カフェとトレーナー、時々お友だちと懲りない人々 作:fell@かぶとがに
けれどもしもその気持ちが、足元を揺るがすとしたら。
私はあの子と、傷を舐めあって。
「あれ……飲み残してたのかな……」
少し用事を済ませてから空き教室に戻ってみると。
私のマグカップからほんのりと湯気が立ち昇っていました。
確かに先程、コーヒーを淹れましたが……確か飲みきっていたような……?
「……まぁ、いいでしょう……飲みたかったし……」
そして、口に運ぶと。
「……ごぷっ?!」
その正体は大量の砂糖が入った紅茶……否、紅茶がかけられた砂糖でした。
思わぬ不意打ちに、下品にも少し噴き出してしまって。
「うぇ……口の中が甘い……」
少なくない量を飲み込んでしまいました。
何ということでしょう……胃の中がかつてない糖分の凶行に悶えています。
「こ、コーヒー……コーヒーを……」
息絶え絶えな状態でなんとかポットに残っていたブラックコーヒーを空になったマグカップに注ぎ。
アレルギー薬のように慌てて喉に流し込みます。
はぁ……砂糖にやられた胃に沁みます……やはりコーヒーは素晴らしい……。
「……あれ?」
そのとき、気分に微かな違和感。
けれど、気持ち悪いとか、そういったものではなく……。
「なんだろう……何か変なものでも入ってたのかな……?」
なんてことを考えていると、空き教室のドアが開いて。
「お、いたいた」
トレーナーさんが入ってきて、私を見てにこりと笑いました。
「あ、トレーナーさ……」
喜び勇んで駆け寄ろうとした瞬間、私は愕然としました。
その傍らには、にこにこしながらトレーナーさんの腕に絡みつく、お友だちの姿があるじゃないですか……!
「な……なななななな……!!」
「い、一応弁明させていただくとな……離れないんだ……取り憑かれてるみたいに……外せるかな、この子」
お友だちは私を見ながらクスクスと笑い、トレーナーさんの頬にキスをしました。
「あーーっ!?」
慌てて駆け寄り、お友だちをトレーナーさんから引き剥がそうとします。
ですが、確かにいくら引っ張っても剥がれない……というか、必死な顔でトレーナーさんの腕に縋り付いています。
「もうっ! もうっ! アナタ、最近節操なさすぎ!」
トレーナーさんにもお友だちが見えるようになって数週間。
お友だちは日に日に私の領域を脅かしています。
仕方なく、トレーナーさんの反対の腕を奪って対抗します。
するとお友だちは目を潤ませて、上目遣いでトレーナーさんにねだり始めて……。
「ちょ、ちょっとそれは威力が高すぎる……」
必死に目を逸らして耐えようとするトレーナーさん。
尚も唇をねだるように背伸びをするお友だち。
普段の私だったらトレーナーさんかお友だちをはたくなりするのですが……。
「トレーナー、さん……」
「え、カフェ……?」
何故か今日の私は、お友だちと同じで……。
「お友だちばかり、ずるいです……私にも、もっと……」
「カフェも!?」
私の瞳が潤んでいくのが分かります。
トレーナーさんに甘えたい。
いつも以上に可愛がって欲しい……蕩ける蜜のような時間を、トレーナーさんと過ごしたい……。
「かぷ」
「ひゃっ! 二人とも!?」
私たちは同時に、それぞれトレーナーさんの腕に噛み付きます。
それは傷つけるためのものではなく、私たちの切ない気持ちを伝えるための意思表示で……。
「あむ、はむ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……学園内の暖房強くて、半袖だから……仕事に差し支えるから……!」
トレーナーさんの言葉に、私たちは聞く耳を持ちません。
