チョコレートわーくす 作:水代
とにもかくにもあの質量が最も厄介なのだ。
『凍結』のマナ術式はああいう液体を振り回すタイプには相性が抜群に良いはずなのだが、桁違いの質量で相性の差を強引に押し切られているのが実情だ。
いや、強引と呼ぶのも烏滸がましいかもしれない、こういうのを焼け石に水とでもいうのか、そんな例えが出るくらいの差が今のアタシがあの水精霊の間にある。
相性というのはある程度均衡した力関係の上で大きく関与するものであり、均衡が絶対的なほどに傾き切っている今の状況において余り意味があるとは言えない。
となればやるべきはまずあの質量を『削る』ことだ。
先も言ったがあの湖に溜まった水全てが水精霊の体なのだ、メアから受け取った小瓶の中身を湖へと投げ入れるなら湖岸から直接ひっくり返すくらいのことをしなければ、放たれた水流は水精霊の手足……どころか最悪、爪先程度のものでしかない。問題となれば即座に本体から切り離されるのは目に見えている。
「やるべきことは決まった、となれば後はアタシ次第ってことだね」
重い体を引きずりながら、手の中でずしりと重さを残す木剣を握りしめながら、ずぶ濡れで体に張り付く衣服に不快感を覚えながら、水浸しで上手く踏みしめることのできない靴で地を踏みしめながら、真っすぐ木剣を振り上げて。
「最初にやるべきは……逃げ道を封じること」
足元の地面に向けて振り下ろす。
「まとめて、凍れ!」
叩きつけた木剣を通し、マナが一気に広がる。
先ほどから幾度となく水流が放たれ水の染みた地面が一気に凍結していく。
人類がマナを操るための傑作たるマナ術式がアタシの中に流れるマナを消費しながらその凍結範囲をどんどんと拡大していく。
そうして湖から森までの坂道の大半が凍り付く。
「これでもう流れた水は回収させないよ」
あの大質量の水流をあれだけ連打しながらそれでも湖の水量は一向に減った様子が無かった。
水精霊が自ら生み出している可能性も無くはないが、アタシとヨルの両者に放った分の水を全部自前で作っているとするといくら水精霊のマナ保有量が人類と比較してぶっ飛んでいると言っても間違いなくマナを使い果たす。
それよりも使った分を
湖が出来ているということは森の地下に水道があるのだ、流れ落ちた水は水道を通ってまた湖へと回収される、つまりそういうことなのだろう。
自らの領域内の水を自在に操ることのできるのならばそんなこともできるはずだ。
森まで退避したら攻撃が飛んでこなったのは恐らく水精霊の『回収範囲』の問題だ。
恐らく森まで流れてしまった水はもう動かせない、いずれ地面に染みてまた湖に戻って来るのかもしれないが、それは自然にそうなるのであって水精霊の意思でそうできるわけではない。
故に
この氷が地面を覆っている限り、地面を通しての水の回収はできない。
それが分かっているのかいないのか、丘を登るアタシに再び水流が放たれて。
「
一切の躊躇なく、『二つ目の鍵』を開く。
「
マナ術式における鍵は三つ。
第一開錠にて『術式の解放』を行う。
これによってマナ術式の行使を可能とし。
第二開錠にて『術式範囲の拡張』を可能とする。
先ほどまで剣先で触れなければ凍結させることのできなかった水流だが、今ならなんら問題とならない。
「オーライ! 全部凍っちまいな!」
こつん、と木剣で足元の氷の床を叩く。
その一動作を持って
放たれた幾本もの水流が氷の床の上へと入った瞬間に凍り付く。
さらに水流の根元に向かって凍り付かせんとする術式を、けれど根本を切り落とすかのように、すっぱりと水流が湖から分離していく。
「ファック! やっぱ警戒されてるね。本体までは届かせてはくれないかい」
それならそれで、やりようはある。
それより問題は、やはりあの水流を凍結させるのにかなりマナを食うことだ。
単純に液体を凍結させるのではない、あの水流は『水精霊の体そのもの』とでも言える。
つまりあの水には水精霊のマナがたっぷりと詰まっているのだ。
人類の使うマナ術式のようなものではない、いわばその原型のような効率の悪い使い方ではあるが、無尽蔵染みたマナ量でそれを行使しているのだろうが、とにかく水精霊の『水を操る』マナをこちらの『凍結させる』マナで上書きさせる必要がある。
そのため普通に液体を凍結するよりも余計なマナを消費しているのだ。
