影浦、狙撃されたってよ   作:Amisuru

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副題:ぼくのかんがえたさいていのはとはらみらい





『鳩原未来~人を撃てない狙撃手(スナイパー)~』


 

 

「ほんとうにごめんなさい」

 

 

 ボーダー本部基地内・二宮隊作戦室にて。

 新米B級狙撃手(スナイパー)・日向坂撫子の目の前で。

 二宮隊所属のA級狙撃手(スナイパー)・鳩原未来が。

 

 

 土下座していた。

 

 

 

 

 

「――アイエエエ!? ドゲザ!? ドゲザナンデ!?」

 

 

 ナデ=シコは錯乱した。What's that(ワッザ)!? ワカラナイ! アーッ!!

 

 

「いや……元を辿れば、あたしがナデコに代わり押しつけちゃったのが全ての始まりだったんじゃないかって思って……」

 

 

 背中を丸めたまま顔を上げ、本当に申し訳なさそうな顔で答える鳩原。

 事の経緯はこうである。数日ぶりの再会を果たした師へと大はしゃぎで駆け寄った撫子は、お身体大丈夫ですかあっまだ頭痛いんですよね無理しないで下さいところで防衛任務の日って何のご用事だったんですかそうそう防衛任務といえば聞いて下さいよ! と鳩原が割り込む間もなく一方的に捲し立てた挙句、第一話から今に至るまでのあれやこれやをつらつらと語った。

 鳩原は『誤って味方を撃ってしまった』という第一報にどきりと胸を抑えて、その相手がよりにもよってあの影浦雅人であったという事実に顔を青ざめさせ、されどとりあえずは謝ったら許してもらえましたという顛末に胸を撫で下ろし――おもむろに、亀の如く丸く低く体を畳んでしまったのである。

 

 

「いやいやいやいや! そんなの全然お師匠様のせいじゃないですって! よっぽど外せないご用事があったんでしょう!?」

「……うん。それはまあ、そうなんだけどね。だからって昇格したばっかりのナデコに、いきなり代わり頼んじゃうとか無責任にも程があったかなあって……」

「いーえ師匠! それはそれ、これはこれです! あたしが何でもお申し付け下さいって言って引き受けた以上、その後に起きたことの責任は全てあたしが背負うべきことです! そこはお師匠様が相手でも譲りませんよ!」

「な……ナデコ、意外と頑固さんだね……?」

 

 

 ふんす! と鼻息荒く訴える撫子。とはいえ事の発端がこの女のやらかしである以上、立派な心掛けでも何でもない。『責任』とか言われるまでもない、当たり前のことです。キリッ。

 

 

「――ま、実際ヒナタちゃんがちょっと落ち着いて周り見れる子だったら普通に防げたミスなのは間違いないしねえ」

「うぐっ……!」

「私がちょっと待てって言ったのも無視したしね」

「ぐふっ……!」

「……たしかに、撃つ前に一声くらいは掛けてほしかった……かも……」

「あばっ! あばばばばばっ!!」

「あああああみんな、ナデコを後ろから撃たないであげて」

「い……いいんです……そもそもあたし自身が影浦先輩のことを後ろから撃ち殺した女ですし……この扱いもまさにインガオホー……ショッギョ=ムッジョ……しめやかに爆発四散(ベイルアウト)……」

「ヒナタちゃんは気に入ったネタをしつこく擦り続ける悪癖があるなあ。すぐに飽きられて長生き出来ないよ、その芸風じゃ」

 

 

 芸風言うなし。撫子は脳内でぼそりと反論した。

 慌てたようにばたばたと立ち上がり、瀕死(精神的に)の撫子を支える鳩原。病み上がりの師に手厚く介護される哀れな弟子の姿がそこにあった。はい。手の掛かる弟子で本当にすみません。

 

 

「……何にせよ、無事に解決したみたいでほっとしたよ。影浦くんに許してもらえてよかったね、ナデコ」

 

 

