二つの吐息が交じり合う。互いの熱にあてられて、その勢いはとどまることがない。
「んっ」
ファインモーションは思わず声が出てしまう。それは押し倒したエアシャカールの足と自分の足が少しだけこすれたから。
明かりを消した部屋の中。カーテンの間からわずかに差し込む光だけに頼った薄暗い空間。
夜目がきくと言われるウマ娘にとっても視界が悪いこの場所で、ファインモーションはエアシャカールの姿を確かに捉えていた。
その視線はすぐにエアシャカールの黄金色の瞳に釘付けになった。
美しい瞳だとファインモーションは改めて思う。はじめて見た時は祖国の小麦畑みたいだと思ったのを覚えている。
祖国にいたころ、干してある小麦の束を撫でるのが好きだった。だから、はじめてエアシャカールの瞳を見た時に、ファインモーションは無意識に手で触れようとした。しかし、彼女に手首を掴まれて触れられなかった。
今なら、大丈夫だろうか。そんなことを考えながらファインモーションは再び手を伸ばそうとする。
「急になにすんだよ」
ファインモーションが伸ばした手はそれ以上先に進めなかった。黄金色の瞳を細めたエアシャカールに手首を掴まれていたから。
やっぱりダメだったな、とファインモーションはぼんやり思いながらエアシャカールの言葉に返事をする。
「キレイだから触りたいなあって」
「意味が分からねえ。それに俺が聞きたいのはどうしてアンタはオレを押し倒してるのかの理由だ」
冷たく切り捨てるような言葉にファインモーションはちょっぴり傷ついてしまう。
エアシャカールの言葉は小難しくて、まわりくどいと常々思っていた。今だって、どうして押し倒したのかと素直に聞いてくれればよかったのに、とファインモーションは思えて仕方ない。
「……チッ」
少しだけ、なんと答えるかファインモーションが言葉を選んでいると、微かに風が足を撫でる。それに気づくや否や、手首からエアシャカールの手が離れた。
ファインモーションの足もとで、弧を描くように揺れるのは彼女の尻尾。彼女が躊躇う時、いつも尻尾が揺れているのをファインモーションは知っている。
エアシャカールはバツが悪そうに顔を逸らした。しかし、その視線は時折、ファインモーションの手首に向いている。
「フフっ……かわいい」
エアシャカールに聞こえないほどの声量で呟きながらファインモーションはポケットからプラスチックの袋を取り出す。取り出すその手にはシミひとつない。傷も、跡も、赤みさえもない。
白磁の様だと評されたこともあるファインモーションの腕。乱雑な言葉と共にエアシャカールに掴まれたたはずのその腕に傷一つついていない。それは、白磁のように丁寧に扱われていたことに他ならないのをファインモーションは理解していた。
「スーパーでカップラーメンを見てたら、ポッキーを見つけてね」
ファインモーションはその袋の封をゆっくりと切る。その中から見えるいくつものポッキーのうちから一本を取り出した。引き抜く際、少しだけ袋の内側にチョコがこびりつく。
「聞いたんだ。日本にはポッキーゲームって言うのがあるんだって」
そう言いながら、チョコがコーティングされた部分をファインモーションはゆっくりと咥える。
口内に広がるドロッとした感触。ポケットの中にいれていたせいかチョコが溶けかけていたが、ファインモーションが口の中に入るとよりドロドロと溶けはじめる。
チョコがへばりつき、息がしにくくなる。足りなくなった酸素を取り込むようにファインモーションが口を開けて息を吸うと、口内に溶けだしたチョコの一滴がこぼれた。
「だから、シャカールとしたいなって」
その提案をした瞬間にファインモーションは声が出そうになった。足を撫でられるという予想もしなかった刺激に驚いたから。
原因であろうエアシャカールの顔をみやる。
腕で口元を隠し、ファインモーションと視線を合わそうとはしていなかった。しかし、わずかに見える彼女の首筋や頬は真っ赤に染まっている。
その後、触れ合うエアシャカールの足がわずかに震えていることにファインモーションは気づいた。押し倒している彼女の全身を確かめるように、ゆっくりと視線を下ろしていく。
エアシャカールの大腿に一滴の黒いシミがついている。
その光景にファインモーションは思わず息を呑む。その瞬間にまた、口内からいくつかのチョコがこぼれた。
エアシャカールの透き通るような白い足にポタポタとチョコがつくたびに彼女は反射的に足を震わせていた。
