遠征艇はひどく狭い。作戦を確認する会議室とそれぞれが眠るカプセルホテルのようなベッド、オペレーター用のモニター室くらいしか施設は無い。
それなりの距離を移動するが、遠征で過ごす時間のほとんどは調査のために訪れる国で消費されるので、狭さから来るストレスに苦しむことは無いのが幸いだった。
透明感のある長机を指で押すと、それぞれの手元にこれからこれから訪れる国の簡単な情報が表示される。オペレーターによる特別な操作が無くとも、スマートフォンのように扱えるため、便利なシステムだった。
俺は事前に部下と打ち合わせていた通りに会議を進行する。
今回の作戦に参加するのは太刀川隊と冬島隊と風間隊の三隊だ。
俺から見て右側の席に座るのは太刀川慶・出水公平・烏丸京介・国近柚宇。左側の席に冬島慎次・当真勇・真木理佐。真向かいに歌川遼・菊地原士郎・宇佐美栞。遠征選抜試験を突破した精鋭たちである。
「最後のブリーフィングを始めるぞ。これから行くのは雨中国家〈ネウロン〉。観測結果によるとなかなかに大きな国土を持っていると思われる。人口はおよそ8000人。トリガー使いの数ならびにブラックトリガーの数は不明だ」
「うちゅう?」
「データ見なさいよ、馬鹿。漢字が書いてあるじゃない。あなた仮にも大学生でしょう?」
「おいおい、辛辣過ぎるぞ、真木ちゃん。確かにこいつは馬鹿だけど、戦闘に関しては頭が回るし、何より先輩だ。少しは敬ってやれ」
「今回の遠征部隊の副リーダーは私。冬島さんと言えど、口答えは許さないわ」
「ははぁ、さては昨日の麻雀で俺がおまえに倍満喰らわせたこと、恨みに持ってるんだろ。もうちょっとで真木が1位だったもんな」
「なんで、あなたが麻雀のルールを覚え切れるのか理解に苦しむわ。で、《うちゅう》っていうのは雨の中という意味。年がら年中、雨が降っているのだとか」
「不思議だよねー。ずっと雨が降っているなら、作物とか育たないよ。このデータによると彼らの主食はお米らしいじゃない。アタシたちが知ってる《雨》とはルールが違うのかも」
「そうだな。遠征艇が着陸したあとは気候観測も行ってくれ。戦闘時は雨による視界不良と地面の泥濘みに気をつけろ。オペレーターは常時、視覚支援を行ってくれ」
「了解〜。今回の遠征には冬島さんが来てるから、わたしたちが遠征艇を操作しなくてもいいんですか? 振り分けはいつもと同じ?」
「そうなる。冬島さんにはワープスポットや罠の発動くらいのトラッパーとしての仕事はもちろんこなしてもらうが、その程度のダブルタスクは問題ない。そうですよね?」
「おう、任せとけ」
「今回の遠征の目的はあくまでネイバーフッド由来のトリガーを手に入れることだ。侵略行為ではない。防衛や反撃は良いが、こちらからの攻撃は禁じておく」
「黒トリガーはどうするんですか。もちろん、〈ネウロン〉にあれば、の話ですけど。入手すれば、ボーダーの戦力は高まりますよね?」
「駄目だ。黒トリガーはトリガー使いの命そのものから造られている。奪えば、ボーダーにとっての敵を無用に増やす恐れがある。さらに言えば、黒トリガーはこちらの技術開発の進歩に役立たない。いいな?」
「はい、分かりました」
歌川の質問はこちらの仕込みである。この程度のことが分からない者は遠征部隊に選ばれはしないが、一応言っておかなくてはならない重要なルールだ。
遠征部隊の働きでボーダーを危険に晒すなど、本末転倒もいいところ。新たな技術は三門市とそこに住まう人々を守るためのものなのだから。
「ねぇねぇ、風間さん。〈ネウロン〉を選んだのはどういう目的があるわけ? トリガー使いのおおよその数も分かんないのに、それでも勝算があるって上層部が判断したってことでしょ」
真木が嫌そうな顔をする。されて困る質問ではない。太刀川の疑問は非常に真っ当かつ、状況に対する理解度が深いことから来るものだ。ただ真木はそんな太刀川の存在が奇異に見えて仕方がないのだろう。
冬島隊のスナイパーである当真も似たようなタイプだが、それでも違う部分はある。当真はボーダートップクラスの精密射撃を誇り、自己判断も出来る優秀な駒だ。
