女帝の求めるもの   作:パセリセリ

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女帝の求めるもの

「ねぇ、エアグルーヴ」

 

 ある日の放課後のことだった。生徒会の仕事も一区切りがついた休憩中に訪れたトレーナー室。互いにカップに入れられた紅茶を飲みながら休んでいたら、彼女は言った。

 

「私ね…今度お見合いすることになったんだ。」

 

 耳が痛くなるほどの静寂。それに反してドクン、ドクンと心臓の音が私の体の中に響き渡る。

 

「そうか。日取りはいつだ?」

 

カップを机の上に置き、平静を装って私はトレーナーに尋ねる。幸い、彼女はこちらを向いていない。私の今の姿を見られることもないだろう。

 

 

「来週の日曜日。」

 

 座ったまま壁に掛けられたカレンダーを見る。ちょうどその日はトレーニングもなく、互いにこれといった予定も立てていない日であった。だが、随分と急な話であることに変わりはない。

 

「貴様に結婚願望があるとは知らなかったな。」

 

「母親がうるさくてね。まだ良い相手は見つからないのかって。ずっと断ったたんだけど痺れ切らしちゃったみたい。」

 

 椅子を回し、「アハハ」といたずらの見つかった幼な子のように笑う彼女だが、どこかぎこちない。どうせ私に申し訳ないとでも思っているのだろう。

 

「たわけ。母親からしたら手塩にかけて育てた愛娘が、仕事一筋で色恋ひとつないとすれば心配もするだろう。まぁ、こんな場所で仕事をしていれば当然ではあるが。」

 

 トレセン学園は圧倒的に女性の数が多い。ウマ娘が大半を占めていることもあるが、男性トレーナーは大抵自分の担当バと関係を持つことがほとんどだ。まだ精神的に不安定な思春期に二人三脚、人バ一体となって日々を過ごせばそうなるのは当然の帰結である。

 

 さらに言えばトレーナー業は激務だ。出会いの場が少ないこともさらに拍車をかけてしまっている。

 

 そんな環境で仕事ばかりしていれば、結婚適齢期を迎えているのにそんな話が微塵もないとなれば母親が心配して見合い話の一つも持ってきたくなるというものだ。今の時代、アプリで始まる恋愛というのもあるにはあるが、育ってきた時代の違いということもある。どちらにしても悪い話ではないはずだ。

 

「私は余計なお世話だって何度も断っているんだけどなぁ…貴女のトレーナーだけで手一杯だもの。恋愛とは無縁の生活を送ってきたしね〜。」

 

「仕事一辺倒なのは構わんが…そもそも碌な家事もできんだろうに。見合いなど家事を身につけるちょうど良い機会ではないのか?」

 

「うぐ…痛いこと言わないでよぉ…」

 

「甘えるなこのたわけめ。」

 

 ソファから腰を上げ、机に突っ伏すトレーナーの鼻をキュッと摘んだ。「きゃぅ」と小さく悲鳴を上げた彼女に私は笑った。これではどちらが年上か分かったものではないな。

 

 彼女は私の…〝女帝エアグルーヴ〟のトレーナーとして懸命に。それこそ泥を食らわんばかりに取り組んできてくれたのはこの3年間で充分なほど理解している。彼女の身を削るような献身もあり私はトリプルティアラも、秋の天皇賞も制することができた。残念ながらURAファイナルズでは、彼女に栄光を捧げることは叶わなかったが…

 

(まぁ、仕事ができる代わりに部屋の掃除含め家事スキルが杜撰なのは頂けんがな。)

 

 トレーナー業においては認めてやっても良いが、彼女自身の家事スキルは壊滅的だ。食事に至ってはコンビニ食か、栄養ゼリー、エナドリばかり。一度部屋を訪れた際には脱ぎ散らかされたシャツや下着も広がっていた。ゴミなどが散らかったり溜まっていなかった点はまだ救いだったろうか?今は定期的に彼女の部屋を訪れることで解消されつつはあるが、まだ及第点には至らない。

 

「…嫌なのか?」

 

「だっていきなり知らない人と見合いなんて、緊張するじゃん。それに面倒だし…」

 

 こいつ…さてはそれが本音ではあるまいな?そう思うがトレーナーの顔は憂いを帯びている。担当である私に対して思うことでもあるのだろうか?