 そう言って、撫子の目と鼻の先で穏やかな笑みを浮かべる鳩原。

 ――その表情は実に柔らかく自然であり、意識して作り上げたような代物ではなかった。断じて日向坂撫子の盲目的な尊敬による思い込みではない、ということを補足しておく。

 

 

 その上で。

 日向坂撫子は、鳩原未来の笑顔を見るのが好きだった。

 

 

「――はい。それは本当、影浦先輩に感謝です。……おっかない人だと思ってたんですけど、意外と心が広いっていうか――優しい人でしたね」

「……ううん。いや、影浦くんが見た目ほど怖い人じゃないのはその通りなんだけど、それだけじゃなくってね。ナデコがちゃんと真っ直ぐな気持ちで謝れる子だから、影浦くんもその気持ちに応えてくれたんだろうなって、そう思うから」

「そう……なんですかね? そりゃ、あたしなりにマジメにごめんなさいしたつもりではありますけど……」

「――うん。やっぱり、ナデコはえらい子だ」

 

 

 よしよし、と。

 我が子をあやす母親のように、撫子の頭を撫でる鳩原。その目はどこか、眩しいものでも見るかの如く細められていたが――

 

 

「…………」

 

 

 ――そんな彼女の様子に気が付いたのは、この場において、犬飼澄晴ただ一人だけであった。

 

 

「ぶぇへへへへへへぇ……」

 

 

 で、一番気付いてもいい距離にいる女の反応はこれであった。他人に甘やかされるのがこの世の何よりも大好きな女、日向坂撫子。精神性が幼児からまるで成長していない……。

 

 

「鳩原先輩。その子『これからは鳩原先輩にスパルタでびしびし扱いてもらいたい』って言ってたんで、今のうちにその緩み切った頬ひっぱたいておいた方がいいですよ」

「は? 言ってないが? ワシはこれから定年退職するまでずっーと師匠に甘やかしてもらうんじゃが?」

「頭パワーになってるとこ悪いけどこっちだって存在しない記憶に飲まれたわけじゃないからね」

 

 

 ち……人が極楽気分に浸っているところを無理矢理引き摺り出すような真似しよってからに……撫子は胸中で親友の告げ口に舌打ちした。こいつ本当に影浦雅人に一度赦された女か?

 

 

「さ、流石におばあちゃんになるまでボーダー勤めを続けるつもりはないかなあ……ていうか、それだと……」

「…………?」

 

 

 流石に今度は師の変化に気が付いた撫子である。言葉を途中で切り、考え込むように俯いた鳩原の反応に首を傾げる。はて、それだと?

 鳩原未来が数十年後になってもボーダー隊員を続けているというのは、彼女にとっては望ましくない未来予想図なのだろうか? 未来だけに。何も上手いことは言えていなかった。

 鳩原ははっとしたように顔を上げ、それから再び、へらりとした笑みを()()()

 

 

「――あはは。ごめんごめん、なんでもないよ。……それより、これからはあたしにもっと厳しく指導してほしいっていうのは本当? ナデコ」

「あ――お、押忍! 女に二言はないであります!」

「言ってないって言った傍からその台詞が出てくるとかあんたの舌ってイギリス製か何かなの?」

「ええいやかましい、人がせっかく気合入れたところに水を差すでない。しっしっ」

 

 

 撫子は鳩原の様子にささやかな違和感を覚えはしたものの、直後に振られた話題と氷見の横槍に気を取られ、即座にその違和感を忘れた。並列処理能力0の女であった。これで元はオペレーター志望だったというのだから悪い冗談である。

 

 

「んー……そうだね。ナデコも正隊員になったわけだし、そろそろ教える内容も次の段階に進めていかないとだよね。これからの防衛任務で同じ失敗を繰り返さないためにも」

「うっ……は、はい。もちろん、今後はしっかりと撃つ前に『ヨシ!』と指差し確認してからぶっ放すつもりではありますけど……」

「その確認って絶対ガバガバでしょ」

「うーん……標的の周りだけじゃなくて、ナデコの場合はもっと全体を意識しないといけないっていうか……あ、そうだ」

 

 

