遠征艇が飛行する。一昨日〈ネウロン〉にやって来たときと同じく、俺たちはブリーフィングを行っていた。だが、異なる風景もある。それは俺の横に座っている少女が増えたことだった。彼女は東域のミスティオス、モナーク・ヒートハート。
〈ネウロン〉に降り注ぐ雨を使ったトリオン感知が可能な冠トリガーの操者にして、黒トリガー使いのエンジニアだ。〈ネウロン〉の上空にあるという《天なる湖》に毒を送り込んだ下手人を探すため、ボーダーと同盟を結んだ(完全に事後承諾だった気もするが……)。
モナークはふわふわとした綿毛のような襟巻きに赤々とした髪を垂らせ、ゆったりとした純白のワンピースのような服に身を包んでいる。左右対象の黒い紋様がある腕飾りを装着しており、これが〈ネウロン〉に存在する黒トリガーのひとつ、メリッサであるらしい。
〈ネウロン〉に住まう悪意ある者に命を蝕まれているという悲愴な状況が、幼さの残る顔立ちにやや陰を落としているように見える。
冬島さんと国近と宇佐美に囲まれ、ボーダーのトリガー技術の教えを乞うていたときは明るい年頃の少女といった印象であったが、遠征艇が向かっているのは下手を打てば死ぬ戦場だ。これくらい緊張していた方が分かりやすくていい。
モナークがこの場にいるのは東域がボーダーに協力するという意志を示す誠意のようなものだ。やろうと思えば、ボーダーはすぐにでも彼女を亡き者に出来る。つまり、彼女は人質であった。
そんなことをしなくても、既にいくつかの技術を提供したモナークを疑う者はこの遠征艇にはいないだろうが、三門市に帰還したあと、俺たちは任務達成のためとは言えネイバーと同盟を結んだことについて上層部と報告しなければならない。自身の命を晒してまで、こうやって戦場について来てくれたという実績があれば、話しやすいのは確かであった。
「敵戦力のおさらいだ。〈ネウロン〉には約400人のトリガー使いが存在する。これから向かう北域のマティ湖を守る砦にはおそらく30人くらいの騎士が詰めているだろう。俺たちは砦を強襲し、敵を引き付けている間にマティ湖に探査トリガーを設置する。汚染が無ければ、そこで撤退しても構わない」
「あれば?」
「その砦を守るミスティオスに話を聞く必要があるだろうな。奇剣の異名を持つヴェインド・フルフレイム、もしくは賢神ノエル・ガンパウダー。戦闘能力の無いエンジニアのノエルの方が尋問はしやすいだろうが、砦にいるとは限らない」
俺は手元のモニターを操作し、モナークから貰った情報を映し出す。立体映像のように浮かび上がらせる技術は〈ネウロン〉のもの。冬島さんがさっそく新技術を取り入れたのだ。
腰の曲がった老婆が軽やかな動きで次々と騎士たちを投げ飛ばし、さらには太刀川と剣を合わせている映像が流れる。もちろん、この2人が実際に戦ったことはない。
〈ネウロン〉から貰ったデータを元に、あくまでコンピュータ上で再現しただけだ。だが、これは非常に役に立つ。
敵がどういった動きをするのか、俺たちは普段ランク戦の記録を見て学ぶ。イメージがゼロの場合とイチの場合では勝率はずいぶんと変わってくるのは、身を持って知っている。例え、古い情報であっても無いよりはマシだ。
「何回見ても、この婆さん強いな。計算上とは言っても、太刀川さんより純粋な剣術なら上ってのがすげえ。よっぽど鍛えてなけゃ、トリオンだって落ちていくはずなのに」
「楽しみだなぁ。だけど、俺はひとりじゃ戦わない。出水と京介と当真も手伝ってくれるんだろ?」
「もちろんすよ。でも、作戦通りやるなら敵は俺たちが引き付けるんでしょ? 下手すれば、この計算よりも事態はマズくなるかもしれない」
「安易な慎重論では事は成せないぞ、出水。おまえが砦のあらゆる屋根を破壊するのに成功すれば、雨が通ってモナークの感知が行き渡る。そうすれば、冬島さんを派遣して罠の設置も可能。最初から主力を受け持つ太刀川よりも、おまえの役割は大きい」
「そうよ、弾バカの出水のくせに。らしくないわ。そんなに心配ならあんたが騎士を蹴散らせばいい。それだけのことじゃない?」