 

「結婚すると決まったわけではないのだろう?会うだけ会ってくれば良いじゃないか。わざわざ貴様のお母様も用意してくれた相手なのだぞ?せっかくの機会を無碍にするものじゃない。」

 

 私はトレーナーの髪を梳きながらそう諭す。トレーナーはしばらくそれを受け入れるが、体を机から起こし私の目を見つめてきた。

 

「エアグルーヴは良いの?もし私がその人と付き合って、結婚することになっても。」

 

 その言葉に私はまた心臓が跳ねた。ギュッと胸を締め付けられ、ズキズキ、モヤモヤとした感情が溢れる。だが、それを押し留めいつもと同じ声色と表情で口を開く。

 

「構わん。貴様が選んだ相手なら、私は喜んで祝福しよう。」

 

「そっ…か…そっか。ありがとね。」

 

 トレーナーは一度目を見開き、歯切れ悪くそう答えた。私は彼女の表情を見て、また胸が締め付けられるのであった。

 

 私はまだ知らなかった。いや、知らないフリをしているだけだったのかもしれない。

 

 私は…トレーナーである貴様を愛しているということを。

 

 

ーーーーーー

 

 

 そしてあっという間にきたお見合いの日。憎らしいほどに雲ひとつない空が朝から私を出迎えてきた。約束の時間まではまだあるというのに、変に目が覚めてしまった。

 

(とりあえず顔でも洗お…)

 

 眠気覚ましに顔を洗いに洗面所へと向かう。バシャバシャと顔を洗い、タオルで顔を優しく拭く。

 

「あ…」

 

 ふと視線を向けた先に、洗面台の横に立つ歯ブラシ立てがある。一人暮らしなのに、2本用意されていた。1つは、言わずもがな私のもの。そしてもう1つは…

 

「もう3年だもんなぁ。あの子と会ってから。」

 

 私は彼女と出会った当初のことを何となく思い出した。あの時から彼女は自身の母親を目標に、〝女帝〟としての理想像を掲げ日々の業務に臨んでいた。

 

勉学、後輩への指導、生徒会の業務、イベント運営、トレーニング、模擬レース、ライブ練習…

 

 うん、よくあの子過労死しないね。まぁ無理が祟って保健室に何度か運ばれた時は心臓が止まるかと思ったけど…それでもあの時よりも遥かに彼女は成長した。1人のウマ娘としても、女性としても。

 

(迷惑ばかりかけてきたなぁ…よく捨てられなかったよ。私みたいなトレーナーがさ。)

 

 3年前から彼女はさまざまなトレーナーから注目を集めていた。それこそ、ベテランと言われる先輩たち含めてだ。それでも、自分が納得できない相手となったら容赦なく彼女は切り捨ててきた。

 

 レースに支障をきたすから生徒会を辞めろとか、シニア級で活躍するためにトリプルティアラ路線に執拗に拘る必要はないだとか、いろいろだ。当時の彼女はプライドの高さもあって、よく色んなトレーナーとぶつかり合っていたし、余裕もなさそうだったのはよく覚えている。必死で、必死すぎて。力の抜き方を知らない女の子だった。

 

 そんな彼女の支えになりたい。せめて、女帝という彼女を支える杖になろう。そう思って私は彼女と契約を結んだ。

 

 もちろん最初は上手くいかないし、怒られることもあったけど…次第に認められて、彼女のいろんなことを知れた。

 

 虫が苦手だけど、てんとう虫は好きなことも。ねこ相手に年相応に顔を緩ませることも。誰よりも花が好きなことも。ストレス発散のために掃除が趣味なことも。コーヒーよりも紅茶が好きなことも。雨の日の雷が嫌いなことも。意外と甘えん坊だったり、寂しがりなところも。

 

 美しく、誇り高い女帝さま。だけど私はそれ以外の姿をたくさん知っている。いや、正確には知る機会を与えてもらっている。

 

「ちょっとアルバム、見直そうかな?」

 

 今の時代にしては珍しいかもだけど、私は写真をアルバムにして手元に残すタイプだ。ウマホで撮った写真を見返すのも良いけど、実際に写真に触れて、一枚一枚とページをめくりながら思い出話を咲かせる…そんな時間が私は好きだ。

 

 そう思い私は自室の本棚の一角からアルバム本を取り出す。ここにあるのは、私がトレーナーに至るまでの学生時代からエアグルーヴと2人で歩んできた3年間分の記憶だ。まぁ、ほとんどが彼女との写真ばかりなんだけど。

 

(改めて見ると、本当にエアグルーヴの写真ばっかりだな…)

 

 ライブだったり、彼女の勝負服を纏った姿だったら、彼女の特集や撮影の時に頂いた物だったり…ファン涎垂ものの写真も数多くある。まぁ、1番の彼女のファンは私なんだけどね!