 ぽん、と手を叩いた鳩原が、続け様に二人の男へと視線を送って。

 

 

「――犬飼、新くん。もし良かったら、ナデコの訓練に付き合ってあげてくれないかな?」

「……おや。これは意外な申し出だ」

「そう? 犬飼だったら一緒にやってて気付いてたでしょ、ナデコのダメなところ」

 

 

 ぐほぁ!! し、師匠の口からはっきりと『ダメ』っていう単語が出てくると流石に堪えるぜ……いや、ダメなところだらけだって自覚はあるんだけど……二人のやり取りの陰でひっそりとダメージを負う撫子。ていうか師匠、二人のことそういう風に呼ぶんだ。ちょっと意外。

 

 

「いや、ヒナタちゃんが狙撃手(スナイパー)としてまだまだダメダメのダメっていうのはおれも理解(わか)ってるんだけどさ」

「人の心とかないんか?」

「その改善のためにおれと辻ちゃんを頼るって発想が、鳩原ちゃんの口から出てきたのが意外だったなーってね。割と本気で可愛がってるんだ? ヒナタちゃんのこと」

「……そりゃ、せっかく出来た弟子なんだからきちんと一人前にしてあげたいって気持ちくらい、あたしにだってあるよ」

「それは立派な心掛けだ」

「犬飼のそういう皮肉めいた言い方、好きじゃないよ。あたし」

「あっはっは、ごめんごめん。お詫びと言ってはなんだけど、喜んで力にならせてもらうよ。ね? 辻ちゃん」

「あ――は、はい。鳩原先輩の頼みだったら、俺も断る理由ないですから」

 

 

 ――本当に、意外だった。鳩原未来と犬飼澄晴、同世代の二人が交わすやり取りをぼけっと眺めつつ、撫子は胸中でそう思った。

 あくまで言い回しの話とはいえ、あの犬飼を相手に真正面から『好きじゃない』と言ってのける堂々たる姿勢。それは、撫子の中にある『優しい師匠』のイメージとは、やや離れたところにある姿だった。後輩の弟子と同い年のチームメイトに対する態度など異なっていて当然だという思いはあるのだが、それにしても。

 ……まあでも、こういう師匠はこれはこれで悪くないというか、むしろアリです。優しい師匠と凛々しい師匠、一粒で二度おいしい。撫子はそう結論付けた。

 

 

 あ、一粒で二度おいしいと言えば。

 二宮隊屈指の二面性を誇る少年へと向き直り、撫子は脳裏に浮かんだ疑問を率直に投げつけた。

 

 

「……ところで辻くん。あたし相手だと一声かけられただけでしどろもどろなのに、お師匠様には随分と従順なのだね?」

えっ!? あ……ぁの、鳩原先輩は、その……ゃさしぃ、から……」

「そんな……あたしだってこんなに辻くんのことを想っているのに……どうしてあたしの気持ちを理解ってくれないの……?」

「ぇ……ぁ、あ、ひなたざかさん……!?」

「あんたが辻くんに抱いてるのは優しさとか愛じゃなくてただの加虐心でしょうが」

「ぐええ」

 

 

 よよよ、と一粒も出ていない涙を拭いつつそっと辻へと寄せていった身を即座に引っぺがされる撫子。というか氷見さん、引っ張るんならせめて肩とかその辺にして貰えませんかね? 今あんた容赦なく首根っこ引っ掴んだでしょ? トリオン体じゃなかったらむせ返ってたところだぞこら。

 ――などと文句を垂れようとした撫子の口は、続く親友の叱咤によって即座に塞がれる。

 

 

「ヒナタ。あんたちょっと辻くんで遊び過ぎ。あんまり度が過ぎるようだと私も怒るからね」

「うっ……ご、ごめんなさい」

「あ……」

 

 