「むっ……風間さんはともかく、真木にまで言われるとは。おう、それならトリオンの暴力、〈ネウロン〉の騎士たちに見せてやるか!」
俺は手のひら大の立方体を長机に置く。無骨な鉄の塊のようにも見えるが、これは立派なトリガーだ。湖の汚染を調べるためにモナークが作ったものを冬島さんと宇佐美が改造して小型にした代物である。小さくなったとは言え、それなりに重く邪魔な物体だ。
「それが探査トリガーですか。けっこうコンパクトになるもんっすね。柚宇先輩はどれくらい役に立ったんすか? 作業の後半なんか、京介と一緒に肉おにぎり作ってたじゃないですか」
「うわー! 出水くん、馬鹿にするんだあ〜。だって、難しいんだもん! モナークちゃんが作った探査トリガー、既にほとんど無駄が無かったんだよ。あそこから小型化するなんて、私には無理〜」
「うっわ、出水先輩がモテない理由分かった」
「こら! 聞こえたぞ、菊地原!」
「まあまあ。確かに無駄は無かったけど、ボーダーの技術を組み合わせていけば重量とサイズはマシに出来そうだったんだよねー。メカの知識が豊富な冬島さんとアタシ、実際に多くのトリガーを独自開発したモナークちゃんが協力すればこんなもんよ!」
「みなさん、本当に凄かったです。国近さんがおっしゃったプログラムを自動展開ではなく、逐次展開で組み上げるという意見も参考になりましたし、この4人がひとりでも欠けていれば探査トリガーの改良は成りませんでした」
「おー! さすが、モナークちゃん! 若いのに東域を率いてるだけあるね! ところで、何歳くらいなの?」
「わたくしは12歳です」
「ええー!? まだまだ子供じゃん!」
国近は胸でモナークの顔を揉みくちゃにしながら驚いていた。一様にこの場にいるメンバーたちも感心するように彼女を見る。
12歳と言えばボーダーでも最年少の部類に入るだろう。柿崎隊の巴、草壁隊の緑川、加古隊の黒江など。戦闘は年少の者でも鍛えればこなすことは出来る。だが、彼女は東域を代表するエンジニアなのだ。黒トリガーでの鍛錬も並行して、これだけの技術も修めているとなれば並の人物ではない。
この任務が成功し、同盟が正式なものとなれば、ボーダーは更なる飛躍を遂げることが出来るかもしれない。
「だが、この探査トリガーは設置型だ。直接、湖底に持っていてそこで起動する必要がある。探査した記録は宇佐美のデスクに送られる。マティ湖は大きいが、深さはそこまでではない。設置は俺がやる。もし水中戦になれば、重量ゼロのスコーピオン使いの方が有利に戦える」
「騎士は皆、鎧型のトリガーを付けます。動きにくいので湖の中まで追ってくるとは思えません。ですか、マティ湖には鮫がいるのです。《天なる湖》への供物を捧げる儀式の際に、鮫が乱入したこともありました。風間さんは充分な注意を払ってくださいね」
「了解した。鮫程度ならスコーピオンでお釣りが来る。作戦が上手くいっていれば、砦はもぬけの殻だ。歌川は太刀川隊に付け。湖の探査は俺と菊地原でやる」
「分かりました。オレのメテオラなら出水先輩をサポート出来るかもしれませんね」
「そうか、そりゃありがたい。向こうはソーマっていうあのウザい盾があるからな。少しでも量があれば手助けになるぜ」
〈ネウロン〉は地域ごとに分かれているとは言え、騎士たちが持っているトリガーはたいていこの3種類であった。サーベル型のペレネ。刺突を飛ばすことが出来る。弓型のプテロン。一度飛ばした矢を再加速可能。盾型のソーマ。トリオン光線を引き寄せて威力を減衰する。また、融合能力も持ち、一度破壊しただけでは退却しないタフさも売りだ。
「湖を調査したいって話、北域からは断られたんだろ? その理由は聞いたか?」
「ヴィエンドさまに始まったことではないのですが、この国では湖こそが神であり、豊かな雨をもたらせてくれる《天なる湖》の信仰は絶対です。その湖を調べさせてくれと言ったのですから、自身の湖への信仰を疑われたと思ったのかもしれません」
「モナークはその病気について秘密にしてたんだろ。公表すれば手伝ってくれるかも」