 

 そこまで思って、私はふと寂しさを感じた。それはエアグルーヴにお見合い話を告げた時にも感じたものだった。

 

 私はてっきり、彼女は止めてくれるだろう、反対してくれるだろうと心のどこかで思っていた。3年間一緒に歩んできたパートナーが、どこぞのウマの骨とも分からない男とお見合いするとなれば尚更だ。

 

 だけど彼女は、反対するどころか不安な私を励まし、背中を押してくれた。私の母の気持ちも汲む辺り流石だった。

 

 だけどね、エアグルーヴ?私も貴女との付き合いが長いから分かるんだよ。貴女が声色も表情も抑えて、いつも通りに振る舞おうとする演技なんて特に。

 

 でも、それでも貴女が後押ししてくれるなら、私はそれに応えなければいけない。貴女が私に応えてくれたみたいに。

 

「そろそろ準備、しようかな。」

 

 アルバムを眺めて思い出に耽っていたら時間はあっという間に経過していた。慌てるような時間ではないけれど、お見合いの日にバタバタと準備するのは流石に情けない。

 

 服装はボディラインに沿うようなネイビーカラーのカジュアルドレス。小物は明るめのモノを適当に見繕えば良いだろう。トレーナー職であり、エアグルーヴの戦績もあり年の割にはそこそこの資金もあるが、あまり手をつけて居ないので少し崩した。まぁ当分使う予定もなかったし、小物関連はあって困るモノではないから今回を機に買い揃えたんだけども…これから使う機会があるのだろうか?

 

(化粧はいつもより少しキッチリするかな…変な印象持たれたくはないし、お母さんにも心配かけたくないしね。)

 

 普段は薄らとする程度なのだが、今回は少し時間をかけてメイクを施す。これでも女帝のトレーナーとして最低限の知識と技術は持っているので仕上がりは問題ない。

 

「アイシャドウは…これ使おうかな?」

 

 そう言って私が取り出したのは、普段身につけない赤色のアイシャドウ。それは普段、エアグルーヴが身につけるものと同じブランド。3年目のプレゼントに、彼女から貰ったものだったが勿体無くて使えなかった品物だ。

 

「うん、やっぱりやめとこ。」

 

 私は彼女から貰ったアイシャドウの蓋を閉じ、いつも使っているモノを取り出した。初めて会う人に彼女と同じモノを見せるのは場違いな気がしてしまったからだ。

 

(いつか付ける機会があると良いけどな…)

 

 それがいつになるのかは分からないけれど。なんてことを思いながらメイクも着替えも終わらせた私は部屋の外へと向かうのであった。

 

 

ーーーーーー

 

 

「ハァ…」

 

 もう何度目か分からないため息を吐きながら私は街を目的もなく気の向くままに歩いていた。

 

 今日は日曜。学園は当然休みである。生徒会の仕事があろうものなら時間も潰せる上にこんなに憂鬱な気持ちになることもなかっただろうが、生憎と仕事は済ませてしまっていたし、先に終わらせられるものも特になかった。

 

 後輩たちへの指導に出向こうかと思ったが、もう彼女らは立派に自らのトレーナーと共に切磋琢磨している。そこに態々私が介入することはもうないだろう。

 

 日課である花壇の花の世話は早朝に済ませてしまった。だが、隣で手伝うトレーナーの姿がないのは物寂しさを覚えてしまった。

 

(最初は花の世話や知識など全くなかったというのに、分からんものだな。)

 

「何か手伝えることはない?」

 

 彼女と契約を結び、そこそこ親しい間柄になった際、私はその言葉を受けて校舎裏の花壇へと案内した。

 

 本当に最初の頃は酷いもので、花の種の植え方、水や肥料のやり方。道具の使い方など口うるさく教えたものだ。なのに彼女は嫌な顔一つせずについてきてくれた。肥料や道具、少し離れた場所への移動などはすぐに車を出して一緒に買い出しにも行ってくれた。

 

 そんなこともあり、今や私が用事で世話に行けない時などは一任できるほどだ。時折私の知らない花を育てて、サプライズしてきてくれたこともあった。

 

 彼女がくれた花は押し花の栞、プリザーブドフラワー、ドライフラワー、ハーバリウムなどにして手元に置いてある。彼女は恥ずかしいと言っていたが、折角丹精込めて育てた花を捨てるような真似などできるはずもなかった。

 

(意外と私は重い女なのかもな)

 

 ショッピングモールに入り、アンティークショップで気になったモノを手に取りながらそんなことを思う。彼女の部屋に定期的に掃除をしに行くようになってから、随分と私物を置いてしまっている。料理道具に、寝泊まり用の私の衣服。日常品など様々だ。時折ファインやスズカに「通い妻みたい」と言われることがあったが、否定できる気がしない。

 

(妻…トレーナーの妻か。)

 

「ハッ…バカバカしい。」

 

 私は吐き捨てるように笑った。そもそも私とトレーナーは種は違うが、同性だ。女同士だ。結婚自体は法律上認められてはいるが、世間一般では少数であり、受け入れ難い扱いをされるのが現状だ。

