固有魔法が「回復魔法」のウィッチのお話。
1944年 東部戦線 某日
「衛生兵!」
戦地から少し離れた後方。
荒廃した大地に怒号にも似た声が響く。ひどく焦りを窺わせるそれは私を呼ぶ声だった。その声を認めると、処置を施していた負傷者に断りを入れ、小走りで声の方へと向かう。処置の邪魔にならないよう、患者の血で赤黒く染まった包帯は右腕に巻き付ける。
元々、血を見ることに抵抗はなかったがここに来てからはむしろ無頓着になった気がする。そう、ダキアのウィッチであるアーヴィング・ミハイル・シレオンは内心呟いた。
私もかつてはウィッチとして戦いに身を投じてきた。衛生的なんて言葉とは程遠い塹壕で、明日にはいなくなるであろう戦友とともに幾度となく銃火を交えてきた。
だが、戦闘の最中にネウロイの攻撃で左目を負傷、そして失明した。やがて戦闘継続が困難であるとの判断を下され前線から身を引くこととなった。
かくして戦地から離れる定めとなったが素直には喜べなかったのが事実。
到着すると、そこには声の主であろうカールスラントの制服の上から白衣を纏った男と、地面に横たえられたもう一人の男の姿が見えた。
「容体は?」
「砲撃で破片をもろに食らったそうだ。出血もひどい」
垂れ下がった男の左腕は既に鮮やかな赤で染められていた。そして、流血の中から顔をのぞかせる複数の黒いトゲ。砲撃型ネウロイの攻撃によるものであろうそれは時折、鼓動するかのようにハニカム模様を浮かばせる。
おそらく、ネウロイの破片が出血を促進させているのだろう。
私を呼んだ衛生兵――こちらはウィッチではないーーが取り除こうとしているものの、苦闘しているようだった。
「まずは破片を取り出しましょう。そのあとで、傷口の修復を」
「あぁ、分かった」
両手を負傷部位にあて魔力を指先に集中させる。そうして発現させた魔法陣の中で魔法の術式が組み上げられる。
術式構築のプロセスは使い魔が勝手にやってくれるので、私はただ魔法を使おうとする意志を示すだけでいい。そして、ネウロイの破片に魔力を流し込み自壊を促進させる。
十分ほど流し続けたところで破片は残滓となって消えていった。
「閉口します。少し痛みがあると思いますが、耐えてください」
申し訳程度の注意喚起。
ある意味では形式的な言葉を投げかけたのちに回復魔法を発現させる。私の魔力を駄賃に回復魔法はみるみるうちに兵士の負傷した部位を再生させていく。
相変わらず、この回復魔法とかいう固有魔法は凄まじいものだ。私なんぞの魔力でさえ、こうして誰かの傷を文字通り消してしまうのだから。
「ありがとうございます……なんとお礼を言ったらいいか……」
「いえ、お礼なんて。わたしにできることはこれぐらいですから」
今の私をこうして戦地につなぎとめているものはこれだけなのだ。なればこそ、この固有魔法がなければ、私のレーゾンデートルなぞ無に等しい。
誰かの役に立とうなどとは思っていない。ただ、こうして苦痛にあえぐ人の痛みを少しでも和らげられるのなら、本望だ。
▽
日が暮れ、夜が訪れた。歩哨以外の人員は既に寝入っている。
兵員用テントから出ると、若干の冷たさを纏った空気を肺の中へと押し込み、白色の帯として再び大気へと放つ。今夜は雲一つない快晴。空には金色の満月が輝いている。故にランタンは必要ない。
バザールのように立ち並ぶ兵舎や仮設格納庫の間を抜け、意図的に中心部から少し離されているテントへと向かう。
中に入るとそこには簡易的な衝立で仕切られた空間が広がる。一つ一つの区画にはベッドが置かれ、その上には今にもこと切れそうな呼吸音を漏らす人らしき何かが横たわっている。