 氷見の視線が『そういうとき』の厳しさを湛え始めているのに気が付いて、流石にしゅんとする撫子。

 ……いかんいかん。初めて会った時は辻くんの苦手意識に配慮しようって思えてたのに、辻くんがあまりにもいい顔するもんだから調子に乗り過ぎてた。アイビスで影浦先輩を撃っちゃった時といい、あたしはこういうところが本当にダメだ。その時その時の気持ちに流され過ぎる。意識の継続性って奴がまるでない。自分の根っこからきっちり植え替えないと、人間なんて死ぬまでずっとそのまんまだぞ、日向坂撫子。

 

 

「――辻くんも、ごめん。流石にちょっとふざけ過ぎた」

「ぅ……あ、いやその、俺は……」

「……?」

 

 

 ぺこりと下げた顔を上げると、辻新之助はいつものように頬を真っ赤に染めながらも、撫子から視線を切らずに口をもごもごとさせていた。

 どうしたのかね辻くん、遠慮せずにこの撫子お姉さんへと思いの丈をぶつけてごらんなさい――そう言ってからかいたくなる気持ちをぐっと堪えて、続く辻の言葉を今か今かと待ち望む撫子。

 ――が、その催促に満ちた上目遣いが宜しくなかったのか。辻は結局ばっと顔を背けてしまい、か細い声で。

 

 

「……な、なんでもない……です……」

「oh……」

 

 

 ――これは中々に重症だなと、撫子は思った。

 自分は辻に嫌われている訳ではない、と思う。影浦雅人との一件が解決した際に、彼から貰った精一杯の祝福。少なくともあれは、嫌悪を抱いている相手に対して差し出せる代物ではなかった。その程度の観察眼は、16歳の小娘なりに撫子も身に着けているつもりだった。

 けれど。

 その上で彼は、異性に対して堂々と振る舞うことが出来ずにいる。

 

 

『鳩原先輩は、その……ゃさしぃ、から……』

 

 

 辻新之助に対して、鳩原未来が持っていて、日向坂撫子が持っていないもの。

 いや――撫子が抱いているつもりでも、辻新之助に()()()()()()()()()

 優しさ。相手のことを思いやり、尊重する気持ち。それを自分は、明確に態度で表していかなければならない。

 からかい半分だったとはいえ、先に口にした『どうしてあたしの気持ちを理解ってくれないの』という言葉が、今となっては実におぞましく感じられる。あんなふざけた態度を取って、伝わる訳がないだろう、そんなもの。

 辻新之助は、超能力者(サイドエフェクター)でも何でもないのだから。

 

 

「……うん。やっぱりこれは、ナデコにとっても()()()()()()()()、やらなきゃいけないことだ」

 

 

 そんな二人の様子を見ていた鳩原が、何処か使命感の籠もったような口調で、ぐっと拳を作る。

 そうして彼女は、その視線を二宮隊の誇る敏腕オペレーターへと移して。

 

 

「亜季ちゃん。訓練用(トレーニング)ステージの準備、お願いしてもいい? 狙撃手(スナイパー)用じゃなくて、ちゃんとした戦闘訓練用のやつ。建物もありで」

「了解です」

 

 

 こくりと頷き、オペレーターデスクのある奥の部屋へと引っ込んでいく氷見。

 う、うおお……今更ながら、あたし一人のためにA級の皆様方が力を貸して下さるとか、こんな厚遇を受けていい立場なんだろうかあたし。いや、あたしだけじゃなくて辻くんのためにもなるっていう話だけれど、それにしても。

 今更のようにそんな疑問が涌き出した撫子、おそるおそる。

 

 

「……あの、お師匠様。いいんですか? 昨日ひゃみから聞いたんですけど、近々()()()の方まで遠征に行くとかでお忙しくなるんじゃ……」

「あ――うん。選抜試験も無事に通って、後は行くだけっていう段階」

「流石に向こうに行ったらヒナタちゃんの相手は出来なくなるけど、逆に言うならそれまでは割とヒマだよ、おれ達は。今期のランク戦ももう終わったしね」

「A級ランク戦……! あたしそれすっごい気になってたんですよ! 観たい観たいってずっと思ってたんですけど、昇格目指すのに必死でランク戦会場まで足運んでる余裕がなくって――選抜試験とやらにしてもそうなんですけど、一体いつの間にやってらしたんです?」

