カフェとトレーナー、時々お友だちと懲りない人々 作:fell@かぶとがに
私は耳を塞いで逃げ出した。
……でも、それって本当?
「えっ……トレーナーさんが入院……?」
昼頃、どうも今日はトレーナーさんを見かけないと思っていたら、モルモットさんから連絡がありました。
先日の健康診断の結果、入院するようにとの話があったそうです。
『メッセージ入れといたらしいけど見てなかった?』
「あ……ほんとです……」
今朝から少しバタバタしていたせいか、うっかり見落としていました。
でも、いつもはトレーナーさんのメッセージなんて絶対に見逃さないのに、どうして今日に限って……。
しばらく入院するという走り書きのようなメッセージのみで、詳しい話はありません。
なんだか、嫌な予感がします……。
「トレーナーさん、どうして入院なんて……?」
『俺も詳細はまだ聞いてないんだよ、何なんだろうな。あぁ、しばらくのトレーニングについて言伝があって――』
そんな不穏な会話を終えて。
モルモットさんからの電話を切ったあと、私は言いようのない不安に襲われていました。
「トレーナーさん……まさか、何か重い病気とか、じゃないですよね……?」
今日は授業が終わり次第、トレーニングはお休みしてお見舞いに行きましょう。
いえ、大丈夫です……きっと、少し調子が悪い、検査入院、程度の話で……。
放課後、念の為にモルモットさんから伺っていた病室番号を手に、面会にやってきました。
どうやら個室のようです。
大部屋の空きもあるみたいなのに、トレーナーさんにしては贅沢なチョイスですね……まさか、重い病状だから、とかでは……。
ドアをノックして、入ろうとしたとき。
中から、トレーナーさんとモルモットさんの会話が聞こえてきました。
『しかし……まさか……腫瘍なんて……』
「……え……?」
モルモットさんの声が、確かに聞こえました。
腫瘍。腫瘍、って……?
『俺も流石に……こんなこと……カフェには言いづらいな……』
続く、トレーナーさんの疲弊しきった声を聞いて。
私は、その場に崩れ落ちました。
「そんな……トレーナーさんに腫瘍……それも、私に言えないようなことなんて……まさか、まさか……」
最悪の事態が、頭を過ぎって。
アナタがいなくなったりしたら、私は、私は……!
私はもう、何も考えられなくなって。
逃げるように、その場から走り去りました。
******************
「いやー、しかしお前、健康診断の数値引っかかりすぎだろう」
モルモットが一枚の紙を眺めながら、呆れたようにため息を吐く。
そこには私生活を疎かにしてきた代償であろう、情けないアルファベットが並んでいた。
「これでも生活の質は改善してるはずなんだけどなあ……カフェのお陰で……」
「いきなり惚気けるなよ……しかし、まさかついでの検査で腫瘍が見つかるなんてな。でも良性で、切ったら終わりなんだろう?」
「俺も流石にびっくりしたよ。でもこんなこと、良性とはいえカフェには言いづらいな……卒倒して、暫く心配して離れなくなりそうだ」
「お前……現状で離れてると思ってるのか……?」
何を言ってるんだ、と言いたげなクエスチョンマークを浮かべるトレーナーに、モルモットはクエスチョンマークで対抗する。
そのとき、病室のドアの外で、何かがドサリと音を立てた。
来客かと思い、モルモットがゆっくり歩み寄り、ドアを開ける。
が、そこには誰もいなかった。
「……怪奇、病院に憑く地縛霊、か……」
「やめてくれ……今日はカフェ無しで一人で寝泊まりしなきゃいけないんだぞ……」
「お前さあ、仮にも高校生の女の子にメンタル依存しすぎじゃない?」
「モル公は知らないんだ……そういうモノの恐怖を……」
「いや、よく知ってるよ……俺とタキオンは……ある意味……」
******************
翌日、私はカフェテリアの隅っこで、泣きそうな気持ちをなんとか堪えていました。
昨夜は案の定、一睡もできず。
朝に鏡を覗いたら、死んだ目でこちらを見る私の顔がありました。
お友だちは昨日の朝から、遊びに行ってくる、と言い残して帰ってきていません。
本当なら、トレーナーさんに色々と問い詰めたい……。
けれどもし深刻な病状だとしたら、それによってトレーナーさんを追い詰めてしまったり、気を遣わせたりしてしまいそうで……。
何せ、モルモットさんに口止めしているくらいですから。
私から聞くわけには……。
「あれ、カフェさんどうしたの?」
カウンターでうつ伏せになってそんなことを考えていると。
ライスさんが心配そうに声をかけてきました。