 

 私は、トレーナーがそんな扱いをされるのは耐えられない。彼女は教え子として、共に3年間を歩んだパートナーとして私に接してきてくれた。男との出会いなど作る暇もないくらい濃い時間を過ごさせてしまった。でも、それだけだ。それ以上の関係に進展することはなかった。いや、進展することを恐れていたのかもしれない。この心地いい関係が崩れてしまう…そう思ったからだ。

 

 そんな彼女に異性からのお見合いの話が来たのだ。まともな恋愛をして、結婚をして、子供を作る…〝普通の〟〝当たり前の〟恋愛を彼女は始められるキッカケが今回訪れた。ならば、その背中を押してあげるのが私の最後の役目だろう。

 

 結婚して子供ができたら、退職するのだろうか?私とのこれまでの成績も含めて子供を育てるには十分なほど資金は貯まっているはずだし、面倒見の良いトレーナーならきっと立派に母親としての務めを果たせるはずだ。何も心配することはない。

 

「これで良い。これで良いんだ…これで…」

 

 だから、諦めてしまえ。未練たらしく思うなど私の理想たる女帝の振る舞いからは程遠い。そもそも、私とトレーナーはあくまで指導者と学生の関係だ。ずっとそばにいられる訳でもないことなど、最初から分かっていたことではないか。

 

 何度も自分にそう言い聞かせる。だけどなぜだろう。そう思うたびに、私の心はジクジクと痛みを増すだけだった。

 

「…帰ろう。」

 

 ただ時間だけを消費して、ぼんやりとした思考のまま私はその場を後にした。その背中からは普段の毅然たる雰囲気はなく、人混みの中に紛れ消えていった。

 

 

ーーーーーー

 

 

「…さん、〇〇さん?」

 

「あ、ごめんなさい。」

 

 もう何度目になるだろう。私はお見合い相手の方に名前を呼ばれて謝罪の言葉を述べながらそんなことを思う。

 

「どこか具合が悪いのですか?それとも、僕の話がつまらなかったですかね…」

 

「いえ、ごめんなさい。こういう場に慣れてなくて緊張しているみたいです。」

 

 そう話すと彼は「そうですか」と気弱そうに笑った。多分、心根の優しい方なのだろう。話し方や身に纏う雰囲気からも彼の人の良さを含めそんなことが伝わってくる。

 

 先程まで彼の隣に座っていた親御さんともお会いしたが、彼と同じように優しそうな方だった。私の仕事に対してもとても理解のある方で、興味津々と言った風に私の話を聞いてくれた。

 

 食事も終わり、「あとは本人たちで」と送り出された今はお見合いの会食場所となったホテルの中庭を散策していた。季節の花が咲き誇り、よく手入れされたこの場所は彼女も好きになってくれるだろう。

 

(また考えちゃった。)

 

 いけないことだと分かっているのに。分かっているはずなのに。どうしても頭の片隅からエアグルーヴが浮かんでしまう。

 

 あの子なら、どんな顔をするだろう。どんな仕草をして、どんな声を聞かせてくれるだろう。まぁ、彼女とだったら近くの公園を歩くだけでも楽しいこと間違いなしなのだが。

 

(分かってる。彼女と私が不相応なんてことは。)

 

 彼女は学生ながら、大人顔負けのカリスマ性を備えている。〝女帝〟の二つ名は伊達ではない。もともと持っていた才能と、血の滲むような努力の結果だ。

 

 そんな彼女を支えられるトレーナーになるのだと、自分なりに励んだ3年間。ありがたいことに〝唯一無二の杖〟〝女帝の半身〟なんて世間や学園からは言われるようにはなった。

 

 まぁ、本人からどう思われているかは言われたことがないから分からないけどね。あの子、素直じゃないし。そこも可愛いんだけど。

 

(それでも…いつか聞けたら良いな)

 

 あの子が後押ししてくれた。〝普通の〟〝当たり前の〟恋愛をできるように、幸せを掴めるようにと。だったら、私は答えないといけない。

 

 ふと、隣で歩く彼を見る。幸い、この人と話すのは悪くない。こちらに常に気をかけてくれるし、私の仕事も続けたかったら続けても良いと言ってくれた。彼自身、仕事も真面目に取り組んでいるらしく、それが故にまともな女性付き合いもなかったことから今回のお見合いにつながったらしい。

 

「えーっと、〇〇さん?あまり顔を見られると恥ずかしいのですが…何かついてますか?」

 

「いいえ。優しい目をしていると思いまして。」

 

 そう褒めると彼の顔は瞬く間に赤くなった。なるほど、たしかに男性のこういう一面はギャップを感じる。だが、私の場合これ以上のモノを3年間体験しているためにくるものはなかった。