ただただ甘えたい一心、他の誰にも渡さない……独占したい気持ちで、トレーナーさんの腕に赤い噛み跡を残していきます。
「ぷは……」
二人して同時に噛むのをやめると。
七分袖からはみ出た左右の前腕には、私たちの僅かな唾液と、マーキングの痕跡が染みつくように残っていました。
「トレーナーさん……」
熱のこもった目で改めてトレーナーさんを上目遣いで見上げると。
トレーナーさんはため息をつきながら、困ったような表情をしていました。
「ああもう、このあと会議だっていうのに……長袖着てこなきゃな……」
ぽんぽんと、私たち二人の頭を撫でて額にキスをすると。
「気持ちは嬉しいけどちょっと掛かり過ぎだぞ。カフェ、まだ授業もトレーニングもあるんだから落ち着きなさい。お友だちもカフェを煽らないの」
トレーナーさんのお小言に、二人してしゅんとなります。
だって、どうしてもトレーナーさんに甘えたくて……構ってもらえないなら、自分から動くしかなくて……。
耳をぺたんと伏せる私たちを見て、トレーナーさんは苦笑しました。
「ほら、もうすぐお昼だろう。今日はちょっと忙しくて一緒に食べれないから、ご飯食べておいで」
そう言って空き教室のドアの方へ向けて、私たちの背をポンと押します。
素っ気ない気もする態度に少しむっとなって、トレーナーさんに小さくベッと舌を出してから、私たちは空き教室をあとにしました。
でも、空き教室を出る間際、背後から。
「んん……少し、考えものだな……」
トレーナーさんの困ったような声が聞こえて。
私は僅かな不安を覚えながら、カフェテリアへと向かいました。
******************
先程の紅茶砂糖のせいかちょっと食欲がなくて。
カフェテリアでサンドイッチをもぐもぐと頬張っていると。
「おや、カフェ。今日は随分と質素な食事じゃあないか。カロリーもミネラルもビタミンも到底足りなそうだ。近々レースを控えたアスリートの食事としては物足りないのでは……?」
タキオンさんがモルモットさん弁当を得意げに見せびらかしながら向かいに座りました。
確かにそのお弁当は栄養バランスもよく、私たちの消費カロリーに見合ったボリュームも兼ね備えています。
でもミキサー星人だった人に言われるのはなんだか癪です。
「そもそも食欲ないのはアナタのせいなんですけどね……」
「えーっ!? 顔も見たくないとかそういうレベルなのかねぇ?!」
「いえ……いや、まぁそんなところもありますけど……タキオンさん、間違って私のマグカップに紅茶砂糖を詰めたでしょう……」
「あ、アレを飲んだのかい!?」
耳をピンと立てて驚くタキオンさん。
え、まさかアレ、実験中とかそういう……?
「……ああいや、別に問題ないな……うん、気にしなくて結構だ」
「私は気にするんですけど……!?」
「いやいや! 本当に! 実験とかではないよ真面目に!」
慌てつつも大真面目に否定するタキオンさんを見て、ようやく安堵し胸を撫で下ろします。
「……まぁ、甘ったるかったせいで胃の調子が悪いんですよ……反省してください……」
「う、うん……悪かったよ」
やけに素直なタキオンさん。
どうやら本当に悪いことをしたと思っているようです。
ちょっと勘繰りすぎたでしょうか。
「今週末は重賞に出走するんだろう? 胃薬でも持ってくるかい?」
「そこまででは……明日になっても調子が良くならなかったらお願いします」
サンドイッチを食べ終え、私は席を立ちます。
「カフェ、えっと……」
「なんですか?」
そのまま去ろうとした私に、タキオンさんが何か言葉を投げかけようとしました。
が、言い淀んでからやはり言うのをやめたらしく。