「いいよね?」
「うるっ……せえ……んっ!?」
ファインモーションの言葉にエアシャカールは逸らしていた顔を反射的に戻した。その隙をつき、咥えていたポッキーを彼女の口に入れ込む。
「いくよー」
エアシャカールの返答も聞かずに、ファインモーションは少しずつポッキーを食べ進めていく。
彼女は予想外の出来事に硬直しているようだった。そんなことを気にせずファインモーションは一口、また一口と食べ進めていく。
それだけでファインモーションとエアシャカールの距離は近づいた。
出会った当初の険悪さを考えるとこんなことをする関係になるとファインモーションは思っていなかった。しかし、現実にそうなっているのだから面白いなともファインモーションは思っていた。
今ではエアシャカールの瞳を触ろうとしても、彼女は手に跡がつくほどの力で制止しない。急にポッキーゲームをしようなどといっても、彼女は力づくで拒否することはない。急に押し倒したとしても、文句を言うだけで撥ねのけようとはしない。
エアシャカールの言葉にしないその事実が、ひどく愛おしいとファインモーションは思う。
だからこそ、もっと近づきたくて、ファインモーションはポッキーを食べ進めていく。
一口、また一口。それも長くは続かなかった。
ポキりと、二人を繋ぐ棒が折れる。
ファインモーションは夢中になって気づきはしなかったが、二つの吐息が交じり合うほどに距離が近づいていた。エアシャカールの胸元にはその熱に充てられたチョコがぼたぼたと垂れている。
ごくりと喉を鳴らしながらファインモーションは口内に残った欠片を飲み込んだ。そのままエアシャカールの方を見やると、彼女の口元にはまだ少しだけ残っている。
ファインモーションは再び喉を鳴らしそうになるのを堪える。勿体つけるように袋からもう一本を取り出して、咥えた。
「こういうのを昔の映画で見たことあるんだよね」
そう言いながら、咥えたポッキーの先端とエアシャカールの口元に残ったものと触れ合わせる。
ファインモーションの父は映写機で映画を見るのが好きだった。ファインモーションも分からないながらもなんども一緒に見ており、その中には日本の映画もあった。
その中で印象的だったのがモノクロの中で描かれていたタバコ同士を突き合わせるシーン。
それはひどく遠い行為のように感じていた。直接触れ合った方が幸せなんじゃないのかとファインモーションは今でも信じている。
けれど、今日で少しその認識を変える必要があると思った。
「キス、しちゃったね」
口と口が触れ合ってはいない。どこも接触していない。しかし、確かに繋がっている。
精神性の話なんだと、ファインモーションは思う。
そこに確かにいるという実感、それと繋がっているという充足感がファインモーションの中で満たされていくのを自覚する。
「もっと、近づいたら楽しそうだよね」
でも、やはりファインモーションは触れ合いたいと思った。
一口、また一口と食べ進めていく。
再び二つの吐息が交じり合う。
「んっ」
次は折れることがなかった。
口内が甘い。息がしづらくなるくらいにチョコが占有している。
「はあっ」
全てを飲み込むように喉を鳴らした。
「楽しかった? シャカール」
ファインモーションはエアシャカールの足に自分の足をこすり付ける。しっとりと汗ばんだ足は先ほどよりも滑りにくく、よりお互いの存在をよく確かめるよう絡めた。
「チッ……」
エアシャカールはファインモーションを鋭く睨みつけてくる。それとは裏腹に、尻尾が小刻みに揺れている。揺れる先にあるのは、ファインモーションの尻尾。自然に彼女も求めていたのだと思うと、ファインモーションはとても嬉しくなってしまう。
「あ、ここにチョコがついてるね」
エアシャカールの足に垂れたチョコをファインモーションは指先で拭いとる。震えそうにな彼女の足を絡み付けた自分の足で押さつけた。
「~~~~っっ!」
声を押し殺すエアシャカールを見てファインモーションはひどく愛おしさが増していく。睨みつける程度の些細な抵抗しかしない彼女をずっと独り占めしたいと思う。
「もっといっぱい楽しもうね」
そのの言葉にエアシャカールは睨むだけで返答しない。しかし、彼女の尾はファインモーションの足にしっかりとしがみついている。
素直じゃない彼女の不器用な肯定がなにより嬉しい。
大事なものを扱うようにエアシャカールの額を撫でながら、ファインモーションはそう思った。