「さあ。いつだろうね? おれも知らない」

「おいパイセン」

 

 

 あり得ないことを言いだしたのでジト目で睨み付けてはみたものの、あっはっはーと笑って誤魔化すばかりの犬飼である。

 うん。突っついても無駄なパターンだなこれは。撫子は早々に思考を放棄した。

 

 

「ま、気になるんなら記録(ログ)があるからそのうち見せてあげるよ。――いいよね? 鳩原ちゃん」

「……わざわざあたしに許可取らなくても、大丈夫だから。ほら、新くんと一緒に先行ってなよ」

「はーいはい。それじゃ辻ちゃん、女の子組は遅れて来るってさ。行こ行こ」

「……了解です」

 

 

 最後にちらりと、申し訳なさそうに撫子を一瞥しつつ――犬飼と共に、辻新之助は個室の中へと入っていった。どうやらあそこが、訓練用(トレーニング)ステージとやらの入口になるらしい。個人(ソロ)ランク戦の個室(ブース)のように、あの中から仮想空間へと転送される仕組みになっているのだろう。

 はてさて、一体どんな訓練が待ち受けているのやら。若干の不安はあるものの、それよりも遥かに期待の方が勝っている。何しろ我が師、鳩原未来直々の提案なのだから。自身を正隊員へと辿り着かせた彼女の手腕を、撫子は一切疑っていなかった。

 

 

 

『言うてヒナちゃん、あの鳩原ちゃんの弟子やってんねやろ? せやったらこれからガンガン伸びるやろ』

『――攻撃手(アタッカー)をマスター出来たら、次は狙撃手(スナイパー)に乗り換えようと思ってる。そうしたら、君にも教えを乞う日が来るかもしれないな。そん時ゃよろしく頼むぜ、日向坂()()()()

 

 

 

 例の騒動の最中に知り合った、二人の男達の言葉が脳裏を過ぎる。

 生駒達人の言う通り、鳩原の指導の下、自分は今後も成長するための努力を惜しまない。そして必ずや、荒船哲次が狙撃手(スナイパー)へと転向してきた時、胸を張って彼のことを出迎えられるような一人前の狙撃手(スナイパー)になってみせるのだ。

 

 

 ――このひとの傍にいれば、きっと、それが叶う。

 

 

いよぉーし! あたし達もいっちょ行きましょうお師匠様! どんな試練もどんとこいですよ! えいえいむん!」

「自分のことをマチカネタンホイザだと思い込んでいるツインターボ」

「うるさいよそこのゴールドシップみたいな声した女ァ!!」

「……あのさ、ナデコ」

「アッハイ」

 

 

 微妙に冒頭のネタを引き摺ったような発音で応じる撫子。いかんいかん、仮にも師匠の見ている前で羽目を外し過ぎただろうか。

 そんな弟子の様子に構うことなく、鳩原はじっと撫子を見据え、やけに真剣な面持ちで。

 

 

「ごめんね。犬飼に聞かれるとまた後で何か言われるんじゃないかって思ったから、先に行かせたんだけど」

「え、えーっと……割とマジメなお話です?」

「……ナデコにとっては、どうってことない話かもしれないけど――あたしにとっては、とても」

 

 

 ――なるほど。

 そういうことなら、おふざけの時間はこれで終わりにしなければ。

 

 

 姿勢を正し、撫子もまた、真正面から自身の師と向き合った。

 

 

「伺います」

「――ありがと。……その、影浦くんのことを撃っちゃったっていう話、あったでしょ?」

「は……はい」

 

 

 思いがけぬ出だしに戸惑いながらも、撫子は頷く。正直、その話はもう終わったことだと思っていたのだが――やはり、狙撃手(スナイパー)としてどうしても見逃せない点があったということなのだろうか?