「それだったら何の問題も無いと思います。でも、ヴィエンドさまが敵の手先であれば、必ず討ち取らなくてはならなくなる。優れたトリガー使いの死は〈ネウロン〉にとって、大きな痛手です。ノエルさまが手を貸してくれる機会も一生失うでしょう。何故なら苗字こそ違いますが、2人は孫と祖母の関係なのですから」
「ノエル・ガンパウダーというのはそれほどまでにすごいエンジニアなのか?」
「はい。ペレネ・プテロン・ソーマ。これらのトリガーは彼女が開発したものです。〈ネウロン〉の騎士たちが身に付ける外付けトリガーの鎧、パノプリアもそう。出来れば、お話してみたいものですね」
「あ、作戦とは関係無い質問なんだけどよ、モナークたちがトリオン兵を使わないのは何故だ?」
「〈ネウロン〉はこれまで他国に侵略したことがありません。それは侵略のための駒、トリオン兵を使いたくなかったからです。幾度も幾度も〈ネウロン〉に火を放ち、家を壊し、多くの者を殺害した。それはトリオン兵です。トリオン兵を使えば、わたくしたちは大嫌いな侵略者と同じ存在になってしまう。機会的な作業はトリオン兵に任せた方が効率は良いのですが、シロッコも導入には反対しています」
なるほど。それは分かる気がした。今のボーダーの技術を持ってすればトリオン兵を増産し、運用することは難しくない。だが、実際に運用すれば三門市民は恐れることだろう。トリオン兵を作っているボーダーにすら怒りの矛先が向かうことは充分にあり得た。
ボーダーに入ろうと思う者の多くは憎悪や使命感など、何らかの感情を抱いて入隊する。学生のうちから多大な給金が得られるという即物的な観念で働く者はそうはいない。
トリオン兵を使って他国へ侵攻するという形を取れば、いくらかの隊員は違和感を覚えるだろうし、逆に違和感を覚えない人間は想像力が欠如していると言わざるを得ない。
そういったタイプはよほどの戦闘適正を持たない限り、ボーダーの上位にはなってほしくないというのが偽らざる俺の気持ちだった。
「ヴィエンドが使うトリガーの情報は無いんだよな。やっぱりノエルが作ったものなのかな」
「たぶん、そうです。ヴィエンドさまは剣の達人ですので、ブレードタイプのトリガーだとは思うんですが、情報が少なくてごめんなさい」
「いやいや、構わねーって。ブラックトリガーじゃないってことが分かってるだけで充分だ。シロッコのときだって、何とかなったしな」
「今回はモナークの感知という、他には無い優位性がある。東域が味方に付いているのは、俺たちにとってありがたい。ヴィエンドの強さもある程度分かっている。俺たちにとって、これはけして不可能な任務ではない。そうだろう」
「そうよ。いざとなれば、撤退したっていいわけだし。東域という拠点を活用すれば、改めて作戦を練り直すことも出来る。でも、一発で成功させないなんて、それでボーダーのトップチームと言えるのかしら?」
「へへっ、真木の言う通りだぜ。A級1位太刀川隊、A級2位冬島隊、A級3位風間隊。黒トリガーにも勝てるって城戸さんたちに認められた俺たちが負けるなんて、恥ずいだろ」
「確かに!」
俺はモナークを含めた遠征部隊の精鋭たちを見回す。みな自信のある表情をしており、気後れしている者はいない。
「モナークが遠征艇の守りを担当する。感知と黒トリガーがあれば、何の問題も無いだろう」
「頑張ります!」
「よっしゃ、やるぜ!」
激しい雨が降っている。遠征艇は近くの丘に着陸していた。まずはサーチ。モナークが雨粒が当たるトリオン反応を確認し、菊地原の強化聴覚と合わせて、既に得ている砦の地図情報の上に重ねる。
「遠征艇周囲に敵影はありません。マティ湖の付近に6人、砦の屋上部分に3人、砦の前に2人確認出来ました」
「よし、作戦を開始する」
俺と出水先輩は太刀川さんに着いていく形で遠征艇を出発する。少し離れて、後ろには当真先輩と歌川がいる。なだらかな丘を降りてゆくと、目視で砦が確認出来た。マティ湖をぐるりと囲む堅牢な壁と、弩型のプテロンが屋根に設置された頑丈そうな砦。
バッグワームを解除した出水先輩と歌川が砦にメテオラを浴びせる。轟音と破砕音が辺りに鳴り響く。
