チョコレートわーくす 作:水代
ぱちぱち、と焚火が爆ぜる音を聴きながら小さくなってきた火に薪を追加する。
そうして焚火の調整をしたら、少しだけ湿らせたハンカチで目の周りを擦りながら、意識を覚醒させる。
二度目の見張りは注意力が落ちやすい。
中途半端に寝てしまっているからこそ脳が寝ぼけてしまっている。
故に見張りに不寝番に望む前に脳をしっかりと起こしてやらねばならない。
「あふ……」
欠伸を一つ、噛み殺しながら膝の上で頬杖を突きながらぼんやりと焚火を眺める。
こうしてぼんやりとしているのも嫌いでは無いのだが、さすがにこれが二時間と続けば退屈だ。
誰か話し相手でもいないかな、と思っているとテントのほうからがさごそと人の気配がしたので振り返る。
「メア? 起きたのかい?」
「がう……目、覚めた」
目が覚めたと言いながらもまだ少し眠たそうな獣耳の少女がゆらゆらと頭を揺らしながらテントから出てくる。
そのままアタシの隣にやってくると腰を下ろした。
「良く寝れたかい?」
「がう、夢、見た……怖い、夢。友達、いなくなる、夢」
「……そうかい」
呟き、焚火で温めていたポッドからカップにお湯を注ぎ、即席の粉を溶かしてメアに渡す。
「それで
「がう……甘い」
淹れてやったインスタントのココアをちびちびと飲みながら、メアがほっと一息つく。
疲れやストレスは精神を不安にさせる。メアはここまで森と街を行ったり来たりし、さらに凶悪な魔獣に追い回されたりで一息吐く間も無かっただろう。
さらに『友達』のこともあって、ストレスが溜まっているのだろうことは分かる。
故に甘い物でもと勧めてみたが、どうやら正解だったようだ。先ほどより少し顔色が良くなった気がする。
「そういや、メアの友達ってどんな子なんだい?」
「がう?」
「話には何度か出て来てたけど、アタシたちはその友達についての情報を良く知らないからね」
メアは一貫して『友達』としか言わなかったので、その『友達』がどんな相手なのかアタシもヨルも知らないのだ。
道中は他に優先すべきこともあったので、後回しにしていたが、こうして落ち着いて話していると疑問が先に出てくる。
森の奥地に住んでいるらしいこと。
以前からメアと共に暮らしていたこと。
最近になって具合が悪くなったこと。
それくらいだ。
一体その友達がどんな種族なのか、どんな人柄なのか、だとか、どんな暮らしをしていたのか、どうして具合が悪くなったのか、分からないことだらけである。
「がう……?」
言っている意味が良く分からない、と首を傾げるメアに質問が曖昧過ぎたかと苦笑する。
「そうさね……じゃあ、その友達の名前は?」
「がう! メルだ!」
「メルか」
「がう……メル……メル、なんとか? だからメル!」
「ああ、あだ名みたいなものなのかね。それで、そのメルは男? 女?」
「がう……?」
何故かメアに首を傾げられた。
「ん? いや、そんな難しい話、じゃないよね? メルって子は男なのか、女なのか」
「がう……おと、こ? おん、な?」
「ん?」
メアに雌雄の区別がない、と言うわけではないと思う。
道中の雑談の中でもその辺の区別はついているように見受けられた。
だからメアが首を傾げているのはメアが問題なのではなく……。
「えっと、じゃあそのメルって子の種族は?」
「がう! みず!」
「みず……? ミズ? そんな種族いたっけ」
ミズ、なんてのは聞いたことの無い種族である。
もしかするとメアたち『コボルト』の間でのみ通用する呼称なのか、とも思う。
次いで外見について尋ねてみるが、どうにも要領を得ない。
「ゆらゆらしてる」
「すごくおおきい」
「メアと同じくらい」
「手がながい」
「偶に見えなくなる」
「透明だけど青っぽい」
両手をいっぱいに広げてとてつも無く大きいのだと表現している割に、次には自分と同じくらいだと言っていたり話が矛盾しているように聞こえるのはアタシの理解が足りないからなのか、それともメアが嘘を言っているからなのか。
あと偶に見えなくなるって何だろう。
メアの友達とは一体?
