊派遣会社バギーズデリバリーの本社でもあった。そしてその中には宴会場が設けられており、毎日戦場から帰還した海賊達が飲み食いをして騒いでいた。
「ぎゃはははは!! いいぞてめェら!! 我がバギーズデリバリーの業績は鰻登り!! 今日は存分に騒げ!!」
『うォォォォォ!! キャプテン・バギー!!!』
五皇〖千両道化のバギー〗その名を聞けば誰もが恐れる程の大海賊。彼が一度ステージに上がれば、会場は最高潮の盛り上がりを見せる。そして彼自身も、宴会を楽しんでいた。
そんな時だ。突如宴会場の壁が崩れ人影が中へと突っ込んできた。その衝撃や崩れた壁で料理や酒の載ったテーブルが滅茶苦茶になる。一瞬何が起こったのか理解出来なかった海賊達だが、突っ込んできた人影を見て目を丸くした。
「ヤ、ヤマト様!? 一体何を!?」
「いたた⋯⋯やられた、想像以上に強いな」
服についた汚れをはたき落としながら、ヤマトはゆっくりと立ち上がる。痛いとは口にしているが、大したダメージは受けていないようだ。
「⋯⋯だけどこの程度で僕が負けるとは思わないことだ」
「おいコラヤマト!! てめェ何楽しい宴会を滅茶苦茶にしてくれてんだ!!」
「バギー、僕は今忙しいんだ。悪いが後にしてくれ」
「んなこと知るか!? どう落とし前を⋯⋯!!」
会場を破壊され、怒り心頭のバギー。彼がヤマトに詰め寄ろうとした時だった。
「うあああああああ!!?」
「熱ィ!!?」
炎が彼らの目の前を焼き尽くした。明らかに人為的なものだ、そんなことが出来るのは一人しかいない。ヤマトは金棒を握りしめ、先程まで戦っていた敵の出現を警戒する。
「ったく、何もしねェって言ってんのに」
「おい! 僕らの戦いに部下達を巻き込むな!」
「ああいや、おれも手を出すつもりはなかったんだがよ。あいつらが向かってくるもんだから仕方なく。大丈夫だ、殺しちゃいない」
部下達を倒して現れたエースにヤマトが怒りを向ける。エースはそんなつもりは無いと言い訳するが、ヤマトは戦闘態勢を解こうとはしない。そのまま戦いが続行されようとした時、横から騒がしい男が割り込んできた。
「てめェら!! おれ様を差し置いて話を進めんじゃねェ!! そもそも誰だてめェ!!」
「ああ、こいつは失礼。おれの名はエース、以後お見知りおきを」
「普通に挨拶してんじゃねェよ!!!」
丁寧にお辞儀をして自己紹介するエースにバギーがツッコんだ。そんな彼を不思議そうに指差し、ヤマトに問いかける。
「おいヤマト、誰だこの赤い鼻の奴は」
「⋯⋯馴れ馴れしいな。というか知らないのか、彼はバギー。ウチの座長だよ」
「ああ“真っ赤なお鼻のバギー”って奴か」
「“千両道化のバギー”だハデアホ野郎!! 泣く子も黙る五皇の一角とはおれ様のことよ!!」
「お、うめェなこの肉。だが焼き加減が微妙だ」
「何呑気にお食事してやがるんだてめェ!!」
バギーの怒涛のツッコミをエースはマイペースにのらりくらりと流す。しまいにはそこらに落ちていた肉を手に取り、食事をしてしまった。しかも焼き加減がいまいちだったのか自らの炎で火を入れる始末だ。
「なんというか⋯⋯掴みどころのない奴だな。だけど僕との戦いは終わってない。おい、いい加減に続きを⋯⋯」
ヤマトはそこまで言ったところで違和感に気づいた。さっきまで口を動かしていたエースが微動だにしていない。まさかと思い、彼の正面に回り顔を確認する。
「⋯⋯!!? ⋯⋯寝てる」
「はァ!?」
肉を頬張っていたはずのエースはいびきをかきながら寝てしまっていた。しかも肉を手に持ちながら、口の中にも残っているだろうにだ。明らかに異常な光景にヤマトとバギーは言葉を失ってしまう。
「バギー座長、こいつ“火拳のエース”ですよ!! 最近話題のルーキーです!!」
「火拳⋯⋯? ってこたァこいつがミズキの言ってた⋯⋯⋯!! ロジャー船長の!?」