「体調悪そう……保健室行く?」
「いえ……ちょっと、悩み事があるだけなので……」
そう言ってから、しまった、と思いました。
こういうことを言うと、ライスさんはいつも……。
「えっ!? 何か、そんなになっちゃうような深刻なことが……ライス、お話し聞くよ……?」
こういう子なんです、ライスさんは。
勿論、さらりと流せば深くは追及はしてこないのですが……。
私やトレーナーさんと同じで、大丈夫かな……といつまでも気にしてしまうタイプです。
でも、誰かにこの気持ちを吐露したかったのも事実。
私は意を決して……。
「……あの、誰にも言わないでくれますか……? ライストレーナーさんにも……」
「お姉さまにも……? うん、ライス、誰にも言わないよ」
「そうですか……実は……」
前置きをして話すと、ライスさんは顔面蒼白になって、黙り込んでしまって。
「……まさか……あのときのも、もしかして……」
「何かご存知なんですか……?」
「あのね……実はこの前、トレーナーさん……校舎裏の水道で、血を吐いてて……」
「え…………?!」
知りません。知りません、そんなこと……!
トレーナーさん、そんなに酷い病状だったのに、私には一言も……もう、隠し事はないって……!!
「っ……ぅ、うぅ……!」
「な、泣かないでカフェさん……きっとトレーナーさん、良くなる、か、ら……」
そこまで言いかけて、ライスさんの言葉が止まりました。
溢れてしまった涙を拭い、ライスさんを見ると。
「待って……もし、お姉さまがそんなことになったら……お姉さまが重い病に冒されて……余命幾ばくも……ライスはもう、二度と会えなくて……」
今度はライスさんの目からぼろぼろと涙が溢れてきます。
あっ、これは良くないです、ちょっと私のことどころではなくなってきてます。
絵本作家ライスさんが頭をもたげてきました。
「お姉さま……お姉さまぁ……! ふぇぇえぇ……!」
「あ、あの、ライスさん……ライストレーナーさんは何ともありませんから……」
慌ててライスさんを落ち着かせようとしているところに、更なる刺客が訪れます。
「ほえ?! カフェさんがライスさんを泣かせてますねぇ!?」
そこに響くフクキタルさんの声。
ああもう、どんどん場が混迷を極めていきます……。
「で、お二人共、何があったんです?」
フクキタルさんはライスさんとは真逆で、話さない限り解放してくれないタイプです。
ちゃんと言い含めておけば、口は固いのですが。
「その……トレーナーさんが……」
私が重い口を開くと、それを聞いたフクキタルさんは、思った以上に冷静でした。
「トレーナーさんが、そんなことに……私も実家を継ぐ者として、うちの人とそういう話もしないわけではないですが……きっと助かると信じていても、最悪のときのことも考えないといけないわけで……」
神妙な面持ちで語るフクキタルさん。
「……そんなカフェさんには、これを授けましょうッ」
肩にかけた鞄から、何やら一冊の本を取り出します。
「……これは……!?」
「わぁ……うわぁ……!」
衝撃を受ける私。
感嘆の声を上げるライスさん。
「あ、ライスさんもいります? 違う号でよければあるので」
「う、うん……!」
私たちに天啓を授けると、フクキタルさんは踵を返して去っていきました。
「迷える子羊を導き給えと、シラオキ様からお告げがあったので!」
その後ろ姿は、かつてないほど神々しく、輝いて見えました。
******************
フクキタルさんに貰った本をカフェテリアで読んでいると。
後ろからタキオンさんが現れました。
「おやおやぁ? カフェ、何を読んでいるんだい?」
「あ、この本は……」
私が答えようとする前に、ちらりと表紙を見たタキオンさんは。
「な……ななな……!? か、カフェ、きみ、まさか……!!」
「まだ何もしていませんよ……」
そして本に視線を戻して、一言。
「……私は……これから……」
「ぬ、抜け駆けするつもりかい!? バカな真似はやめたまえカフェ!!」
「……アナタに……私たちの何が分かるんですか……!?」
「ひゅっ……」
私の剣幕に、言葉を失うタキオンさん。
私の真剣な表情に、何かを察したらしく。
「そうかい……事情があるなら、私が口出しすることではないね……」
「言われずとも……もしかしたら……最後のチャンス、かもしれないんですから……」
「え……それは、どういう……?」
「……トレーナーさんは……トレーナーさんは、もう……」
こんなときに限って、幸せな思い出たちが頭を過ります。
町内会のくじ引きでティッシュを引くトレーナーさん。