 

(エアグルーヴなら〝たわけ〟とか言って来そうだな。)

 

 あぁ。やはりダメだ。私はそう思ってしまった。いや、再認識しただけなのかもしれない。彼女へ抱えるこの感情の正体を。

 

(ごめん、エアグルーヴ。せっかく背中を押してくれたのに、貴女の期待に応えられそうにないや。)

 

 まだ若干頬を赤くしているお見合い相手の彼の顔を見る。今の私は一体どんな表情をしているのだろう。鏡があればぜひ見たかった。多分、ひどい顔をしているはずだから。

 

「お話があります。私ー」

 

ーーーーーー

 

 

「ん…今、何時だ?」

 

 ボンヤリとした意識のまま枕元のウマホの画面をつける。時間は既に夜の7時を回っていた。ここまで無為に時間を浪費してしまったのはいつ以来だろう。

 

(夕食は…要らんな。)

 

 昼は適当に済ませたが、なんとも今日は食欲が湧いてこない。寮長のフジキセキに知られたら何か言われるだろうが、今日は見逃してほしいところだ。

 

「トレーナー…」

 

 ボフン、と情けない音を立てながら再びベットに体を沈めながら彼女を呼ぶ。当然声は返ってこない。

 

相手に失礼はなかったか?

 

どんな男だった?

 

変な目で見られなかったか?

 

お前を…幸せにしてくれそうな男だったか?

 

そんな考えばかりが頭の中でグルグルと回る。未練たらしいのもここまでくれば笑いものだ。いっそ誰かに笑われた方がせいせいするだろう。

 

(何が女帝だ…今の私はただの〝女〟そのものではないか)

 

 唇を噛み、シーツをギュッと握る。今日はもうダメだ。感情のコントロールさえままならない。同室のファインが部屋にいないことだけが幸いだった。今は他人に見せられる姿ではない。たとえ見せるにしてもそれを許せるのはー

 

「エアグルーヴ、起きてるかい?」

 

「!?」

 

 突然のノックに驚き思わず飛び上がる。ワタワタとしている間に「入るよー」の一声とともに声の主・フジキセキは扉を開けて隙間から顔を覗かせてきた。

 

「なんだ、起きてるじゃないか。夕食になってもこないから心配だったんだ。君にしたら珍しくお寝坊さんだね。」

 

「すまない…今日は食欲がなくてな。」

 

「ありゃ、本当に珍しいね。何かあった?」

 

 部屋の中に入り、明かりをつけるとフジキセキは扉を閉める。誤って誰かが入らないようにしてくれる気遣いが今はありがたかった。

 

「今日、私のトレーナーが…見合いがあると言われた。」

 

「ヘ?」

 

「分かってる。馬鹿げていると、情けないと言いたいのだろう?私もそう思う。いっそ笑ってくれ。」

 

 目を点にしているフジキセキに対して私は嘲るように吐き捨てた。だが、フジは額に指を置いて「うーん…」と唸っていた。

 

「ごめん、エアグルーヴ。君のトレーナーさん、今日お見合いだったんだよね?」

 

「そうだが?」

 

「いつ帰るとかは聞いた?」

 

「いや、そこまでは…」

 

 流石に帰る時間まで知る必要はないので、トレーナーには聞かなかったのだが、なぜフジがここまで悩んでいるのか私には理解できなかった。

 

 そんな私を置いて彼女はウンウンと悩み、やがて「よし!」と手を叩き顔を上げた。

 

「エアグルーヴ!」

 

「な、なんだ!?」

 

 突然の大声に驚くが、彼女は口早に言葉を放つ。

 

「寮長命令!今から君に用意できるご飯はありません!というか、食べさせません!」

 

「…ハァ!?」

 

「当然だろう?もう夕食の時間は過ぎてしまっているのに、皆の模範たる副会長の君だけを優遇するわけにもいかない。寝坊した君が悪いんだからね。

 でも食べないことには体が保たない。まぁだから?寮の食堂に皆が集まっている中、君がこーっそり〝裏口〟から抜け出して、どこかでご飯を食べに行ったとしても特別に不問としてあげよう。」

 

 何を言っているんだ、こいつは。私は理解できないまま呆然としていた。そもそも、夕食に至っては完全に私が悪いし、この時間に外に出るのは校則違反に等しい。なのに何故わざわざそんなことを促すのだろうか。しかも、正面ではなく裏口から出るように指示するのもおかしな話だ。

 

「…早く行きなよ。君の大事な人が待ってるよ?」

 

「!!!」

 

 それを聞くや否や私はウマホと財布、近くにかけてあった上着を引っ張り出す。

 

