【完結】MUDDY GLORY 〜泥だらけの栄光 byウマ娘プリティーダービー 作:ちありや
パドックへ至る地下馬道で、私は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら呼吸を整える。
中京レース場、芝1600m、長い未勝利生活に別れを告げるべくはるばるやって来た、私の今日の戦場だ。
アイリスからは「落ち着いて、レースを楽しんで来なさい」とだけ言われて送り出された。
今までのレースではこの『レースを楽しむ』部分にまるでリソースが割けなくて、勝ち気ばかりが先行し余裕という物が全く持てていなかった。
私も今日でレース3戦目、しかも勝手知ったる中京レース場だ。リラックスは出来ている… と思う。
実は30分ほど前に中山レース場でコロも未勝利戦を走っている。あの娘が勝っても負けても私の精神安定に何らかの影響が出そうだったので、私は敢えて控室に籠もったまま外の情報を遮断していた。
アイリスはコロのレース結果を知っているはずなので、そちらは私のレースが終わってからゆっくりと聞かせてもらうつもりだ。
「あら奇遇ね、スズシロナズナ。3度もかち合うなんて余程縁があるのね」
パドックで私に話しかけて来た栗毛の髪をハーフアップにしたウマ娘、前のレースでも一緒に走った……。
「ええと、何だっけ…? イーグルなんとかさんだよね…?」
「『イーグルダイブ』よ! 『なんとか』の方が文字数多いじゃない、ちゃんと覚えなさいよ!」
そうそう、確かそんな名前の人。そっか、結構速い人だと思ってたけど、まだ勝ててないのか……。
「今まではブラックリリィとかドキュウセンカンとか規格外の奴らと走らされたから、3試合全て『2着』なんて不名誉な事もあったけど、今日はそんな変な人いないし、
なるほど、話し掛けてきたのは宣戦布告が目的なのね。それにしても3試合 (私とは2戦のみ。つまりどこかでもう1戦して負けている訳だ)全てが2着とは運が無いにも程がある。
イーグルダイブが地力のある人なのは確かだろう、しかし今日勝つのは私だ。これは確定事項だ。彼女には悪いが優勝は渡せない。
「うん、私も負けない。今日は『掛か』らないし転ばない。万全のレースをして見せるから」
本当はその後に「アンタは今日も2着に終わるよ」と言ってやりたかったけど、アモ先輩、いや先生から『相手を必要以上に挑発すると目を付けられて後が面倒』と言うアドバイスをもらっていたので、余計な事は言わずに人畜無害そうな微笑みを返しておいた。
☆
「あーん、やだなぁ。降ってきちゃったよ…」
スターティングゲートに入って隣のコースの子からのボヤキが聞こえてきた。
朝からどんよりとした曇り空だったけれど、レース開始時間を待たずにポツリポツリと雨が振ってき始めていた。
雨だと前回の様なスリップがあるかも知れないので厄介だ。今日履いている靴の蹄鉄も雨天用の物では無い。
ふと前回の転倒が脳裏をよぎる。未だ恐怖は消えない。消えないが、今はレースを走る事が何よりも優先されるし、走れる事そのものが嬉しい。
…あと数秒でレースが始まる。雑念は脇に寄せておけ。
ゲートが開き10人のウマ娘が一斉に飛び出す。
私の作戦はいつも通り『先行』で、先頭から3〜4番手辺りに位置取る。イーグルは『差し』なのだろう、私よりも一段後方に陣取っている。先頭と同時に私も視野に入れてマークしている様に見受けられる。
ちょっと先頭を走っている娘がハイペースの様に感じられる。ここで私もスピードを上げるかどうかが思案の分かれ道だ。
ここでスピードを上げてしまうと、ラストスパートの為の体力を減らしてしまう事になるし、かと言って体力を温存して後々追いつけない程に離されてしまっては意味が無い。
先頭の娘の疲れ具合は真後ろからだと分かりづらい。そこで再び思い出されるアモ先輩語録。
「そういう時は相手の『手』を見るの。走る時に腕を意識して振ってる娘は多いけど、指先まで集中出来てる娘はそういないのよ。疲労の出てきた子は必ず手の握りが緩くなるわ、そんな娘の一瞬の隙を逃さずに抜き去れればナズナはもっと強くなれるよ」
まぁ実際には近くを走る娘の指先なんて観察している暇は無い。アモ先輩も恐らくは「出来るものならやってみろ」程度のアドバイスだったと思う。
でも私はそのテクニックを聞いて知っている。そして今第3コーナー、偶然だが先頭の娘の指先を確認出来てしまった。
『彼女はもうバテている、程なくスピードを落としてくる』事が分かってしまった。
ほんの半身体を外側に寄せて速度を上げ、2番手の娘と並ぶ。そうする事で先頭の娘が下がってきた時に、2番手の娘が内ラチと私に挟まれて抜け出す事が出来ないまま、先頭の垂れウマを引き受ける形に持っていける。
「そんなっ?!」
作戦通りに速度を落としてきた先頭に2番手が巻き込まれて順位を落とし、私が先頭に躍り出る。ゴメンね2番手の娘、これも勝負だから悪く思わないでね。
これで私の前には誰もいない。後は残った体力の全てを注ぎ込んでゴール板を目指すのみだ。
12月の小雨が目に入る、体を冷やす。でもそんな物で私を止められる訳がない。
「うぉぉーっ! もう2着はイヤだぁーっ!!」
もちろん順風満帆で優勝出来るとは微塵も思っていない。私のすぐ後ろには『シルバーコレクター』のイーグルダイブが上がってきている。雨の音に混じって猛烈に追い上げて来る荒々しい呼吸と足音。
私だってこれ以上負けるのはゴメンだ。『負けたくない』と今一番強く思っているのは私なんだ。
「…負けたく、ないっ!!」
共に思いを口にして、逃げる私と追うイーグル、その速度にも想いにもほぼ差は無い。2人の距離は広がる事も縮まる事も無いまま200m以上を走り続け、2馬身差を付けたまま、私は観客席からの声援を背にゴール板を駆け抜けた。