街の公園。
平和で、いつも通りの日常。
笑顔であふれた世界は一瞬で、唐突に奪われた。
突如現れたガストレア、そのたった一匹に人々は蹂躙された。
おそらく熊に類するガストレア。
三メートル以上ある巨体は、大きくな口を開け。
ナイフより鋭い牙で、人間の体を噛み、引き裂き、食べていく。
血吹雪が舞う。
そのたび、悲鳴が、絶叫が、公園内に響きわたる。
命が奪われていく。
誰もが叫び声を上げて、押し合いながら一歩でも遠くに逃げようと走りだす。
倒れた老婆を踏みつけ、泣き叫び子供を突飛ばし、自分のことしか考えない。
いや、考えられない。
「しず……く」
そんな地獄のような場所で、地面に横たわった少年は、か細い声で呟いた。
年齢は七歳ほど。
無論、こんな状況で好きこのんで地面にキスしているわけではない。
動こうにも、動けないのだ。
出会いがしらに奪われた右腕からは命の雫が溢れ。身体中は傷だらけの状態。
顔は蒼白になり、死相が浮かんでいる。生きているのが不思議ほどだ。
「し……ずく」
少年はぼやける視線で周辺を確認していく。
至る場所で血の海が広がり、ついさっきまで人間だった肉塊が無造作にばら蒔かれている。
ガストレアだけが自由気ままに動いている。
「良かっ……た。しずくは……逃げら…れた……んだな。」
少年は安堵の息を洩らした。
雫(しずく)。一歳年下の少年の妹。
気弱で、泣き虫で、甘えん坊で、いつも少年の後ろについてきた。
両親がいない、少年のたった一人の大切な大切な家族。
妹を逃がす為に命を犠牲にしたが、少年は一ミリも後悔などしていない。
むしろ誇らしくさえあった。
辺りに野太い咆哮が響きわたる。
周囲に食べ物がなくなったのか、ガストレアが最後に残った少年の元に向かって歩きだした。
「おか…さん……とうさ……、いま僕も。」
近づく死の気配に少年は覚悟を決め、そっと目蓋を閉じる。
ガストレアが少年の前で止まる。
「……………?」
だが、何時までも訪れない「死」に少年は眼をあけた。
「はっ?」
少年は眼を見開いて絶句した。
悪い夢でも見ているかのようだった。一人の少女が少年の立っていた。
風になびく腰まである黒髪、小さな背丈。白く清楚なワンピース。
少年が驚いた理由は簡単だった。その後ろ姿を知っていたからである。
「しずく?」
家族で、大切な妹の名を呼んだ。
少年を庇うかのように両手を広げていたのは少女は、妹の雫だった。
「なにやってんだ、逃げろ早く!!」
痛みを忘れたかのように叫ぶ。
逃げた筈の妹がなぜこの場所にいるかはわからない。だが、目の前にガストレアがいる以上、一秒でも早く逃げなければ殺される。
「逃げろと」叫ぶ少年に、
「大丈夫。」
少女は前に顔を向けたまま言う。
「兄さんは私が守るから。」
妹が何を言っているのか、少年は理解できなかった。
ただ分かるっていることは、このままでは二人ともガストレアに殺されてしまうことだけ。
なぜなら、ガストレアは人間の体より大きく、鋭利な爪を振り上げていた。
「や、やめ、」
少年は悲鳴のような声をあげた。
間に合わない。少年は無駄だとわかっていながらも、残った左腕を妹に向かって伸ばした。
「兄さん、」
少女は僅かに貌を横に向ける。
「大好き。」
とびっきりの微笑みをつくる。
見た人すべてが心を奪われる、最高の笑顔。
ーーそんな貌をしたまま、妹の上半身が横にずれた。
ガストレアの一撃が少女の体を真横に切り裂いのだ。
上半身が地面に落ちる。一拍置いて、下半身も糸が切れた人形のように崩れた。
少女の血が噴水の如く溢れ、周囲を赤く、紅く、染め上げていく。
ゆるさない
「あ、ああ、あう、う」
少年の口から声にならない言葉がもれていく。
左手で必死に這いずり、妹の頬に触れた。温かなぬくもりが、急速に冷えていく。
命が消えていく。
「あ」
もう二度と戻らないぬくもり。
妹の笑顔が、妹の困り顔が、妹の泣き顔が、色々な記憶が、映像が、少年の頭を駆け巡る。
大切な存在。だが、不思議と悲しくて涙は出ない。
「------!!」
逆に、言葉にならないほどの怒りが体の底から沸き上がる。
ゆるさないゆるさないゆるさない
少年は血走った瞳で睨みつけると、ガストレアは再び腕を振り上げた。
ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない
こいつに、ガストレアになんか負けたくない。
ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない!!!!!!!!!!!!!!!!!!
