――6-4。影浦雅人と村上鋼の10本勝負は、前者の勝利という形で幕を下ろした。
「よう、惜しかったじゃねーか。続けて2本獲られた時はマジかよって思ったぜ」
「……今日こそは五分まで持っていけると思ったんだけどな。最初の1本、あれは特に獲っておきたかった」
「かっかっか、何だったらもう10本続けていくか? おめーが満足するまでいくらでも付き合ってやるよ」
「――そうしたいのは山々だが、どうやらカゲの次の相手はオレじゃないみたいだ」
「あァ?」
影浦は怪訝な反応を示し、村上の言葉の意味を追求しようとして――ちくりと、背中に刺さる一つの感情に気が付いた。
つい最近、何処かで浴びたような覚えのある感情だった。遠巻きにおっかなびっくりとこちらを伺う、小心者の気配。
ただ――今日の感情は何処となく、昨日のものに比べて真っ直ぐだった。こちらに気付かれないよう恐る恐るという具合だったかつてのものとは異なり、自身の存在を強く主張しているような、意思の強さを感じる。
喩えるならば、
来たか、と。そう思った。
「……なーに10本もやってんだ、自分から呼びつけといて」
呆れ気味の声に振り返ると、馴染み深い帽子頭の男が咎めるようにこちらを見ていた。その隣にいるのは、虚空に左手を添え、右手首を腰の前でじゃかじゃかと振っているゴーグルの奇人。
……いや、マジで何やってんだこいつ。とりあえずこいつは放っとこう。以降、影浦の中で生駒達人はその存在を抹消された。
「んだよ、
「言ってもカゲ、カラオケとか誘われても絶対行かねえだろ」
「うるせー。ものの例えだ例え」
「……まあいい。とにかく、待たせたからには面と向かって相手してやれよ」
「――そりゃ、そいつの態度次第だろ」
ぎろり、と。
荒船哲次の傍に立つ、黒髪の女に視線を向ける。
160cmかそこらの、性別を考えれば平均以上の高さはある背丈。腰まで伸びた長髪に、木の実の如く丸みを帯びた、くりっとした瞳。顔立ちはおそらく、整っている方なのだと思う。異性の美醜というものに、影浦は微塵も興味を抱いたことがなかった。
ただ――昨日は睨み付けるやいなや即座に逸らされていたその双眸が、今日は逃げることなく、真っ直ぐにこちらを見据えていた。その眼光から刺さる感情に若干の怯えが混ざりはするものの、それ以上の克己心を持って、踏み止まっているのが
……なるほど。
どうやら、絵馬ユズルの信頼を裏切るような女ではなかった、ということらしい。
「……あ、あの」
声にやや、震えがあった。緊張に頬が引き攣ってさえいる。
それでも尚、女の
恐怖が。甘えが。
感情を籠めて相手に言葉を放つという行為は、
「あたし、昨日は、本当に――すみませんでしたっ!!」
そう言って、
謝罪という名の弾丸が、影浦雅人に向けて、放たれた。
ごめんなさい。
ただひたすらに、それだけしかなかった。
全て、全て、自分の責任だ。状況確認を怠り、氷見の制止も無視して弾丸を放った、愚かな女の短慮があの事態を招いたのだ。情状酌量の余地などない。過ちを過ちとして認め、その上で自身の処遇を受け入れるのだ。
そう――罪人の処遇を決めるのは、いつだって裁定者だ。生殺与奪の権を握っているのは、自分ではない。膝を突き地に頭を付けろと言うのであればそうするし、首を出せと言われたのなら差し出さなければならない。流石に生身の首を刎ねるとは思えないが。
そして、もしも。
瞬間。
幾つかの光景が、脳裏に浮かび上がってきた。
そう言って柔らかな笑顔で頭を撫でてくれた、我が師の顔。
本当に?