 そしてドアノブに手をかけた際に、チラリとフジの顔を見る。彼女は一瞬キョトンとした顔をするが、私の顔から察したのかしょうがないなぁとため息を吐いた。

 

「…反省文で勘弁してあげる。」

 

「〜ッ!恩にきる!」

 

 逸る気持ちを抑えて私はドアをソッと閉め、そのまま彼女のいう通り裏口へと向かった。

 

「いやぁ…まさかあの女帝様がね。あーあ!私もトレーナーさんに会いたくなっちゃったなー!」

 

 自分のトレーナーのことを思い浮かべながらフジキセキは今はいない彼女の先程の顔を思い出し小さく笑った。

 

 

ーーーーーー

 

 

「トレーナー…いるのか?」

 

 フジに言われた通り、裏口から外に出る。扉を閉めて周りを見渡すが、どうやら近くにはいないようだ。私は握っていたウマホを操作し、トレーナーに電話を繋げた。

 

「トレーナー…とれーなぁ…」

 

 コール音を聞きながら私は何度もトレーナーを呼ぶ。会いたい。貴様に会いたい。早く…会いたい…!

 

「なぁに?エアグルーヴ。」

 

 バッと後ろを振り返る。そこには端末を耳に当てながら笑うトレーナーの姿があった。ジャージでも、スーツでもない。ネイビーカラーのカジュアルドレス。アクセサリーもつけて、化粧も丁寧に施した綺麗な姿だった。ただ、その表情だけは変わらない。それを見て考えるよりも早く私は彼女に飛び込んでいた。

 

「…見合いはどうした?」

 

「こんな寂しがってる女帝様を、私が放っておけるわけないでしょ〜?いろいろ話したいことあるから、今夜は付き合ってくれる?」

 

 ワシワシと荒く、でも優しさを込めて彼女は私の頭を撫でる。トレーナーの匂いと温もりに包まれて目頭が熱くなる。

 

「たわけ…仕方ないから、聞いてやる。」

 

 私はトレーナーの肩に顔を埋めながら、私は震えた声で彼女に返すのだった。

 

 

ーーーーーー

 

 

 とりあえず学生寮の付近にずっといるわけにはいかないので、私はエアグルーヴを連れて自分の車に乗り込む。トレーナー寮に向かう途中で彼女のお腹から「きゅ〜…」という何とも可愛らしい音が聞こえてくる。

 

「ご飯は?」

 

「…食欲がなかったんだ。さっきまでは。」

 

 顔を真っ赤にして俯きながらも「本当だからな?」と睨むエアグルーヴを見て私は笑った。いつもの毅然として女帝様はどこに行ってしまったのだろうか。

 

「笑うな。」

 

「ごめんごめん。適当にどっか立ち寄ろうか?デリバリー頼んでもいいし、今日は好きなもの食べよう。」

 

 流石に今から部屋で料理をするとなると時間もかかるし、今の彼女の様子からしても早くご飯を食べたいはずだ。たまには栄養バランス云々を忘れてもバチは当たらないだろう。エアグルーヴも納得したように「ん」と頷いた。

 

 そして会話もそこそこにトレーナー寮へと着く。先に彼女には鍵を渡して、私は車を駐車に向かう。車から降りてエレベーターに乗り、部屋の扉を開ければ先に居たエアグルーヴが迎えてくれた。

 

「ただいま。」

 

「おかえり」

 

 そんな簡単なやり取りをしただけでなんかこそばゆいような感覚がするが、悪くないと思った。エアグルーヴの頬もほんのりと赤くなり、尻尾も満更ではないというふうに揺れていた。

 

「ご飯頼んで、その間にお風呂入ろうか?服は貴女の分をおいてあるから…」

 

「貴様のが良い」

 

「ヘ?」

 

 予想していない答えに私は驚くが、エアグルーヴは恥ずかしそうに頬を染めながらももう一度こちらを見て同じことを言った。

 

「貴様のが良い…今日は…今日だけは…頼む。」

 

 あ、これダメだ。本当に寂しかったんだ。

 

 だって今も私の服の裾摘んでるし。彼女の服も置いてあるのにわざわざ私の服着たいって…相当だ。やはり私を送り出した時、我慢していたなこの女帝様は。

 

(こうなったら存分に甘やかしますか。)

 

 元々の性格もあって、エアグルーヴは他人に甘えるのがとても苦手だ。それでもこの3年間で私と2人きりの時には肩の力を抜いている場面が増えたが、時折限界を迎えるとこのような甘えん坊になってしまう。ここまで甘えるのは初めてだが…

 