急な襲撃に驚きを隠せない騎士たちがこちらに攻め寄せるが、浮き足立った連携は格好の的になる。太刀川さんの旋空と当真先輩の狙撃が突出した騎士を刈ってゆく。
味方がやられたことで冷静になったのか、4人の騎士が盾を構え、その後ろの4人が弓をこちらに向ける。
『マティ湖の付近の騎士、2人に減りました。太刀川さんたちの迎撃に15人が向かっています。弩を操作しようとしている者が3人。爆撃を続けてください!』
『迎撃の中にヴィエンド・フルフレイムを確認したよー。周囲に靄みたいなものが浮いているから、これがトリガーかな?』
『出てきたか。当真、狙撃を一時中止。ヴィエンドに確実に当てられるまで、姿を隠せ』
『了解〜』
素早い動きで騎士たちの中から出てきた白髪の老婆が靄を振るう。太刀川さんの二刀流がそれを捌き、確実に敵の数を減らす。俺がアサルトライフルでアステロイドを撃ち込み、大きな盾を構える騎士を攻撃。
すると、老婆が右手を上げて、騎士の陣形が目に見えて変化した。盾兵がこちらの左右に分かれ、サーベルを持った剣士たちが脇に構えた。そして、刃先をこちらに向けて刺突を飛ばし始める。弓兵たちも含めて、ヴィエンドの援護をするためだろう。
銀色の靄がもやもやとヴィエンドを包むと、腰の曲がった老婆が漆黒のコートを纏った髭の青年に姿を変えていた。2本の弧月を振るう、彼はどう見ても太刀川慶であった。
「!?」
太刀川さんに太刀川さんが剣を合わせる。鏡合わせにしたかのように、2人とも同じ剣筋であった。軽快なバックステップで後ろの矢を通しつつ、旋空で拡張した斬撃を振るうヴィエンドは出水先輩を見てニヤリと笑う。
フルアタックの真っ最中の出水先輩はガードが間に合わない。しかし、その横でメテオラを発射していた歌川がスコーピオンでヴィエンドの弧月を防御した。素早い判断だ。俺はエスクードをヴィエンドの足元から出現させて、間合いの外へ追い出す。
『偽物の太刀川さんにマーク付けとくね』
国近先輩によって、どちらがヴィエンドかが瞬時に分かるようになった。一時的に距離を取った彼女が旋空を振るう。しかし、サーベル型のトリガー、ペレネの飛ぶ刺突がその斬撃の邪魔をした。トリガーをコピー出来ても、性能までは把握出来なかったのだろう。
「なるほど。確かな手応えがある。こいつは伸びる攻撃であったか。ぬしらはなかなか強い」
「アンタも婆さんのくせに鋭い剣だ」
「それで、ぬしらはトリオン兵は使わんのか? なぜ、射手を前に出してまで砦を攻撃し続けるのじゃ?」
「婆さんがこっちの質問にちゃんと答えてくれるっつうなら話してもいいんだけどな」
『どれくらい時間を稼げばいい?』
『砦の完全破壊まであと1分くらいですかね。戦力の釣り出しには成功しているみたいだ。風間さんたちはもう湖に?』
『既に向かっている。残りの騎士は菊地原に任す。俺も湖底に探査トリガーを置いたら、そちらの攻撃に参加する。それまで保たせろ』
「おぬしが本当のことを言うかどうかは保証が無いからのう。しばし、付き合え」
ヴィエンドが太刀川さんに接近。手首をくるりと回して、旋空弧月。俺はバイパーに切り替えて、角度をつけて援護した。さっきまで盾兵を攻撃していた俺の弾丸に気付いたヴィエンドは瞬時に伏せた。しかし、曲がる弾道を避け切れずに腕に穴が空く。
また、歌川がメテオラを盾兵に叩き込み、弓で集中砲火しようとする騎士たちをスコーピオンで薙いでゆく。
応援のために砦からは鎧を着けた騎士が複数名出て来るのが見える。そう言えば、俺たちの迎撃に出ている騎士は鎧を着けていない。それだけでも奇襲の甲斐はあったと見える。
『破壊完了! 俺は周囲のやつらを倒す』
『雨の踏破感知、十割に到達しました。基地の中にもう騎士はいません。太刀川さんの周囲にいる15人で打ち止めです!』
『了解。つっても周りから撃たれてるのがキツいな。戦場を基地内部に移したいところだが、向こうが旋空を使えるなら遮蔽物ごと斬られて終わりか』