炒め物と言いながら油をかけてフライパンに直接火を放つトレーナーさん。
お友だちがタキオンさんの資料を燃やすのを見ながら高笑いするトレーナーさん。
べろんべろんに酔っ払ってたづなさんに介抱してもらったあとに私にはたかれるトレーナーさん。
そして、モルモットさんに盛るはずだった薬を飲んでしまい、虹色に発光しながら学園を彷徨い、七不思議となったトレーナーさん……。
……なんだか、ろくでもない思い出ばかり過ぎってますけど。
でも、その一つ一つがかけがえのない思い出で。
もう少しマシなの来いと正直思いましたが。
それでも、そんな当たり前の日常すらなくなってしまうのかと思うと、涙が止まらなくて。
「か、カフェ……どうしたんだい、急に泣いたりして……?」
「トレーナーさんは……もう、長くないんだそうです……」
「えっ……」
私の言葉を聞いて。
タキオンさんは、何も言わずに私のことを抱き締めました。
******************
その夜。私は帰ってきたお友だちと共に、こっそりと病院に忍び込んでいました。
事情を話すとお友だちは、嘘だ、嘘だと言わんばかりに縋り付いてきて。
宥めるのに苦労しました。
私は勝負服を纏い、トレーナーさんの病室の前に立ちます。
そして、小さなノックをしてドアを開けると。
窓の外の月明かりを見つめる、トレーナーさんの姿がありました。
「トレーナーさん……起きてたんですか……?」
「うん、なんだか誰かさんが来るような気がしてね」
そんなロマンチックなセリフを口にして、トレーナーさんはこちらを向いて。
「……って何で勝負服なんだカフェ!? うん!? このシチュエーション覚えがあるぞ?!」
「トレーナーさん……」
がちゃり、とドアの鍵がひとりでに閉まります。
お友だちは、部屋の中にはいません。
廊下で何者も病室に近づかないように見張ってくれています。
私はベッドの上で硬直しているトレーナーさんに歩み寄ると、そっと口づけをしました。
「んっ……」
「ん……っぷは……あ、あの、カフェ、さん……?」
そして私は静かにベッドに登り、トレーナーさんにウマ乗りになって……。
「カフェ、また変な薬でも飲んでるのか……? それともお友だちか誰かの入れ知恵か……!?」
「いいえ……今夜は、正真正銘、私自身の意思ですよ……トレーナーさん……」
私はトレーナーさんの胸元に倒れ込み、静かにその身体を抱き締めます。
こんなにも暖かいのに。
こんなにも幸せなのに。
この時間が私の前から消え失せてしまうのは、もう間もなくのことで。
涙が一滴、トレーナーさんの頬に落ちました。
「え……なんで泣いてるんだ……?」
もう、この人は……この後に及んでまだ気付かれてないと……私に、心配をかけまいと……。
「全部……全部、知ってるんです。昨日、モルモットさんとここで話しているのを、聞いて……」
「あぁ、あのときの物音はカフェだったのか……」
トレーナーさんは、少し寂しそうな顔をして。
「本当にダメなやつだな、俺は……カフェに心配はかけたくなかったんだけど……」
その表情の裏にあるであろう、トレーナーさんの感情を察して。
私はもうたまらなくなって、再びその唇を奪いました。
そして、その口内に静かに舌を滑り込ませて。
「ん……あむ……ちゅ……」
トレーナーさんは私になされるがまま、その身を任せてきます。
そして私は、トレーナーさんの入院服のボタンに手を伸ばし――。
「っぷは! いやちょっと待とうカフェ!? そういうことはまだ……!」
「そんなこと……言ってられないじゃないですか……!」
私はいよいよもって、感情を抑えきれなくなってきて。
トレーナーさんの襟を握りしめ、必死にあふれる涙を堪えて。
「ずっと……ずっと一緒だと思っていたのに……引退したら、二人で喫茶店を開いて……可愛い子どもたちに囲まれて……」
幸せな未来が頭を過るたびに、トレーナーさんへの愛情が溢れてきて。
そしてそれが近く、崩れ去ってしまう恐怖が湧き上がってきて。
「アナタが……もうすぐ、いなくなってしまうというのなら……せめて、暖かな思い出を……アナタが生きた証を……私のためにも、アナタのためにも……私ができることなんて、こんなことしか……!」
ふるふると震える私でしたが。
トレーナーさんは何故か、ぽけーっとした表情を浮かべていました。
「……あの、カフェ、さん?」
「……はい……?」
「俺とモル公の話、聞いてたんだよね?」
「ええ……ドア越しだったので、断片的でしたが……」
「あ、あぁ……あー……」
トレーナーさんが気まずそうに目線を逸します。
まさか……私が思っている以上に病状が……!?