 とはいえ、何を言われようと大人しく受け入れるべきだ。そもそも、この件を鳩原に伝えたら間違いなく叱られるものだと思っていたのだから。こうして二人っきりになった状況を選んでくれるだけ、やっぱりあたしの師匠は優しい――

 などと、思っていると。

 

 

 

 

 

「――()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 それは。

 実に、不明瞭な問いかけだった。

 

 

「……大丈夫……というと?」

 

 

 鳩原の意図が読めずに、思わず怪訝な顔になってしまう撫子。

 彼女は一体、自分の何を心配しているのだろう。それなりの騒ぎになりはしたものの、最終的には赦してもらえたと確かに伝えた筈なのだが。

 言葉足らずを察したのか、鳩原は続ける。

 

 

「その……気分が悪くなったりとか、吐き気がしたりとか、頭の中がパニックになったりとか――」

「あ――ああ、なるほど。そういうことですか」

 

 

 要するに鳩原は、撫子の精神面を気遣ってくれていたのだった。

 相手がトリオン体(偽物の肉体)であろうと、破壊することに抵抗を覚える戦闘員がいるのだという話は、撫子も耳にしたことがある。そして個人(ソロ)ランク戦の経験がない撫子にとって、影浦雅人こそが初めての()()()ということになるのだが――

 

 

「……正直な話、『あっ……』ていうやらかした気持ちと、影浦先輩の目つきにひいひい言ってた気持ちの方が強くって――不快感とかそういうのは、あんまり」

「――そう」

「頭とか吹っ飛ばしちゃってたら、流石にうわって思ったかもしれないんですけど……()()()()()()()()が見えたからかな? 自分でも、はっきりと理由は説明できないんですけど――とにかく、大丈夫でした」

「……うん、わかった。ごめんね、変なこと訊いちゃって」

「あ、い、いえ! お気遣いに感謝いたしますです、はい」

「……そういうのじゃないんだけどね」

 

 

 ぼそり、と。

 吐き捨てるような、口調だった。

 

 

「――師匠?」

「……ごめんね、ちょっと先に行ってて。そこの部屋に入ったら、勝手に飛ばされるようになってるからさ」

「は……はい。それは、いいんですけど――」

 

 

 肯定を返しはしたものの、撫子は即座にその場を後にすることが躊躇われた。

 目の前にいる鳩原が、何処か陰鬱な空気を纏っているような――このまま目を離してしまったら、今にも暗闇の中に溶けて、いなくなってしまいそうな。

 そういう風に、見えたのである。

 

 

「……本当に、後から来てくれるんですよね?」

 

 

 何をバカなこと言ってるんだあたしはと、自分で自分を罵りたくなるような愚問だった。

 それでも――そう問いかけずには、いられなかった。

 

 

「……なーに言ってるの、ナデコ」

「わ」

 

 

 おもむろに、ふっと口元を緩ませて。

 鳩原未来は、わしゃわしゃと弟子の頭を撫で回した。

 

 

「どこにも行ったりなんかしないよ、あたしは。あんまり変なこと言うと、ナデコの髪の毛も影浦くんみたいにしちゃうよ?」

「ちょ、それ、あのひとに訊かれたら首ちょん切られますよ……!?」

「うん。だから今言ったのはないしょ。二人だけの――あ、もしかして亜季ちゃんも聞いてる?」

「聞いてないです」

「そ。よかった」

「いやそんな古典的なボケかまされましてもあわわわわわわわ」

 

 

 わしゃわしゃわしゃわしゃ。

 成す術もなく髪という髪を蹂躙され尽くした結果、鳩原が手を離した頃には、すっかり立派な影浦撫子が出来上がっていた。

 ……うわあ。影浦撫子なんて言ったら、まるであたしとあのひとが()()なったみたいな――ないでしょ、ない。そんな未来は絶対にない。未来は無限に広がってない。あたしの師匠は鳩原未来。ちくしょう。脳味噌が完全にパニック起こしてやがる。もうだめだー。

 

 

「……これ、トリオン体じゃなかったら師匠が相手でも流石にキレてましたからね?」

「あはは――ごめんね、意地悪しちゃった。再換装したら元通りになる筈だから、向こう行く前に一度生身に戻った方がいいよ」

「もーっ……」

 

