影浦、狙撃されたってよ   作:Amisuru

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ルールを守って楽しく決闘(デュエル)!!(更新に間が空いてしまって申し訳ありませんでした)




『二宮匡貴~射手の王(No.1シューター)~』

 

 

「…………」

 

 

 モニタの中、自らの弟子とチームメイトの少年が無事に関係性の再構築を果たせたことを確認して、鳩原未来はふっと口元を綻ばせた。

 日向坂撫子の視野狭窄と、辻新之助の異性に対する苦手意識。この二点を纏めて改善しようという当初の目的からはややズレたところに落ち着いてしまったが、却って良い結果に納まったのではないかと思う。

 自分にとって大切な者たちの仲がぎくしゃくしているのは、悲しいことだ。今まで以上に辻の苦労は増すかもしれないが、互いにやり辛さを抱えたままでいるよりはいいだろう。同じ部隊(チーム)に所属している訳ではないといっても、彼女たちはこれから先も、ボーダー隊員として背中を預け合う仲間同士なのだから。

 もちろん、自分も含めて。

 

 

「――いやー、いい仕事したなあおれ。人の役に立つことした後は気分がいいもんだ。ね? 鳩原ちゃん」

 

 

 などと調子の良いことを言いながら、一足先に作戦室へと帰ってきたのは犬飼澄晴である。撫子と辻の両名は未だに訓練室(トレーニングルーム)の中だというのに、一人だけ早々と抜け出てきたらしい。つくづく自由な男であった。

 

 

「……なに勝手に出てきてるの。犬飼にはまだナデコに撃たれるっていう大事な仕事が残ってるでしょ」

「勘弁してよ。ちゃんと辻ちゃんとヒナタちゃんをぶつけるところまでは働いたんだし――それにしても、ヒナタちゃんはやっぱり面白い子だよねえ。辻ちゃんをああいう形で攻略した女の子っていうのは今までいなかったんじゃないかな? ひゃみちゃんの時はどんな感じだったっけ?」

「私、別に辻くんを攻略した覚えはないんだけど」

「そうは言うけどひゃみちゃん、肝心のとりまる君とはこれっぽっちも進展ないじゃん。本当にちゃんと落とす気あるのかな?」

「……!?」

 

 

 何故それを――と言わんばかりにぎょっと目を見開く氷見亜季。氷見の性格からして犬飼を相手に恋愛相談を持ち掛けるとは到底思えないので、おそらく何かの拍子に氷見と烏丸京介が対面しているところを犬飼が目撃してしまったのだろう。ただでさえ観察眼に優れる犬飼のこと、一目見て全てを察してしまったに違いない。

 ……亜季ちゃん、どんまい。胸中で独り、鳩原は後輩の少女に向けて手を合わせた。

 

 

「……え、え、うそ。なんで知ってるの、鳩原先輩にしか相談したことないのに。ヒナタにだって言ってないのに」

「そりゃ、順当に推理するならおれが鳩原ちゃんから聞いたってことになるんじゃない?」

「犬飼。怒るよ」

「あっはっは、ウソウソ。ていうかひゃみちゃん、あれで隠せてるつもりだったことに正直おれはびっくりだよ。見る人が見れば一発で気付くやつじゃないかな? あの態度は」

「だ、だって烏丸くんは私がどれだけテンパっててもこれっぽっちも表情変えないし……小南とかにも一度だって追及されたことないし……」

「うーん、とりまる君って結構とぼけた冗談言う割に自分のことは案外鈍いタイプっぽいしなあ。小南ちゃんはまあ、小南ちゃんだし」

「桐絵ちゃんだもんね……」

 

 

 鳩原は思った。小南桐絵――きっと彼女は烏丸の前で取り乱している氷見の様子を目撃しても、『あれ? どうしたのひゃみ、あたしに声掛けられた時の辻ちゃんみたいになってるわよ?』等とすっとぼけたことを口にするのだろうな、と。戦闘中には異様なほどの勘の良さを発揮するにも拘らず、その勘の冴えが日常生活に活かされているところを見た覚えがない、天真爛漫を絵に描いたような少女。