聞けば聞くほどに分からなくなっていく正体に思わず首を傾げた。
* * *
走る、走る、走る。
余り平坦とは言えない森の奥地、それでも平然とした表情で獣耳の少女は喜々とした表情で走った。
そうして森の中心、森の中にあって開けたその小高い丘のような場所にあったのは大きな湖だった。
「がう! メル! 来たぞ!」
静寂に包まれる湖に向けて少女が大声で叫ぶ。
数度、少女の叫びが反響しては返る。
そうして再び湖に静寂が訪れて……。
「騒がしいね」
ぽつり、と虚空から滲むように声が響いた。
決して大きな声ではない、けれど不思議とそれは響いた。
「やあ、メア。よく来たね。でも何度も言ったように、ここでは静かに頼むよ……みんなびっくりしてしまうだろ?」
いつの間にか、そう、本当にいつの間にかとしか言いようがなく、ソレはそこに立っていた。
湖の中心、そこに人の形をした何かがいた。
青い髪をした獣のような耳を頭頂部に生やした何か。
「がう、メル、ひさしぶり!」
それは一見すると湖岸で叫ぶ獣耳の少女と同じような存在にも見えた。
けれどよく見ればそれは間違いであることが分かる。
「しばらくぶりだね、珍しく長く空けていたけれど何かあったかい?」
少なくとも、湖岸の少女には
「がう……」
「メア? どうしたんだい?」
「シロ・ネコ様、森を出る、言った」
「何だって、彼が森を出ると、そう言ったのかい?」
「がう」
それは困ったね、とソレは……メルは呟いた。
実際困っている、少女……メアは嘆息した。
シロ・ネコ様はメアの一族であるシロ族の長だ。
シロ族たちは族長であるネコ様の言葉に従う必要がある。
だがそれは目の前の友達との別れを意味することも分かっていて。
「
「がう?!」
あっさりと、見切りをつけるようにメルが呟いた一言にメアが驚愕し。
「だって仕方ないじゃないか。キミはキミの一族の長に従って森を出る以上、ボクはこの場所から動けない以上、どうしようも無いよね」
突き放すようなその言葉に、メアの胸が締め付けられるように痛んだ。
「だから、仕方ない」
そうして。
「バイバイ、メア」
余りにも淡々と告げられるその言葉を。
「
咄嗟に否定した。
「がう……違う! 違う! メルは、そんなこと言わない。そんなこと
否定して、否定して、否定して。
「メルは!」
きっと、目の前のソレを睨んで。
「―――ッ!」
伸ばした手が空を切る。
ハッとなって目を覚ませばそこは昨晩泊ったテントだと思い出す。
「がう……夢」
また嫌な夢を見てしまった、と嘆息する。
昨晩に引き続き二度目。
きゅっと締め付けられるように痛む胸を抑えながら、何度となく深く呼吸を繰り返す。
「がう……メル、助ける、絶対に」
握りしめた拳を開く。
そこにあった小瓶を見やりながら、そっと呟く。
―――へえ、友達を助けたいんだ! 良いよ、良いさ、良いとも! この僕様が手助けしてあげるよ、やるともさ。なーに、簡単だ、こいつだ、この小瓶、これをその友達に渡してあげるんだ、それでだいたいはどうにかなるよ。症状が早い内はね?
これが本当に効くのかどうか、そんなこと分かりはしない。
それでも街に赴いたメアがいくら探してもこれ以外の手は見つからなかった。
助けたい。苦しむ友達を、助けたい。
もしこれに僅かでも可能性があるのならば、それに賭けたい。
「がう……」
きゅっと拳を握り、決して無くさないように小瓶を抱えて。
「待ってて、メル」
呟いた。
―――ああ、でも一つだけ注意だよ。もしこれで症状が改善しないなら、その時は。
* * *
朝、日が十分に昇り、森全体が明るさを取り戻した頃。
キャンプを片付けメアの案内の元で森の奥へと進んでいく。
ただキャンプをした場所から先はそれまでの道と違い、起伏が大きく森を歩き慣れているメアはともかく、アタシやヨルはやや歩くのに苦戦したため進むのにやや時間がかかっていた。
メアの友達がいるという場所まで昼前までには着く予定だったのだが、目的地の目前まで迫った時点でもうとっくに午後を過ぎてしまっていた。
メアの案内なら半日もあれば森を抜けることができる、とのことだがこの調子だと本当に今日中に街に戻れるかどうか怪しくなってきた。
「さすがにキャンプ生活二日目突入は……勘弁して欲しいもんだね」
「それは同感……徹夜には慣れてるけど、だからって好き好んでやりたいわけでも無いしね」
さっさとメアの友達を助け、この森を抜けたいものだ、と思いながらさらに奥へと進んでいき。
その先で森が途切れた。
否、それは間違いだ。
正確に言うならば、木々の開けた場所に出た。