「……やっぱり何でもないよ。トレーニング、頑張ってくれ」
「はぁ……」
******************
午後のトレーニング。
トレーナーさんと合流し、お友だちとの併走を行います。
今週末はタキオンさんが言っていたように重賞に出走します。
久しぶりの大きなレースに向けて、ここしばらく綿密な調整を続けていました。
私がゴールを駆け抜け、時計を止めたトレーナーさんは。
「……うーん……」
クリップボードに挟んだ資料を片手に、ボールペンで頭をかきながら唸っています。
そんなトレーナーさんを見ていると、またもや甘えたい気持ちが頭をもたげてきて……。
「トレーナーさん」
くいくいと袖を引っ張ります。
「ん? 何かあったか?」
「ちょっと、こちらへ……」
私が手を引くと、トレーナーさんは疑問符を浮かべながらついてきます。
そして壁の影に隠れると私は、背伸びをして。
トレーナーさんの唇を奪いました。
「んっ……ちゅ、んむ」
「ん……!?」
トレーナーさんの口内に舌を滑り込ませるとトレーナーさんは驚き、目をパチクリさせています。
するとその背後から、併走に付き合ってくれていたお友だちがスウッと現れ、トレーナーさんの肩にしなだれかかります。
そして、トレーナーさんの顔を自分に向けさせると。
「んんっ……!!」
お友だちも、トレーナーさんの唇を奪いました。
「っぷは!」
お友だちのフレンチキスは、私の深いものよりも少し長めで。
そして私たちは二人して、もう一度トレーナーさんを見上げます。
「トレーナー、さん……」
さぁ、トレーナーさん。
甘く、私たちを抱き締めて……。
そう、思っていたのですが。
見上げたトレーナーさんは、これまで見たことのない、少し怖い表情をしていました。
「カフェ、お友だち。どういうつもりだ……?」
「えっ……?」
微かにですが、その声にも圧があって。
いつも優しく温厚で、決して人を傷つけるようなことはしない、トレーナーさんが……。
「お昼前にも、わざと仕事に支障をきたすような跡の残し方をしたりして……落ち着きなさいって言ったよね? それだけならまだしも……」
「あ、あの、トレーナーさ……」
そこでようやく気付きました。
トレーナーさんの目つき……声色……。
私たちに対して、怒っています……。
「さっきの併走……あれはなんだ? 今週末に向けてずっと試行錯誤しながら調整してきたのに、酷いタイムじゃないか。これまでの互いの努力が水の泡になるよ」
そう言って提示された資料に書き込まれた数字。
それは、昨日までの上り調子が、今日を境にがくんと落ち込んでいるのをまざまざと教えてくれました。
「体調が悪いわけでもない、それ以前にトレーニングに全然集中できてない……大レース直前のこの大事なときに、私的なことばかりにかまけて……以前のカフェならこんなことは絶対になかったよ」
トレーナーさんの言葉の一つ一つが、胸に突き刺さります。
何も言い返せません。
「その……わた、私……そんなつもりじゃ……」
四肢が、がくがくと震えます。
隣のお友だちも、違う、違うんだよ、と涙目で首を振っていて。
しかし私たちが何を言っても、私がまともに走れていないのは如実に示されています。
しかもそんな折に、私たちはトレーナーさんに自分勝手な欲求を向けていて。
人様に誇れるような行いではないことに、今更ながら気づきました。
「……はぁ……うん、悪気がないのは分かる、分かってる……俺の接し方にも責任があるしな……」
「え……?」
ほのかな怒りは収まったようですが……。
トレーナーさん、その言葉は、まさか……嫌です……その先は、言わないで……!