「…………っ」
――考えるな。
余計なことは、考えるな。
「…………ふ~…………」
――深々と。
あまりにも、深々とした、溜息だった。
――仮に今、自分がこの女を赦さないとして。
赦さない理由というものが、特に存在しないことに影浦雅人は気が付いてしまった。
謝って済むとでも思ってんのか、生身だったら死んでたんだぞ――そう言って憤ることはまあ、出来なくもないだろう。とはいえ、怒るという行為にはそれはそれで労力がいる。そのために身体を動かそうと思えば、それに足るだけの気力の源が必要だ。
たとえば、内心で相手が自分のことを舐め腐っていることに勘付いてしまった、とか。
(……っつっても、そういうのは特にねーんだよな。こいつ)
女の謝罪は愚直だった。これが本当の狙撃であったなら、いとも容易く避けられるほどに
感情受信体質。影浦の脳に巣食った
こんな痛みさえ感じなければ、相手の主張に耳を傾けることなどなく、こちらの一方的な怒りを叩きつけることすら出来ただろうに。
――時折、想像することがある。
今の自分と同じように、目つきは鋭く歯は尖り、神経質で、攻撃的で。
それでいて、
決して受け入れた訳ではない。こんなものを抱えているせいで、ふとした拍子に苛々させられて仕方がない。誰がなんと言おうがこの
それでも。
この
村上鋼、荒船哲次、絵馬ユズル。あるいは、北添尋や仁礼光――自分は
自分の周りにいるのは、
当然、常日頃からこんなことを考えている訳ではない。ただ――今のように一際鋭い感情を他人から向けられると、稀にこうした馬鹿げた考えが顔を出してくるのだ。
普段は考えないようにしている自身の本質と、強制的に向き合わされているような、そんな時に。
心の何処かで、そう囁く自分の声がした。
なるほど。それも悪くない。
大体、反省しているから何だというのか。悔やんでいるから何だというのか。本人がどう思っていようが罪は罪だ。それに見合うだけの罰が与えられて然るべきだ――
――等と、本気で思っている訳でもないそれらしい理屈を頭の中で並べ立てていた時。
頭を下げたままの女の肩が、怯えるようにびくりと震えたのと。
『反省』の中に混ざり込んだ、何よりも強い女の本音に、気が付いてしまった。
『ここにいたいです』という、
聞き取って、しまった。
「――――」
その感情はまさしく、世界でたった一人、影浦雅人のみを撃ち抜く必殺の弾丸で。
避ける術もなければ、防ぐ術もなく。
無抵抗に、撃ち抜かれるしか、なかった。
――くそったれ。
結局、こうだ。どうしたって、逆らうことなど出来ないのだ。
感情受信体質。このクソ
女の『反省』が本物であることも。
その上で――どうしようもなく、堪え切れない心の悲鳴があることも。
「…………ふ~…………」
観念したように、溜息を吐いた。
ああ、そうだ。自分は観念してしまった。この女の感情と、己の
認めるしかない。この場において、自分は紛れもなく
いや――きっと自分はこれから先も、死ぬまで
――『たすけてください』という、心の声を感じ取った、その時は。
(……は。アホくせえ)
気紛れだ。こんなものは、単なる気紛れに過ぎない。
自分は断じて、そんなご立派な人間ではない。救い手を気取りたい訳でもなければ、誰彼構わず手を差し伸べようとも思わない。誰がそんな面倒な生き方を選ぶものか。
第一、思えば大したことをした訳でもない。撃ち殺された、生身だったら死んでいた――そういう言い方をすれば大事にも思えるが、結局のところはトリオン体という、幾らでも作り直せる
馬鹿馬鹿しい。糞真面目に
ああ――そうだ。ようやく頭が冷えてきた。この女の感情に当てられたせいで、今回の出来事を大袈裟に捉え過ぎていた。既に一度、気付いていた筈のことだったのに。
この仕様もない空騒ぎを締め括るための言葉を、影浦雅人は、もう手に入れていた。
「……お前、なんつったっけか」
「――へっ?」
「名前」
――おそらく、後で村上や荒船からは冷やかされるのだろうなと思う。
何しろ、これから口にしようとしているのは、かつての自分が一度否定した言葉なのだから。
「えっ、あ、あ――ひ、日向坂撫子……です」
「おう、ヒナタザカ」
「は、はひ」
……話を終わらせる前に、改めて、目の前の女を眺めてみた。
ようやく顔を上げた女は、無闇矢鱈と丸っこいその瞳をぱちくりと瞬かせて、戸惑うようにこちらを眺めている。はっきり言って、間抜け面という表現が似合う顔をしていた。
ただ――よくよく見ると、その目尻に透明なものが浮かんで見える。頭を下げていたせいで気付かなかったのだが、知らず知らずのうちに涙目になっていたらしい。
――いや。
思えば自分は、こうして他人の顔をまじまじと眺めることなど、滅多にない。今のように目の前で泣いている人間がいたとしても、そこから突き刺さる『悲しみ』という名の痛みに気を取られてばかりで、現実に流れている雫の存在になど気付きもしなかったのではないだろうか?