「何だいここ」
目の前に見えるのは聳え立つ丘。
その頂上へと続く坂道の途中は見事に草原になっていて、木々の一つも生えていない。
よく見ればこの丘を中心としてまるで森がくりぬかれたように綺麗な円形に開けていた。
「うわあ」
ここまでずっと木が並び立つ景色ばかり見ていたからか、木々の見えない光景にヨルが感嘆したように声を漏らす。
まあ分からなくも無いが、アタシとしては早く文明の中に戻りたいものだ。
「がう! ここ、この先! 友達、いる!」
そして目的地までたどり着いた途端にメアが興奮しながら走りだす。
夜に会話している最中に寝落ちしていたのでテントに戻したのだが、どうも今朝の様子を見た限りまた悪い夢に魘されたようだった。
きっと友達が心配でストレスが無くならないのだろう。そう考えればここまで来て走り出すのも無理はないか、とその後を追う。
そうして走り出すメアを追って長い坂道を超えた先にあったのは。
「こりゃまた、絶景、だね」
「うわあ……うわあ」
丘の上に不自然なほどに広大な湖が風に揺られながら静かに波打っていた。
「がう! メル! メル! メア、戻ってきた! メル! どこ!?」
湖岸で必死になって友の名を叫ぶメアだったが、すぐにその様子がおかしいことに気づく。
まるで強烈な臭気でも漂っているかのように鼻を摘まみ、その瞳からは涙が零れている。
「メア……?」
思わず呼び掛けてしまったが、そんなアタシの声が耳に届いていないのか、必死で叫び続けるメアのちょうど足元のほう。
ごぼ、と湖の畔で泡が弾けた。
* * *
「メア!」
咄嗟に駆け寄り、メアの体を抱えて後方に下がる。
その間にも湖の畔で膨れ上がった気泡が二つ、三つと増えてごぼり、ごぼりと激しく音を立てていく。
まるで湖が沸騰したかのように、ぶくぶくと気泡が増えて、増えて、増え続けて。
そうして。
―――アアアァァァァッァア!!!
決して大きくはない、けれど不思議と耳の奥へと響き渡るような咆哮を上げながら、湖の中から
「なっ?!」
「はあ!?」
「が、がう!」
真上から降り注いでくる蛇の形をした水流に、咄嗟三者三様に散って躱す。
直後に丘を突き抜けるような勢いで水流が地面へと激突し、そのまま吸い込まれていく。
「な、なな、なんだいこりゃ!?」
「い、今の何? 今の、何!?」
「がう……メル! メル!」
「あ、ちょっと、メア!」
目を見開き、戦慄くように震えていたメアが走りだす、その後を追って再び湖へと駆け寄り。
「ぐう……あ、ああああああああ!」
そこに頭を抱えるように蹲る人の姿があった。
腰まで届くような青い髪に、黒いパーカーのような衣服を着て、その頭頂部には獣のような耳があった。
だが何よりも驚くのは―――。
「がう……メル!」
「え、あれが?」
「ま、待って、あの人、なんで
そう、ヨルの指摘の通り、その人……メア曰くのメルは湖の上、水面に平然と足をつけて蹲っていた。
しかも何等かの物理的作用で立っているのではない、水面に足をつけているのにまるで水が揺れない。
まるでぴたりと接着されてしまっているかのようですらあった。
外見だけ見ればメアと同じコボルトか何かかと思ってしまうようなその姿。
けれど決してそれはコボルトなんかじゃない。
じゃあ、一体、あれは何だ?
その問いの答えは、直後に出る。
「う……ぐう……あ、あああ……ぐああああああああああ!!」
ぐにゃり、と人だったその姿が途端に崩れ出す。
まるで全身から骨が抜かれたかのように、軟体生物がごとく体がぐねぐねと捻じれ、曲がっていく。
「あれ……まさか、スライム?」
「違う!」
強いて言うならば、とでも言わんばかりのヨルの呟きを、けれどアタシは否定する。
「あれは……あれは!」
捻じれ曲がっていくメルの体から徐々
まるで付着した絵具を水で洗い流すかのよう、その全身の色が抜け落ちやがて無色透明な何かへと変貌していく。
つまり、それは―――水だ。
そう、水だ。
昨晩、メアが言っていたではないか。
―――えっと、じゃあそのメルって子の種族は?
―――がう! みず!
ミズ、じゃない、水だ。
メアは最初から答えを言っていた。ただその答えにアタシの思考が直結しなかっただけ。
メルとはつまり水そのものだ。
水そのものが意思を持って動いている。
この湖に溜まった水の全てがメルであり、この湖そのものこそがメルである。
つまり、メルの正体とは。
「精霊種だよ、ヨル……メルは、精霊だ」
あと二話くらいで森編は終了。それ終わったら二、三話くらい都市での小依頼を挟んで、次の渓谷古城編になるかな。