架空国家遠征任務【完結】   作:ササキアンヨ

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書き足りないこともありましたが、これで終わり!


魂の灯火

 西域のケパレー湖に俺たちは降り立っていた。その周りには堅牢そうな砦が2つ。湖の前後を挟み、高い壁で隔てていた。

 事前に立てた作戦では、北域と同じくこれの撃破を最優先に考えていた。だが、いくら砦の屋根を破壊しようとも、1人の騎士すらも出て来なかったのである。

 

 不審な様子に俺たちは警戒レベルを引き上げていた。静けさの満ちたケパレー湖に改良した探査トリガーを投げると、高濃度のトリオンを感知。粘体型のトリガーであるようだ。これが毒として作用したのだろうか。

 

 西域のミスティオスたちが《天なる湖》を毒していた下手人で決まりだ。しかし、なぜ誰もいないのか。東域と俺たちが組んでいるという事実を掴んで逃亡した? いや、その程度の臆病さでここまで立ち回ることは難しいだろう。

 

 また、他の国のように遠征艇を作って既に〈ネウロン〉を出発している可能性もあったが、騎士を全員連れて行くことは出来ない。せいぜい10人までだ。砦が空になるとは考えにくい。

 

 すると、オペレートをしていた宇佐美が湖底付近に奇妙なトリオン反応を見つけた。俺はモナークと感覚を同調させ、湖の中を潜った。湖底には細長い杭のようなものが何かに刺さり、地面を貫いていた。

 

 それは死体だった。褐色の肌に流麗なる黄金のロングヘアが水の中を漂う。その目は閉じられており、開くことは二度と無いだろう。杭は心臓を貫いていたようだった。ケパレー湖の中には魚や鮫も生息していた。それなのに、この死体はなぜ綺麗なまま、ここにあるのか。

 

 死体を見たのは初めてだ。自分でも驚くほど、動揺は無かった。覚悟が出来ていたからだ。水の中で腐食が進んでいないのは、粘体型のトリガーの影響だろうか。

 

 ひとまず、この死体は陸に揚げなくてはならない。これが誰であるにせよ、いまの状況を皆で分析する必要がある。俺は杭を引き抜いて捨て、死体を背中に担いで水中を蹴る。

 

 宇佐美には通信で既に伝えていたせいか、皆は冷静であった。動揺していたのはモナークくらいのものだ。その理由も見当がついていた。

 

「これは、ノエルさま……!?」

 

「やはり、そうだったか」

 

 モナークは悲痛な表情を浮かべている。赤い髪を垂らせ、死体の前で膝をついた。親しくはなかったのだとしても、ノエルは〈ネウロン〉を代表するエンジニアだ。同じエンジニアとして、その喪失は計り知れない衝撃を彼女に与えたことだろう。

 この奇妙な事態をまとめるように真木が疑問を口にした。

 

『北域のミスティオスである彼女がなぜ西域で殺されているのか。普通に考えれば、謀殺されたんだろうけど、死体をわざわざ湖に沈めておく必要は無いでしょう。破壊して処分すれば、こうやって露見することもなかった』

 

「真木はどう考えている?」

 

『まだ情報が足らないわ』

 

「まぁ、そうだろうな。ノエル・ガンパウダーの死体はどうする? 衛生の問題を考えると遠征艇に乗せたくはない。この辺りに埋葬するにしても、死体を発見したというだけの報告で、北域との同盟条件が満たせるわけではない」

 

「わたくしが焼きます」

 

「証拠も無しに孫娘が死んだと言われて、引き下がれるのか? 遠征艇にある設備を使えば、画像記録を残すことぐらいなら可能だが、ヴィエンドがそれで納得するとは思えない」

 

「……大丈夫ですよ。わたくしの黒トリガー、メリッサは葬送の炎。〈ネウロン〉の戦士にとって、メリッサに焼かれて《天なる湖》に昇ることは最大の名誉とされるのです。ヴィエンドさまならご理解くださるでしょう」

 

「……分かった」

 

 俺はモナークの言う通りにすることにした。〈ネウロン〉の文化について、どうこう言うつもりは無い。モナークはボーダーのトリガー製であるトリオン体を解き、メリッサを起動する。