だが、他者へ命令することはない。隊を指揮する視点が無ければ見えてこないものというものは存在する。太刀川は人を使える馬鹿なのだ。
俺は宇佐美に指示を出し、手元の机にデータを表示させた。
「まず、国土の面積が広すぎる点が挙げられる。向こうの監視の目に引っかかりにくい、という部分だけで俺たちにとっては付けいる隙になる」
「他所の国から得た情報ではずっと雨が降ってる変わった国って感じだから、そう強くはないでしょう。今のボーダーの戦力で相手に出来るくらいには小国で、トリガーの技術的に学びになるくらいには大国。そういう印象よ、〈ネウロン〉は」
「国を東西南北に分けて、それぞれの地域を大公が支配している。湖を神のように信仰しているらしいが、詳細は分からない。その宗教が関わっているかもしれないが、彼らは何故かトリオン兵を運用しない。局地戦に持ち込めば、俺たちの方が兵力は上になる可能性が高い」
「なるほど。了解」
太刀川は納得したらしい。〈ネウロン〉がトリオン兵を使わないと聞いたとき、俺の胸には微かな不安があった。それは、彼らが一度たりとも三門市に攻め寄せたことがないという事実の裏返しでもあるからだ。
ボーダーは侵略者ではない。だが、ボーダーに入隊した者はネイバーへの憎悪を少なからず有している。〈ネウロン〉へ行くことが敵討ちにならないと知って、戦意を鈍らせる……などという事態に陥らない保証はなかった。
しかし、このメンバーに見たところ動揺は無い。杞憂であったことに胸を撫で下ろす。
遠征任務は防衛任務とはまるで異なる。失敗すれば死ぬかもしれないという恐怖は、俺たちが経験している普段の殺し合いがいかに甘いものだったかを示している。
そして、遠征のリーダーである俺は彼らの命を背負っているに等しい。ひとつひとつの判断には大きな責任が伴うのだ。
その責を問われるのは俺だけではなく、副リーダーを任された真木もだ。このような場で太刀川に噛み付くのは彼女らしくない。ずいぶんと気が立っているように思われる。やはり強引にでも冬島さんにやってもらうべきだったのかもしれない。
遠征艇が〈ネウロン〉に入る準備が出来た頃になって、ようやく俺は雑念を断ち切ることが出来ていた。
降りる場所は既にいくつかリストアップしていたが、周囲が森林に囲まれている東域地点へ行くことにした。当真の射線は通りにくいが、冬島さんの罠を設置しやすい。見晴らしが良すぎると逆に向こうから攻撃されてしまう。
優れた技術力を持つ国家であれば、遠征艇を国と国との間に横たわる暗黒の海に漂わせておいて、兵を送り込むときにのみゲートを発動させるという手段が取れるのだが、ボーダーではまだその技術が充分に開発されていなかった。
遠征艇を動かす燃料は事前に貯めておいたトリオンを使い切ったあとはどこかに停泊して、補給する必要がある。
『サーチ完了っと。周囲に敵影無し。いつでも東域にゲートを開けるぜー』
『分かりました。冬島さんの判断で遠征艇を着艇させてください』
これが飛行機であれば、平らで周囲に何も無いポイントに移動しながら降りる必要がある。
だが、遠征艇はゲートトリガーの運用によって暗黒の海から指定した座標に直接ワープ出来る。今回であれば、東域の森に現れるので着地地点に岩石や大樹がある可能性が高い。
ゲートが開く瞬間、重力のような黒い力場が発生して周囲のものを押し潰す。
いまのように地面が不安定であることが考慮される場合はわざと下の方に出現させて、着艇させれば安心なのだ。
もちろん、ボーダーに戻るときは安全な地下ドックに降りられることが分かっているので、そのような強引な手は取る必要は無い。
一瞬、体が引き寄せられるような力を感じたこと以外、違和感は無かった。選抜試験では存外に苦戦した着地作業ではあるのだが、冬島さんがパイロットなので、その辺りはさすがという他ない。
外の映像がモニターに映し出される。大粒の雨が激しく降り注いでいた。
豪雨だった。
こちらの世界であれば、このレベルの雨が1時間も続けば警報が発令されるだろう。普段からこの調子なら生活など出来ない。本当にこれは《雨》なのだろうか?