(……クソ野郎じゃねーか)
――やはり。自分は決して、優しい人間などではない。
今から口にする言葉は、自分自身への戒めにもするとしよう。
すっかり癖になってしまった、頭をわしわしと搔きむしる仕草と共に。
影浦雅人は、日向坂撫子にこう言った。
それは、自身の親友がとある
『
「――ってことで、皆さん今後もよろしくお願いしまぁぁぁぁぁぁぁす!!」
翌日。
ボーダー本部基地内・二宮隊作戦室にて、クソやかましい女の挨拶が木霊した。
日向坂撫子、完全復帰である。イェーイ、今日も一日張り切って参りましょーう。ぴすぴーす。
「……え、終わり? ホントにごめんなさいして許してもらってはい解散で話終わり? その後は? 何もなかったの?」
「ないですよ? 終わり! 閉廷! 以上! みたいな。大体そんな感じでした」
「元ネタわかんないけど影浦先輩は絶対そんなノリじゃなかったと思うよ」
撫子の結果報告にうーんと首を傾げる犬飼と、名は体を表すと言わんばかりに氷の視線を撫子に浴びせる氷見。そして本日もテーブルの隅で顔を赤くして小さくなっている辻新之助。うん、またしてもお邪魔しちゃってごめんね辻くん。すぐ出て行くからもう少しだけ我慢してちょうだいね。それはそれとして今日も照れ顔がかわいいなあキミは。
「なんだかなー。もっと劇的なイベントとかあると思ってたんだけどなあ。仁礼ちゃん以外の女の子とカゲが絡むことなんか滅多にないし、新しいからかいのネタでも拾えないかなーとか思ってたんだけど」
「犬飼先輩、そういうとこだよホント」
「や、あたし的には割と重大イベント乗り越えてきたつもりだったんですけど……犬飼先輩が期待してたのってどういう展開だったんです?」
「んー、率直に言うとラブでコメ的な感じ」
「はい? ラブでコメ? あたしと影浦先輩がですか?」
「あらら、その顔はマジで何もなかった顔だねえ。迅さんと違って未来視の才能ないなー、おれ」
久しぶりに――と言っても2日ぶりなのだが、お馴染みのへらへら顔でそう言い放つ犬飼。迅さんって誰やねん。その言い方だとまるで迅さんとやらには未来を見通す力があるみたいに聞こえるんですけど? いくら
……にしても、ラブでコメな展開、か。
そりゃあ、あたしも花の16歳ですし? 出会いがあるなら歓迎ですけど? でも影浦先輩っていうのはどうなんだろう。昨日のあのひとを見た感じだと、正直な話、そういうのは。
「――なんていうか、あのひとはまだ女の子といちゃいちゃするよりも、友達とわいわい遊んでる方が楽しいお年頃なんじゃないですかね」
「あんた仮にも先輩相手にめちゃくちゃ上から物言うね」
「いや、だってさあ」
本当にそんなことを思ってしまうくらい、いい表情をしていたのだ。ずっと。
日向坂撫子は影浦雅人に赦された。彼に『次』を与えられたおかげで、自分は今もボーダー隊員として、こうして振る舞うことが出来ている。そのことには心の底から感謝してはいるが、だからといって二人の距離が縮まったのかといえば、全くそんなことはない。自分は当分フリーのB級
「そう……この2日間の出来事は喩えるならばある種のお祭り騒ぎ、平凡な日常に突如として発生した大規模
「何よくわかんないまとめに入ろうとしてんのあんたは」
「いや、なんか自分でもよくわかんないんだけど謎の満足感があってね……もうこれで終わってもいい、だからありったけを……This way……って気分」
「今日のあんたが言ってることは一段とよくわからんわ」
うん。あたしにも正直わからん。きっと何か別世界からの電波でも受信したんだろう。撫子は自身の奇行をそう結論付けた。
「――とにかく、この度は色々とお騒がせしてすみませんでした。おかげさまで日向坂撫子、今後もボーダー隊員継続であります」
「うむ」
「ま、とりあえずはめでたしめでたし。正直言って盛り上がりには欠けるけど、ハッピーエンドで良かったんじゃないかな? おめでとう」
「犬飼先輩はさっきから何目線で語っておられます?」
「――ょ、ょかった……ね。ひなたざか……さん」
その時。
自分に都合のいいことは耳聡く感じ取り、都合の悪いことは聞き流す撫子イヤーが、確かにその少年の言葉を捉えた。
「――辻くん。結婚しよ」
「けっ……!? こっこここ、こけっこっこっこ、こけっ……!」
「ヒナタ。辻くんをニワトリにしない」
「人をニワトリにするななんてツッコミ生まれて初めて聞いたなあおれ」
うん。流石に結婚という言葉を軽々しく使うのは乙女として如何なものかと思うぞあたし。撫子は反省した。
影浦雅人に対してのそれと比べたら、吹けば飛ぶような軽さの反省であった。やっぱりこの女は駄目だ。
「――おはよーございまーす……」
――作戦室の扉が開き、控えめな声量の女の声が、二宮隊の室内に届く。
おや、という具合に犬飼が。待ってましたというように氷見が。助けを求める視線で辻が。三者三様に彼女を見据える。
そんな三人を置き去りに、わんわんと尻尾を振る飼い犬の如き素早さで飛びつく女が一人。
「――師匠ー! おはようございまぁぁぁぁ――す!!」
「うん……まだちょっと頭痛いからあんまり大声出さないでねナデコ……」
「すいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「えっ……その声どうやって出してるの……?」
A級4位・二宮隊の
この2日間の出来事に関わることのなかった彼女が、ようやく顔を出したのであった。
「――最終回やないで。もうちっとだけ続くんや」
「誰に言ってはるんです? ――あ、ワールドトリガーは毎月4日発売のジャンプSQにて好評連載中なんでよろしゅう。最新話もめっちゃおもろいで。誰とは言わんけどめっちゃ目立っとるんで。誰とは言わんけど」
「おまえその最後の最後にちょいと顔出して美味しいとこ全部掻っ攫ってくスタイルずるない?」
とても濃密な1週間を過ごさせていただきました。毎日が楽しかったです。
では、またいずれ。