 

 表面上はぷりぷりと怒ったフリをしながらも、撫子は内心で安堵していた。

 ……よかった。お師匠様、とりあえずは笑ってくれてる。流石にさっきのは、あたしの変な思い込みだったな。うん。

 思い込みで、ほんとうに、よかった。

 

 

「――待ってますからね! すぐ来てくださいよー!」

 

 

 そう言って撫子はばたばたと駆け出し、犬飼と辻の入っていった訓練室(トレーニングルーム)の前に立ち――扉を潜る寸前で、一度トリガーを解除した。

 危ない危ない。このもさもさヘアーを男子連中に晒してしまうところだった。本当に一つのことしか考えられない女だなあたしは。

 

 

 ――さっきの笑顔は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――とか。

 そんなことを思ってたって、しょうがないでしょ、ホントにもう。

 

 

 頭の中のもやもやを消し飛ばすように、ぶんぶんと首を振って。

 撫子は再度トリガーを起動し、仮想の戦場へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

「――で、私がいるのに一人だけわざわざ残ったっていうのは、何か女同士で愚痴りたいこととかそういうのがある感じなんですかね。鳩原先輩」

「……最初に会った頃と比べて、亜季ちゃんは聡い子になったなあ」

「あの頃と比べて、話せる相手が一気に倍以上になりましたから。視野も少しは広くなります」

 

 

 ――いちばん話しかけたい男の子とは、未だにまともな会話も出来ないでいるんですけど。

 その言葉だけは、決して口にはしなかった。鳩原未来を相手にその悩みを打ち明けるのは、まるで彼女への当てつけのようになってしまうからだ。

 実際、本気で感謝してはいるのだ。『烏丸くん相手にくらべたら、他の人は緊張しないでしょ』――その言葉があったからこそ、今の自分がある。あの犬飼澄晴のような食えない先輩を相手に臆することなく意見を言えるようになったのも、自分とよく似たところのある辻新之助を気遣えるようになったのも、日向坂撫子のようなじゃじゃ馬娘を相手にしても、本当にしょうがないやつだなこいつは――と、溜息混じりに付き合える図太さを持てるようになったのも。

 

 

 全部。全部。壁一枚を隔てた先にいる、心優しい先輩の助言があったからなのだ。

 

 

「――ヒナタにまだ、言ってないんですよね。鳩原先輩が人撃てないこと」

「……なんていうか、タイミング逃しちゃってね。この数ヶ月、ナデコは本当に昇格することしか考えてなかったから――あたしが本当にちゃんとした師匠かどうかなんて、考えてる暇もなかったみたい」

「一人はA級6位、もう一人は毎週最下位からの正隊員入り――立派な実績じゃないですか。もっと自分に自信持って下さいよ、絵馬ユズル君と日向坂撫子のお師匠様」

「――それでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――ああ。

 このひとはそれを口にするために、わざわざヒナタを先に行かせたのか。納得。

 

 

「――そんなこと思ってるの、この世の中で鳩原先輩ひとりだけですよ」

「……そうかな? 亜季ちゃんがあたしの立場だったら、きっと同じように考えると思うよ」

「そんなことは――」

 

 

 ないです、と言い切る気持ちよりも。

 そうかもしれない、という気持ちが勝ってしまった。

 

 

 だって自分も、別に出来なくても良かったことばかりが上手くなって。

 本当にやりたいことだけは、決して出来ずにいる人間だから。

 

 

 ――でも。

 あなたがそれを口にするのは、流石に卑怯じゃないですか。鳩原先輩。

 

 

「ごめんね」

 

 

 ……そうやって、何もかもを見透かしたようなタイミングで謝ってみせるのも卑怯だ。

 我慢の限界だった。ぎい、と軋んだ音を立てた椅子にも構わず勢い良く立ち上がり、こちらの道を阻むように形作られたL字型のデスクをなにくそと大回りに歩いて、オペレータールームを抜け出る。

 

 