騒ぎを聞き付けたバギー海賊団の幹部格、カバジが口を開く。エースの活躍は新世界にも知れ渡っており、ある程度新聞を読む者なら気づいても不思議ではないだろう。バギーが驚いたのはそこではない。かつてミズキから聞いた話、かつての船長ロジャーに息子がいるということだ。ミズキがどこでそれを知ったのか定かではないが、バギーはその話を思い出した。
「⋯⋯バギー座長?」
黙り込んでしまったバギーにカバジは不思議そうな表情を向ける。集まってきたモージやその他の部下達も概ね同じ反応だ。
「ん? おい、せっかくの宴じゃねェか!! 黙ってないでもっと盛り上がろうぜ!!」
『お前のせいだよ!!!』
そんな沈黙の中、いつの間にか目を覚まして食事の続きを始めていたエース。沈黙の理由など知らない彼は陽気に声をかける。そんな彼に誰もがツッコミを入れるのだが、一人だけハッとした様な表情をする者がいた。
「そりゃそうだせっかくの宴だった!!」
「そうさ!! お、ライオンがいるのか!! よし、この火の輪をくぐってみろ!!」
「よーし!! やってやれリッチー!!」
エースの言葉に乗せられたバギーを筆頭に、宴会は再び大盛り上がりを見せた。先程までのいざこざなど嘘のようだ。そんな楽しい時間が小一時間ほど続き、ある時ふとバギーの言葉を聞いてエースは思い出した。
「おいそういやおめェ、一体この島に何しに来たんだ?」
「ん? ⋯⋯あ、忘れてた!! おれは五皇の首を取りに来たんだ!!」
『!!!』
その言葉に場は一瞬で凍りつき、誰もが冷や汗を流す。何せ目の前ではしゃいでいた男がその五皇なのだ。バギーは楽しげに叩いていた手を止め、静かにエースへと視線を向ける。
「ほう⋯⋯おれ様の首をか?」
「ああ、あんただけじゃねェ。カイドウもビッグ・マムも赤髪も白ひげも⋯⋯全員おれが倒す!! そしておれの名を世界中に轟かせるんだ」
おおよそまともとは思えない発言、しかしエースはそれを堂々と言って見せた。バギーはさっきまでとは全く別の、不気味とも言える笑顔を浮かべるとゆっくりと立ち上がりエースから距離を取った。
「おもしれェ⋯⋯いいだろう!! 特別にこのバギー様が相手をしてやる!!」
「⋯⋯!!? キャプテン・バギー自ら!?」
「すげェ!! 滅多に見れるもんじゃねェぞ!!」
その言葉に、バギーの戦闘を見たことがない面々が驚きと歓喜に満ちた声を上げる。バギーが自ら戦いに出るというのは珍しい。無論彼が弱い訳ではなく、強力な戦力を誇るバギー海賊団の前では、ほとんどの敵はバギーの顔すら拝めず潰されるのだ。そういった意味では、エースは運がいいと言えるだろう。
「へ、そうこなくっちゃ⋯⋯それじゃあ遠慮なく行くぜ!!」
エースが炎と化した腕に覇気を纏わせる。これまでの航海で身につけた彼の戦闘力はかなりのものだ。それを惜しみなく、バギーにぶつけようとする。
「火拳!!!」
エースの身長の倍はあるであろう巨大な炎の拳がバギーを襲う。しかし彼は微動だにしない。避ける素振りも防御する姿勢も見せず、自らに拳が迫るのをニヤリと見ているだけだった。バギーに火拳が直撃するかと思われた次の瞬間、攻撃の前に人影が降り立った。
「!!!」
火拳を片手一本で止めてしまった人物、それはエースが良く知る者だった。ピンク色の髪をなびかせて現れた彼は火拳を弾いた右手をヒラヒラさせながらエースを見つめた。
「おいミズキ、助けろなんて言った覚えはねェぞ」
「まァいいじゃん、弟子の成長を見に来たんだよ。それに、ボクが来ることわかってたんでしょ?」
「へ、まァな」
バギーと軽く言葉を交わしたミズキは視線を戻し、エースに相対する。彼は少し身体を震わせたようにも見えたが、すぐに拳に力を入れた。
「というわけで、久しぶりエース。色々言いたいことがあるんだけど、バギーと戦うならまずはボクを倒してからにしてよ」
「どのみちお前の首も取るつもりだった。順番が変わるだけだ」
「あはは♪ 相変わらず生意気! じゃあどれだけ強くなったかお兄さんに見せてみな!」
「上等だ!!」
エースの炎がミズキを包み、その場は再び戦場となった。しかし程なくして彼は知ることになる。自身が望んだ戦いがどれだけ無謀なものだったのかということを。