最近はあったかくなってきたかと思ったがそんなことは一切なかったある日。世の中はバレンタインだなんだと若干浮かれている気がしないでもないが、うちは年中無休
「うぅ……さっむ」
時刻は午前9時、本来ならもう仕事を開始する時間なのだが最近は寒い日が続いていることもあって中々布団からでることが出来ない。それもこれも全部布団の魔力が問題なわけだが……でもそろそろとりあえず仕事の準備は――
などと布団の中で思考を巡らせていると、事務所のドアが思いっきり叩かれる。もしも依頼人だとしたらかなり急ぎの依頼なのだろう。今の服装は幸い上はTシャツに下はジャージ。もちろん上着もジャージなのだがそこをパーカーか何かに変えれば多少はマシに見えるだろう
「はーい、こんな朝早くからどういったご用件で――」
「ようやく開けたな要!早く入れてくれ!」
「あはは……お、おはようございます、要さん」
「球子に杏か」
よくウチの事務所にやって来る二人だが今日は普通に平日じゃなかったか?
「二人とも、今日は仕事じゃなかったのか?」
「それなら心配するな!今日はタマも杏もオフだからな!」
「成る程、それでわざわざウチで暇を潰しに来たって訳か?」
「それもあるが今日のタマはあくまでも杏の付き添いだ」
「付き添い?」
「はい、実は要さんにお願いしたいことがあって」
そこまで言うと杏が取り出したのは紙の束、これってもしかしなくても原稿か
「この原稿が俺に頼みたいことか?」
「いえ、そうじゃないんですけどそうみたいな……実は――」
そう言うと杏は俺への頼みを話し始める
「私、仕事の合間って訳じゃないんですけど……暇な時間を使って小説を書いてみることにしたんです」
「小説か、確かによく本読んでたもんな」
「はい、それである程度の所までは書けたんですけど少し展開に詰っちゃって」
「成る程、じゃあ俺がネタ出しに協力をすればいいわけだ」
「いえ、これからの展開は決まってるので」
じゃあ一体に何に協力をすればいいんだこれは、というか完全にネタ出しに協力をする流れだっただろう完全になんかすんごい恥ずかしくなってきたんだが――
「おっ!杏、要のヤツ赤くなってるぞ!」
「えっ、ホントだ」
「珍しいな!写真撮ろう写真」
「タマ……お前なぁ!」
何というか、最初はこういう間柄じゃなかった筈なのに時の流れってのは恐ろしいもんでこういうことをしても何ら違和感がなくなってきたな。まぁそれはそれとして写真を撮りやがったタマを許しておくことは出来ない。とっつ構えて写真を消させなければ
「待てぇ土居球子ぉ!」
「待てと言われて待つ奴はいなぁい!」
「…………っ!!!!」
俺とタマが追いかけっこを始めてから杏の方に少し視線を向けると何かに満ち溢れたような表情でメモ帳に文字を書き始めた……恐らくネタが思いついたから書いているのだろうがこんなのを書いたところでネタに繋がるとは思わないんだが――
「――っと捕まえたぞタマ!大人しく写真を消せ!」
「わかった!消すから放せぇ!」
首根っこをとっつ構えて猫を掴むようにしながら写真を消すように促す、スマホを操作したタマがしっかりと写真を消したことを確認した……よし
「消した消した!これで良いんだろ!?」
「確かに消したな……それはそれとして――成敗ッ!」
暴力反対だのなんだの言っているがこちとらこいつらと一緒に戦ってきたんだ、ちょっとしたことじゃくたびれないのは嫌と言う程に知っている……と、そんなことをしていると事務所の扉が開く音が聞こえてきた
「……あなた達、何をしているの?」
扉を開いた先にいたのは厚手のコートに身を包んだ千景……彼女は今の状況が理解できていないようで困惑したように俺達を見つめていた
「成る程、この写真はそう言うことだったのね」
事の経緯を聞いた千景は納得したように首を縦に振るとスマホの画面を俺達に見せてきた。そこに映っているのは赤面した俺の写真……
「……タマ、テメェ消す前にグループに写真送りやがったな?」
「ふっふっふ、タマは策士だからな」
「この野郎……」
「あなた達、言い争うのも良いけど本来の目的を忘れているんじゃないかしら?」
っと、そうだった。本来の目的は杏が詰まっているという展開の解消……で良いんだよな?
