【完結】MUDDY GLORY 〜泥だらけの栄光 byウマ娘プリティーダービー 作:ちありや
アメリカに着いて最初に思ったことは『空気が乾燥しているな』だった。まぁ比較対象が日本の7月なのだから当然と言えば当然なのだが。
これからお世話になる病院は、首都ワシントンDCとメリーランド州との州境にある比較的大きな所だった。
さっそく病院へ。通常アメリカの病院は、基本全ての診察が予約制で当日や翌日に予約を取ることは難しいらしい。もちろん私は1週間以上前から予約してもらっているので問題ない。
英語に関しては私は挨拶程度しか出来ないので、全てアイリスに任せてしまっている。
というのもウマ娘には結構な割合で海外の血が入っていたりするので、英語を話せるウマ娘は比較的多い。
アイリスもその1人で彼女の母親はアメリカ
まずは入院の手続きを済ませる。1週間ほど検査と様子見をして、それから手術とリハビリの細かいスケジュールを決めていく、という話らしい。
そもそも肥大した神経を切除するのは良いとして、その切り取られる神経が体のどこを司っているのか分からないのだ。迂闊にバッサリいくと私の人生ごとバッサリいく可能性も否定出来ない。その辺りの特定と各種薬への耐性等を見極める為の1週間だそうだ。
無為に1週間を過ごすのはやや苦しいが、スマホの持ち込みが許可されて院内にWi-Fiスポットも用意されていたので、カメやコロとLANEでやり取りが出来たのが嬉しかった。
そして1週間後、私はガチガチに固まっていた。手術の成功率が7割を切るという話は、改めてこちらの病院でも聞かされたし覚悟はしていたつもりだった。
それでも確率的にサイコロを1つ振って、1か2が出たらもう二度と走れない体になってしまう、なんて可能性がある事を考えたら怖くて震えが止まらない。
手術しなきゃいけないのは分かっている。もう必要な費用は全額振り込み済みだ。今から「キャンセルします」といった所でお金は半分も戻らないだろう。
私の背中を押してくれたのは、車椅子で必死に練習を続けているグレートちゃんの存在と、なんと驚くべき事にドキュウセンカンの存在だった。
というのも、ドキュウセンカンがダートへと転向 (回帰?)したのは前述した通りだが、昨日夜にクラッシック級ダートチャンピオンを決定するジャパンダートダービーが行われたのだ。
すっかり日の落ちた大井レース場、ナイター照明に照らされながら
その中でドキュウセンカンはまたしても圧倒的な実力を以てレースを制して見せ、ユニコーンステークスに倍する4馬身差をつけて快勝した。今年のダートダービーウマ娘はドキュウに決定した訳だ。
それだけならまだしも、ドキュウはレース後の勝利者インタビューで「芝とダート、ダービーの王者が出揃ったので、その統一戦をやりたい」と
そりゃ漠然と『いつかはドキュウにもリベンジしなくちゃいけないなぁ』とは考えていた。だがまさか向こうから挑戦状を叩き付けてくるとは思わなかったよ。
私の渡米はニュースにもなったので、トレセン学園に私の状況を知らないウマ娘は居ないだろう。その上での挑戦状は『さっさと怪我を治して戻ってこい』というメッセージに他ならない。
ここまでされて火が点かない訳が無い。挑発されるとすぐに乗ってしまう安い性格だが、私はそれを自覚しているしそんな自分が嫌いではない。
斯くして『絶対にレースに帰ってやるんだ』とこれ以上無く意気込んだ私は手術本番に臨むことになる。
☆
目が覚めたら自分の病室だった。すぐ横にアイリスが座って私の様子を見てくれていたらしい。私の覚醒に気付いて「気分はどう?」と語り掛けてくる。
アイリスが居てくれた事に安心しつつ、Vサインでも挙げてやろうかと右腕を動かそうとするも腕の感覚が無い……。
え? ウソでしょ…?
右腕だけじゃない。左手も両足も全く感覚が無い。え? これはどういう事…? まさか… まさか手術が失敗して首から下が動かせなくなっちゃった、とか…?