効率で言えばマナ術式より効率の良いマナの使い方は無いと思うが、それでも絶対の保有量が桁違いなのだ。
「消耗戦をすれば負ける」
とは言え、すでにこちらは第二開錠まで行って勝負がけの真っ最中だ。
「なんて考えてる間にも追加かい」
さらに追加で先の倍はありそうな蛇のようにうねる渦巻く水流が湖から降り注いでくる。
「このままじゃ負けるね」
あと一手、一手で良い、それでこの状況を覆せる。
そう考えながら降り注いでくる水流を一本、二本と凍りつかせていく。
角度的に湖のほうは見えないが、確実に質量は減っているはずだ。この水流一本で100キロ以上の質量があるのだ、湖全体で一体何十、何百トンの水があるのか知らないが、回収をできないようにした時点でその質量は有限の産物と化した。
とは言え、さらに追加されて放たれてくる水流を見る限りまだまだ向こうも余力はありそうで。
水流を撃退するのに精いっぱいで、こちらは動けそうにない。
と、なれば。
「チルハ!」
遠くから聞こえた声に笑みを浮かべた。
「全く、頼りになる相棒さ」
* * *
「
それが相棒からの
三秒、たった三秒、あの水精霊の注意を引き付けてくれれば良いとチルハは言った。
「ああ、もう! 絶対無茶する気だ!」
絶叫しながらも、このままではどうにもならないのは分かっているため走り出す。
先ほどまで狂ったように放たれていた水の攻撃がこちらにほとんど飛んで来なくなったのでチルハが何かやっているのだとは思ってはいたが、隙を見て合流しようとした矢先にチルハからの制止、そしてどうにかこちらで隙を作ってくれとのこと。
三秒なんて短い時間で何ができるのか。
否。
何ができるのか、分かるからこそヨルは絶叫したくなるのだ。
それは間違いなく無茶なのが分かっているから。もし失敗すれば今度こそ一巻の終わりだ。
「その時は……」
きっとチルハは止めるだろうし、メアには恨まれるかもしれない。
それでも、その時はヨルは決断するだろう。
ヨルにとって何よりも重要なのはチルハの無事なのだから。
「それより三秒だよ。どうする? どうすればアレの気を惹ける?」
現在水精霊の注意の大半をチルハを受け持っている。
それはそうだろう、チルハのマナ術式はあの手のタイプには相性が良い。
いや、それはヨルもまた同じなのだろうが、ヨルのそれはチルハとは方向性が違う。
端的に言えば、ヨルの切り札はあの水精霊を
ヨルのそれは精霊のような類にとって致命的な効果を持つが故に。
精霊の絶対的なマナ保有量にチルハは苦しめられているが、その絶対的なマナ保有量が故にヨルの切り札は致命的となり得る。
だがそれはメアの意に沿う事ではないだろう。
可能ならばヨルはメアを助けてあげたいと思う。
単純にメアが可哀想だと思ったこともあるだろうが、何よりそれはきっとチルハの意に沿うことだろうから。
「あの水流はチルハの凍結に対して切り離してたわね」
となれば、あの水流までならばこちらの『術式』は使用可能と言っても良いのではないだろうか?
「逡巡してる暇も無し、ね」
チルハのほうも限界は近いのだ、やると決めたなら迅速に。
「
第一開錠におけるマナ術式は基本的に術師から直接的にしか射出できない。
チルハの木剣のように道具を使って間接的に、というは可能だがその際も必ず道具を術師が直接的に触れる必要がある。
例えば飛び道具など射出前には術師が持っている状態ならば術式の行使は可能だが、術師から離れた瞬間にその効果は途切れることになる。
チルハの『凍結』術式ならば木剣に氷を纏わせても手放した瞬間に『凍結』効果が消えてしまう。
それ故にチルハには遠距離攻撃手段というのが無い。
正確には身体能力に物を言わせての近接戦闘が一番強い、というのが本当にところなのだが、遠距離から攻撃できる方法がほぼ無いのも事実だ。
とは言え、チルハのような常人離れした身体能力の無いヨルが頼れるのは手の中の愛銃だけだ。
故にヨルの術式は
「私の『毒』からは逃げられないよ」
バン、と乾いた音を立てて銃口から煙が上がる。
放たれた弾丸はチルハへと迫っていた水流の一本に突き刺さり、一瞬にして水流を突き破って反対へと抜けていく。
だがその一瞬の交差で十分なのだ。
弾丸から滲み出た黒い靄のようなものが水流の中へと広がっていき―――。
「ぉぉぉおああああああぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあ!!?」
精霊が絶叫する。
湖の水が精霊の体そのものということは、そこから放たれた水流もまた精霊の一部に違い無いのだ。
そこに流れ出した『毒』は確実に精霊の体を蝕まんとして流れ出す。
咄嗟に水流が根本から切り離される。勢いを失った水流がただの水に戻り、べちゃりと地面に叩きつけられて流れだすが、けれどチルハが広げた氷の床に触れると同時に地面に張った氷の一部と化していく。
同時に湖へ向かって走りだす。
ヨルの行動に対して水精霊が過敏なほどに反応を示す。
自らの体に毒を撃ち込まれたのだ、単純に凍らされるよりもより直接的な危機を感じ取っても仕方ないだろう。
もし本体である湖へとあの毒を撃ち込まれれば、対処は可能とは言えそれを脅威として見ないことはあり得ないと言っても良い。
例えヨル自身にその毒をもう一度撃ち込む気が無いとしても、そんなことを水精霊が知っているはずも無ければ、もしも、の可能性を考えれば無視できるはずが無かった。
僅かな時間、そう時間にして数秒ほどの
けれどチルハにとってその数秒で十分なのだ。
* * *
ほんの一瞬、水精霊からの攻撃が止んだ。
数秒ほどの間。
ヨルがこちらの頼みに応えてやってくれたのだろう。
そしてそれこそが最初で最後のチャンス。
故に一瞬の間も置くこと無く、即座に『切り札』を切る。
「
―――第一開錠詞『霜白の闇、月が照らす冰の花』
―――第二開錠詞『咲き乱れし、永久凍土の果てに』
―――第三開錠詞『凍てつき閉ざし、時すら凍れ』
「魔名解放『
マナ術式の発動。
瞬間、
* * *
マナ術式は
マナという余りにも巨大な力を人類という余りにも小さな規格に合わせるために生み出された緻密にして精密、そして膨大なる『法式』。
文字通り『法則』を『式』とすることにより、マナという巨大な力の流れをコントロールすることを可能としたその術式は故にこそその最大の力を発揮することで『理』に干渉することすらをも可能とする。
ただ当然ながらそんな巨大な力を人類個人で扱いきれるものではない。
故にその発動は世界に影響を及ぼすことのない一瞬にも満たない刹那の時間のみに絞られる。
同時に発動には術師本人の全てを絞りつくす必要がある。
超ハイリスク超ハイリターン、故に切り札……切ること自体がデメリットとすら言える。
故に術式には三つの『鍵』がある。
一つ目の鍵は術式の封印。これを開錠することで術式の限定行使を可能とする。
二つ目の鍵は術式の隔離。これを開錠することで術式の効果範囲を拡大する。
三つ目の鍵は術式の限定。これを開錠することで術式の対象を概念化する。
チルハ・スピネルの術式は『凍結』。
一つ目の開錠によって『凍結』術式の行使を可能とした。
二つ目の開錠によって自分の周囲一帯での術式行使を可能とし。
三つ目の開錠によって『凍結』対象が概念へと及ぶことを可能とした。
とは言え余りにも野放図に術式を使用すれば全てのマナを絞り尽くされて命すらも消し飛ぶだけだ。
故に術式に『名』を与えることで方向性を限定する。
それが『魔名解放』。
そしてチルハ・スピネルの術式こそが。
―――『
やっぱ好き勝手に書いたほうが筆が乗るわ!
というわけでもう次回から好き放題書く。
『月光照らす氷花の永久凍土(トワイス・フィンブルヴェトル)』
使用者:チルハ・スピネル
第一鍵詞:『霜白の闇、照らされしは冰の花』→能力の解禁。触れた物を対象とした氷結能力の解放。主に剣など。氷の剣を使って間接的な凍結も可能。
第二鍵詞:『咲き乱れし、永久凍土の果てに』→対象の拡大。自分を中心とした半径十メートル前後範囲内に対しての能力の行使を可能。
第三鍵詞:『凍てつき閉ざし、時すら凍れ』→能力の拡大。能力の行使範囲が『概念』へと昇華され、時間停止すら可能となる。
解説:概念的な『凍結』を操るマナ術式。ただし物理法則から離れるほどに体内マナ消費が加速するためもっぱら使われるのは水分『凍結』だが、やろうと思えば時間概念の『凍結』すらも可能となる。
一章目からここまで出していいのかな、って思ったけどぶっちゃけスタープラチナよりも短時間の時間停止とかこの先ほぼ使うこと無いし、多分大丈夫。