「いや、あの……そんな大したことないんすよ、ちょちょいとちょん切ればすぐ終わるような話で」
今度は私が、ほへ?という表情を浮かべる番でした。
「……へ? でも腫瘍がって……私には言いづらいって……」
潤んだ瞳をぱちくりさせると、トレーナーさんは申し訳無さそうに続けました。
「良性の腫瘍だってことで、内視鏡手術でパッと取って数日で退院できるってさ……そんな短期間で終わるなら、カフェにいらない心配かけたくなくて……今日電話しようかなとは思ってたけど……」
「〜〜〜ッ!!!」
べちん、と。トレーナーさんの頬をはたきました。
怒り半分照れ隠し半分で、音の大きさほど力入れていませんでしたが。
「ばか……ばかばか……トレーナーさんの、ばか……」
「ごめんって……いや、言うほど俺が悪いか……?」
「じゃあ、ライスさんが言ってた校舎裏で血を吐いてた、っていうのは……」
「あっ、先週のかなあ。鼻血が止まんなくてさ……アレ喉に逆流してきたときに口から吐くとちょっと格好良くない?」
「子どもですかアナタは!?」
「ひっ?! な、なんかごめん!」
「っ……そ、そういう子どもっぽいところも……好きですけど……」
後半は声がもにょもにょとしてしまって、はっきり喋れませんでした。
それにしても……もうっ、もうっ!
人騒がせにも程があるんですから……!
そんなことを考えていると、トレーナーさんがぎゅっと、私を抱き寄せました。
久しぶりの温もりに、私もつい、頬が緩んでしまいます。
我ながら……随分と安い女になってしまった気がします。
「でも……しばらく病室で一人ぼっちだったから、カフェが恋しかったのは事実かも」
「だったら、早く呼んでください……そうしたらいの一番に駆けつけて、ずっと傍に……」
勝負服から立ち上るコーヒーの香りが、私たちを包み込みます。
もう決して、アナタとは離れたくない。
そんな心地よい空間にほだされて、私は。
「トレーナーさん」
「うん?」
「レースを引退したら……一緒に、喫茶店を開きましょうね」
「いいね、そんな将来」
「子どもは……何人がいいでしょうか……?」
「ちょっと気が早いよ、カフェ」
トレーナーさんが苦笑します。
「って、年下の女の子に言わせることじゃないな……そういえば、改まって言ったことはなかったね」
「トレーナーさん……?」
トレーナーさんの表情が変わって。
まるで、大一番に臨むときのような、真剣な表情で。
その眼差しに射られ、私は頬を赤らめるばかりで、身動き一つできなくて。
「卒業して、レースを引退したらさ……その先の人生も、隣で一緒に歩いてくれないかな」
「……それって……」
トレーナーさんの口から出てきたのは、ずっとずっと、待っていた言葉。
シチューを作ったとき、フライング気味に口にしてしまった気もしますが。
こうして、面と向かって言われるのは初めてで。
きっとお互いに心の中では当然のように考えていても、口に出すというのは、また違う意味を持っていて。
答えは、と聞きかけたトレーナーさんの唇を、優しく奪いました。
私の気持ちを察して、トレーナーさんも優しく私の唇を啄みます。
長い長いフレンチキスの応酬ののち、ようやく唇を離して。
「やっと……やっと、言ってくれましたね……なら……これが、私の答えです」
「でも、本当に俺でいいのか?」
「アナタでなければダメなんです……私の全てを委ねられる、アナタでなければ……」
トレーナーさんと顔を見合わせて笑いました。
「でも本当に……怖かったんですから……私の隣から、そんなアナタがいなくなってしまうと思って……」
「俺も……カフェがいなくなったりしたら、正気でいられなくなりそうだな……」
トレーナーさんの指に自分の指を絡め、頬擦りをします。
トレーナーさんの体温を意識するたびに、私の頬が緩んでいくのが分かりました。