「ちょっと色々、見直そうと思う。俺たちの本分はあくまで競走者とトレーナーなんだ」
その言葉は、事実上の通告で。
「カフェの走りを期待しているからこそ、ファンも夢を見て応援してくれるし、トレセンも支援してくれてる」
その言葉は、私が何よりも恐れているもので。
「少なくとも俺は、トレーナーという職業として、それらを裏切るわけにはいかない。少し……距離を考え直そう、俺たち」
あとでちゃんと話し合おう、と言い残して。
立ち尽くす私とお友だちを背に、トレーナーさんは歩み去っていきました。
******************
「か、カフェさん、どうしたんです……?!」
トレセン学園の廊下でフクキタルさんの声がしたのでそちらを向くと。
心配そうな表情で、ぺたぺたと顔を触診されました。
「顔面蒼白で怪異に取り憑かれたみたいな顔してますよ……」
「……いえ、ちょっと、色々あって……」
尚も心配そうに世話を焼こうとするフクキタルさんに遠慮をしてから立ち去ろうとしたのですが。
床に落ちていたプリント用紙を踏んで滑ってしまい。
堪えることもままならずべちゃりと転んでしまいました。
「カフェさーん?!」
「あ、うぅ……」
全身に全く力が入りません。
自力で起き上がることもままならず……田舎のあぜ道で轢かれたカエルのように、ぺったりと平たくうつ伏せてひしゃげていました。
「し、しっかり! 衛生兵ー!」
フクキタルさんが叫ぶと。
「ば、絆創膏!?」
ぱたぱたとライスさんが走り寄り、懐から布製の可愛い救急用品ポーチを取り出しました。
「し、死んじゃダメだよカフェさん!」
「ライスさん、絆創膏!」
「はい!」
「ライスさん、包帯!」
「はい!」
「メス!」
「はい!」
「鉗子!」
「はい!」
「脳波と心拍は!?」
「せ、正常です!」
「BGM流して! コルサコフの熊蜂の飛行!」
「はいっ! ちぇけらっ!」
「あの……私、切られそうになってませんか……?!」
したたかに打ってしまった胸を押さえながらようやく起き上がると。
顔に縫い目シールを貼って両手にナイフとフォークを持つフクキタルさんと。
サングラスをかけて肩にカセットデッキを担ぐライスさんがいました。
カセットデッキからはとんでもなく速いピアノが鳴り響いています。
どんなオペするつもりだったんですかアナタたちは。
ライスさんがぼそりと、あっちょんぶりけ、と呟きました。
「お代はカラダで払ってもらいますよッ!」
「あっ! いーけないんだーいけないんだー! お姉さまに言っちゃ……オトナだ……オトナだよカフェさん……」
「別に怪我とかしてないので……!」
私が迫りくる二人を、慌てて押し返していると。
「……ふふ、ツッコむくらいの元気は出ましたか?」
「……え?」
フクキタルさんが優しく語りかけてきながら、頭を撫でてくれました。
「先ほど、トレーナーさんと口論なさっていたのをみかけたもので、大きなお世話かもですが少し心配になりまして」
「ね、カフェさんいつもトレーナーさんとべったりだから。今週末にレースもあるって聞いたし、少しでも元気出してほしくて……」
「フクキタルさん、ライスさん……」
二人の慈しむような気遣いに、思わず涙が零れそうになって。
そんな私を見て二人は、へへっ……と笑いながら鼻を擦りました。
すると、とさり、と。
フクキタルさんの懐から落ちた、一冊の漫画。
その表紙の人物の顔は、フクキタルさんの縫い目シールとよく似ていて……。
「……昨日読みました?」
「そのぉーですねぇー……デジタルさんが面白いと貸してくれたもので徹夜で全巻……」
「ら、ライスは手塚漫画は一通り……」
気遣いは本当だったのでしょうが。
感動値は若干下がりました。
******************
フクキタルさんとライスさんと別れて、空き教室へ向かいます。
足取りは多少ましにはなったものの、当然ながら気持ちが晴れることはなく。
空き教室に入るのも勇気が要ります。
もしトレーナーさんがいらっしゃったら、どんな顔をして会えばいいのか……。