爪が振り落とされる。
「殺してやる。」
と。頭を埋め尽くした怒りが憎悪に変わり、少年は無意識にその言葉を口にした。
同時に少年の中にある「何が」が音をたてて砕け散る。
『力がほしいか?』
体の内から声が響いた。
「力が欲しいか?」
自身の中に何がいる。「それ」がなんなのか、今の少年にはわからない。
しかし、少年にはそんな些細な疑問は関係ない。その答えは決まっているからだ。
「頼む!力をくれ!力を!!この化物を駆逐する力を、俺にくれ!!!!!!!!」
空に向かって少年は咆哮する。
身体に満ちた憎悪を吐き出すかのように。
世界のすべてを憎悪の海に沈めるかのように。
少年の答えに満足したのか、「それ」はニヤリと邪悪に笑う。
『力がほしいのなら………くれてやる!!!!!』
振り落とされる爪。
本来なら動ける筈もない身体、だか少年は横に転がり、寸前で回避。
素早く体勢を整え、「再生」した右手でガストレアを殴りつけた。
子供の拳。全力で殴ろうがガストレアにはなんのダメージもならない………。
が、結果は違う。
少年の右手はガストレアの胴体を、やすやすと貫いた。
「ガアアアァァァァァァーー!!」
予想外の反撃と痛み。
暴れるガストレアから離れようと、腕を引き抜く。
「っ!!」
それより早く、偶然に当たった爪に少年はゴミのように吹き飛ばされ、植えてあった大木に背中を打ち付ける。
息がつまり、肋骨が折れるーーしかし、少年には関係ない。
すぐさま立てあがり走りだした。
凄まじさい勢いで振り回される爪を掻い潜り、肉薄。
スレ違い様に右手で胴体を深々とひき裂いていく。
大量の液体が溢れ、絶叫があがる。
少年は安全な距離まで走り抜けると、もう一度ガストレアに突撃する。
引き裂く 引き裂く 引き裂く 引き裂く 引き裂く
頭部、胴体、脚に次々に傷が生まれ、ガストレアの動きが徐々に遅くなっていきーーついには地に伏せた。
「はあっ、はあっ、はあっ」
動けないガストレアを正面から見下ろし、少年は右手を天高く振り上げ。
「死ね。」
吐き捨てるように呟き、鉄槌を堕とした。
ガストレアの頭部が高所から落ちたトマトのように潰れ、周囲に、少年の顔に、血が飛び散る。
手足をピクピクと痙攣させていたが、数秒で力が抜ける。
死んだ。
だが、少年は拳を止めない。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
殴り続け。頭部が無くなり、肉塊になってようやく止まる。
「やった、やったぞ。」
死んだガストレアを見下しながら、少年はニヤリと笑った。
そこに少年らしさなど微塵もない。
悪魔のような邪悪な貌だった。
「駆逐してやるぞ、一匹残らず。俺の「力」でな!」
生まれ変わった右手を握りしめて誓う。
その時、産まれたのだ。すべてを滅ぼす破壊の魔獣が。