「私たち……二人とも依存しきっちゃってますね……」
「人に迷惑かけてなきゃ一番幸せにも思えるよ」
「トレーナーさん……ちょっといけない考え方、ですよ」
でも、と私は前置きをして。
「もっともっと……私を、トレーナーさんの色で染め上げてくれますか……?」
勝負服の上着を脱いで、布団の中に潜り込んで。
薄いシャツ越しに、トレーナーさんを抱きしめ、感じて。
トレーナーさんの胸の中で丸くなると、どんなときよりも安心できて、心が満たされて。
「……こういう言い方……そういえば、したことなかった気がしますけど……」
互いに精神的な疲れが溜まっていたせいか、そのまま睡魔に襲われてしまって。
トレーナーさんに抱きしめられながら、夢に落ちる寸前に。
「トレーナーさん……世界の誰よりも、愛してます……」
つぶやきながら、その胸に顔を擦り付けると。
トレーナーさんが私を抱きしめる力も、少し強くなって。
ぼそりと同じ言葉を、少し恥ずかしそうに囁き返してくれました。
それを聞いて私は、睡魔に促されるがままに。
幸せな夢の中に、落ちていきました。
******************
夢の中で私はトレーナーさんと二人で、路地裏で小さな喫茶店を開いていました。
数少ない、ご近所の常連さん。
時折顔を見せる、学生時代の顔馴染みたち。
そして休みの日には、店内でお客さんに可愛がられてはしゃぐ子どもたちと、オロオロと心配そうに見守るお友だち……。
そんな光景をトレーナーさんと微笑みながら眺めて。
カウンターの陰で、お客さんからは見えないように、静かに指を絡めて。
注文が入ると、二人して慌てて指を解き、オーダーに対応します。
私がコーヒーを入れて、トレーナーさんが軽食を作る。
冷蔵庫のスイーツたちは、早朝から二人で協力して作った、甘い味。
平日は時々は少し早めに店を閉めて、子どもたちが帰ってくる前に。
トレーナーさんと二人で寄り添って、ソファーでお昼寝を……。
そんな蜜のように甘い生活。
でもきっと、この人と一緒なら決して夢物語ではなくて。
いつか訪れるであろう、幸せな日々。
微睡みの中で私たちはきっと、同じ夢を見ていました。
******************
気がついたときには、窓の外から薄っすらと、朝日が見え始めていました。
「ん……」
私が目を覚ますと、トレーナーさんもちょうど起きたようで。
「おはよう、カフェ」
「おはようございます……トレーナーさん」
互いに小さく伸びをして。
久しぶりのトレーナーさんとの添い寝で、随分とスッキリしている気がします。
と、手を伸ばしたところ、横に置いていた私の鞄を落としてしまって。
その中から、フクキタルさんに頂いた本がこぼれ落ちます。
「ん……た○ごクラブ……?」
「あっ」
トレーナーさんが表紙と私の顔を交互に見比べます。
それが繰り返されるたびに、私の頬もどんどん熱くなっていって……。
「……やけに掛かってるなぁと思ったら、そういう……」
「いえ……あの……それは、その……」
そしてふとドアの方を見ると。
ドアから上半身だけすり抜けて出てきて、口を手で抑えながら私たちを眺めるお友だちの姿がありました。
よくよく自分を見てみると、寝てる間にだいぶもぞもぞ動いたのか。
勝負服のボタンが外れ、随分と服装が乱れていました。
私の頬は、ますます紅潮して……。
「えっと、その……これは違くて、ね……?」
私の必死の否定も、お友だちには届かず。
そうかそうか、とうとう成し遂げたか、と言わんばかりの表情で、ハンカチで涙を拭いていました。
そしてドアを完全にすり抜け、私たちのところへ歩み寄ってきたお友だち。
涙に濡れた笑顔で、静かにトレーナーさんを抱きしめます。
「……俺、いまお友だちに抱きしめられてる?」
「ええ」
「ちなみにお友だちは多分、俺の病状のこと、まだ分かってないよね?」
「…………ええ」