 

 

 何から何まで、自分とは真逆の存在。

 

 

(……あー、また良くないこと考えてる……)

 

 

 悪い癖だ、と拳で額をこつんと叩く。

 決して嫉妬心だとか、そこまで大袈裟な感情を抱いている訳ではない。ただ、根底にどうしようもない諦念があるだけだ。自分は決して小南桐絵のようにはなれないのだという、強固な確信が。

 彼女の明るく活力に満ち溢れた振舞いは、自分のような人間には一生、縁遠い代物だろう。

 

 

――こらぁー! 犬飼パイセーン! あたしに黙ってこっそり出て行くとは何事かー!」

 

 

 そんな小南桐絵に負けず劣らずの威勢の良い声が響き渡り、はっと我に返る鳩原。

 ぷんぷんという擬音(オノマトペ)が頭の横に浮かんでいそうな怒り具合で、日向坂撫子が訓練室(トレーニングルーム)から帰ってきた。やや遅れて静々と、辻新之助も顔を出す。相も変わらずその頬には若干の紅潮が見受けられるものの、訓練前に比べれば大分マシになったものだと思う。何より、こうして二人並んで戻ってこられただけでも大きな進歩だと言えるだろう。

 

 

「やーやーヒナタちゃん、お疲れ様。ジュースか何か飲む? おごるよ」

「今時そんな古典的な話の逸らし方に釣られるアホウがおりますかァ! でもそれはそれとしてお飲み物はいただきますなっちゃん(りんご味)あたりがいいですね!」

「……お、おかえり辻くん」

「……? うん、ただいま」

 

 

 人数が増えて一気に騒がしさを増す、A級4位部隊(チーム)の作戦室。この部屋がこんなにも賑やかなのは初めてのことではないだろうか、と鳩原は思った。

 基本的に自分たちの部隊(チーム)は犬飼を除いて口数の多い方ではないし、ただでさえ()()()()はこういったどんちゃん騒ぎを好むタイプではない。今更ながら彼に黙って訓練室(トレーニングルーム)を好きに使用してしまったが、こんな自分の行いを知ったら、果たしてあのひとは何を思うのだろうか――

 

 

 

 

 

「――騒がしいな」

 

 

 

 

 

 耳の奥へと響く、存在感のある声だった。

 一言。そのたった一言で、室内の喧騒が噓のように静まり返る。犬飼、氷見、辻――そして撫子も、誰もが作戦室の入口に視線を向けている。やや遅れて、鳩原も向き直った。

 隊員(チームメイト)たちと同じ漆黒のスーツに身を包んだ、長身痩躯の男。スラックスのポケットに両手を納め、冷めた視線で一同を見回している。

 相変わらずだな、と思った。決して場の空気に迎合せず、威風堂々と我が道を往く立ち姿。

 小南桐絵とはまた別の意味で、自分とは対極の生き方をしている者。

 

 

 ――それなのに、あたしなんかを拾ってくれたひと。

 

 

 

 

 

「おはようございます、二宮さん」

「ああ」

 

 

 鳩原の挨拶に淡泊な相槌で応じたのは、A級4位二宮隊隊長、二宮匡貴。

 個人(ソロ)総合2位にして、射手(シューター)1位――現ボーダーにおいて、最も多くのトリオン量を誇る男の名であった。

 

 

 

 

 

 

 

 なんだこのクッソ偉そうなイケ兄さん。

 ――というのが、日向坂撫子が二宮匡貴に抱いた第一印象であった。

 いや、我ながら失礼な感想だとは思いますよ? だけどね皆さん、見て下さいよこのオラついた立ち姿を。なんていうかオーラ出てるもん。天上天下唯我独尊っていうか、俺はお前たちとは違う的なギラギラした空気纏ってますもん。どうでもいいけど唯我独尊って文字を見ると会ったこともないロン毛のお坊ちゃんが頭に浮かぶのなんなんだろうねこれ。謎い。