『そもそも、許してくれますかね? 迷彩を仕掛けているとは言え、遠征艇は丘まで行けば丸見えですし。風間さんはどんな感じっすか』
『……今は水の中だ。もう少しかかる』
『地味にやってくしかねぇな』
歌川がスコーピオンでヒットアンドウェイを繰り返しつつ、出水先輩のバイパーとアステロイドが騎士たちの防御を少しずつ食い破る。俺はエスクードを周囲に張って、弓兵たちの斉射をガードしていた。中央で太刀川さんとヴィエンドが剣を結ぶ。腕前はほぼ互角と言えた。
ヴィエンドが横に飛び跳ねた瞬間、姿が変わっていた。仏頂面の黒髪の男……俺だ。手に何も持っていない様子から見てエスクードを出すことが分かったので、地面から出現した7つの盾に即応可能だった。
本来、エスクードはなかなかのトリオンを食うのでこういった使い方は俺では出来ない。太刀川さんへの牽制というより、出水先輩の射線を切るためのものだろう。
しかし、太刀川さんが旋空で斬り裂いて、再び戦場は開かれた。その頃にはヴィエンドの姿は太刀川さんに戻っていた。だが、戦闘スタイルは距離を取って的確なところに旋空を入れるものになっている。
『気を付けろよ、右手と左手の旋空の射程が違う。起動時間の長短で射程が変わるのに気付くとは、やっぱりこの婆さん強えわ』
『騎士も7人まで減らしましたし、時間を稼げば稼ぐほど、こっちが有利になる』
『倒した敵がちゃんと退散してくれるのありがたいですね。ボーダーのトリガーはトリオン体以外の人間に当たると痛みで気絶させるように出来てますけど、殺す心配が無いのはいい』
そして、盾兵がすべて落ちた。ヴィエンドが足を踏み込んで旋空弧月を繰り出した。その軌跡を太刀川さんは見切っている。的確な足運びで避けた瞬間、彼は斜めに出てくるように調整されたエスクードに直撃。馬鹿な、ヴィエンドは太刀川さんの姿のままなのに……。
「ちっ!」
弧月が両手にある状態でエスクードを出すことは不可能だという思い込みに囚われていた。それはあくまでボーダーでの話だというのに。さっき、俺の姿でエスクードを出していたのは、変身しないとそのトリガーが使えないと思い込ませるため。
ヴィエンドのトリガーはコピーした能力を複数同時に出せるのだ。太刀川さんの胸に吸い込まれるように放たれたのはアステロイド。大きな穴が空いた太刀川さんは崩れ落ち、ベイルアウト。
「ほう? 負けても逃げられるのか」
『どうします。ちょっと旗色悪くないっすか』
『おいおい、太刀川さんがやられただけだろ。おまえはそれでもA級1位太刀川隊か? 作戦がある。これだけ敵の数が減ったらイケる』
出水先輩の頼もしい言葉に安心する。俺はエスクードをヴィエンドの前後左右に出して取り囲んだ。旋空でエスクードを斬り払って、ヴィエンドが接近して出水先輩に攻撃を仕掛けた。
刹那、大きく曲がったトマホークが彼女の背を貫こうとするが、ヴィエンドはトリオンを引き寄せる盾……ソーマを出現させてそれらを誘引して地面に投げた。だが、当たり切らなかった光線が地を抉って砂煙が起きる。
その煙幕を物ともせず、ヴィエンドは出水先輩の胴を両断した。ベイルアウト。彼女は太刀川さんの顔をしながら、俺のアステロイドを避けて、さらに旋空を振るう。だが、その目が自身の刃を追った。すなわち、当真先輩の狙撃で砕けた弧月の破片が躍動するのを。
拡張された斬撃がヴィエンドの後ろの騎士を斬り裂き、彼女の味方はゼロになっていた。それにしても、ずいぶん目が良い。普通に狙撃していても、この分なら防がれていたことだろう。
1秒以下である旋空の起動時間を正確に読んで発動して刃が伸びた状態の弧月を当真先輩は撃ち抜いたのである。ヴィエンドが来る前に彼を待機させておいた太刀川さんの策が当たった形でもあった。
だが、それでもヴィエンドは止まらない。弧月を振りかぶった彼女の姿はまさに鬼神。トリガーの特殊性、状況判断力、体捌き。どれも群を抜いている。しかし、歴戦の彼女であっても、俺のバイパーや当真先輩の狙撃を受けたように、知らない物には対処出来ない。
「なっ……」
