21番目の引き金を引いて 作:ちょめちょめ
「天女目さんはさ、何か夢とかないの?」
ある日の昼下がり、迅悠一は天女目久遠にそう問いかけた。
普段の彼女は自由に過ごしているが、何かに意欲を見せるといったことは少なかった。だから少し気になって、そう質問をしたのだ。
「ないわ」
「……へえ。ちょっと勿体ないな」
「何がよ」
「ほら、天女目さんって大抵のことはこなせるからさ。何か夢とかあれば、そのスキルももっと活かせるんじゃないかとか思ったり」
「別に興味ないわね」
迅の隣を歩きながら、目もくれずに天女目は口にする。でも、と前置きをし、
「……そうね。夢という程ではないけれど。一つ見てみたいものはあるわ」
「見てみたいもの?」
「ええ」
そこで天女目は迅の前へと移動し、その顔を至近距離で見上げる。
ドクン、と。迅の心臓が跳ねた。
景色が切り替わる。
瓦礫に埋もれた彼女。血を流し、肉は潰れ、開いた瞼から光を失った瞳が迅を見つめている。
鼓動がうるさい。呼吸が乱れる。思わず一歩後退って、
そこで漸く、目が覚めた。
「……夢、か」
汗が酷い。着ている服が不快で堪らない。
天女目久遠が死んで、早一週間。
迅悠一は、悪夢に悩まされていた。
*
大規模侵攻が終結して、既に一週間が経過している。
現在、ボーダーによる記者会見――今回の防衛戦の結果報告が行われていた。
『……報告は以上です。お手元の資料により詳細な数値が載っています。質問があれば受け付けます』
メディア対策室長、根付栄蔵がそう口にする。
「天女目くんは、事前に遺書を城戸司令に出していたそうだ。……賢い子だった。彼女は、今回の一件の筋書きを正確に見据え、自分の死後について思慮していた」
「そう……ですか」
「ああ。人的被害がなかったというこの方針も、元々は彼女が考えたものらしい」
「まあ、黒トリガーについて公の場で取り扱うわけにもいかないですから。それはわかってますよ」
外務・営業部長――唐沢克己の言葉に、迅は頷く。
黒トリガーは人命を消費して作られる。そして、それでも確実に成功するかはわからない……非人道的な兵器という側面も持つ。黒トリガーの存在が一般に伏せられているのは、そういった事情が理由だ。
故に、天女目久遠は今回の一件によってボーダーからドロップアウトし、三門市の外へ引っ越したという筋書きになる。所属していた大学からもいずれは除籍され、人々から忘れ去られるだろう。元々彼女は積極的に交流する人間ではなかった。今となっては、それもこの筋書きを支える一つの要素となってしまっている。
「彼女はボーダーでも大きな戦力だった。それを失ったのは痛いが、総合的に見ればプラスだろうな。被害規模のおかげで市民からの印象は良くなり、新しく入隊を希望する者も増える。……何より、君が手にした、その黒トリガー。『世末』、だったか。聞いたよ。それでアフトクラトルのトリガー使いを一蹴したそうだね」
「……ええ。これのおかげか、天女目さんのサイドエフェクトも使えるようになったみたいで」
未来視と、無意識下自動演算――即ち、限りなく精度の高い未来予測。その二つによって、迅悠一は任意の未来を選択できるようになった。
一目でも誰かを見れば、その誰かを対象に未来視が発動する。そして未来視で得た情報から演算が開始し、未来を予測して補強する。初見の相手だろうとも、この二つが合わさったことによって、確実に勝利する未来を掴めるようになったのだ。
普通にやった場合の勝率が1%を切っていても関係ない。僅かでも勝利への道筋があれば、問答無用でその道を歩けるようになる。それが今の彼のサイドエフェクト……未来選択だ。
「これからボーダーは、ますます君に依存していくんだろうな。だが、心に留めておいてくれ。もうボーダーは君なしでは存続できないが、君は決して万能ではないのだと。今回の一件だってそうだ。天女目くんが死んでその他大勢が助かる未来か、彼女は生き残るがその他大勢に被害が出る未来か。それら二つしか可能性を出せなかったのは、俺達の責任なんだ」
そこで唐沢は一度言葉を切る。
「――君のせいじゃないんだ、迅くん。強いて言うなら、君と彼女に全てを押し付けてしまった、俺達大人のせいだ」
迅を見据え、はっきりとそう口にする。
ただ気遣っているわけではない。大人としての重みの載った、確かに責任を感じている言葉だった。
「そう言ってもらえると、嬉しいですけど」
迅はそう小さく呟いて、横を向く。
フォローされても消えない罪悪感が、彼の心を刺激していた。
――もう謝ることのできる相手は、この世のどこにもいない。だからこそ、罪悪感が消えることはなかった。