あっ、お友だちの耳がぴくりと動きました。そして、トレーナーさんが……。
「ええと、冷静に聞いてくれよお友だち? 俺の体調不良な、数日で治るやつなんだ……」
直後、トレーナーさんの頬から、べしぃん!と激しい音がして。
ついでに勢いで、トレーナーさんはベッドから転げ落ちて。
「ごめんってばー!」
泣き腫らした瞳を拭いながら、ふーっ、ふーっ、と怒り顔で。
けれどどこか安堵したような泣き顔にも見える、お友だちがいました。
******************
そんな病室の前で、アグネスタキオンとモルモットは中に入ることもできず、廊下に座り込んでいた。
「折角病院に許可もらって朝から来たのにな……このフルーツ盛りどうすっかね」
「……」
ボヤくモルモット。
しかし、タキオンは返事を返さない。
怪訝に思ったモルモットがその顔を覗き込むと、タキオンらしからぬ暗い表情を浮かべていた。
「えっ、どうしたんだタキオン」
「……カフェを見ていたら、ふと考えてしまってね……もし私の実験のせいで、きみに万が一のことがあったら、と……」
結果的には取り越し苦労だったが、もしかしたら、の世界線を覗いてしまって。
タキオンは年相応の不安を抱えていた。
そんなタキオンに、モルモットは。
「でも、それがタキオンだろ」
「え……?」
「マッドサイエンティストなんてそんなもんだ、誰も保証しちゃくれん。それでも俺が勝手についていってるんだから」
鞄から出した果物ナイフを使い、モルモットは器用に梨の皮を剥いていく。
皮を剥かれ、切り分けられた梨を手渡され、タキオンは無言で口に運ぶ。
しゃりしゃりと、口元から音がした。
「何があろうと、どうせ俺は未来永劫、タキオンのモルモットだからなあ。万が一のことがあろうと、お友だちに出来て俺にできんこともないだろう」
「……モルモットくんは、どうしてそんなに自信満々なんだい?」
「んん、そうさなあ」
両手で梨をちょこんと摘むタキオンに、モルモットは笑って答えた。
「マッドサイエンティストに、狂気の目をしてる、なんて言われるくらいだからな。俺の執念も多分相当なもんだと思うからよ」
タキオンは最後のひと口を噛んで飲み込むと、モルモットの懐に飛び込んだ。
「うおっ……タキオン……?」
「きみねぇ……弱ってる子にそういう言葉をかけるのは卑怯だと思うよ……」
「あ、あー……そうかね……」
二人の間に、なんとも言えない空気が漂う。
赤面し、言葉は途切れ、視線が重なって。
そして自然と、徐々に、顔が近づいて……。
と思った、次の瞬間。
二人の間ににゅっと、ドアからお友だちの上半身が生えてきた。
「ぬおっ?!」
「ひゅっ……!?」
お友だちは二人を視認すると、自身がいい雰囲気をかち割ってしまったことに気づき、少し申し訳無さそうな顔をして。
『……これ、いる?』と言わんばかりの表情で、一冊の本を差し出した。
「……た○ごクラブ……か……」
「いや……私はいらないねぇ……」
そっか……と落ち込むお友だち。
その空気に引きずられ、どんよりとなる二人であった。
******************
「らららららライスちゃん!?!?」
その日のお昼、カフェテリアにライストレーナーの絶叫が響き渡った。
ライスシャワーは突然の声に尻尾を逆立て、持っていた本を落としてしまった。
その表紙に刻まれたタイトルは……た○ごクラブ。
「あっ、あのねっお姉さまっ……こ、この本は、ね……」
頬を赤く染め、目をそらすライス。
その仕草に、ライストレーナーは顔を真っ青に染めて。
「……だ、誰なの……」
「へ?」
「あたしのライスちゃんに不届きな真似をしたのは、誰なの!?」
動揺して最早正気を保てず、ライスの肩を掴んでぐわんぐわんと振り回すライストレーナー。
ライスは目を回しながらも、ライストレーナーの心配とも嫉妬とも取れる反応に、イケない心地良さを覚えていた。