 

 赤い髪によく映える漆黒の鎧兜。胸の辺りは尖り、目のような意匠が存在した。黒い籠手をモナークが振るうと勢いよく火炎が噴き出た。死体を包む炎は嫌な匂いと共に煙を放つ。

 

 葬送の炎と言えど、死を覆い隠すことは出来ないのか。死体は醜悪なものだ。俺は三門市を襲った大規模第一次侵攻のときを思い出しそうになり、首を振る。

 

 モナークは気にしてはいないようだったが、死体を焼くという作業はいっそうグロテスクに映る。いつもは冷静な歌川ですら、目を逸らしているのが見えた。これが親しい人物であれば、耐えられないだろう。彼女が口にする祈りの文句でさえも、空々しく思えるほどだった。

 

 メリッサの炎はまあまあの火力を持っているらしく、3分くらいで死体は灰になってしまった。謎の気まずさを覚えている間に、葬送儀礼は終わったようだ。

 

 遠征艇を出発させる準備を行っていた頃、俺は会議室で死体の意味について考えていた。おにぎりを作ろうとしていた烏丸は太刀川と出水と当真にモニタールームにてゲームを教わっている。あれくらい不真面目である方が時には役に立つ。おにぎりが無いのは少し残念だが、烏丸は遠征艇の中でも働き過ぎだった。

 

 モナークは冬島さんに就いて遠征艇について学んでいるようだった。菊地原は布団の中に埋もれ、真木は長机の反対側で何かを考えているらしい。時折、こちらに目を向けて来た。宇佐美は隅で先ほどのトリオン反応をまだ調べている。

 

 トリガーの蒐集は上手く行っている。ボーダーに被害は無い。それなのに、この感覚は何だ。遠征任務とはこういったもの。俺たちが間違っているわけではない……はずだ。ゲームの大音量が遠征艇内に響いている。

 

「大丈夫ですか、風間さん」

 

「歌川か。あぁ、メリッサの炎を見て、嫌なことを思い出しただけだ。問題無い」

 

「それならいいんです」

 

「おまえが読んでいた〈ネウロン〉の歴史書、あれにメリッサの描写はあったのか?」

 

「ええ。地を這うような炎は触れたものすべてを灰塵に帰す……そんな風に書かれていましたね。だから、モナークが死体を焼いていたときは少し拍子抜けでしたね。もっと火力があるのだと思っていました」

 

「扱いやすさに特化しているのかもしれない。黒トリガーにも色んなタイプがある」

 

「ですね」

 

 歌川はさらに菊地原に声をかけに行った。俺は長机を静かに見つめる。兄の葬式を思い出していた。その亡骸は無く、葬儀場の火炎は空虚を燃やしていた。もし兄がボーダーの人間でなければ、骨を拾うことぐらいなら出来たのだろうか。

 

『てっきり話すのかと思いました』

 

 真木がコツコツと机を指で叩きながら内部通話を繋げてきた。〈ネウロン〉に来た理由のことだろう。遠征部隊のリーダーとして、俺と真木は他のメンバーよりも多くの情報を有している。緊急事態でもないのに、それを開示すると思われたとは、俺は死体を見たときずいぶんと情けない顔をしていたと見える。

 

『彼女はボーダーの人間じゃない。たとえ、俺たちのせいで死んだのだとしても、そこまで責任を負うつもりは無い。と、割り切ってはいる。真木は話せというのか?』

 

『それを決めるのはリーダーの仕事でしょう。これは副リーダーからの要請ではない。あなたの雰囲気が悪いと遠征艇自体がピリつくのよ』

 

『悪い』

 

『まぁ、話したとしても私たちが置かれている状況が好転するわけじゃない。だからと言って、悪化はしないでしょう。それもアリだということ。風間さんの決定に私は従うわ』

 

『分かっている』

 

 今回の遠征任務を率いるに辺り、俺と真木は城戸司令より指示を受けていた。それは訪れる国については自ら精査しろということだった。〈ネウロン〉の情報は最初の停泊地で収集したものだ。遠征艇に内蔵可能なトリオンには限界値があるため、いきなり遠くを目指すことは出来ない。