しかし、俺の警戒をよそに雨は5分ほどで静かになった。降り止むことこそなかったが、充分に行動できると思われた。
太刀川隊と冬島隊に遠征艇を守らせ、風間隊で近くを探索することにした。生体反応とトリオン反応を感知するサーチによって、1キロ先に町があるのが分かったので、そこを調査するのだ。
「鬱陶しい雨ですね」
「この国に海は無いはず。となると、水源は信仰されているという湖とその他の河川ですかね。常に雨が降っているとなれば、そうとう大きな湖なんでしょうか?」
「ネイバーフッドの国々はこちらの世界と異なる常識・理論によって動いている。大地を形作る母トリガーとそれが運用する冠トリガー。この《雨》はただの気候でない可能性を考えた方がいいだろう」
「国近先輩たちがサーチしているんですよね? 仮に冠トリガーの作用で雨が降っているならば、トリオン反応を感知出来るはずですが」
「……まぁ、そうだな」
「ちょっと、歌川。理論武装もほどほどにしなよ。風間さんが黙っちゃったじゃん」
「あ、すみません!」
「構わん。こういう議論が戦いで活きることもある。今回は俺の考えが足りなかっただけだ」
部下から意見を貰えない上司というのは寂しいものだ。ただ、少しの沈黙で菊地原にこのような考えを抱かせることになってしまうとは、もしかして俺の表情が硬すぎたのかもしれない。
歳下の人間と話すのはまだ慣れないな。
雨が降り続く中、黒い街並みが見えてきた。遠征任務は常にトリオン体でいるのを前提としているが、太刀川隊や風間隊の隊服は人々の中に埋没出来るようなデザインではない。
敵のトリオン感知を透過するバッグワームを目立つ隊服の上に重ねることで、少しでも風貌を地味にしているのだ。
こちら側の世界ほど服飾品が凝っていないネイバーフッドでは、これくらいの努力で割と何とかなる。
隠密任務をするに当たって〈ネウロン〉がどれくらいの文明レベルを持っているのか、という情報は非常に重要なものだ。人々の格好から、バッグワーム姿は奇異に映らないだろうと判断できた。
降り続く雨対策のためか、家は高床式である。その部分に居座り、酒を呑んでいる連中もいる。市街戦になったとき、カメレオンで潜みやすい空間だと言えた。
『……風間さん』
菊地原の促された先を見ると鎧を身に付けている連中がこちらにやってきた。彼らはサーベルのような剣を抜き、辺りを見回していた。
巡回にしては警戒レベルが高すぎる。俺たちがこの町に忍び込んだのバレていると直感した。
だが、姿までは分かっていないようだった。
『宇佐美。俺の視界が見えているな? 同じような鎧を付けているやつをマークしろ。他にもいるかもしれん。警戒だ。歌川はメテオラ、俺と共にあいつらの前に姿を現せ。菊地原はカメレオンで潜め』
『向こうは10人はいますよ?』
『あぁ。まずは正面から攻撃し、俺たちの存在を印象付ける。その後、俺と歌川は別れて逃げ、追ってきた敵を歌川の後ろに着く菊地原が討ち取る。遠征艇がある方向へ走るぞ、いいな?』
『了解』
『風間さん、遠征艇に敵襲! 太刀川隊が迎撃しているよ。タイミングから考えて、これは』
『やはりか。おそらくは遠征艇が現れたことを敵は把握していた。こちらの戦力を分散させるために放置したのだと思われる』
『そういうことなら、敵の戦力って大したことないんじゃないですか。数がいれば、一網打尽にした方が逃げられる恐れがないし』
『補給を必要としないトリオン体は通常の逃亡兵の理論とは異なる。だが、菊地原の言うことは正しい。向こうが一番困るのは退却する術を失った兵が住み着いて賊になることだ』
『正しいなら否定しないでくださいよ』
『いくぞ』
俺と歌川は鎧の者たちに向けて走り出す。バッグワームを解除した歌川はメテオラを繰り出し、反対側にスコーピオンを展開した。
するとトリオンの閃光を見たうちの3人が大きな盾を構えた。盾は融合し、メテオラを吸い寄せた。メテオラの真価は破壊力ではなく、効果範囲の拡張なので、それを封殺する盾とは厄介だ。盾は砕けたが、トリオンで何度でも作り直せるはずだ。
俺は一番右端にいたやつの首を刈ってすぐに、スコーピオンを地面から出し直す。モールクローで盾兵を切り裂いた。その頃には既に周囲の兵たちが剣を振りかぶっていたが、俺にとっては見えている攻撃だ。
すぐさま後退して、左に逃げる。右に逃げた歌川がメテオラを炸裂させる音が聞こえた。高床式の家の下を抜けて森を目指す。
せっかく分散させた敵が集合してしまっては意味が無い。少し無理をしても追いかけてくるという自信があった。
風を切る音。首元を狙う斬撃にスコーピオンで対応。数メートル先に長髪の男がサーベルのような細い剣を構えている。
旋空弧月のようなものだろうが、軌跡が見えなかった。斬り払うというより、突きを飛ばしているのか?