アイリスに問い質そうにも口がうまく開けられない。口から発せられるのは「あ…」とか「う…」みたいなうめき声だけだ。
最悪の事態を想定して目の前が暗くなる。そんな… ここまで来てそんな残酷な終わり方で良いの…? 私の人生って一体何だったの…?
「ナズナ、心配しないで。手術は成功したわ。今はまだ麻酔が効いていて体が動かないだけ。とりあえず源逸先生とナズナのご両親には報告しておいたけど、口止めもしておいたからその他のチームメイトや友達には自分から報告すると良いわ」
手術の成功した安心感からか、アイリスはとても穏やかで優しい顔をしていた。
☆
翌日体調の回復した私はカメやコロ、そして富崎さん、担任の先生、スメラギ、トウザイ会長に手術が成功した旨を報告した。これで放っておいても学園内では勝手に広まるだろう。
ついでにウマッターの方でも「手術が成功しました。これからまたレースに向けて頑張って行きます」と書いておいた。
こちらもすぐに万バズで、とてもたくさんの人が私の回復を喜んでくれて応援してくれている。
『何かファンの人達にお礼をしたいなぁ』とぼんやり考えていたら、医師との打ち合わせの終わったアイリスが病室に入ってきたので、お礼について相談してみる。
「そうね… それなら何かお礼の品を作って配ったらどうかしら? たとえばクラファンで募金してくれた人達に何か贈るとか…」
ふむふむ、確かに当初の目標額を大きく超えた資金が集まり、URAやチームに借金をせずに済んだ事と病室のグレードアップが出来たのはとても助かっている。
その上でまだ1000万近いお金が残っており、その使い道にも悩んでいたのだ。
富崎さんに返すわけにもいかないし、募金してくれた人達にその募金額に応じた返金をするのも変な話だ。
「実はメーカーさんから商魂
なるほどなぁ。私のぱかプチに需要があるのかどうか疑わしい部分はあるが、非売品の限定版を作れば喜んで貰えるのかなぁ…?
「一応服装とか大きさとかで予算は変わってくるらしいんだけど、市販のサイズだったり既存の衣装デザインだったらかなり安く作れるみたい。しかも事情を考慮して原価ギリギリまで割り引きしてもらえるらしいわ」
そう言ってアイリスは小脇に抱えていたノートを広げて見せてきた。
そこには規定サイズと特注サイズの注文額の差とか、既存の衣装 (制服とライブ服、勝負服もデータは作成済みなので既存扱い)とパーティドレス等の特注衣装の差とか、予算に関して色々と考察している風だった。
「ちょっと暇に飽かせてたくさん考えちゃった。商品化予定のないライブ服バージョンで大サイズぱかプチを作って、募金額2000円以上の人に配ると想定するでしょ… それ以下の募金額の人にも何か贈りたいから、とりあえずナズナのプリントシールを作りましょう。そうすると掛かる費用が…」
何だか当事者の私を差し置いて1人で楽しそうに計算を始め出した。きっとこんな感じで手元の書き込みでいっぱいのノートが作られたのだろう。
このモードになったアイリスは外部からの声が全く耳に入らなくなるので、しばらく待つ必要がある。
「…これで予算ギリギリな感じかしら? ちょっと予算オーバーしそうなんだけど、そこは私が自腹を切るから安心して」
ふーん… って、えっ? なんでアイリスが自腹を切る必要があるのさ? ノートを覗くとアイリスが100万円ほど手出しになる計算式が書いてあった。
不思議そうな顔でアイリスを見つめる私に、アイリスは優しそうな、それでいてどこか寂しそうな微笑みを浮かべた。
「私もナズナの担当としてファンの皆様には多大な感謝をしているわ。もちろん貴女自身に対してもね… 私を『ダービートレーナー』にしてくれてありがとう! 富崎さんじゃないけど、この溢れる感謝の気持ちをお金で表せるなら本望だわ」
一気に喋って大きく息をつくアイリス。
私だってアイリスに、富崎さんに、カメ達チームのメンバーに、そしてたくさんのファンの人達に感謝している。
私は学徒の身でお金は無いから、
「それにこうしてナズナといられるのもあと少し… 実は私ね、日本に帰ったら貴女のトレーナーから… いえチーム〈ポラリス〉から離れる事になっているの…」