 

 そもそも城戸司令はなぜ、このような決定を下したのか。それは非常にシンプルな理由。ボーダーが有している国家の情報が少ないからだ。

 

 遠征任務は未知の技術を取り入れるためにある。既知の場所へ行っても結果はたかが知れている。莫大なコストを払う以上、それなりの見返りが無ければ遠征を行えなくなるかもしれない。だから、ひとつめの停泊地にて〈ネウロン〉の情報を得た。

 もちろん、いくつかの国家を選定する作業は皆で協力して行っている。そうでなければ、情報を集めることは出来ない。問題なのは……。

 

 俺は死体の顔を思い出す。俺は彼女を知っていた。ひとつめの停泊地で〈ネウロン〉について話してくれたのは他ならぬノエル・ガンパウダーであったからだ。だが、それは有り得ない。何故なら……。

 

 そこまで考えたとき、タイミングを見計ったかのように、宇佐美からの通信が警報と共に大きく鳴り響いた。

 

『シロッコより緊急入電! エニグマ・アッシュアイスが東域に攻めて来たって! しかも、相手は騎士だけじゃない。トリオン兵もいる!』

 

 それを聞いたモナークが声を上げる。

 

「いけない! 宮城の深くには母トリガーが安置してあります! ここを取られたら敗北は確定。シロッコたちが重点的に守っているでしょうが、いつまでも耐えていることは不可能です」

 

 いまは考えているときではないな。ゲームをしていた太刀川たちや、横になっていた菊地原が会議室に集合している。俺の命令を待たずして臨戦態勢を取る彼らの練度は高い。来ていないのは操縦桿を持つ冬島さんだけだ。

 

「どうします、風間さん?」

 

「大丈夫だ。防衛戦はお手の物だろう。こちらがホームであることを上手く使えば勝てる戦いだ。冬島さんの罠があちこちに仕掛けてあるはずだ。問題なのは、戦場には当然、大将首であるエニグマもいることが予想される点だろう。エニグマは黒トリガー使い。警戒して当たれ」

 

「エニグマは前線指揮官もやっているだろうから、すぐ見つかるはずです。母トリガーを抑えに行くのはエンジニアのアクシアでしょう」

 

「部隊を3つに分ける。モナークと烏丸は母トリガーの防衛、太刀川と出水と当真はトリオン兵と雑魚騎士を討伐。俺と菊地原と歌川でエニグマを倒す。そして、これからの戦いにおいて、殺人を許可する。殺さなければ死ぬのであれば、必ず殺せ。やつらの存在は東域の存亡に深く関わる」

 

「了解しました!」

 

「俺には宇佐美、太刀川には国近、鳥丸には真木がつけ! 冬島さん、現状の遠征艇内部のトリオンで東域に飛べますか?」

 

『宮城付近は危険だよな。一番最初に飛んだ森林にワープ可能だ。それでいいか?』

 

「お願いします」

 

 降り止まない雨の中、重力に引っ張られる感覚に耐えながら、遠征艇は空間を渡る。瞬間移動が出来るわけでもないので、すぐには着かない。シロッコが時間を稼いでくれていると助かるのだが。

 

 皆は席に着いて、東域が提供してくれたデータを見ている。予定では黒トリガー使いのエニグマ・アッシュアイスと当たるのは俺と歌川と菊地原のみ。だが、作戦通りに行くとは限らないので、敵の動きを頭に入れておくのは大切なことだった。

 

「それにしても、狙ったようなタイミングだよなぁ。まるで、俺たちが東域を離れたことを知っていたみたいだ」

 

「情報が漏れていたんだろう。スパイを何人か東域に置いておけば済むだけの話だ。〈ネウロン〉以外の組織が来ていることなど遠征艇を見れば想像がつく。俺たちが遠征艇に乗り込めば、あとは西域に行くしかないことなんて、すぐに分かることだ」

 

『もう着くぜ』

 

「了解。着陸したら、作戦を開始する」

 

 冬島さんのアナウンスに答えつつ、俺は太刀川の鋭さに舌を巻く。本当にこいつはただの馬鹿じゃない。俺の言葉に半分くらい納得の行っていない感じの表情をしているが、それを口に出さない賢明さもある。