 鳩原に続いて辻、氷見の両名が、お疲れ様ですと頭を下げる。そして犬飼澄晴が、相変わらずの薄ら笑いを浮かべて。

 

 

「今日は遅かったですね二宮さん。ここ来る前にどっか寄ったりしてました?」

「……作戦室に来る途中で太刀川(バカ)に捕まった。おかげで朝っぱらから個人(ソロ)ランク戦で10本勝負だ」

「うわー、見たかったなそれ。二宮さんと太刀川さんの10本勝負なんてギャラリーからお金取れるレベルじゃないですか。で、どっちが勝ったんです?」

「チッ……」

「あらら。ヤブヘビだったかな」

「――5-5だ。次は俺が勝つ」

 

 

 苛立ち混じりに舌を打つ二宮と、隊長相手にもいつも通りの気安い調子で絡んでいく犬飼。へらへら顔の金髪頭を眺め、つくづくこのひと怖いものなしっていうか無敵マンだな……と思う撫子。

 ところで太刀川さんってどちら様でしたっけ。どっかで名前聞いたことあるような気もしたんだけど――ていうか犬飼パイセン、今ひょっとしてバカって呼び名からノータイムで太刀川某さんを連想しましたか? 失礼じゃないですか?

 などと、取り留めのないことを考えていると。

 

 

「……見ない顔がいるな」

 

 

 鋭く圧のある二宮の視線が、真正面から撫子を捉えていた。

 ひいい、と引き攣った悲鳴が漏れそうになるのを寸でのところで堪える撫子。基本的にこの女は小心者(ビビり)なのである。そして今更ながら、自分はこの場において完全なる部外者なのだという事実を思い出す。

 親友の氷見と師の鳩原がいて、防衛任務の件から何やかんやの末に辻、犬飼とも知らない仲ではなくなったとはいえ――結局のところ、日向坂撫子は無職属(フリー)の女でしかないのだ。今のところは。

 

 

「え、あ、えと――お、おじゃましてます」

「二宮匡貴だ。こいつらの隊長をやっている」

「ひ、日向坂撫子です。ついこないだまで訓練生だったんですけど、最近やっと昇格できまして、はい」

「――日向坂?」

 

 

 わたわたとした撫子の自己紹介を耳にして、ぴくりと眉を吊り上げる二宮。え、なんで。なんであたしの苗字にそんなリアクション取るんですかまさたかさん。別に46とか付いてるアイドルグループとは何の関係もありませんよ?

 などと困惑し切りの撫子に代わって、鳩原が口を開く。

 

 

「前に話したあたしの弟子ですよ、二宮さん」

「……絵馬の後に二人目を取ったというのは確かに聞いたが、それがこいつだというのは初耳だ」

「あの、ナデコがなにか……?」

「ああ、なるほど。そりゃ二宮さんは気にしますよね、かつてのライバル候補だったわけだし」

「――はい?」

 

 

 妙なことを言いだしたのは犬飼であった。なんすかそれ。誰と誰がライバルですって? あたしとこのポケインお兄様が? 一体何を競い合えっていうんですかパイセン。少なくとも立ちポーズ対決じゃ微塵も勝てる気しませんよあたしは。

 失礼の極みに思考が至りかけている撫子へと、犬飼が向き直って。

 

 

「知らなかったかな? きみって割と有名人なんだよヒナタちゃん。二宮さんや出水くんと同じくらいのトリオン持ってる新人が入ってきたーって、9月頃にはそこそこ話題になってたし」

「……あー、そういえば仮入隊の頃にひゃみからそんな話を聞いたような聞かなかったような」

 

 

 記憶の片隅(第一話の回想)にあった会話を思い起こして納得する撫子。なるほど、あたしってば知らないところで結構期待されちゃったりしてたわけね。ところで犬飼パイセン、9月頃にはって言いましたけど今は話題になってないんですか? 日向坂撫子はもうオワコン扱いなんでしょうか? ドラフト1位でプロ入りしたけど大して伸びなかった元甲子園投手みたいな扱いになったりしてません?