「あ、あのね、別に誰とも、何にもなくて……」
「へ? そうなの?」
パッと手を放すライストレーナー。
グルンと回って椅子から崩れ落ちるライス。
慌ててライストレーナーが抱き起こすと。
ライスは目を回してふわふわとしたまま、よく回らない頭で思ったことをそのまま口にした。
「ライスには、おに……お姉さまだけだから……もしかしたら将来、役に立つかなって……その……」
「ライスちゃん……あたし、お姉さまなのに……そんな健気なことを……! いけない、そんなのいけないよライスちゃん!」
「ううん、ライスね、お姉さまなら……」
手を取り合い、熱い視線を交わし合う二人。
その光景を眺めながら。
「……アレもシラオキ様のご加護ってやつか?」
「そうですねぇ、シラオキ様のお言葉の結果がアレです!」
マチカネフクキタルとそのトレーナーは、カフェテリアでコーヒーを飲んでいた。
「そうか……うん……他人を手のひらの上で踊らせられるなら……シラオキ様を信仰するのも愉し……いいことかもしれない……」
「言い方ッ!!」
フクキタルのウマ娘パワーによるツッコミチョップで、フクトレーナーが生死の境を彷徨う、すぐ近くで。
マンハッタンカフェはその一歩先を行く、ひ○こクラブを読んでいた。
「カフェ、何を読んで……る、んだ……?」
通りかかったカフェのトレーナーは、その表紙を見て言葉を失った。
「見てのとおりですが……?」
「あ、あのな? まだそういうのは早いと思うし、公共の場で読むのは少々誤解を招きかねないというか……」
トレーナーがそう呟くまでもなく、既に周囲からは熱い視線が向けられている。
本人たちは隠しているつもりだが、勿論、二人の関係性は学園中にバレている。
二人のやり取りに尾ひれをつけて噂してキャーキャーと盛り上がるのが、近頃のうら若きトレセン生たちのトレンドである。
数時間後には二人の愛の結晶についての根も葉もない噂が流れ。
メジロの令嬢が原稿をしたため始め、ダービーウマ娘が鼻を押さえながら保健室へと駆け込むことになるだろう。
それもいつもの事として、明日には鎮火しているのだろうが。
「でも……いずれは知らなければいけないことですし……何なら私は、すぐにでも」
「いや待ってカフェ、このところ掛かり過ぎじゃない?」
「ふふ……子どもは何人がいいかな……それに合わせてお店の間取りも……」
「だ、ダメだ……聞いちゃいない……」
夢見心地で虚空を見つめるカフェと、頭を抱えるトレーナー。
更にその後方では……。
「……なぁ、タキオン」
「なんだい?」
「その……朝からずっとそれは、歩きづらいんだが……」
「あのねぇ、きみにも責任の一端があるんだぞ。大人しくこうされておきたまえ」
「あぁ、うん……」
モルモットの足に尻尾を巻き付け、アグネスタキオンはぶすくれながらカフェたちを眺めていた。
「生涯モルモットの覚悟はしてたけど……こういうのは予想外だったな……」
「? なんのことだい」
「いや、何でもないよタキオン」
あどけない表情を向けてくるタキオンを直視できず、モルモットは思わず俯いた。
目の前の少女の思わぬ純情にあてられて。
まんざらでもない感情が、日に日に強まってしまっており。
「……俺もまだ若いんだなあ……ちょっと安心した……」
「本当に何のことだよー!」
「だから何でもないって」
そう言い繕ってモルモットがタキオンの頭をぽんぽんと撫でると。
タキオンはへにゃっとした笑顔を浮べ、白衣の袖もモルモットの腕に絡ませた。
アグネスタキオンだ!
バクシンやリョテイの怪文書書こうと思ってたけど、ヤクキメて死んでたらカフェに癒やされたくなってねぇ。
やはりカフェは可愛いねぇ……。
ところで、その……最近モルモットくんと視線が合うと、お互いなんだか居心地が悪いというか、モヤモヤするというか……。
気のせいだと思うかい?