 

 もし、知識さえ身に付いていれば、ボーダー随一の策士にでもなれただろう。情報が漏れていたと言うのは簡単だ。だが、俺たちが北域と南域は既に踏破したということを知っているのは限られた者だけだ。

 

 宮城で働く騎士やメイドたちは俺たちが外から来た人間であると判断出来るだろう。だが、その目的までは分からない。最初に捕らえた精鋭たる騎士のエッカルトたちですら、各域に訪れる順番までは知らないのだ。

 

 どこから情報が漏れたのか? それをいまは探らないと決めた俺の考えに太刀川は少なくとも今は同意したということだ。

 

 僅かな衝撃が体に走る。東域の森に着いたのだ。俺たちは立ち上がり、遠征艇を出発する。激しい雨だった。地面は泥濘み、視界は曇っていた。走りにくさを覚えながら、森を進む。

 町に出ると宮城がある方向の空が赤く染まっているのが見えた。建物に火が付けられているのだろう。これだけの雨なので、広範囲に燃え広がることはないだろうが、急がなくてはならない。

 

『トリオン反応、多数確認。100メートル先に巨大なトリオン反応。黒トリガーだね』

 

『よし、分かれるぞ!』

 

『罠を励起しておくぜ』

 

 太刀川を先頭に出水と当真が右へ走っていく。烏丸とモナークは宮城の方向に向かう。俺と菊地原と歌川は宇佐美のオペレートを頼りにトリオン反応へ近付いてゆく。足を進めるたびに、騎士の死体が増えた。鎧を身に付けていない者がほとんどだ。急襲されたからだろう。

 

 中には一般市民だと思われる亡骸もあった。男、女、子供、老人。死に貴賎は無い。あらゆる者に平等に訪れるのが、死というものだった。その光景はいつかの三門市に似ていた。

 

「ヒャハハハッ!」

 

 耳障りな甲高い声が聞こえる。家々を斬り払い、近付く騎士たちを薙ぎ払う蛇腹剣を持つ女。燻んだ緑色のポニーテールは雨に濡れて妖しく光っている。西域のミスティオス、エニグマ・アッシュアイスに他ならなかった。

 

 歌川と菊地原がカメレオンを起動し、俺はスコーピオンを展開して、エニグマに接近する。彼女はすぐさまメーテールの刃を広げて、迎撃してきた。スコーピオンは耐久力が低いため、受けるのは得策ではない。

 

 シールドで威力を減衰させてから、バックステップ。エニグマは伸びた剣を引きながら打ち払い、広範囲に斬撃をもたらす。下がりすぎると歌川と菊地原が攻めるタイミングが合わなくなるため、俺は素早く伏せた。

 

 わざとスコーピオンを大きく振ってこちらに意識を向けさせる。エニグマの猛禽類のような鋭い目が俺を捉えた瞬間、歌川と菊地原が姿を現し、スコーピオンで両断するように脇腹を斬ろうとする。だが、エニグマの反応はあまりにも速かった。刃が触れる刹那、メーテールから手を離して歌川と菊地原の腕を掴んだのだ。

 

 そのまま2人は前に投げられる。彼女が再びメーテールを手に取ろうとすることは分かったのでシールドを飛ばして、その間を塞ぐ。綺麗に受け身を取った歌川はすぐさまメテオラを放ち、エニグマの視界を遮った。菊地原は地面に転がったが、シールドを張っていたので防御は充分だ。

 

「ヒャハハ、ハ、いまので殺れないとはやるじゃないか。不意を突こうとしたやつの不意を突くのがアタイの趣味なんだ」

 

「悪趣味だな」

 

「さっきのは良い連携だったさ。決まっていればな。さぁ、もう一回来なよ。ヒャハ!」

 

 カメレオンが初見で通じないことはある。姿が見えなくても、トリオン反応や音や振動に敏感であれば封殺することは可能だ。問題はうちの菊地原のようにエニグマがサイドエフェクトを持っているから通じなかったのか、そうではないのか。

 

 スパイが俺たちのトリガーの情報を流した可能性はあった。だが、カメレオンを披露したのは北域のミスティオス、ヴィエンドにのみ。ここから遠く離れた場所にいて、湖を毒すことに忌避感を抱き、行方不明になった孫娘を探したい彼女が俺たちを裏切るだろうか?