 私は彼女と共にデリバリーのサイトを見ながらそれぞれ食べたいものを注文する。注文した品が来るまで40分前後。その間にお風呂を沸かして、着替えを2人分用意してから浴室に直行。互いに体を洗い終え湯船に浸かる。普段なら足を伸ばせる余裕はあるが、2人で入ると少し狭く感じる。今はエアグルーヴが私の足の間に入って寄りかかっているところだ。

 

「狭くない?」

 

「いや…心地よいくらいだ。」

 

「そっか」

 

 寄りかかる彼女の頬に手を添えると擦り寄ってきた。リラックスできているのか目もトロンとしている。おっきいネコみたいに見えてきてちょっと笑ってしまった。

 

「そろそろ出ようか?」

 

「やだ」

 

 そう言ってワガママを言う可愛らしい女帝さまを撫でながら説得を試みる。

 

「料理もくるし、このままだとのぼせちゃうから。ご飯食べた後にゆっくりしようよ。ね?」

 

「…分かった。」

 

 イヤイヤと首を振るエアグルーヴをなんとか説得し、湯船から上がる。体を拭き終えて服に着替え、髪を乾かしたらちょうど頼んだ料理も来た。

 

「食べようか。」

 

「ん。」

 

 運ばれてきた料理とお皿をリビングのテーブルに並べて、それぞれ頼んだものを食べ始める。時折、互いのものを交換したりしながら。そこそこ量はあったがお腹が減っていたウマ娘からしたらちょうどよかったらしく、綺麗に食べ切った。

 

「すまないな。半分以上食べてしまった。」

 

「その感じだと今日全然食べてなかったんでしょ?そんなに私のお見合いの話が気になった?」

 

 ちょっと意地悪のつもりでそう話すとエアグルーヴは耳と一緒に項垂れてしまった。尻尾も垂れてしまっている。

 

「今日一日…トレーナーのことが頭から離れなかった。」

 

「うん。」

 

 ポツリと話す彼女の言葉を、私はただ聞き入れる。

 

「花の世話にトレーナーがいなくて物寂しかった。立ち寄ったショッピングモールでも貴様の好きそうなものばかりを自然と選んでいた。」

 

「うん。」

 

「相手の男は大丈夫かと…貴様を、幸せにしてくれそうな男なのかと。信頼できそうな男かとずっと思い悩んでいた…苦しかった。悲しかった…!」

 

 次第に声は震え、ポタポタと机の上に雫が落ち始める。

 

「わからないんだ…!私も、トレーナーも女同士だ…!だけどそんなの間違ってるだろう?私は、トレーナーには男と結婚して、子供を作って。そんな当たり前の幸せを掴んでほしいのに!それを拒む私もいるんだ…!私は…」

 

「そこまでだよ、エアグルーヴ。」

 

「ッ!」

 

 そう低い声で彼女の名前を呼ぶと彼女の方がはね、恐る恐ると顔を上げた。涙が頬を伝い、怯えた目を向けてくる。私はそれを見て彼女の涙を指で拭き取った。

 

「トレーナー?」

 

 無言で涙を拭う私に対してエアグルーヴはキョトンとしていた。私は構わず話を続ける。

 

「実はね…今回のお見合い、断ってきたの。」

 

「え…?」

 

「すごい良い人だったよ。向こうの親御さんも、私の仕事に対して理解のある人だったし、付き合って結婚した後も続けていいって言ってくれた。向こうも稼ぎはあるし、本人もずっと気にかけてくれて、良い人だったと思う。」

 

「ならば何故!?」

 

 驚くエアグルーヴに対して私は笑った。

 

「貴女のことが特別好きだと分かったから。」

 

 恥ずかしげもなく、私はそう言い切った。

 

「今日のお見合い会場での食事も。会場のオシャレな雰囲気も。中庭での景色も。貴女と一緒ならってずっと思ってた。

 だから断ったの。相手の人にも見透かされてたし、残念そうな顔をされたけど応援してくれた。お母さんにはちょっと怒られたけど「貴女が良いと思ったならそれで良い」と言ってくれた。」

 

「そんな…だって私たちは…」

 

「そうだね。女同士。しかも指導者と学生って関係。でも今更じゃない?そんなハッキリと別れられるような薄い関係のまま、貴女と3年間も過ごしたつもりはないんだけど。」

 

 立ち上がり、エアグルーヴの横に移動して私は膝をつく。彼女もこちらに体を向き直してくれた。その顔は期待と、緊張。少しの不安が浮かび耳は忙しなく動いている。

 

「ねぇ、エアグルーヴ。世間の考えとか、普通とか、当たり前の付き合いって大切だよ。でも、皆が皆がそれに当てはまるわけじゃない。貴女は優しいから、私のこと心配してくれたんだよね?