 老婆のようにくたびれ切った表情で、壁に凭れて虚空に視線を投げている、そばかす顔の女の姿があった。

 

 

「……ひどい顔してますよ。そのままヒナタ達のところに行くつもりですか?」

「――まさか。これでもあたし、ナデコの師匠だからね。……あの子の前では、ちゃんとするよ。ちゃんとする」

 

 

 そう言って、鳩原未来は日常動作の一種か何かの如き手早さで、作り笑顔を顔に貼り付けた。

 犬飼澄晴のそれと比べて、遥かに完成度で劣って見える――冴えない女の表情をしていた。

 

 

「……ねえ。知ってましたか? 鳩原先輩」

 

 

 そんな偽物の被り物は、今にも叩き割ってやりたくて仕方がなかったので。

 その裏側に隠れている、本物の存在を教えてあげたいと思った。

 

 

「あの子のことを褒めてあげてる時の先輩って、傍から見てても本当に眩しく思えるような、きらきらとした顔になってるんですよ」

「……まさか。見間違いだよ、そんなのは」

「いいえ。断言します」

 

 

 そうだ。そんなことはない。

 きっと、あの子にだって見分けがついている。あの子は本当に馬鹿で幼稚で我慢弱くて気紛れな甘えん坊だけれど、それでも。

 

 

「――私の知っている限り、あの子が一番幸せそうな顔をしている時っていうのは。笑顔のあなたと一緒にいる時なんですよ、鳩原先輩」

 

 

 だから、どうか。

 あの子の笑顔を曇らせないために、あなたの笑顔を曇らせないで下さいと。

 

 

 祈るような気持ちを込めて、氷見亜季は、鳩原未来を真っ直ぐに見つめた。

 

 

「……あたしには、今の亜季ちゃんの顔の方がよっぽど眩しく見えるな」

 

 

 ……だから、目を逸らすんですか。眩しく見えるものから。

 訓練室(トレーニングルーム)へと向いた背中に、そんな言葉を投げつけたくなる気持ちを、ぐっと堪えて。

 

 

「……とにかく、しっかりして下さい。誰が何と言おうと、鳩原先輩は立派な狙撃手(スナイパー)です。たとえ、自分自身でそう思えなくなってしまったとしても――」

「――うん。わかってる、大丈夫。……付き合ってくれてありがとね、亜季ちゃん」

「それ、こっち向いて言って下さいよ」

「……言ったでしょ? 眩しいんだよ。ごめんね」

 

 

 そう言って、結局最後まで、振り向くことはなく。

 自分の前から逃げ出すように、鳩原未来は、訓練室(トレーニングルーム)の中へと消えていった。

 

 

「…………はあああああ…………」

 

 

 ――疲れた。

 この部隊(チーム)はあまりにも、手の掛かる人間が多過ぎる。異性とまともに会話の出来ない少年、人を撃てない狙撃手(スナイパー)、傍若無人を絵に描いたような隊長。それに加えて、自由気ままな甘えん坊のへなちょこ狙撃手(スナイパー)も最近になって増えた。残る一人の男はどうにも、頼っていいのか悪いのかはっきりとしないところがあるし。

 

 

 ――そして部隊(チーム)屋台骨(オペレーター)と言えば、気になっている男の子に、声の一つも掛けられずにいる臆病者ときたものだ。

 

 

 ……まったく、鳩原先輩に大口を叩けたものじゃない。

 私達は本当に、揃いも揃って、ダメなやつばかりだ。

 

 

『――おーい、ひゃみちゃん聞こえてるー? 準備できたからヒナタちゃんのサポートしてあげてー』

「……犬飼先輩は本当に、人生楽しそうでいいよね」

『え? いきなり何? ありがと』

「皮肉だよ、今の」

『うん。知ってる』

 

 

 ――本当に、そういうところだ。このひとは。

 最後にもう一度溜息を吐いて、氷見亜季は自身の戦場――オペレータールームへと舞い戻っていった。

 

 






二宮ァ! おまえ早く空気変えてくれ二宮ァ!!(作者の切実な叫び)

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