「……でもあんなことのあとに、ここに来るわけないよね……ふふ……」
自嘲気味な笑いが漏れます。
当然ながら、面白くもなんともなく。
ただただ迷惑者な自分を嘲笑うだけの行為。
本当に……トレーナーさんの言う通りです。
私はマンハッタンカフェ。
たくさんのウマ娘の夢を潰して蹴落とし、中央の名門の籍を喰らった簒奪者。
更にはトレセンの財産とも言える、決して足りているわけではない有能なトレーナーを私物化、独占し。
それで結果を残すならまだしも、欲に溺れた上に惨憺たる結果を残そうものなら。
「レースのお陰でトレーナーさんにも出会えたのに……それにまともに向き合えなくなってしまっては……」
それでも尚、この期に及んでも私は頭のどこかで。
トレーナーさんに思う存分甘えたいなどと考えていて。
ここまで自分で管理できないのであれば、トレーナーさんの言うように、接し方を考え直すのもやむを得ず……。
「でも、そんな……そんなの……やっと出会えた、誰よりも大切な人なのに……」
頭を抱えながら空き教室に入ると。
いつものソファーに、誰かが座っています。
それは、ソファーの上で体育座りをしながら、膝に頭を埋めて丸くなっているお友だちでした。
私は保温状態のポットからコーヒーをマグカップに注ぎ、それを片手にお友だちの横に座ります。
隣からは、微かに鼻をすする音が聞こえました。
「トレーナーさんに、迷惑かけちゃったね」
コーヒーを一口飲んで声をかけます。
反応はありません。
「私、だめな子だね」
マグカップをローテーブルに置き、お友だちの肩をそっと抱きます。
微かに震えが伝わってきました。
「……アナタは私みたいに、気をつけなくてもいいはずなのにね。巻き込んじゃって、ごめんね」
そう声をかけると、お友だちはバッと顔を上げて。
その顔は、涙でぐしゃぐしゃでした。
「っ……!」
そのまま、お友だちは声を上げず、私の胸に飛び込んできて。
小さな小さな、泣き声が聞こえました。
「きっと私がこんなだから……アナタも心が釣られちゃってるんだよね……」
きっとお友だちが節操なくなってきてるのも、私の影響で。
むしろこれまでは、私の焦がれる気持ちに感化されていたにも関わらず、強い心で自制してくれていて。
嫉妬するよりも先にきっと、私はお礼と謝罪を言わなければなりませんでした。
「ごめんね……ありがとうね……」
抱き締めるとお友だちは再び顔を上げて、泣きながら私と頬を擦り合わせます。
そして、しばらくそのままでいた私たちは、少ししてから顔を離して、ソファーの上で見つめ合って。
泣き腫らした瞳が、互いを囚えて放さなくて。
そのままゆっくりと、自然に、顔が近づいて。
私たちは唇を重ねました。
「んっ……」
トレーナーさんとする濃厚な甘さとはまた少し違う、小さな苺のような甘酸っぱさを感じます。
そのまま、お友だちは涙で頬を濡らしたまま、私をソファーに押し倒して。
私もそんなお友だちを、何の疑問も抱かず受け入れていて。
もう一度、静かに唇を重ねました。
互いの黒い長髪が絡み合って。
互いの口から漏れる息は、熱を帯び始めていて。
互いの潤んだ瞳はその奥に、相手の乱れた姿を写していて。
お友だちが私の制服のリボンに手をかけ……私は、お友だちの制服の袖を握りしめて、目を瞑って……。
これからこの身に起きるであろう出来事への怖さと背徳感に身体を強張らせていた瞬間。
「カフェ、お友だち! すまなかっ…………た………………?」
空き教室のドアが開く音がして、大粒の涙を溢しているトレーナーさんが現れました。
が、こちらを眺めながら、硬直していて。
「あ……トレーナー、さん……」
「……ご、ごめん……一時間くらいしたら戻る……」
「え…………………あッ!?」
潤んだ瞳のまま、トレーナーさんをぽぅっと眺めていた私とお友だちは、自分たちの客観的な姿に気付いて。
「うん……その……邪魔してごめんな……」
「一時間も……って何をすると想像してたんですか……!!」