 

 

「……そこまで気に掛けていたつもりはない。たまたま名前を憶えていただけだ」

「またまたー。ゆくゆくは射手(シューター)になったヒナタちゃんと弾幕ごっこ出来たらとか思ってたんじゃないですか? やっと出水くん以外で撃ち合いに付き合ってくれそうな相手が出てきたなーって」

「里見と同じようなことを言うな」

「おっと、流石は自他共に認める二宮さん信者だ。理解度が高い――だけど聞いての通り、ヒナタちゃんは射手(シューター)じゃなくて狙撃手(スナイパー)の道に進んじゃいましたからね。夢の対決は実現ならずかな」

「――それだ」

 

 

 ぎろり、と。目つきのせいで半ば睨んでいるようにさえ見える二宮の眼差しが、真正面から撫子に突き刺さる。

 こわい。影浦先輩ほどじゃないけどこのひとの視線もけっこう怖い。なんていうか、本人にそのつもりはないのかもしれないんだけど圧があるんですよ圧が。ただでさえやたら背高いから文字通りの上から目線だし、王様(キング)を前にした時の臣民みたいな気分ですよあたしは。跪け、首を垂れよ。ははー。

 そんな重圧(プレッシャー)を感じている撫子に構わず、二宮は続ける。

 

 

「日向坂。おまえ――なぜ狙撃手(スナイパー)になった?」

「……へ」

「おまえの()()が最も活きるポジションは射手(シューター)、或いは銃手(ガンナー)だ。狙撃手(スナイパー)用のトリガーもある程度はトリオン量で性能が変動するが、よほどの規格外(モンスター)でもない限りは腕前の方が物を言う――加えて言えば、狙撃手(スナイパー)は他のポジションに比べて正隊員への昇格条件も特殊だ。わざわざ選んだからには何か理由があったんじゃないのか」

「あ、ああー……なるほど、そういう……」

 

 

 曖昧に頷く手のひらの今日、もとい撫子。黙っていれば千反田えるに見えないこともない女は、おそるおそるといった調子で。

 

 

「その……恥ずかしながらわたくし、あのトリオンキューブなるサイコロもどきに嫌われておりまして……なんかちょっとしたことですぐにあっち行ったりこっち行ったりするんですよあの子」

「親に似たんじゃない?」

「ひゃみちゃん、座布団一枚」

「そこの漫才コンビはちょっと口を挟まないでいただけます?」

「……里見と同じタイプか。なら銃手(ガンナー)はどうだ」

「あー……なんていうか、自分がマシンガンとか持ってだだだだだーってやるイメージがあんまり湧かなかったといいますか……はい……」

 

 

 これもひゃみと似たようなやり取りしたような気がするなあ、と思いつつ応じる撫子。攻撃手(アタッカー)についての詰問が飛んでこなかったことに安堵する。あたし運動音痴(うんち)なんでとか言っても『日向坂はうんちではなく人間だろう』とかマジレス返してきそうだし。ていうかこんなクール系お兄さんがうんちとか口走るところは見たくねえ。

 

 

「――それで行き着いたのが狙撃手(スナイパー)か。随分と消極的な理由だな」

「うぐっ……か、返す言葉もございませぬ……」

「別に責め立てるつもりはない。お前が狙撃手(スナイパー)というポジションに拘りがあるのかどうかを確かめたかっただけだ」

「……?」

「日向坂。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言ったら、お前はどうする」

「おファッ!?」

「えっ……」

 

 

 品のない声を上げて仰天する撫子。語頭におを付ければセーフだとかそういう話ではなかった。

 え、え、なにそれどゆこと。A級4位の隊長さまがわざわざあたしにご指導を? そんな都合の良いお話あります? というかまさたかさん、失礼ながらあなたそこまで他人に対して面倒見がいいタイプには見えませんですわよ?