「そうだった……というか千景は何でウチに?」
「私も伊予島さんに呼ばれたのよ。今日は特に予定も入っていなかったし」
「成る程……千景も呼んだって事は残りの三人も来るのか?」
「いいえ、若葉さん達は今日もお仕事なので。私が呼んだのはこれで全員です」
そう言うと杏は立ち上がってコホンとわざとらしい咳をすると俺たちの方を真っすぐ見る
「今日皆さんを集めさせていただいたのは他でもありません、皆さんの意見を聞かせていただくためです!」
「「意見?」」
「はい!次の展開は決まってるんですけどそれはそれとしてキャラクターの心情がいまいちわかってない所があったので、実演をしたうえで皆さんの意見をお聞きしたいんです」
成る程、そう言うことだったのか
「それで、俺たちは何をすればいいんだ?」
「それは……壁ドンです!」
その瞬間、時間が止まった――――
「壁ドンです!」
「いや二回言わなくても聞こえてるから」
「……急用が出来たわ」
「逃がしませんよ千景さん!」
そこからどうなったのかは……正直言いたくないが、結論として俺たちは杏のネタ出し……改め壁ドン実演会をすることになった
「それで、俺がすればいいんだな?」
「はい、こういうのは異性の方が効果的だと思うので」
わかってはいたがメモ係とかではなく普通に俺が壁ドンをする側というわけだ……さてと、こうなったからには早急に終わらせよう
「それで、誰からする?」
「……私からお願い」
「良いのか?」
「えぇ、こういうのは早く終われるに限るから」
一番最初に立候補した千景はそう言うとそそくさと事務所の壁まで歩いて行った……仕方ない。腹をくくって俺も壁――というか壁の前に立つ千景の前にやって来る。こうしてみると、すんごい華奢だな
「それじゃあ、やるぞ」
「えぇ、早くお願い」
さて、とは言ったものの千景の事を考えるとあまりガッツリやるのはどうなんだろうなって感じはする。多分あんま強引な感じじゃなくて優しい感じの方がいいよな……いやでも優しい壁ドンってどうすればいいんだ?というかなんか今になってすんごい恥ずかしくなってきたんだが――
「――そりゃ」
いつの間にか後ろにやってきていたタマに背中を押された俺は体勢を崩して千景に向かって真っすぐ倒れこむ。咄嗟に壁に手をついて衝突することなく終わったが一歩間違えたら普通に事故になってたぞ
「大丈夫か、千景――ッ!?」
「えぇ、問題ない――――ッ!?」
こうなって気が付いたのが千景も若干体勢を崩していたのか気が付けば俺の眼前に千景の顔があった
「…………」
「は、早くどいてくれると……助かるんだけど……」
「す、すまん」
俺が千景の前から退くと彼女はまっすぐ窓の方まで歩いていって窓を全開にする。外のやたら冷たい風が事務所の中に流れ込んでくるが今の火照った俺には丁度いい気がする。襲い掛かってきたドキドキをどうにかするため天を仰いでいると杏は千景の元まで向かい。何か話をした後こちらに向かってくる
「感想、どうぞ」
「……正直、ここまで照れるとは思わなかった」
「具体的にはどうでした」
そこから根ほり葉ほり感想を聞かれ、それに何とか答えていくと杏は満足したように手をパンと叩き――
「それじゃあ、次に行きましょう!」
悪魔のような宣告を俺にしてきた
次のターゲットになったのはタマ、彼女も最初は逃げようとして何とか難を逃れようとしていたようだったが杏のごり押しに負けて最終的には折れてしまったらしく。天を仰いだまま何とも言えない感情になっている俺の前までやって来る
「……要、一思いに頼む!」
「わかった――」