 

 俺はカメレオンを起動し、エニグマの視界から消えたあと、ショートワープを踏んだ。そして、あえて後ろからではなく、横から彼女の腕に手を伸ばす。スコーピオンを使うとカメレオンが解けてしまうためだ。だが、その状態でもエニグマはこちらに向き直り、メーテールを振るった。

 

「意味の無い攻撃だねぇ」

 

 俺はシールドを集中させて、なんとか攻撃を捌く。攻撃に意味は無かったが、全く無意味というわけではなかった。情報が漏れたわけではない。カメレオンを彼女は雨によって見破ったのだ。雨は激しく降り注いでいる。ここの地面は石造りで泥濘むことはない。だが、何も無い空間が雨を弾いていれば、そこに何かがいるということは分かるだろう。

 

 こうなることを予測出来なかった俺のミスだ。当然考えられたことであったのに。俺は通信でふたりにカメレオンを使わないよう命令する。せめて、屋内に持ち込めば可能性はあるが、この辺りの建物は目の前の女が斬り倒している。

 

『太刀川、こちらは劣勢だ。あと、どれくらいで来られる?』

 

『国近、俺の近くにいる敵の数、教えてあげて。あと、念のため最短ルートも』

 

『ええと、モールモッドが40、バンダーが20、騎士が60くらいかな。今の位置からだと、太刀川さんが一番近い。ルート出しとくよ』

 

『つうわけで、援護に行くのはキツいな。ひとりひとりの練度は大したことない。騎士も強くてB級上位クラス。弱ければC級だ。だが、他が出水と当真だろ? あいつらに前衛は務まらないからなぁ』

 

 烏丸をモナークと行かせたのは間違いだったか。モナークとシロッコが宮城内で合流出来たとしても東域の騎士たちは大半が既に死亡しているだろう。今からでも烏丸をこっちに来させるか? いや、それで母トリガーが陥落することはあってはならない。

 

『出来るだけ急げ』

 

 俺は現状の戦力でエニグマと戦い切ることを決意していた。歌川は下がり気味でメテオラを放ち、牽制。俺は菊地原と共にスコーピオンを振るう。手前に握った刃を外したと見せかけて、腕から生やすブランチブレード。菊地原は爪先からスコーピオンを生やしてローキック。

 

 エニグマは高く跳び、それに合わせてメーテールが高波のように襲いくる。普通のシールドだとやはり防御出来ない。集中シールドで減衰するのでやっとだ。

 

『なんかおかしくないですか』

 

『どうした?』

 

『こいつの剣、記録で見たときよりも射程が短いような気がします』

 

『蛇腹剣という性質上、この剣は伸び切るか縮み切るか、どちらかしか出来ない。射程を加減することは不可能だ』

 

『何か仕掛けがありますね』

 

『モナーク、聞こえているな? トリオン感覚を同調させるぞ』

 

『はい!』

 

『ぼくのサイドエフェクトじゃダメなんですか? いま警戒しているのは、あの蛇腹剣が刃節をどこかに飛ばしていて、それがこちらに攻撃を仕掛けてくる可能性ですよね?』

 

『ダメだ。雨があまりにもうるさい。雨音をノイズキャンセリングすると、必要な音まで消されかねない』

 

『分かりましたよ』

 

 神経が隅々まで行き渡るような感覚を覚える。雨粒がトリガーに当たると、僅かな歪みが起きる。俺はそれを感知していた。その中でも登録済みの反応を宇佐美が消し去ってゆく。後方、斜め14メートル。崩れた家の軒先部分。

 

 俺は伏せていた。刃節が輝き、メーテールの刀身に光線が繋がっている。さらに、前方、斜め9メートル。砕かれた壁の中。刃節がクルクルと回りながら、メーテールに向かって光線を出していた。

 