男に赤いマークが付いた。とりあえず倒しにかかるのではなく、今は足を止めずに逃げるべきだ。宇佐美のオペレートが追い付けば、ひとりひとり釣り出す戦術も撃てるようになる。
『何人か伏せているぞ、注意だ』
『問題ないですよ、こいつら雑魚だ』
『油断するなよ』
菊池原はそう言ったが、俺に先ほど突きを飛ばしてきたサーベル使いはそれなりにやるようだ。並ぶ家々の下は空間が空いているとは言え、斜めになった木材やら石材やらで時折、射線が切れているはずなのだが。
ピンポイントで撃ってくる突きは非常に鬱陶しい。
『宇佐美。こちらを追ってきているやつは俺のすぐ後ろにいる長髪のやつだけか?』
『そうみたいです。うってぃーくんの方にはゾロゾロ着いてきているんですけどね』
俺が舐められているというわけではないだろう。菊地原の発言から見ても、こいつだけは手練れなのだ。
カメレオンを発動して長髪の男に向き直った俺は体を斜めに少し伏せ、腕を振るう瞬間にスコーピオンを起動。刃で脇腹を薙いだ。しかし、相手はこちらの姿が見えた瞬間に上半身を逸らせており、一撃で仕留めることは出来なかった。
黒いトリオンの煙が脇腹から漏れ出すが、焦ることなく男はサーベルを振る。鋭い突きと飛ぶ斬撃を利用した冷静な打ち払い。こいつの剣術の腕前はこちらで言うマスタークラスだ。
もし、歌川に迫っている連中の中にこれほどの実力者がいるのであれば、作戦を見直す必要があるのだが……。
「おまえ、強いな」
「あんたこそ、普通のガキじゃないな」
「名前は?」
「俺は東域のミスティオスに仕える第一の騎士、エッカルトだ! あんたも名乗れ!」
「風間だ」
スコーピオンでサーベルと打ち合った瞬間、俺は爪先から刃を出してエッカルトの顎先を蹴り貫いていた。
人は何かを問われれば答えたくてたまらなくなる。その相手が自分を認めるような発言をしているのならば、なおさらだ。出来た隙は1秒以下。それでも、近接戦ではその1秒が命取りになる。
「なっ」
相手のトリオン体が崩壊し、男は黒い薄着の服を着た状態で地面に倒れていた。
ミスティオスという単語の意味は分からなかったが、《仕える》《第一の》となれば、こいつは主ではないものの、敵の中でも実力が高いとトリガー使いだ。そうゴロゴロと転がっているレベルではないのだろう。歌川と菊地原の方にエッカルトに並ぶ者はいない。
『宇佐美、向こうの状況はどうなっている?』
雨が降りしきる中、全身を鎧で固めた武者がこちらを睨み付けていた。その周囲には盾を構えた茶髪の男と弓を構えた黒髪の男。ボーダーに入らなければ、人生で見ることのなかった光景だ。
迷彩で隠れた遠征艇を背にして、俺はアサルトライフルの銃口を敵に向ける。横には風に棚引く黒いコートに身を包んだ太刀川さんが嬉しそうな顔をして立っていた。
『風間さんの方にも敵がいるみたい』
『やっぱり遠征ってのはこういうもんだよな。予想外のトラブルが無きゃ、面白くない』
『こちら当真。位置に着いたぜ』
『つっても満足に射線通んないでしょ、こんな森の中。俺も向こうに当てられるとしたらバイパーですよ。京介はもっときちーだろ』
木に隠れる形になっている出水先輩が言っているが、その通りだ。ボーダーの訓練やランク戦で森林地帯で行う局地戦は経験があった。こういう場合、ガンナーよりもシューターの方が撃つ弾丸を制御出来る以上、有利だと言わざるを得ない。
本来ならば、オールラウンダーである俺は弧月を取って近接戦に持ち込んだ方がいい。
『泣き言は言ってらんないんで』
これはランク戦ではない。敗北した際に待っているのは死だ。だが、ランク戦よりも、今が有利である点もあった。
それは、こちらの手の内が全くバレていないということ。威力の高い真っ直ぐの弾しか撃てないと思わせておいての不意打ちは初見で防ぐのは難しいはずだ。
俺の技術で弧月を使った攻撃で不意を突くのは無理だ。それは太刀川さんに任せればいい。
『射線は俺が旋空で切り開きゃいいだろ。出水はもうちょっと後ろに来てバイパーかメテオラ。風間さんからの情報と宇佐美の分析によると、あの盾はトリオンによるエネルギーを引き寄せて威力を下げる。だが、案外脆いらしい。数と威力で押し潰せ』