私とお友だちは慌てて跳ね起き、急いでトレーナーさんに駆け寄ってひっ捕まえました。
******************
そのしばらく前。
マンハッタンカフェのトレーナーは、カフェテリアでテーブルに突っ伏して弱り切っていた。
「俺……二人に何てこと言っちまったんだ……言うにしても言い方とか、色々……」
それを囲むのはフクトレーナーとライストレーナー。
それにアグネスタキオンとモルモットのコンビである。
「でも正論だろう。状況を聞くに、流石にテコ入れしないと破綻するぞ」
「分かる、分かるわ……どっちも悪くはないの……でも互いに傷つけ合うしかできなくて……あぁっ!!」
「あん? どうしたタキオン、さっきから俯いて」
「…………」
コーラを飲みながら冷静にコメントするフクトレーナー。
勝手に胸を押さえながら天を仰ぐライストレーナー。
モルモットが怪訝そうに声をかける隣で、タキオンは黙り込んで青い顔をしていた。
「俺はナメクジだ……グソクムシだ……稲の籾殻だ……でもカフェのことは何とかしないと……」
「お前なんかと比較したら大自然に対して大変失礼だぞ」
フクトレーナーが呟く横で、今度は我に返ったライストレーナーがタキオンの様子を伺う。
「どうしたの、体調悪い? 保健室連れてこうか?」
「いや、その……だねぇ……」
タキオンはようやく、真っ青な顔を上げると、トレーナーに。
「と、トレーナーくん……カフェたちのこと、悪く思わないでやってほしい……」
「ん……どうしたんだ、急に?」
テーブルからようやく体を起こしたトレーナーに、タキオンは告げた。
「た……多分それは、私の薬のせいだ……」
「へ?」
「その……実は自分用に用意していた薬を、カフェが午前中、誤って飲んでしまったようでね……」
「え……」
「抑えている気持ちに素直になる薬、なんだ……多分カフェたちは普段自制していた感情が、その薬のせいで無理矢理……きみらはいつもベタベタしてるから、大した問題はないだろうと思って……」
「……う、嘘だろう……そんな……俺、カフェたちに、なんてことを……」
目つきが虚ろになるタキオン。
再びテーブルに倒れ込むトレーナー。
その様子を見ながら、フクトレーナーは。
「ん」
タキオンに手のひらを差し出した。
「な、なんだい……?」
「どうせ薬の余剰分あるんだろう? 出せ」
「あ、あぁ……」
タキオンはよく分からないままポケットからタブレットケースを出すと。
そこから一粒の錠剤を取り出して渡した。
そして今度はライストレーナーが無言で、突っ伏し続けているトレーナーの後頭部に右拳で流星を勢いよく落とす。
「いてぇーーっ!?」
そして思わず跳ね起きたトレーナーをがっしりとホールドし、モルモットがフクトレーナーから渡された錠剤をトレーナーの口に放り込む。
トレーナーは為されるがまま、それをごくんと飲み込んだ。
「よし、行ってこいマヌケ」
フクトレーナーがトレーナーを椅子から蹴落とす。
おむすびのようにしばらく転がったあと、トレーナーはすくっと立ち上がって。
「……ごめん、手間かけさせた」
「いいからさっさといけって」
モルモットの言葉を受けて。
頬を涙で濡らしながら、トレーナーは一目散に走り始めた。
******************
「の、つもりだったんだけど……ごめんな……二人がお楽しみ中だとは思わなくて……」
「違います……違いますから……!!!」
「――っ!!」
否定する私。
声にならない叫びを上げながら頭をぶんぶん振り続けるお友だち。
しかし、トレーナーさんは慈しむような目で私たちを見ています。
ええ、否定はできません。
やらかしたのは私たちです。
場の空気に乗せられたとはいえ、確かにその……アレは、ちょっと……。
「……とりあえずさっきの件は置いといて、さ」
トレーナーさんは再び泣きそうな顔になって、私たち二人を抱き締めて。
「ごめん、ごめんな……タキオンの薬のせいで、ああなってたなんて……」
「………………え」
え?