「……天女目くんのサイドエフェクトは、どうやら機密として扱われていたようでね。俺も聞いた時は驚いたよ。関わりが強ければ強い程、読心のようにも機能するらしい。君も気をつけて」
「実感してますよ。気を抜けば、凄い量の情報が流れ込んでくる。こりゃ確かに機密にもなるなとは思いますね。これを制御してた天女目さんは、ずっと向き合ってきたからこそなんですかね」
「さあ、どうだろうな。だが、そればっかりは君が向き合わないといけないことだ」
「ですね」
天女目の顔を思い浮かべる。もう二度と会うことのできない人。もう二度と言葉を交わせない人。
公的には死んでいないという扱いのせいで、弔うことすらできない。自らが切り捨てた人は、人として死ぬことすら許されなかった。
どうすれば良いのかわからない。それを彼女が望んだのだとしても、彼女は自分に何をさせたいのかが、わからなかった。
死人は何も語らない。だというのに、死者に縋りたくなってしまう。もう、迅の頭の中は同じことを何度も考えていた。
「迅」
そこで、声がかけられる。
個人総合1位と、個人総合3位。太刀川慶と風間蒼也が、立っていた。
「付き合え」
*
「『世末』の性能が知りたい?」
「おう。あと単純に黒トリガーと俺がやりたい」
「太刀川」
「いや、三割くらい冗談」
「太刀川さんならその逆くらいじゃない?」
「ほう。言うな、迅。もう調子は出たのか?」
「……まあね」
成る程そういうことか、と迅は納得する。
太刀川がぽろっと漏らしたが、つまりは天女目の死でへこんでいる自らを励ますことの方が目的としてはメインだろう。気が沈んでいる時に身体を動かすのは気分転換としてはよく使われる手法だし、間違ってはいないはずだ。
訓練室の中で、三人がトリガーを起動する。
「でも、正直参考にならないよ。
――『世末』とおれ……『おれたち』のサイドエフェクトは、相性が良すぎるんだ。風刃と比べ物にならないくらい」
そして、太刀川と風間の首が飛んだ。
「はい、まずは一本」
どうにか笑ってみせる。
笑うことすら、多少の無理が必要になってしまった。
「これは……楽しそうだな」
太刀川も笑う。迅とは異なる、自然な笑みだ。戦いを楽しんでいる、とも言えるだろう。風間は仏頂面である。
今の攻撃は、理屈としては簡単だ。
「
「俺達の首のすぐ隣で生成しただろ。そんなこともできるのか」
「ご名答」
迅の周囲を取り囲むように、総計二十本ものブレードが出現する。
「風刃と同等の性能を持つブレードを二十本まで生成して、操る。それだけのトリガーだよ。レイジさんや遊真が相手にした黒トリガーと似た感じかな」
「ははは、そいつはやべぇ」
「気前が良いな」
「全くだよ。……本当、サイドエフェクトにこんなトリガーまで。天女目さんは、自分の命を……いや、何でもない」
凄まじい速度で、ブレードが飛翔する。太刀川と風間は距離を取って対処しようとするも、一度それぞれのトリガーで受けただけでそれらが破損した。
即座に放棄して再生成するも、その間に次々と放たれたブレードが二人の首と腕を裂いた。
「はい、二本」
未来選択のサイドエフェクトの前には、全てが見透かされる。僅かな挙動から次にどんな動きをするかを読まれ、未来視で未来を確定させる。
だから後は、その繰り返しだ。
太刀川が空いた距離のまま旋空を起動し、弧月を振るう。それを知っていた迅は軽く跳躍して避け、その隙を狙った風間をブレードで蜂の巣にする。
風間がカメレオンを使えば、即座にその位置を予測し、ブレードを命中させた未来を視てから実際にそれを確定させる。
太刀川がグラスホッパーで変幻自在の太刀筋を描けば、それを予め視ることで最終的に攻撃が振るわれるタイミングだけ対処する。
連携で加速変形と同時に旋空弧月を放てば、弧月とスコーピオンを『世末』で砕いて丁寧に潰していく。
「これで十六本。……まだやる?」
はっきり言って、一方的な蹂躙だった。
予測と予知によって、そもそも読み合いの土俵にすら上がれない。対等に戦うことすらできない。
気晴らしになど、到底なりやしなかった。
「ああ、まだまだ」
しかしそれでも、二人は寧ろ戦意を滾らせるかのように集中していく。少しずつ落ちるまでの時間が伸びているが、だとしてもそもそも迅は本気ですらない。
だというのに。
「二十本」
そこでやっと、迅の頬に掠り傷がついた。
少し――少しだけ、驚いたような顔をする。ここまで未来を知っていたとはいえ、それでもなおこうして食らいついてきたのは、確かに驚嘆に値した。
少しだけ、嬉しかった。
「まだまだ行くぞ、迅」
太刀川が踏み込む。弧月を投擲する。グラスホッパーで加速させると同時に自らも横に跳ね、即座にもう一本の弧月を生成して旋空を起動。同時に透明化を解いた風間が迫り、もぐら爪――足を上げてそれを躱し、二本の弧月を両手でブレードを握って悠々と弾く。