 撫子の脳内がクエスチョンマークに埋め尽くされていく中、二宮は淡々と言葉を紡いでいく。

 

 

「トリオンキューブのコントロールが乱れるのは、お前の精神(メンタル)が浮ついていて落ち着きがないからだ。その部分さえ改善出来れば、お前にも再び射手(シューター)としての道が開ける」

「い、いやー……簡単に仰いますけど、そういうのって気持ち一つでどうにか出来ちゃうものなんです?」

「愚問だな。苛立ち、焦り、不安、力み、緊張、プレッシャー――付き纏う感情に振り回されず、自分にとって必要なことだけを考えていればいい。元々の性格など関係ない、感情のコントロールは後天的に習得できる技術の一つだ」

「や、楊海(ヤンハイ)先生……!?」

「誰だそいつは」

「え、ええー……ダメですよ二宮さん、いくらなんでも丸パクりは流石に怒られますよ……ただでさえヒカルの碁なんて今でも根強いファン多いんですから……」

「俺にこの話をしてくれたのは東さんだ。楊海だのヒカルだのとかいう奴らのことは知らん」

 

 

 あずまさん。誰だそいつは。口にしたら今度こそ狙撃手(スナイパー)失格の烙印を押されかねないことを思う撫子。お前がやってるポジションの開祖様だよ。

 

 

「随分と熱心に口説きますね? 二宮さん。やっぱ本音じゃヒナタちゃんに射手(シューター)やらせたくて仕方ないんじゃないですか?」

「茶化すな犬飼。……今季のランク戦も終わって、選抜試験にも通った。次にやることが見つかるまでの暇潰しみたいなもんだ」

「ひ、ひまつぶし……」

 

 

 すごい。本人を前にしてそういうことはっきりと言っちゃうんだこのひと。配慮がないというか人のことなんだと思ってるんですかというか……複雑な表情を浮かべる撫子の顔を、二宮は無感動な瞳でじっと見据えて。

 

 

「――で、どうなんだ日向坂。ただの気紛れだ、答えるなら俺の気が変わらないうちにしろ」

「む、むむむ……」

 

 

 何がむむむだ。などと突っ込みを入れる者もいない中、撫子はうんうんと唸りながら思考を巡らせていた。

 

 

 なんて言って断ったら角が立たないかなあ、と。

 

 

「…………」

 

 

 ちらり、と。

 戸惑いの表情を浮かべながら事態を見守っている、自身の師を横目で窺う。

 仮に自分が、この話を受けると言ったら彼女はどう反応するだろうか。悲しんだり引き留めたりしてくれるのなら嬉しい。けれど優しい彼女のこと、おそらくはぎこちない笑みと共に『ナデコが決めたことなら、あたしは尊重するよ』とでも言って、自分を送り出してしまうのだろう。

 それは自分にとって、優しさでも何でもない答えなのだけれど。

 

 

(……めんどくさい女みたいなこと考えてるなあ、あたし)

 

 

 みたいっていうか、実際そうなんだけど。

 いずれにしても、『ダメですよ二宮さん! ナデコは私の弟子(もの)なんですから!』的な感じの素敵な台詞が聞ける未来は訪れないと見た。別に師匠の名前と掛けてるわけではないのでそこんとこよろしく。誰にでもなく脳内で注釈を入れつつ、撫子は二宮へと向き直って。

 

 

「……これ、先に言っておけばよかったですね」

「何だ」

「あたしが狙撃手(スナイパー)に拘り持ってるのかどうか確かめたいって、二宮さん仰ってたじゃないですか。――()()()()()()()()()()()

 

 

 そう言って。

 撫子は親指と人差し指で小さな輪を作り、片眼鏡(モノクル)の如く自身の右目に添える。

 