『太刀川さんの策は単純で助かる』
『京介は出水のガードと俺の援護。攻撃が遠征艇に当たらないように、戦線を上げてゆく。防御のために下がるのはいいけど、敵を引き込むなよ? 当真は狙撃で弓兵を倒せ。その後は俺の援護。俺はあの鎧を担当する』
『了解。この辺にある冬島さんの罠って何でしたっけ?』
『向こうが触れたら炸裂する地雷もあるけどよ、ワープ系の方がいいか?』
『んー。あの盾を地雷に叩き込むのも悪くない手だからな。状況に応じて変えてください。冬島さん、手ぇ空いてるでしょ』
『分かった分かった。国近、地雷を赤色にショートワープを青色に設定してくれ。当真の周りに置くのはミドルレンジワープにしておく』
『よし!』
太刀川さんの旋空によって射程が伸びた刃が森を薙ぎ払ってゆく。鮮やかな緑色の葉が瞬く間に散って、黒々とした太い枝が次々に落ちて、色濃い匂いを放つ幹が切断される。
乱舞する木の間を縫って出水先輩のメテオラが盾兵に叩き込まれた。素早く構えられた盾はメテオラを引き寄せるが、遅れてやって来たバイパーには反応しなかった。一度に捌ける量に限りがあるのだろう。
俺は出水先輩と自身を守るようにエスクードを生やした。
こちらの射線が通るということは向こうの射線が通るのとイコールだ。太刀川さんが周囲の木々を破壊した後に新たに遮蔽物を作り出さなければならなかった。実際に、弓兵がトリオンの矢を放って来ている。
俺はアサルトライフルでアステロイドを撃ち出し、エスクードの陰から鎧の男を狙う。意外に敏捷な動きで弾丸が躱されたことに驚きつつも、上から飛びかかる太刀川さんの側面をカバーする。
大きなブレードで太刀川さんの弧月と刃を合わせる鎧の男。幾度も打ち合い、それなりの隙はあるのだが、腕や足が飛んだ盾兵が俺と出水先輩の攻撃を素早い動きで防御する。
だが、矢を放つ黒髪の男が当真先輩の狙撃で倒されて均衡は崩れた。
「下がれ! クリストフとディートハルトはバルナバスを連れて戦場を離脱しろ!」
トリオン体が壊れ、実体を晒した黒髪の男に鎧の男は命令する。負けた部下の命を大切にする……その心はずいぶんと甘いものだった。
だが、太刀川さんも当真先輩も出水先輩も、俺も盾兵たちを追うことはなかった。鎧に包まれていて表情などは見えないのだが、彼は安堵したようだ。
「ありがたい。貴公らはやはりただの侵略者ではないのだな。我は東域のミスティオス、シロッコ・バーンフィールド。騎士らを率いる者として正々堂々と貴公らを倒す!」
「俺たちはそんなに正々堂々しないけどな」
ショートワープを踏んだ太刀川さんがシロッコの後ろに現れて旋空を放つ。首を狙ったはずの斬撃だが、鎧の硬さで攻撃は逸れて右腕を吹き飛ばすに留まった。太刀川さんが目を見開き、後退する。
斬り飛ばした腕が復活していたのだ。それだけではない。鈍い色をした鎧が仄かに輝きを放ち、立派になっている。
「無論。我も詭道を使わせてもらう」
「やるじゃん」
太刀川さんの顔に裂傷が走っている。傷付いたところを復活させつつ、強化するトリガーか。籠手の部分に棘のような突起が追加されている。顔の傷はそれで付いたのだろう。
さらにシロッコは大型のブレードを振り回して、追撃を入れようとする。その刃先を当真先輩の狙撃が弾き飛ばしたが、ブレードもまた、大きく膨れ上がってスコーピオンのようにうねり、太刀川さんの左腕を破壊した。
太刀川さんはグラスホッパーで空中を跳ね、シロッコの変化する刃から逃れる。バイパーとメテオラとアステロイド。複数の威力と範囲の攻撃で太刀川さんに生まれた隙を出水先輩と俺が埋める。
鎧のあちこちは砕け、地面に沈み込むように見えたシロッコであったが、1秒も立たないうちに復活していた。黄金に輝く鎧は威圧感すら感じられる。
『危ねー。助かった』
『で、どう突破するのよ? あの鎧にゃ、もうイーグレットは歯が立たないと思うぜ?』
『そうだな。当真は撤退したやつらを見張っとけ。あの男はあんまり嘘とかつきそうなタイプに見えないが、敵の言葉を信じるわけにはいかない。国近〜、あの鎧のこと何か分かる?』
『うーん。すごい再生能力は持っているんだけど、そこまでのトリオン反応は無いんだよね。だから、あれはブラックトリガーじゃない』