重傷者治療所とは名ばかりの安置所にやってきたアーヴィングは展開した魔導針を頼りに、暗がりをさらに奥へと進む。
今現在、この前線では深刻な医者不足に陥っている。
統合軍司令部は重傷者、軽傷者問わず平等に治療が必要な者には適切な処置を施すよう勧告しているが、ここでは重傷者――特に戦線に復帰することが困難な者――の治療は後回しにされている。
理由はごく単純だ。治したところで彼らはもう戦えないのだから。
やがて、右手側奥から二番目の区画で足を止めた。
足音を捉えたのか、ベッドの上の男は首を私の方へと向け、弱弱しく口を動かした。
「あぁ……来てくれたのか……」
アーヴィングの声を聴いて男は安堵の息を漏らす。月明かりに照らされた彼の体は軍服以外の箇所が全て包帯で覆われていて、両腕がなかった。包帯も一部が赤黒く変色している。
「もちろんです」
数日前の反攻作戦で一番槍を務めた彼。あの時の勇ましさはもはや無い。
「これでやっと……楽になれる」
ひゅうひゅうと力ない呼吸音と共にひりだされたのは、「楽になれる」という言葉。
楽になれる。これは言葉通りであり、言葉通りではない。
それは痛みから解放されるということ。私の固有魔法である「回復魔法」を用いれば可能だ。ただし、二つ選択肢がある。
それは、文字通り痛みを緩和するか、これも文字通り
回復魔法。字面と効果だけは一般的なそれと何ら変わりない私の固有魔法。
その実態は魔力のみならず視力、筋力など果てには生命力までも対価にできる、まさしく死神のような固有魔法だった。
「その前に……一つだけ聞かせてくれ。なんで、俺なんかのために軍紀に背くんだ……?」
彼の安楽死に関して上官の許可は取っていない。
当然だ。許可するはずがないのだから。
無許可に行う安楽死は殺人と同類。同胞を手にかけたとなれば、軍法裁判になればいいところ。即時発行の銃殺刑にされてもおかしくはない。
「……ただ、そうすべきと考えたまでです」
なぜこんなことをするのか。そう聞かれたのは今回が初めてではない。
その度に返答に困るのだが。
「……始めますよ」
正直に言ってしまえば、確たる理由などない。
ただ、私にできることがこれしかなかったからだ。こうして、彼らの死期を早めてやることしか。戦場にも、日常生活にも戻れない彼らを殺すことしか。
「ゆっくりと呼吸して、何も考えず、ただ息をすることだけを意識して」
彼の左手を取りつつ今も徐々に弱りつつある生命力を吸い上げる。そして、それらを魔力とともに体内の魔導回路へと送り込む。
生命力などを代償にすることで、少量の魔力でも回復魔法を使役できるのがこの固有魔法の長所。いうなれば、ミルク多めでカフェオレを作るのと同じだ。その結果完成するものがカフェラテにならない点は異なっているが、大体はこれで説明がつく。
そして対価交換で回復するのは彼の痛覚。
正しい表現ではないが、回復魔法とは損傷箇所を元に戻すものーーつまりは再生させるものだ。これを利用して彼の感じる感覚を重傷を負う以前まで逆行させ、痛覚を回復させる。
巻き戻す時間はおよそ一週間。魔力を代償に行おうとすれば、ウィッチ二人分が必要となるが、生命力を用いることで私一人でも実現できる。
人間の生をつかさどる生命力は、誤解を恐れずいうなら価値が高い。それ故に、こんな芸当が可能になる。
「そう……それでいいですよ。そのまま、深い眠りに身を任せて」
呼吸が徐々に浅くなり、回数も減っていく。
死にゆくというのに彼の顔はひどく穏やかだ。
できれば、次の日にも会える保証がある状態で見たかったのだが。
「……おやすみなさい」
これで、××人目の「さようなら」。
こればかりは、慣れないな。
間違えてコティノスの魔女の続編で投稿してしまいました。失敗。