 

「狙撃銃のスコープが見せてくれる、あの小さい小さい円の中に入っていくのが好きなんですよ。あたしと標的(ターゲット)以外に誰もいない、シンプルな空間――あたしのこと、落ち着きがなくて浮ついてるって二宮さん言ってたじゃないですか。はっきり言ってその通りなんですけど、あの円の中にいる間だけはあたし、()()()()()()()()になれるんです。これって多分、狙撃手(スナイパー)以外じゃ味わえない感覚だと思うんですよね」

 

 

 『キミにとって一番大切なことだ。石だけを見ろ』と、かの楊海は言っていた。あの人の言っていたことは正しいなと、今の撫子は思っている。

 スコープの中に標的(ターゲット)を捉え、じっくりと狙いを定めているとき。余計なものが削ぎ落とされ、真っ新な気持ちで引き金(トリガー)を引けることがある。その状態で放たれた弾丸は例外なく、狙った通りの箇所を寸分違わずぶち抜いてくれる。その瞬間に味わえる達成感を、撫子はこよなく愛していた。初めての防衛任務で近界民(トリオン兵)を仕留めて以来、その想いはますます強固なものになっていた。

 

 

「だからあたし、今のところは転職とか考えてないんです。まあ、今は逆にもっと視野を広く持てるようになりなさいってお師匠様からご指導いただいてる真っ最中なんですけど――それでもやっぱり、いまさら射手(シューター)とか銃手(ガンナー)に乗り換えようって気持ちは湧いてこないですね」

「……なるほどな」

「そ、れ、と」

 

 

 ――さあ、ここからがあたしの本題ですよお兄さん。

 おそらく、今の説明だけで二宮は事情を納得してくれたことだろう。しかし、それとは関係なしにこのことだけは主張しておかなければ気が済まない。無用の使命感に心を燃やしつつ、撫子はのっしのっしと()()()()()()()()()()

 

 

「えっ、わっ……!?」

 

 

 ――がっしりと、()()()()()()()()()()()()()()()()

 鳴かぬなら、あたしが鳴こう、不如帰(ほととぎす)。天下の三傑からお前は何を言っているんだと突っ込まれそうなことを思いつつ、撫子は不敵に口元を吊り上げ宣言した。

 

 

「――あたしのお師匠様はただ一人、鳩原先輩だけですので。そこを違えるつもりはありません」

「な、ナデコ……!? なんで!? なんであたし今ナデコに抱かれてるの!?」

「いやあ、師匠があたしのこと引き留めてくれないならあたしの方から捕まえちゃおうかなと思いまして……」

「ひ、日向坂さん……かっこいい……」

「まーた辻くんが見習う相手を間違えようとしてる」

「うーん、辻ちゃんが女の子相手にこんなこと言えるようになるのとひゃみちゃんが()を相手にあがらず喋れるようになるのってどっちが早いかなあ」

「かれ?」

「ぼかして言えば許されるとか思ってたら大間違いだよ犬飼先輩」

「あっはっは、トリオン体だからってめちゃくちゃ全力で足踏んでくるなあひゃみちゃん」

 

 

 わいわい。がやがや。撫子の奇行が火種となって、作戦室の空気が再び喧騒を取り戻していく。そんな中、二宮は静かに溜息を吐き、わたわたと赤面する鳩原とドヤ顔の撫子を交互に見やって。

 

 

「……お前の主張は理解した。二度と誘いを掛けようとは思わん」

「お心遣いに感謝いたします」

「だが――俺からも一つ言っておく」

 

 

 心なしか、今まで以上に圧のある視線を叩きつけてくる二宮匡貴。こわい。鳩原の肩を抱く手に思わず力が籠もってしまう。ごめんなさい師匠。でもトリオン体だから別に痛くはないですよね。だからもうちょっとだけぎゅっとしちゃってもいいですか。

