【完結】MUDDY GLORY 〜泥だらけの栄光 byウマ娘プリティーダービー   作:ちありや

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37R 希望の星

 出遅れた… 時間にしてほんの0コンマ数秒ではあるが、距離にすると4〜5mの差がついてしまっている。

 初めの作戦では、逃げるクリスタルセイバーをマークして3番手辺りに位置取る予定だったのだが、あっという間に隙間に詰められて私の初期位置は9番手となってしまった。

 

 『差し』戦術のリリィがすぐ後ろにいる状態は、『先行』戦術の私としてはただならぬ危機感を覚える。

 私が着きたかったポジションには、やはり私と同じ先行型のスメラギがキレイに収まっていた。ああいうところ、あの娘は本当に上手い。

 

 ただ、焦って順位を取り戻そうと無理に加速するのも悪手だ。ここはもう中段後方からじっくり状況を探りつつ起死回生を狙うしかない……。

 

 しかし後方にいるからこそ見えてくる事もある。現在はクリスタルセイバーがトップ、2身離れてリンカイパワフルとフックトッシンが2番手争いをしている。更に1身離れてスメラギ、並んでローゼスストリーム。ここまでが先頭集団。

 

 後ろからだからこそ、各員の好位置への鍔迫り合いがよく見える。ちなみにフックトッシンてのがスタート前に私に陰口叩いていたメンバーのリーダー (?)ね。少なくともあいつには負けたくないね。

 

 逃げるセイバーが全体を牽引する形になっているが、ペースが全体的に早い気がする。

 ハイペースのせいか縦長の展開になってきた。リンカイパワフルとフックトッシンはお互いで競り合いすぎたのか2人して速度を落とし、結果セイバーが1人突出する。

 更に第3コーナー手前でスタミナ配分を誤ったのかローゼスストリームがジリジリと下がってくる。

 

 それを蹶起に見たのか後続集団が徐々に速度を上げていく。私も加速してスメラギに並ぶ。リリィはまだ仕掛けて来ない。

 

「セイバー、ペース速いよ。こりゃ『大逃げ』されちゃうかも…」

 

 中山レース場の直線コースは310mとURA管轄の4大レース場の中では最も短い。しかも高低差2.2mという急勾配を駆け上がる必要がある。

 中山の坂は緻密な計算よりも『勢いと根性』が重視される。直線に出た時点で好位置に着けていなかった場合、先頭に追いつく前にレースが終わってしまう事が中山では多々あるのだ。

 

 私と並走するスメラギに今の声が聞こえなかったわけがない。彼女もセイバー突出に危機感を覚えていたのだろう、セイバーに仕掛けるべく速度を上げて行った。

 

 当然私もスメラギの真後ろに付いて風よけになってもらおうと思ったのだが、場状態の悪さからスメラギはコースを耕しまくっている。後ろに居たら彼女の蹄鉄でほじくり返された泥のシャワーを大量に浴びる羽目になる。

 

 内はフックトッシンが懸命に置いていかれるものかと走っていて間に入る事が出来ない。仕方なく外に振れて進路を確保するも、かなり余計なスタミナロスを招いてしまった。

 

 第4コーナーを回って直線勝負になる。現在の順位はざっくりセイバー、スメラギ、リンカイ、フックトッシン、私、といった……。

 

 …ゾワッ!

 

 背筋にとても冷たい物を感じた。この感覚には覚えがある。後ろから闇に追いかけられて飲み込まれてしまう様な感覚。一瞬でも気を抜いたら食い殺されてしまいそうな感覚……。

 

「リリィ…」

 

 リリィが内から仕掛けてきた。新戦の時よりも遥かに大きな圧力(プレッシャー)、それでいて淀みなく洗練されている。そのオーラを例えるなら大河の瀑布、だがしかしその実態は風に吹かれて軽快に飛び回るビニール袋の様にも思えた。

 

 …リリィを警戒していなかった訳ではない。だが今回は自分が出遅れた事と合わせてGⅠ勝者のセイバーや優等生のスメラギに意識が傾いていた事は否定できない。

 でもやはり一番怖いのはリリィだったと再確認する。そして私のデビュー以来の悲願はリリィにリベンジする事なのだと思い出す。

 