『アタマは復活無しでも相当硬かった。でも、今や強化されていないのはそこだけだ。太刀川さんが適切な距離を取って旋空を叩き込むしかないんじゃないっすか。あれがブラックトリガーじゃないなら破壊出来るでしょ』
『まぁ、確かにそんな気がするな。問題は近接戦しか見せていない俺が距離を取るとなれば、あいつに間違いなく警戒されるということ。接近されたら、さっきと同じだ』
『俺が隙を作りますよ。出水先輩が張った弾幕に隠れて、太刀川さんはグラスホッパーで空中へ飛んで縦に攻撃を振り下ろす』
『へぇ、じゃあ、京介の作戦で行こう』
『俺の弾幕であいつが黙るとは思えねー。ここは合成弾で確実に太刀川さんの攻撃に繋げる。京介は隙を作って、かつ時間を稼げ』
『無茶言いますね……』
俺は突撃銃を仕舞い、弧月を出す。
シロッコの方向に真っ直ぐ向かうと見せかけて、こちらの動きに反応した隙を逃さず、射出方向を調整してシロッコの背中にぶつかるようにエスクードを展開した。鎧が肥大化しているため、咄嗟に後ろを見られないことを目で確認し、ショートワープを踏む。
右斜めに飛んだ俺の弧月はあっさりと受け止められるが、これは計算通り。
出水先輩の放ったアステロイド+バイパーのコブラが俺の腹を貫通してシロッコに直撃し、吹き飛ばされる。
地面に倒れ込むような形になった彼が天を仰ぐように空を見ると太刀川さんの旋空弧月が雨粒と共に降り注ぎ、その斬撃は鎧を両断していた。黄金の鎧はバラバラと崩れてゆき、トリオン体は完全に崩壊。
シロッコは手を上げて投降した。俺はベイルアウトしてしまったので、その様子は見られなかったが。
遠征艇から離れた東域の森。
捕縛したエッカルト、バルナバス、クリストフ、ディートハルト、そして彼らの上司であろう男のシロッコ・バーンフィールド。
シロッコは短い茶髪を刈り上げ、精悍な顔付きをしていた。いかにも武人という印象を受ける。ボーダーを代表して、俺は菊地原と共にシロッコに話を聞いていた。
単純に敗北しただけではない。彼はボーダーに取り引きを持ちかけて来たのだ。
「貴公らの目的は分からぬ。しかし、侵略者でないのであれば、協力していただけないだろうか。事を為したあと、我はミスティオスの権限において、あらゆることを許したい」
「俺たちは〈ネウロン〉のことを何も知らないと言っても過言ではない。まずは情報を聞きたい。そちらの言い分はそのあと検討する。ミスティオスとは何だ? おまえたちは何故、遠征艇や俺たちの場所が分かった?」
「〈ネウロン〉はそれぞれの地域に2人ずつ存在する優秀なトリガー使い、ミスティオスが運営している。貴公らの場所は冠トリガーの残滓であるところの、この雨が未登録のトリオン反応を検出したので分かったのだ」
「……っ! だが、うちの者が調べても、この雨からトリオン反応は出なかったぞ?」
「この雨自体はトリガーではない。あくまで雨粒に当たったトリオンを感知可能なのが冠トリガーなのだ。空の上に存在する《天なる湖》。〈ネウロン〉以外には見られぬ、その湖から漏れ出しているのがあの雨だ」
「空の上に湖だと。降雨範囲は〈ネウロン〉全域に及ぶと聞いている。つまり、その湖はそれほどまでに巨大だということか。詳しいことはまだまだ聞き足りないが、とりあえずそれだけでいい。おまえは何をボーダーに求める?」
「東域との同盟だ。永続的である必要は無い。貴公らが〈ネウロン〉にいる間で構わない」
「何故、同盟がしたいんだ」
「……まぁ、我は既に貴公らに敗北している身だ。話すしかないか。通常、星を形成する母トリガーの適合者はほとんど死んでいるに等しい。だが、〈ネウロン〉はトリオンを探知する冠トリガーを操るため、その状態では都合が悪いのだ。だから、〈ネウロン〉における星神は生きたまま《天なる湖》に接続することが可能になる。他の国ではトリオン保有量が多いほど大地が大きくなる。しかし、《天なる湖》が広がることはないので、大きくなってもらっては困る」
情報量が多い。遠征部隊の隊長として、人よりも多くの事情を知っている身であったが、上からも説明を受けていないような話が飛び出した。だが、ここで動揺してはならない。