残り十八本のブレードを二人に殺到させる。太刀川がグラスホッパーを連続で展開し、二人が跳ねる。そこまでを知っていた迅が未来を確定させるべく投擲し、
「もっと、楽しむぞ……!」
太刀川が、
カメレオン。即座に再び動かしたブレードで強襲する。首を刎ね――いや、腕を犠牲にスコーピオンで柄を絡め取られた。一瞬のタイミングでしか成功しない絶技。思わず褒めそうになるが、それでも困惑と憤懣の方が大きかった。
何が二人をここまで駆り立てるのかが、わからなかった。
「単純に! 今のお前が、俺は気に入らん!」
それを見抜かれていたのか、復活した太刀川が笑いながら斬りかかる。遠くに飛ばしたブレードを即座に破棄し、再生成して三本を首、腕、足へと向かわせる。突き刺さり、押し出すようにして距離が空き、そこまでを読んでいたのか予め展開されていたグラスホッパーによって風間がそこへ降り立ち、スコーピオンを振るう。
いや、違う。未来を知っていたから即座に対処できたが、実際は振るうのと投擲を同時に行っていた。本来であれば確実に決まっていたはずだが、やはり天女目のサイドエフェクトの恩恵は大きいということだ。
既に風間の腕は復活している。未来を決定すべくブレードを射出するが、その未来がブレた。意地か、それとも――いずれにせよ、この二人は
傷だらけになりながらも、風間は襲い来るブレード全てを捌くことに成功した。その間に太刀川が復帰し、旋空弧月を放ってブレードの対処に成功したはずの風間ごと迅を断ち斬ろうとする。これには流石に驚き、
「……
いつの間にかその手に握られていた、それまでのどのブレードとも異なる一本のブレードで、
迅の認識が変わる。この二人は遊びで勝てるような相手ではない。未来選択を持つ迅が負けることは絶対に――それこそ天地がひっくり返ってもあり得ないが、真剣に向き合わなければいけない。片手間でどうにかできるような相手ではない。
結果、この模擬戦は夜まで続いた。
三人――特に太刀川が没頭したせいだ。何度負けても立ち上がって嬉々として斬られに来るその姿は、迅と風間を若干引かせる程だった……後に二人はそう、語った。
二百三十四戦、二百三十四勝。
紛れもない、迅悠一の完全勝利だった。
*
「それで、結局こんな時間になっちゃった。悪いね、天女目さん」
天女目久遠の遺体は存在しない。黒トリガーとなったことで、塵へと変じ崩れ去ったからだ。結果的に彼女は人としての死を得られず、人知れず忘れられていく運命となった。
だから、ボーダー最高司令官――城戸正宗が気を利かせて、トリオンでできた墓を本部の一角に建てさせた。そこに納めるべきものはなくとも、人の心から離れないように。冷徹なようで何だかんだ話のわかる、彼らしい施しだった。
この墓はボーダーの最高機密として扱われ、上層部と一部の隊員のみが把握している。事態が落ち着き、大規模侵攻の爪痕が消え次第、少しずつここに来る隊員の数も増えるだろう。
「正直、あんなに強引な二人は珍しかったな。気を遣われてるのはすぐにわかったけど、それにしても他に何かないのかって思っちゃうよね」
やれやれ、と息を吐く。
それでも、多少気が晴れたのは事実だ。だから、そうは言いつつも二人への感謝はある。まあ、口にしたらからかわれそうだから本人の前では言わないのだが。
「……ずっとさ、考えてたよ。あの日、天女目さんがおれに何を言いたかったのか。
多分、背負って生きろとか、おれの予知も絶対じゃないし、おれは万能じゃないとか――要するに、励ましてくれてたんじゃない?」
死人は何も語らない。死人に口なしとはよく言ったものだ。迅が今していることは、勝手に吐き出して自身の気持ちを整理しているだけだ。結論など本当は出ているはずなのに、甘えて彼女を道具として消費している。
今まで何度も何かを切り捨ててきたはずなのに、こんなにも苦しいのは初めてだった。
そう。
迅悠一は、既に多くのものを切り捨てている。
助けられるはずの命を見捨てて。
人と人とを天秤に載せて。
そうして捨ててきたものから目を背けて、へらへらと誤魔化すように笑って生きてきた。
こんな人間に、苦しむ資格などない。そう自嘲しながら、天女目久遠の墓を見つめ続ける。
「きっと、これからも何かを切り捨てることはあると思う。唐沢さんも、ボーダーはおれに依存しないと存続できないって言ってた。だから……これからも、同じようなことはあるはずだ。間違いなくね」
だから、と小さく告げて。
「おれが全部に責任を持つ。これから選ぶ未来に、切り捨てる命に。全ての責任を、おれが背負ってこの先を歩くよ」
そう語る迅の表情は、酷く儚げで。
しかし……確かな決意と芯を、そこに宿していた。