「あン? 何しやがったテメェら。今の躱すとかありえねぇんだが。メーテールの情報はアタイしか知らねえはず。どうして避けられた?」

 

「なぜ、教えなくてはならない?」

 

「ちっ、不意打ちを避けられると傷付くぜ。でもな、アタイのメーテールは外しても使える」

 

 メーテールに黒い蛇のような靄が絡みつき、刃節が砕けた。繋がっていた光線が地面に垂れる。俺はその場に倒れていた。光線が爆散して、俺の体に靄のように絡み付いて束縛しているのだ。これがデータにあった力か。

 

 だが、俺の部下の反応は早かった。歌川は地面をメテオラで完全粉砕し、靄を爆風で飛ばした。菊地原はメテオラ自体の破壊力に俺を巻き込まないようにシールドを張った。まさに阿吽の呼吸だ。

 

 ただの蛇腹剣であれば、近接戦闘に持ち込まれた時点で負けになる。刃を伸ばしている間に懐に入り込まれたら、刃を畳みきれずに攻撃を受けてしまう。

 この能力が分かった今ではエニグマ相手に接近戦を持ち込むのは避けたい。何故なら、メーテールには30の刃節がある。接近戦を仕掛けている最中に、体が動かなくなれば負ける。砕けている以上、30以上の弾は無いだろうが、単純な身体能力も高いエニグマを相手にどこまでやれるか。

 

『こちら、烏丸。シロッコと合流しました。母トリガーも無事のようです』

 

『シロッコはどんな調子だ』

 

『重症です。こっちにも敵が大勢来ているのでそちらの救援は向かえません!』

 

『そうか。健闘を祈る』

 

「さて、第二ラウンドと行こうか」

 

「ヒャハハ、無駄なのにさ」

 

 俺はモナークとの感覚同調を切り、シンプルになった感覚を頼りにスコーピオンで突く。裏を取るような動きで菊地原がスコーピオンで切り払う。エニグマは地面を容易く貫通して蛇のような動きで刃を振るう。

 

 俺たちはこれまで一撃たりとも、エニグマに攻撃を当てていない。軽装鎧だとは言え、体に重りが付いている状態でここまで動く。俺はシロッコを攻撃したときの記録を思い返していた。あのときは太刀川の旋空弧月で倒したようだが、いまの戦力ではそれを使える者はいない。

 

 風間隊は強いが、けして爆発力のあるチームではない。コツコツとした連携と敵のステルス作戦を菊地原の耳で封殺していく戦型だ。

 エニグマとはハッキリ言って相性が悪い。モナークの感覚同調が無ければ刃節の攻撃も避けることは出来なかっただろう。

 

 幾度かの打ち合いで俺は左手を、歌川は右腕を、菊地原は左足を失っていた。黒い煙が体の中から抜けていく。単純な剣の腕も立つようだ。

 

「ヒャハハ、ハ、これで終わりか。久々に楽しめたぜぇ! でもまあ、あんたが後ろのガキを殺すなら投降を許してやってもいいぜ?」

 

「断る。そして、負けはおまえの方だ」

 

「ヒャハハ……は?」

 

 燻んだ緑色のポニーテールが雨風に揺れている。その額の真ん中には穴が空いていた。最短ルートから、ここまでやって来た当真の狙撃が決まったのだ。

 

 説明する必要は無い。距離を詰めたくないのならば、遠距離から攻撃してやればいいだけ。だが、エニグマは何が起こっているか分からないような顔をしている。〈ネウロン〉にスナイパーのようなポジションは存在しない。だからこそ、自身の射程外から攻撃されるとは思ってもみなかったようだ。

 トリオン体は崩壊。俺はスコーピオンを首元に付ける。

 

「嘘だろ、話が、違うじゃねぇかぁ!!」

 

「知るか」

 

 俺はスコーピオンでエニグマの首を斬り落とす。山ほどの死体を見てきた。僅かな間であったが住んでいた町の住民の多くが殺された。家々が破壊されていたおかげで射線も通ったのだが、この有り様はけしてエニグマのせいだっただけではない。……俺はどうするべきだ?