「……もしかして、知らなかった?」
「はい……間違えて紅茶は飲んじゃいましたけど……タキオンさんは気にしなくていいって……」
それを聞いたトレーナーさんは、一層滝のように涙を増やして。
「それじゃあ……きっと二人とも、ずっと自分のことを責めてたよな……」
私たちを抱き締めるトレーナーさんの腕が震えていて。
私とお友だちは顔を見合わせると。
安堵からか、互いに笑顔が溢れました。
「……トレーナーさん、もう怒ってませんか?」
「怒るもんか……むしろカフェたちが、俺に……」
「いいえ……結果的には薬のせいでしたけど、そのお陰で私たちも大切な初心を思い出せましたから……」
改めてレースに向き合うためにも、今日考えたことは決して悪いことではなくて。
「それに……トレーナーさんも悪くないです。私たちは知ってます……アナタは優しい人だって……」
お友だちも穏やかな表情で、静かにトレーナーさんに頬擦りしています。
それにしても、今のトレーナーさんはやけに感情的で……って、もしかして……?
「あの、トレーナーさん……まさかとは思いますが……」
そう話しかけたとき、トレーナーさんの顔を見たお友だちが何かに気づいたように。
驚いたように目を丸くしてから、慌てて私の中に入ってきました。
「わっ……」
急にお友だちと一つになって。
何事かと思っていると、こちらを見るトレーナーさんと目が合いました。
その瞳には、先ほどまでの私たちと同じように、焦がれるような熱が宿っていて……。
「タキオンさんの薬……飲んだんですか……?」
トレーナーさんは何も答えてくれなくて。
私の細い体を抱き上げると、そのままスタスタとソファーへと連れて行かれて。
少し乱暴に、ソファーの上へと降ろされました。
「きゃっ……」
思わず目を瞑って小さく声を上げてから、ゆっくりと目を開けると。
私に覆い被さって、少し荒い呼吸をしているトレーナーさんの姿がありました。
そんな様子を見てしまって……。
自制できていたと思っていた私の心も、どんどん熱を帯びてしまって……。
ここまでしておきながら、それでも理性が微かに迷いを見せているトレーナーさんに。
「私の、私だけのトレーナーさん……ほら……おいで……?」
小さく笑って両手を広げると。
トレーナーさんは一瞬、泣きそうな表情を浮かべてから。
でもそのあとは迷うことなく、私の胸の中に飛び込んできて。
「……きっと明日のトレーニングでは結果を出してみせます……それができたら……週末のレースまで、私の好きにさせてくださいね……?」
しばらく互いの体温をゆっくりと感じたあと。
深い深い口づけに、外が暗くなる頃になっても終わらないくらい、長く長く浸り続けていました。
******************
そしてかなりの時間が過ぎて、いい加減帰らなければ、となった頃。
満たされて少し落ち着いた私たちはソファーから立ち上がって、やるべきことに気付きました。
「お友だち」
パチンと指を鳴らすと、臨戦態勢のお友だちが幽波紋のように隣に現れます。
深く繋がる私たちは以心伝心。
言わずとも既に、ダイヤモンドは砕けないかの如く、意志は固く統一されています。
トレーナーさんが叫びました。
「やってみせろよ……お友だち!」
「なんとでもなるはずです!」
私も叫んでもう一度パチンと指を鳴らすと、お友だちは悦楽に表情を歪めながら、ニィィッと笑って。
お友だちがバッと手をかざすとタキオンさんの研究スペースに、鮮やかな紅が山脈のように激しく灯りました。
「燃えろ燃えろ全部燃えろ!」
「これまで積み上げたガラクタも!」
流石はお友だち、精密動作Aと言ってもいいでしょう。
ターゲット以外には僅かな延焼もありません。
そして夜が更けるまで。
私たちは三人で燃え上がる炎を踊って周りながら、トレセン学園に伝わる戦意高揚のダンスを踊り続けていました。
なお後ほど、ヒシアマさんにこっぴどく怒られた挙げ句、沢山の反省文を書かされました。
トレーナーさんはボーナスが少し減ったそうです。
けれども私たちは、確かな充実感を得ていました――。
******************
週が明けて。