俺はシロッコに先を話すよう促す。
「ゆえにここの星神はトリオン保有量が多いほど、自由に時を過ごすことが出来る。米を食えるし、体を鍛えられるし、夜は寝て過ごすことも出来る。我にとってはあの子が星神だとは到底思えぬくらいには、普通に生きている」
シロッコの表情と言葉の柔らかさから、彼にとって星神は大切な人間であることが窺えた。
この武人がそう思うのならば、真っ直ぐな性格の人間なのだろう。また、その星神はシロッコよりも年下だということも分かった。
「雨として漏れ出すばかりでは《天なる湖》とていつかは枯れ果てる。それを防ぐため、東西南北それぞれの地域にひとつずつある大きな湖から《天なる湖》に捧げ物をする。そういう儀式なのだが、ようはトリガーを使って水を上に送り込むのだ。だが、《天なる湖》に接続している星神が……あの子が病み始めた。単なる病気ではない。それは西域か南域か北域かの湖をわざと汚染させて、《天なる湖》に繋がる星神を殺そうとしているのだと考えられた」
「星神を殺すということは母トリガーの破壊と同義だ。〈ネウロン〉の人間は全員死ぬ。湖を汚染した者も含めて全員。……そうか、だからおまえたちは俺たちに過剰なまでの反応を示したのか。〈ネウロン〉の大公であるミスティオスのひとりが、わざわざ兵を操って前線に出来て来た。それは、湖を汚染させた裏切り者が、他国の遠征艇に乗って逃げようとした……と思ったのだな」
「その通りだ。わざわざ遠征艇を晒したのだから裏切り者は更なる攻撃を侵略者と共に繰り広げるのだと思った。だが、単なる侵略者であったなら、様子見などせずに汚らわしいトリオン兵を使うに違いない。その方が効率が良いからな。しかし、貴公らはトリオン兵を使わなかった。町の家々を破壊することもなく、戦闘能力を失った相手を殺すこともなく、逃げるのを見逃した。我はそのとき、清廉な貴公らならば、力を貸してくれるのではないかと期待を抱いたのだ」
「まだ具体的な協力方法が見えていないぞ」
「そうであったな。東域にあるパトゥサ湖は既に調べた。ここに汚染は確認出来なかった。だから、我らは北域のマティ湖と南域のダクティロ湖と西域のケパレー湖を調べなくてはならない。既に他のミスティオスには要請したが、調査を快く引き受けてくれたのは南域のみ。だが、どちらにせよ、汚染が続けばモナークは死ぬ。その目で直接確認しなければ、気が済まないのだ」
「なるほど。ボーダーにそれぞれの湖を調べてほしいんだな?確かに、おまえたちが行くよりも速いスピードで各地を巡ることは可能だ。だが、東域にミスティオスは2人いるのだろう。おまえだけで勝手に決めていいのか?」
「もうひとりの東域のミスティオス、それが星神のモナーク・ヒートハートなのだ。彼女は黒トリガーを使う強力な騎士だ。症状は重くなる一方だが、自分の身を守ることくらいなら出来る。しかし、東域を空けるほどの体力は無い」
「そうか……。事情はだいたい分かった。それぞれの地域のことはあとで聞く。おまえたちにボーダーはどう映った? 異国の地であれど、〈ネウロン〉のミスティオスと率いるトリガー使いを相手にして勝てると思ったのか?」
「あぁ。貴公らは強い。モナークの冠トリガーでそれぞれの場所の守りやミスティオスの位置を判断出来るから、それを込みしたらさらに勝率は高まるはずだ。だが……絶対では無い。貴公らがそれに不安を感じるのであれば、今までの話は忘れてくれ」
『ここで判断しなくてもいいと思いますよ。風間さん。真木とか冬島さんに相談してからでも遅くない。シロッコは時折、心音が乱れていました。逆に、嘘なんてついてないでしょうけど』
「……同盟の件、了承した。永続的になるか否かはそれぞれの働き次第だ。ボーダーの目的はただひとつ。未知のトリガー技術を手に入れること。この調査が終わったあと、この国すべての汎用トリガーを渡せ」
「汎用トリガーで、いいのか?」
「黒トリガーは
「承知。東域のミスティオスの名において、必ずその願いを叶えてみせる。まずは、エッカルトとバルナバスとクリストフとディートハルトのトリガーを差し上げよう。我のトリガーは一点ものであるので、貴公らが〈ネウロン〉を出立する際に必ず贈る」