「…アンタには抜かせ、無いっ!」

 

 リリィに負けじと私も加速する。もう私の頭にはリリィしか居ない。リリィに勝てればセイバーもスメラギも結果的に後ろにいるはずだ。リリィに勝つ。そのために私は今ここに居る。

 

 私とリリィが並ぶ。

 リリィは笑っていた。

 雨と泥に塗れながら、

 とても幸せそうな顔で……。

 

 『怖い』私の素直な感想だ。人が歯を食いしばって足元の悪いところ走ってるのに、なんでこいつレース中に笑ってんの? 薬でもキメてんの? と。

 

 『リリィに勝ちたい』気持ちと同時に『リリィから逃げたい』衝動にも駆られる。

 更に加速しなければ… そうしなければリリィに勝てない。いや、『リリィに飲み込まれる』!

 

 実際にこの身がリリィに食われる訳は無い。そうではなく、リリィの周囲に展開される謎のオーラのようなものに取り込まれて身動き取れなくなる感覚……。

 

 私もリリィに囚われまいと必死に逃げる。しかし様々な失策を重ねた私には、もうこれ以上スパートを掛ける余力は残っていなかった。

 

 踏み出す一歩一歩がとてつもなく重い、靴にこびり付く泥の粒子1つ1つが1トンくらいありそうだ。呼吸する事を体が拒否する、息を吐く事は出来るが吸う事が難しい。息の吸い方ってどうやるんだっけ…?

 

 私は何故走っているんだっけ? なんで雨の中こんなに死にそうなほど大変な思いをしなくちゃならないんだっけ…?

 

 そっか、別に止めちゃっても良いんだよね。こんなレースで負けてもそれで殺されるわけでなし、これで無理して故障でもしたら目も当てられない。負けたって別に悔しくなんか… なんか……。

 

「そんなの… 悔しいに決まってんだろぉぉぉっ!!」

 

 自然と声が出た。ずっとボヤけていた視界が一斉に開く。セイバーが、スメラギが、そしてリリィがどこに居るのかレーダーでも見るかの様に把握できた。観客席からの声援も聞こえる。セイバーもスメラギもリリィも沢山の人に応援されている。

 

 そして数こそ少ないけど『私』を応援する声も確かにあった。間違いなくハッキリ聞こえた。

 私は… 私は『勝ちたい』! 勝って私を応援してくれた人達に「ありがとう」とお礼を言いたい。何よりリリィやスメラギに『負けたくない』んだ!!

 

 …異変は唐突に訪れた。

 

 時間が止まったような感覚。狭いレース場の芝ではなく大草原を自由に走る様な感覚。急に体が軽くなる、まるで走りではなく飛んでいる様な気分だ。

 

 私の走りは前を行くスメラギを、セイバーを、そしてリリィを、さも当然であるかの如く追い抜いて先頭に躍り出た。

 

 とても良い気分のままゴールを目指す。ああ、さっきのリリィはこんな感じだったのかなぁ…? さぁあともう少しだ。もう少しで私の優勝が……。

 

 ズキッ……。

 

 後頭部に一瞬だけ電気が走った様な引きつる痛みを感じた。

 それが合図になったのか私のボーナスタイムはそこで終了となった。

 途端に後ろのリリィ達の濃厚な闘気が私を捕らえようと追い縋ってくる。

 

 ウソだ、こんな所で放り出されても困る。まだトップなのにもう走る力は残ってないよ。イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ! 神様お願い、私にもう少しだけ走る力を下さい……。

 

 私はもう負けたくないんだぁーっ!!

 

 走った。無我夢中で。僅かに残る力を全て脚に回して。

 

 そして絶望に囚われた……。

 

 僅かゴール10m手前でリリィに抜き去られる。セイバーを抜いたスメラギにも肉薄されたが、ギリギリなんとかゴール板前に滑り込む事に成功した。

 

 私の初めてのGⅠレース、ホープフルステークス。泥だらけの疲労困憊、満身創痍になって得たものは『1身差の2着』という結果だった。

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