研究資料の焼失からようやく立ち直ったアグネスタキオンは廊下を歩きながら、ネットニュースを見ながらため息をついた。
「カフェは結局、レコードすれすれの大差勝ちか……大したものだよ、愛の力というのは……」
あの事件の翌日からレース当日まで。
マンハッタンカフェとトレーナーは周りが目を背けるほどにべったりとくっついていて。
これまで建前だけでもひっそりとしているはずだった二人のあまりにもオープンな態度に、流石の思春期ウマ娘たちも食傷気味だった。
大半はそれも週末の休みのうちに解消され、既にカフェとトレーナーを見守るモードに入っていたが。
今日はというと流石に落ち着いているようで、今のところ二人がベタベタしているところは目にしていない。
などと考えていると、ばったりとモルモットと出くわした。
「よぉタキオン、浮かない顔してるな」
「先週のカフェたちを思い出して胸焼けしていてね……」
「あぁ……アレは酷かった……あ、そうそう、先週といえば気になったことがあるんだけど」
「なんだい?」
「あの薬、自分用って言ってたけど何に使うつもりだったんだ?」
「いっ!?」
純粋な疑問を口にするモルモットに、尻尾と耳をピンと立てて固まるタキオン。
答えずに黙り込んでいたが、モルモットがずっと自分から目線を離さず、話題も変えないため。
タキオンは口を震わせ目を逸らしながら小さな声で喋り始めた。
「その、だねぇ……いや、私も素直になりたいなぁなんて……いやいや気の迷いだとも……別にやはり感情の力は凄いなどとカフェを見て思ったりなどしておらず……モルモットくんに正直になりたいなんて……いやいやいや! 冗談だとも! そうだとも!」
後半になるにつれてどんどん早口でまくし立てていくタキオン。
一通り喋り終わってゼーゼーと荒い呼吸をしていると、モルモットはタキオンの頭をぽんぽんと撫でた。
「その、な……慌てなくていいぞ。タキオンはタキオンのペースで、な。俺はずっとそばにいるから」
「…………うん」
タキオンがモルモットの言葉に俯きながら頬を赤く染めていると。
その背後の階段の陰では、ある密会が行われていた。
「ダメ……ダメだよ……」
壁に寄りかかったカフェが、恥ずかしそうに顔を赤らめている。
その吐息は少し熱を帯びており……。
その正面に立つお友だちは、右手をカフェの横の壁について、上気した顔に怪しい笑みを浮かべていた。
いわゆる壁ドンという形である。
「そんなの、いけないよ……私たちにはトレーナーさんが……」
そう口にするも、カフェ自身何かを期待するような目をしてしまっている。
その表情にお友だちは一層笑みを歪めて。
どちらからともなく、徐々に顔が近づいていって……。
「あ、カフェにお友だち、ここにい……た、の……」
その背後から、トレーナーの声。
二人がバッとそちらに目を向けると、赤面したトレーナーが顔を背けて、恥ずかしそうに頬を掻いていた。
「いや、うん……三人の中での話だし……そういうの、トレセンではままあるし……二人が幸せならそれで……」
「ち、違います……これはその……!!」
「だ、大丈夫! 俺も傍から見てて満更じゃないから! ごゆるりと……!」
「待ってください……!!」
イケナイ刺激に耐えきれず走り出すトレーナー。
必死の形相で追いかけるカフェ。
これはこれで……と頬を手で押さえながらその後に続くお友だち。
そして、それを遠くからこっそり眺める二つの影。
「不純です……不純ですねぇ……でも退廃的浪漫ッ!!」
「……ライスも、お姉さまとあんな風に……」
「……エッ」
感化されるライスシャワーを目にして。
もしかして、おかしいのは自分なのではないか、と。
不安と疑心に駆られたマチカネフクキタル。
「し、シラオキ様……私、もしかして何か間違ってますか……!?」
だがしかし、シラオキ様からの啓示が降りてくることはなく。
ほんぎゃーという叫び声と共に、フクキタルの信仰はほんの数秒だけ揺らいでいた。
アグネスタキオンだ!
カフェ……不純だねぇ……そっちもイケちゃうのかねぇ……。
でもトレーナーくんも満更じゃなさそうだ。
……だーかーらー!
私とモルモットくんのことはいいって言ってるだろー!