 そんな甘ったれた撫子の思考を揶揄するように、二宮が続ける。

 

 

「日向坂。お前が今引っ付いてるその女は、間違いなくボーダー1の狙撃の腕を持っている奴だ」

「おお……!」

「――――」

「そいつの下で教わる以上、狙撃手(スナイパー)として半端な存在で終わることは許さん――絵馬と同等とまでは言わんが、せめて達人級(マスタークラス)に届くくらいの腕前は身に付けてみせろ」

 

 

 そう言って、撫子から視線を切りすたすたと作戦室備え付けの冷蔵庫へと歩いていく二宮。どうやら話は終わりのようだ。自分から話を振っておいてこの一方的な切り上げっぷり、つくづく傍若無人を絵に描いたような男であった。

 撫子は瞳をきらきらと瞬かせ、敬意に満ち溢れた眼差しで腕の中の師を見つめた。すごい。やっぱり師匠はとんでもない狙撃手(スナイパー)だったんだ。だって一番ってことはアレでしょ? 訓練で毎回1位取ってる奈良坂くんとか、そんな奈良坂くんを差し置いて何故かNo.1狙撃手(スナイパー)とか呼ばれてるトーマパイセンよりも師匠の方がすごいってことでしょ? あたしの師匠が。あたしの! 師匠が!

 我が事のように誇らしくなり、左拳をぐっと握り締める撫子。達人級(マスタークラス)。やってやろうじゃないですか。荒船センパイとイコさん先輩の話聞いて以来、ちょっぴり興味が湧いてたとこだったし。それにニノミヤさんの仰るとおり、お師匠様の弟子を名乗るからにはそれなりのものにならなくっちゃあね。

 『日向坂撫子の師匠』という肩書きを、恥ずべき呼び名にしてはいけない。二宮匡貴が言いたかったのはそういうことだろう。俺の部下の名を貶めるような真似はしてくれるなよと、彼は撫子に釘を刺してくれたのだ。

 

 

(……なんか、そう思ったら――あのひとの身勝手なあれこれを全部許せちゃいそうになるから、へんな感じ)

 

 

 だって、それって。

 誰よりもお師匠様のこと、認めてるってことだもんね。

 

 

「うふふふふ……師匠、あたしはやりますよ……あたしがマスターになった暁には『この御方のおかげであたしは達人(マスター)になれました!』って師匠の顔写真貼り付けたポスター持ったまま本部基地中を練り歩きます。選挙カー並の頻度で徘徊してみせます」

「鳩原先輩、その子のこと引っぱたきたくなったらいつでも好きな時に手出しちゃっていいですからね」

「か、過激すぎじゃないかなひゃみさん……」

「あっはっは。女の子って怖えー」

「…………」

 

 

 ぎゅうぎゅうと、お気に入りのぬいぐるみを抱き締めるかの如く鳩原にしがみ付く撫子。流石にそろそろ怒られるかなあと思いつつ、伏せられていて見えない彼女の顔を覗き込もうとする。

 その間際、そばかすの下の口元が開いて。

 

 

「……しっかりしなきゃなあ、ホント」

「……?」

「――あのね、ナデコ。今更なんだけどあたし、ナデコに言わないといけないことが――」

 

 

 おもむろに顔を上げた鳩原が、何やら意を決したような表情で撫子を見上げて、そんなことを言った。

 え、え、なになに。どうなさったのですか師匠。やっぱりあたしなんかに引っ付かれるのはお嫌でしたか? ゆりんゆりんな空気はお気に召しませんでしたか? ちょうどそこにイケメンが三人並んでますけど誰かと代わりましょうか? ヘイ辻くん! キミもあたしと一緒にお師匠様の柔肌を堪能してみないかい!? うーん、言った瞬間にひゃみからドロップキックとか飛んできそう。ダメだな。

 この期に及んで鳩原の纏う真剣な空気を察せない女、日向坂撫子。そんな馬鹿弟子の頭の出来に構わず、人を撃てない狙撃手(スナイパー)がその事実を伝えようとした瞬間――

 