 

 宮城を行くと怪我をしている騎士たちが地面に横になる中、黄金の鎧のあちこちが砕けた立派な武者が座っている。顔面は完全に露出し、あちこちから血が流れていた。もう長くはない。俺は彼の手を掴む。手からは徐々に温度が奪われていった。

 

「この鎧を、クルサリーダをボーダーに譲る。あの子を……あの子を……頼む」

 

「分かった」

 

 そうして、東域のミスティオス、シロッコ・バーンフィールドは目を永遠に閉じたのだった。そして、磔になっている太った男。アクシア・ファイアタンクだろう。騎士たちは怒気を隠すことなく、死体に向けて叫んでいた。

 

 これにてボーダーの戦いは終わった。鎧のトリガーであるクルサリーダ、ヴィエンドのトリガーであるヌメニアと12個もの汎用トリガー。最高の成果と言っても過言はあるまい。

 

 

 次の日。町の復興まで手伝い切ることは出来ないため、俺たちは三門市に帰還する準備をしていた。遠征艇が出発する直前、俺はモナークを呼び出した。彼女は疲れた顔をしながらも、活発に喋る。それを切るように俺は彼女に声をかける。

 

「なぁ、モナーク」

 

「何ですか?」

 

「いつまで嘘をつき続けるんだ? おまえはノエル・ガンパウダーなんだろう」

 

「……いったい何をおっしゃっているんですか。ノエルさまは死にました。その死体だって、カザマさんは見ているじゃないですか」

 

「あれはノエル・ガンパウダーじゃない。しかし、少女はノエル・ガンパウダーと名乗り、俺に〈ネウロン〉ならば、技術開発に打ってつけだと話してきた。彼女はボーダーの遠征部隊を〈ネウロン〉に派遣するため、ボーダーがよく利用する停泊地にいた。しかし、彼女はどうやって、〈ネウロン〉の外に出たのか。〈ネウロン〉は他国への侵略は行わない。だから、遠征艇を保有していない。トップエンジニアであるリシュリキアスが俺たちの無骨な遠征艇にひどく感心していたし、その辺りは伝わった」

 

「だとしたら、ますます彼女はノエルさまじゃないですか? ひとりで遠征艇を作るなど彼女には造作もありません」

 

「ヴィエンドは2週間前に行方不明になったと言っていた。なるほど、俺たちと彼女が接触したのはそれくらいだ。だが、それ以降ノエルは北域に帰らなければおかしい。彼女は何故か西域の湖の底で発見された」

 

「間違いなくノエルさまですよ。カザマさんもそうだとおっしゃったじゃないですか」

 

「そうだな。東域から提出されたデータの中に彼女の顔があったからな。だが、そんなものいくらでも改竄出来る。提出したおまえらの匙加減でな」

 

「言いがかりですよ」

 

「おまえの顔を知っているはずのリシュリキアスと会うわけにはいかなかった。だから、仮病を使ったんだろう。おまえをモナーク・ヒートハートだと呼んでいるのはシロッコと自分の部下だけだ。もっとも、シロッコは抵抗したみたいだな。歌川に建国神話の本を託していた」

 

「それがなんだって言うんです」

 

「東域と言えば《炎の眼》。おまえが発動したトリガーは黒トリガーにしては火力も低かったし、トリオン反応も普通だった。だが、まるで建国神話をなぞったかのような外見だった。おまえは外見と能力でその鎧がメリッサだと俺たちに思い込ませようとした」

 

「仮に……仮にわたくしがモナーク・ヒートハートではないとして、雨の力についてはどう説明するんです!? トリオン感知は間違いなく出来ていたでしょう」

 

「サイドエフェクトがあるんだろう。特に俺なんかはおまえと同調した身だ。似たような経験があるので、すぐ分かった」

 

「わたくしは何のためにそんなことを? 民衆は死に、宮城は破壊され、人々が住まう家は崩壊しました。シロッコだって、死にました。わたくしに何のメリットがあるっていうの?」

 

「エニグマは話が違う、と言っていたぞ。おまえはエニグマとアクシア、モナークとシロッコに〈ネウロン〉を統一しようと声をかけたんだろう。おまえは呼び出しておいたボーダーの戦力を持って、北域を無力化。ボーダーの矛先が東域に向かないように、西域の戦力で攻めさせた。ミスティオスは暴れてもよいが、ほどほどのところでボーダーが撤退に追い込む。そういう作戦だったか」