こちらが壁際だったのだが熱に冒されてテンションが変になっていた俺は、タマの肩を掴むと流れるような動作で彼女の位置と俺の位置を入れ替えてドンッ!と壁に腕をつく
「要さん!ここで何か一言!」
何か一言って言われても思いつかん、思った事そのまま言葉にするか
「球子、生きててくれて……ありがとう」
俺がその言葉を言った直後に彼女の頭から煙が噴き出してその場にへたり込む……かくいう俺も熱に冒されていたとは言え結構メンタルに来ている。正直バーテックスと戦ってた時よりもガッタガタだ
「タマっち先輩!感想どうぞ!」
「……凄い、ドキドキした」
普段のタマとは思えない程にしおらしい声で言葉を発したタマにドキっとしつつ俺もその場に座り込んだ
「次は要さん!感想どうぞ!」
「……千景もそうだが、あぁして面と向かってみると気づかない事に気付く。想像以上に華奢だったり、戦友である前に女の子って事を嫌でも気づかされる……はっずい」
俺の言葉を聞いた杏は興奮した様子でさっきの内容をメモに書きなぐっていた
そこから俺たちが冷静になったのは時間換算で大体一時間後の事だった。すっかり疲れはててしまっている俺たちに対して杏だけはやたらつやつやした様子で良い笑顔を向けている
「ふぅー、良いインスピレーションが得られました。今日は本当にありがとうございました!」
「……そうか、そいつは良かったな」
疲れはてながら俺がそう言うと杏はそそくさと荷物を纏めていく
「申し訳ないですが、このインスピレーションがあるうちに書き上げたいので私はこれで――「待ちなさい」へっ?」
帰ろうとする杏を引き留めたのはまさかの千景。彼女はどこかで見た事ある幽鬼のような足取りで立ち上がると真っ直ぐ杏の方を見る……何故だろう、嫌な予感がする
「体験が創造力に直結するのなら、伊予島さんも体験した方がいいんじゃないかしら」
「えっと、私はもう満足――」
「そうだな!杏も是非とも体験しタマえ!」
「いや、私は――」
拒否権はなかったらしい杏は千景に連れられてズルズルと壁際まで連れていかれる。一方タマの方は俺の目の前に来ると満面の笑みを迎えてくる
「……刑執行の時間か」
「何言ってんだ要」
ここまで来ると流石に何の感情もなく――なってないです、杏の前に来たら否応なく襲ってくる気恥ずかしさ……駄目だ、こればっかりはマジで慣れない
「……えい」
後ろにいた千景が俺の事を押す、成る程やられたことの意趣返し何だろうがやるやつ違う気がするんだが……と、考えているまもなく壁がドンと言う音を立てて気が付くと眼前に杏の顔があった
「あっ――」
「――――ッ!」
なんだ、この感じ……というか嫌という程色んなものが頭の中に色んな情報が入ってきてショートしそうだ……そこから、どちらが退くというわけでも声を出すわけでもなかった所為で無言の空間が間に流れる
「はいっ!そこまで!」
どれだけ時間が経ったのかわからないが、互いに吸い寄せられていく感覚に陥っていた俺達だったがタマのその声でハッとなって大急ぎで離れる。タマが杏の方に、そして千景が俺の方に近寄ってきてさっき杏がしていた問いをしてくる
「「感想、どうだった?」」
「「……凄かった(です)」」
質問に対する回答は、二人そろって一緒だ
これは完全に余談なのだが、今回の経験をしたからかビックリするほどの速度で原稿を書き上げたらしい杏はそれを持って出版社の小説大賞に応募した結果。見事大賞に選ばれ……書籍化が決定したらしい
それを祝して若葉たちも含めた全員で集まって飯を食いに行ったのだが、杏の顔は恥ずかしすぎてまともに見ることが出来なかった