 

 

 

 

      ぴろりん♪

ぴろりん♪      

ぴろりん♪

        ぴろりん♪

ぴろりん♪        

  ぴろりん♪

 

 

 

 

 

 6人分の携帯端末が一斉に反応し、クソやかましい着信音の六重奏(セクステット)が作戦室に響き渡った。

 う、うるせえ……! 思わずそう吐き捨てたくなるのを、顔を顰めつつ堪える撫子。ていうかこれだけ人数いて誰一人として消音モードにしてないとかどういうことよ!? いや待てよ、立場的に誰よりも音切ってないといけないのって部外者のあたしだよなあごめんなさいね!

 

 

「出た。本部の適当業務連絡(メッセージ)、これはうざい」

「犬飼先輩、適当ってことはないと思いますけど……」

「相応しいとか理に適ってるって意味もあるでしょ? そっちだよそっち」

 

 

 そんなやり取りを交わしつつ、犬飼と辻が懐からボーダー支給のスマホもどきを取り出す。当然、氷見と二宮(なんか独りでグラスに注いだ薄茶色の飲み物飲んでた)も同様に。撫子と鳩原は至近距離で暫し顔を見合わせてから、どちらともなくこくりと頷き、周囲の行動に倣った。お話はCMの後で。

 

 

「『来月の防衛任務シフト表』……なんじゃこれ。なんであたしにまでこんなお知らせが届いてるんだぜ?」

「あんたが正隊員になったからに決まってるでしょ」

「え、でもあたしまだ誰とも部隊(チーム)組んでないのに」

無所属(フリー)の子でも適当にどこかの部隊に編入されたり、後はヒマだったり多めにシフト入れたいって子とかと適当に部隊組まされたりするんだよ。この場合の適当はテキトー(いい加減)の方だけど」

「マジかー……働かざるもの正隊員になるべからずですなぁ……」

 

 

 いやまあ、防衛任務がイヤって訳じゃないんだけど。仕事でやらかした次の日って職場に行くのしんどくありません? ぽんぽん痛くならない? いや、あたしまだ働いたことないから適当なこと言ってますけどね。いい加減な方の。誰にでもなく胸中でそんなことを思う撫子。

 とにかく――誰と組まされることになるのかは知らないが、今度こそ汚名挽回、もとい返上をしなければならない。一緒に仕事してあたしが良いとこ見せたら、こいつ使えるじゃんってなって部隊(チーム)に誘ってもらえるかもしんないしね。申し訳ないが近界民(ネイバー)の皆さん、あたしの就活のために死んでもらうぜ……!

 かくして、スマホの画面をスライドして自身の名をちまちま探していく撫子。日向坂、日向坂、ひなたざか――

 

 

あっ! ――……った……

 

 

 ――見つけた。見つけてしまった。早番・遅番・夜勤の三項目が並んだ簡素な表の中、遅番の欄に確かに刻まれた、馴染み深い我が三文字と――

 

 

 

 

 

3月2日(土)

早番遅番夜勤
太刀川隊/烏丸(鈴鳴支部)影浦隊/日向坂(鈴鳴支部)三輪隊(鈴鳴支部)
生駒隊(綿鮎支部)弓場隊(綿鮎支部)王子隊(綿鮎支部)
荒船隊(弓手町支部)諏訪隊/漆間(弓手町支部)柿崎隊(弓手町支部)
海老名隊(早沼支部)吉里隊(早沼支部)間宮隊(早沼支部)
迅(久摩支部)小南(久摩支部)木崎(久摩支部)

 

 

 

 

 

 ――隣に並んだ、ほんの二日前に撃ち殺(誤射)したばかりの男が率いる部隊(チーム)の名を。

 

 






ようやっとこの男にターンが回って参りました。
二宮隊のソリティアはドライトロンよりも長かった


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