 

「あの死体は誰だったんですか?」

 

「あれこそがモナーク・ヒートハートさ。星神である彼女を殺し、西域の湖で発見されたら、間違いなく西域が犯人になる。さらに、そこで汚染の情報まであれば、ヴィエンドは激怒して西域を壊滅に追い込む。その頃には北域も疲弊しているはずだ。いい作戦だ」

 

「わたくしの目的はすべて達せられました。ここまで来れば分かっているんでしょう?」

 

「モナークを殺した時点で後は無い。〈ネウロン〉は滅びる運命にある。歌川」

 

「はい」

 

 歌川が取り出したのは古ぼけた杖であった。

 

「これは西域にあったという黒トリガー、《魂の杖》これが俺たちの遠征艇に積荷として載せられていた。おまえは〈ネウロン〉のことになど眼中に無い。開発が得意な天才エンジニアともなれば、自身の国で開発されるトリガーには限界があると悟った。おまえがやったのはボーダーを使った遠回りの自殺だ」

 

「ふっふっ、そこまでバレていましたか」

 

「おまえはこの杖を使う者がいつかボーダーにも現れるだろうと期待をかけた。正確に言えば、この杖でおまえを呼び出し、おまえはトリガーテクノロジーを進化させた俺たちを見る」

 

 俺はその杖を歌川に渡して、奥に下がらせた。遠征艇に積まれた黒トリガーはそれだけではない。蛇腹剣型のメーテールもある。

 

「こいつは高い勉強料として貰っておく」

 

「それはありがたい」

 

「俺たちは侵略するために〈ネウロン〉へ来たわけではない。だが、その温い考えが結果的に侵略に繋がった。罪の無い者たちが死んだ。俺はまだまだ甘かったようだ」

 

「でも、その甘い考え、わたくし嫌いじゃありません。あなたはあなたらしく、これからもお元気で」

 

 そうやってノエル・ガンパウダーは、手を振った。雨に濡れながらもその表情は晴れやかであった。遠征艇は滅びゆく国家を離れてゆく。

 

 俺が今回の件のカラクリに気付き始めたのは西域で発見したモナークの死体が原因だった。真木の言う通り、あれを湖に沈めておく理由は本来無い。ノエルは何をしようとしたのか?

 その答えは簡単だ。あいつは俺たちに気付いてほしかったのだろう。この謀略の果てに〈ネウロン〉が滅びることを。ボーダーがここを訪れたせいで多くの者が死んだと思ってほしくなかったのだ。実に甘い。

 

 こっそり載せられていた《魂の杖》の真意までは見抜かれたくなかったかもしれないが。

 

 ならば、俺はそれを汲み取ってやらねばならない。長机の前に座っているメンバーの中にボーダー隊員でない者がひとり。リシュリキアス・ホットコールド。

 

 彼のような前途ある子供が死んでいいはずはなかった。ジェイル・スパークには乗船を断られてしまった。彼はニコニコと笑いながらも、〈ネウロン〉と共に死ぬことを選んだ。武人らしい最期だ。

 

 リシュリキアスは神妙な面持ちで今回の件の説明を受けると、最初はひどく落胆していたが、すぐに立ち直り、手に入れたトリガーを元に冬島さんと新たなトリガー開発談義に花を咲かせていた。それが空元気だと皆が察していた。

 

 俺たちは繋げてゆく。未来に。より良い未来に。たとえそれが暗澹たる道に繋がっていようとも最後まで足掻くのだ。次の遠征任務のために。次の技術を開発するために。三門市を守るために、戦うのである。




エニグマ・アッシュアイス(25)
西域のミスティオス。黒トリガー、メーテールを使う。

メーテール
母の意。刀身を構成する節を飛ばし、その節を破壊することで
触れたものに絡み付いてその場に束縛する光線を撃ち出す。
その射程はおよそ40メートル。刃自体の攻撃力も高い。

アクシア・ファイアタンク(42)
西域のミスティオス。エンジニア。

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