 でもね?それは違う。私は貴女のそばに居たい。女帝の杖としてではなく、伴侶として支えていきたい。幸せにしてあげたい。幸せになりたい。」

 

 彼女の手を握り、私は彼女に全てを伝える。エアグルーヴの目からはボロボロと大粒の涙が溢れていた。

 

「エアグルーヴ…私の女帝さま。こんな私じゃダメですか?」

 

「う…」

 

「ん?」

 

「うわぁぁぁあん!!!!」

 

 しまった。やりすぎた。そう思った時にはもう遅い。

 

 わんわんと泣き叫ぶエアグルーヴを見て私はギュッと彼女を抱きしめた。どうやら感情のキャパを超えてしまったらしい。内心焦るが、とにかく彼女が落ち着くまで宥めないと。

 

「バカ!トレーナーのバカァ!たわけぇ!」

 

「うんうん、バカでたわけで結構。だから落ち着こうね。」

 

「ヒグッ!ゔぅ〜っ!」

 

 ポンポンと彼女の頭や背中を撫でる。彼女は私を痛いくらい抱きしめ、尻尾も腰に巻きつけて泣きじゃくっている。何度も「バカ、たわけ」と言ってくる。だけどその反応が愛おしくて私は笑みをこぼした。

 

 

ーーーーーー

 

 

「グスッ…ゔぅ…」

 

「落ち着いた?」

 

 ポンポンとあやすように私の背中を撫でるトレーナーに私は頷く。初めて彼女の前でこんなに泣いた。レースで負けた時でさえ、ここまで乱れたことはない。

 

「…本当にいいのか?」

 

 スンスンと鼻を鳴らしながら彼女の肩に顔を埋めつつそう質問する。分かりきった答えではあるが、私はトレーナーの口から直接聞きたくて仕方なかった。

 

「何度でも言おっか?貴女が好きなの。だから、選んだの。トレーナー失格ではあるけどね、こんなこと言うの。」

 

 優しい声だ。今は表情が見えないが、それで良いと思った。多分、顔を見たらまた泣いてしまう。

 

「私は口喧しい女だぞ?」

 

「そんなこと思ったことないよ。」

 

「お前が思うより重たい女だぞ?」

 

「貴女1人くらい余裕で受け止められるって。」

 

「女同士…だぞ?」

 

「周りが羨ましがるくらいのカップルになれば良いんじゃない?」

 

 何で貴様は、そう簡単に答えられるのだ。私が悩んで仕方なかった問題をトレーナーは淡々と答えてくれた。胸の痛みはとうに消え、ぽかぽかと温もりを感じるのは何故だろう。いや、その答えもきっと私は分かっている。

 

「ねぇ、エアグルーヴ。まだ貴女から答えを聞けてないんだけど?」

 

 今度は彼女から強く抱きしめられる。確かにそうだ。私はまだ、直接気持ちを伝えられていない。今までは恐くて、到底言うことはないと胸に秘めていた気持ち…今、伝えなければいけない。女帝としてではなく、ただのエアグルーヴとして。

 

「本当は…お見合いなんて断って欲しかった。行かないでと思った。他の誰にも渡したくない。」

 

「うん。」

 

 彼女の体を引き寄せる。互いに息が苦しくなるが、構わなかった。それくらい愛おしくてたまらないのだから。

 

「トレーナー…好きだ。大好きだ。愛している。浅ましいと思われても構わない…私は貴女が欲しい。」

 

「全部あげるから。貴女の人生も私にくれる?」

 

「お前なら、欲しいだけ。」

 

 あぁ。幸せだ。間違いなく、私は誰よりも幸せな時間を過ごしている。それはトレーナーがそばにいるからだろう。

 

「今度の休み、指輪でも買いに行こっか?」

 

 そう話すトレーナーに驚き顔を見る。彼女もまた、幸せそうに此方を見つめてきたのを見て頬が緩む。

 

「気が早いぞたわけ」

 

「じゃあ要らない?」

 

「…要る。」

 

 あぁ、まったく。普段なら私の方が彼女を説くことが多いと言うのに、2人きりとなるとまるでダメだ。まぁ…愛している相手にだけ見せるのだから問題もないか。

 

 最初は杖を欲した。理想たる女帝への道のりを歩く支えとなる杖。最初は最低限のものであれば良いと思っていた。

 

 だが、それは違った。長く付き合えば愛着が湧くように、杖は唯一無二の存在となった。私を移す鏡であり、共に歩む伴侶になった。それが、私を抱きしめてくれる彼女なのだ。愛してやまない、私の大事な人。

 

「トレーナー」

 

「ん?」

 

 呼びかけに応じたトレーナーにキスをする。触れるだけの、今の私には精一杯の気持ちを伝える。

 

「愛しているぞ。」

 

「…不意打はズルい」

 

 顔を真っ赤にしたトレーナーを見て私は笑った。

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