一気に手に入った4つのトリガーを菊地原に渡す。菊地原はじっとりとした目を向けている。
だが、この同盟は受けるべきだ。これから戦う敵の情報は既に分かっているものに等しい。俺はさらに追加の条件として、遠征艇のトリオン補給も付けた。これでスムーズに移動出来るはずだ。
俺はシロッコを遠征艇に招き入れ、遠征部隊隊長として既に同盟を結んだと話した。真木ならば、文句を言ってくるだろうと思ったが、むしろ賛成だと応援してくれた。
俺はシロッコとモナークに同情したわけではない。ボーダーがここに来るまでに既に〈ネウロン〉は問題の渦中にあったのだ。
東域と同盟を結ばないということは、停泊地すらマトモに確保出来ない状況で周りは全員敵として処理しなければならない四面楚歌。これで任務が達成させるのは無理だ。
エッカルトとバルナバスとクリストフとディートハルトのトリガーは入手出来たが、これだけでは成果物としてあまりに足りない。彼らのトリガーはいまのボーダーでも簡単に開発が出来る部類のものだ。
シロッコが使う鎧のトリガー。あれを最後まで仕事をやり終えた後の報酬として貰えるならば、その方がいい。
降り止まない雨を見ながら、俺は遠征部隊隊長して下した大きな決断にのしかかる重責にため息をついた。
夜に差しかかった頃、シロッコの案内で東域の宮城に訪れた。罠であってもベイルアウトで逃げられるので必要以上の警戒はしなかった。
大理石のような白い細工で造られた扉を開けるとレースのカーテンを付けた、いかにも女王さまが使っている感じのベッドで、紅蓮の如く美しく艶めく赤髪をした少女が寝ていた。
体調の悪そうな彼女は目を開け、こちらをまじまじと見つめる。彼女は、モナーク・ヒートハートはまだ幼さの残る顔立ちをしており、中学生くらいに見えた。
「俺はボーダーの風間。シロッコから東域と同盟を組まないかと誘われ、了承した。モナーク殿に顔を合わせた方が良いとここまで連れて来られた次第だ」
「まぁ、そうなんですか。ありがとうございます。わたくしはモナーク・ヒートハート。けほけほけほ。わたくしが不甲斐ない状態ではシロッコひとりで調査に赴くことは難しかったので協力感謝致します」
モナークの目の下には隈がある。また、机にはトリガーセットが置かれており、さっきまで何をしていたのかがよく分かった。
「シロッコに聞いたかどうかは分かりませんが、武人のミスティオスとエンジニアのミスティオスが各域を収めるのです。わたくしは北域のミスティオス、賢神ノエル・ガンパウダーに憧れているのです。いつか彼女のような画期的な新トリガーを開発したい」
「シロッコの鎧は?」
「あれは先代のミスティオスが作った最高傑作です。整備くらいはやってるんですが、どういう仕組みでああなっているのかはまだ分からないんですよね」
「そうか。それなら、もっと生きないといけないな。この作戦はボーダーが引き継ぐ。モナークは雨で俺たちを支援してくれ」
「ええ、もちろんです」
ネイバーと握手をするのは初めてであった。ネイバー……兄を殺した仇。
だが、目の前の健気な少女にいったい何の関係があるだろう。戦争とはこういうものなのか。窓から見えるのは相変わらず曇天で降り続く雨。辛気臭い風景で気分がリフレッシュ出来るわけもなく。
俺たちは賓客扱いで風呂にも入れてもらったし、豪華な食事も食べられた。眠るところも騎士たちが扉の前で守ってくれている。
一宿一飯の恩……というには重すぎるのか軽すぎるのか分からなかった。
俺は幾度も締め直してきた気合いを体に入れ、ゆっくり息を吐く。やるぞ。
エッカルト(21)
サーベル型のトリガー、ペレネを使う。
バルナバス(36)
弓型トリガー、プテロンを使う。
クリストフ(15)
盾型トリガー、ソーマを使う。
ディートハルト(42)
盾型トリガー、ソーマを使う。
シロッコ・バーンフィールド(45)
東域のミスティオス。武人。
クルサリーダ
蛹の意。甲冑型のトリガーで
ダメージを負ったところを
回復しながら3回まで強化する。
モナーク・ヒートハート(12)
生きた星神。
東域のミスティオス。エンジニア。
黒トリガー、メリッサを使う。