彼女の胸を後ろからスコーピオンの刃が貫いていた。さっき、出水先輩がトマホークを撃ったのは土煙を立てるため。際立った火力は、土煙によって歌川がカメレオンを発動しても分からないようにするという撹乱の目的を見事に隠していた。
エスクードで射線を切ったのも、彼のトマホークによる攻撃を悟らせまいとしたようにヴィエンドには映ったはずだった。もしくは、当真先輩の狙撃でトドメを刺す動きに見えるよう、状況は整った。
だが、当真先輩の狙撃はヴィエンドの後ろから敵を排除するという目的のための行動だった。カメレオンは自身の姿を消すことが出来るが、けして無敵ではない。攻撃するときは姿を現さなくてはならないという制約がある以上、スコーピオンでヴィエンドを刺すためには、後顧の憂いは絶つ必要があるのだ。
ヴィエンドのトリオン体は崩壊し、彼女は老婆の姿に戻っていた。皺の寄った顔と海老のように曲がった腰からは、先ほどの戦闘で見せたキレは感じられない。俺はアサルトライフルを構え、歌川がスコーピオンを突き付ける。
「ぬしらの目的は何なんじゃ」
絞り出すように出た声に嘘は感じられない。本当に困惑しているのが窺えた。俺は歌川と目を合わせ、事情を説明することにした。最初から話し合えたら一番良いのだが、嘘を見抜くことが出来るような能力が無い以上、相手の優位に立ってからでないと、どうしようもない。
「湖を毒している者がいるんです。そのせいで、星神であるところのモナーク・ヒートハートが苦しんでいる。俺たちはそれを探りにここまでやって来たんですよ」
「なんじゃと。ワシをマティ湖……ひいては《天なる湖》を汚す賊徒扱いしておったのか!? む……そう言えば、シロッコから調査依頼が来ておったな。そういう意図があったとは。先に言ってくれれば……いや、ワシが聞く耳を持っていたかと言われたら別じゃな」
「協力してくれますか?」
「あぁ。実はもうひとりの北域のミスティオスである、ワシの孫がこの2週間ほど行方を眩ませている。ノエルは賢いが、けして強くはない。その謀略に噛んでおったとも考えにくい」
「分かりました。ノエル・ガンパウダーの捜索も含めて、いまここで東域と北域の同盟を決定します。よろしいですね?」
「ありがとう。ワシの部下もおぬしらは殺さなかった。とても感謝しておる。ぬしらのことはまだ分からんが、その姿勢を信じよう」
それからしばらく経って風間さんから通信があった。探査トリガーが調べた結果、マティ湖に毒は感知出来なかった。つまり、北域は完全にシロであることが確定したのだ。風間と菊地原を回収したあと、俺たちは遠征艇に戻った。
太刀川さんと出水先輩と手を合わせ、作戦の成功を祝う。ノエル・ガンパウダーが行方不明であることやヴィエンド・フルフレイムと協力を取り付けたことを報告する。
モナークの顔は青白く、おそらく雨による感知をする際は毒が込められた《天なる湖》に接続しなくてはならないことが原因だと思われた。
彼女の体調を考えて、俺たちは遠征艇内蔵のトリオンをすべて消費し、東域の宮城にゲートを使って移動した。モナークをベッドに寝かせたあとはシロッコに報告し、次の行き先である南域について話し合った。
南域のミスティオスたちは湖の調査依頼について承諾しているということだったので、風間さんは大規模な戦闘にはならないと判断。モナークの体調が例え回復していても、次は連れて行かないということでまとまった。
俺としても、その意見には賛成だった。モナークは気負いすぎて頑張り過ぎるところが妹に似ているように感じていたからだ。もし、兄弟姉妹の居ない者であっても、モナークを見れば同じことを思うだろう。
家族であってもそうでなくても、俺はこういうやつを守るためにボーダーに入ったんだ。相手がネイバーであっても、そんなことは関係無い。米粉で作ったというふわふわのパンを齧りながら、雨の降る夜は更けていくのだった。
ヴィエンド・フルフレイム(80)
北域のミスティオス。武人。
ヌメニア
新月の意。対象に変身し、周囲に存在する
トリガーを最大4つまで同時に再現可能。
ノエル・ガンパウダー(20)
北域のミスティオス。天才エンジニア。